医学界新聞

 

印象記

第7回世界腫瘍会議・EMBL/EMBO合同シンポ,他

加藤 勝(国立がんセンター細胞遺伝研究室)


 2002年10月7日から17日にかけて海外渡航し,ギリシャのクレタ島で開催された第7回世界腫瘍会議に参加発表した後,ドイツのハイデルベルグにて開催された「機能ゲノム学:21世紀の生物学」に関するEMBL(欧州分子生物学研究所)/EMBO(欧州分子生物学機構)合同シンポジウムに参加発表するとともに,ハイデルベルグ大学医学部のスタインベッサー教授と研究打ち合わせを行なった。

開催地ギリシャに立つ

 日本からギリシャへの直行便はなく,ドイツのフランクフルトを経由してギリシャのアテネに到着した。2004年にアテネにおいて21世紀最初の夏期オリンピック大会が開催予定になっているため,アテネ国際空港が郊外に拡張移転していた。アテネ市内からアテネ国際空港までの鉄道工事が進んでいるものの,現在は片道1時間のバス輸送に頼っていた。私は1987年の11月に東京大学医学部第3内科教授(現在,自治医科大学学長)の高久史麿先生ご夫妻に仲人をしていただいて結婚し,新婚旅行でギリシャのアテネに滞在してパルテノン神殿跡などの史跡を探訪していたので,今回はアテネ市内を訪問しなかった。
 アテネからエーゲ海に浮かぶクレタ島の北岸中央部のヘラクリオンまで飛行機で移動して,さらにタクシーでヘルソニッソスのクレタ・マリス・ホテルに到着した。ホテルは,エーゲ様式の白壁の建物であり,15センチほどの金属製の鍵で青色の木製扉を開ける部屋の作りが印象的であった。学会期間中の最高気温は30℃を越えており,宿泊客らがホテルのプライベート・ビーチやプールで「過ぎ行く夏」を楽しんでいた。クレタ・マリス・ホテル内の国際会議場において第7回世界腫瘍会議の参加登録をし,主催者のクレタ大学医学部のスパンディドス教授に今回の会議への招聘のお礼を述べた。印象記に掲載する写真の話をしたところ,教室員を呼んで国際会議場の入り口まで行き,記念撮影をしてくださった(写真)。

反響の大きかった研究発表

 第7回世界腫瘍会議の初日の午前中に,私の研究室におけるWNT信号伝達系に関連した腫瘍ゲノム研究に関して25分間の口演発表を行なった。2002年の癌学会および再生医療学会において使用した『All Researches Lead to WNT』というタイトルのスライド(図1)から口演発表を開始した。
 分泌型糖蛋白WNTのシグナルは,Frizzled(FZD)遺伝子がコードする7回膜貫通型受容体などを介して,標的細胞へと伝達され,β-catenin-TCF信号伝達系,JNK信号伝達系,あるいはCa2+放出信号伝達系などが活性化される(図2)。ヒトゲノムに存在する19種類のWNT遺伝子のうち13種類のWNT遺伝子,10種類のFZD遺伝子のうち9種類のFZD遺伝子,さらにMFRP,FRAT1,FRAT2,NKD1,NKD2,βTRCP2/FBXW1B,GIPC2,GIPC3,VANGL1/STB2,WRCH1/ARHU,WRCH2/ARHV,TCF-3,SOX17などのWNT信号伝達系関連遺伝子の分離同定と網羅的発現解析および機能解析について発表した。
 最後に私の研究室において,新規遺伝子断片の発見からこの新規遺伝子の分離同定と特徴づけに関する論文発表までの期間が,バイオインフォマティクスの利用に伴い,20世紀には約17か月(n=13)であったのが,2001年には約12か月(n=19),2002年には約5か月(n=19)と著明に短縮した事実に基づき,Bench-top科学からDesk-top科学へのパラダイムシフトが起きていることを発表したところ,共同研究の依頼が多数寄せられ,英文総説論文の執筆依頼も受けた。



グリーク・ディナーも楽しむ

 ホテルから歩いて10分程度のところにパブリック・ビーチがあり,海岸線に沿ってギリシャの遺跡から出土した壺や青銅の装飾品などのレプリカを売る土産物屋や屋台風の展望レストラン(食堂?)が軒を列ねていた。レストランのお兄さんとの値下げ交渉の後に食したロブスターは茹で過ぎて身が固くなっており,築地で仕入れて自分で調理するロブスターの方が美味であると思われた。
 2日目の夜は,ホテルからバスで30分程度移動した山中のレクリエーション施設において行なわれた,世界腫瘍会議主催のグリーク・ディナーに参加した。クレタ島の伝統衣装を身に付けた若者の民俗舞踊を鑑賞しながら食事をして,他の発表者との交流を深めた。グリーク・ディナーの終盤には世界腫瘍会議参加者もステージに登り,皆でグリーク・ダンスを楽しんだ。

