医学界新聞

 

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現地レポート

    世界の医学教育

  ロシア編

匿名
(著者の希望により名前・経歴等を削除いたしました。
2007年11月26日)


■なぜロシアに?

 私は現在モスクワにあるロシア国立医科大学(Russian State Medical University, 1906年設立,WHO登録校)で,2学年に在学しています。と申しますと「なぜロシアに?」と必ず聞かれます。そもそも医師をめざしたきっかけが私が以前携わっていた国際援助の分野に専門家として貢献したいと思ったからです。海外での活動を考えるとやはり英語で医学を修めたい,しかし英語圏の国は学費が非常に高い,という問題がありました。そこで比較的低費用でなおかつ英語教育を行なう第三国を探し始め,こちらに行き着いたというわけです。
 ロシアでの医学教育は日本と同様,6年間の大学教育(うち3年は基礎医