EMBL/EMBO合同シンポジウム

 クレタ島からアテネを経由してドイツに向かった。EMBLがあるハイデルベルグはフランクフルトからタクシーで1時間弱,ミュンヘンから特急列車で約3時間かかる場所に位置している。フランクフルトにおいて秋期に国際展示会が開催されることが多く,アテネ・フランクフルト間の航空券の予約を取ることができなかったので,アテネからミュンヘンに飛んだ。ギリシャのクレタ島の10月は日本の晩夏に相当する気候であったのに対して,ミュンヘンの10月は日本の晩秋に相当する気候であった。急激な季節感の変化にとまどいながらも,ミュンヘン国際空港から市内に至る車窓から黄色に色づいた秋の景色を堪能できた。1986年に卒業旅行で3週間ほどヨーロッパに滞在した際に最も印象深かった都市がミュンヘンであったが,今回は仕事で来ており,時間もなかったのでミュンヘンの美術館やビアホールには行かなかった。
 翌日,特急列車でハイデルベルグに移動し,EMBLが手配してくれたホテルにチェック・インした後,EMBLに向かった。ハイデルベルグの旧市街から葛折の山道を越えると牧場が広がっており,その先の森の中にEMBLがあった。ドイツ南部の平原では黄色い秋に感動したが,ドイツ中部ハイデルベルグの丘陵に位置するEMBLでは,鮮やかな紅葉を伴う秋に感動した。
 2003年には完全ヒトゲノム配列の公開が予定されており,ポストゲノム時代においてはゲノム・トランスクリプトーム・プロテオーム解析の成果をふまえて,インタラクトーム解析やシステム生物学の研究を行なうことが可能となってきた。EMBL/EMBO合同シンポジウムにおいては,ゲノム,トランスクリプトーム,プロテオーム,インタラクトーム,システム生物学などの多方面の専門家が集まって,各々の最先端の研究成果を発表して討論を行なった。
 帰国前夜に,スタインベッサー博士がEMBLまで迎えに来てくれて,ハイデルベルグ旧市街に向かった。ハウプト通りを歩きハイデルベルグ大学旧校舎などを見た後に,ビアホールにおいて共同研究の打ち合わせをしながら小麦ビールと夕食を楽しんだ。ドイツや日本などでも小麦ビールが生産されるようになってきたが,ハイデルベルグのビアホールがオリジナルらしい。アフリカツメガエルの実験系を用いるWNT信号伝達系に関して共同研究を行なっているスタインベッサー博士は,私の数年来の共同研究者であり理解者である東京大学名誉教授の塩川光一郎博士の友人でもあった。
 EMBL/EMBO合同シンポジウム終了後,イギリスのケンブリッジ大学のポスドクとタクシーに相乗りして,バイオインフォマティクス関する研究全般についての雑談をしながらフランクフルト国際空港に移動し,帰国の途についた。

専門家会議と異分野交流会議

 平成14年度は,今回の世界腫瘍会議とEMBL/EMBO合同シンポジウムに加えて,FASEB Conference on Retinoid(6月,米国アリゾナ州),Gordon Research Conference on Genomics and Structural/Evolutionary Bioinformatics(7月,米国マサチューセッツ州),Gordon Research Conference on Cancer(8月,米国ロードアイランド州),EMBO Workshop on Endoderm: Development, Differentiation and Cancer(8月,スイス)に参加した。世界腫瘍会議は中規模の異分野交流会議であり,Gordon Research Conference,FASEB Conference,EMBO Workshop,EMBL/EMBO合同シンポジウムは100人前後の専門家会議であった。
 専門的な最先端の情報収集には専門家会議が役立つのに対して,新たな発想による新規研究分野の開拓には異分野交流会議が役立つと考えられた。これらの海外の国際会議に参加して発表することにより,海外の旧知の研究者との再交流や新たな研究者との交流ができ,それを通して最新の情報を収集し,新たな共同研究を開始することもできた。さらに,E-mailを介して進行していた研究の共同研究者との顔合わせができ,共同研究をさらに発展させることができた。
 私の研究室では,バイオインフォマティクスを用いてゲノム情報を解析し,新規WNT信号伝達系関連遺伝子を分離同定してきた。今後,実験科学と情報科学の接点に立脚してWNT信号伝達系を中心とするインタラクトームを解明し,がんをはじめとする種々の疾患の予防法・治療法などの開発および幹細胞の分化制御による再生医療への応用を目標とする医学研究を推進していこうと考えている。
 最後に,世界腫瘍会議とEMBL/EMBO合同シンポジウムに参加発表するための今回の海外渡航に対して,金原一郎記念財団からの海外派遣助成金の補助を得ることができましたことをここに深く感謝致します。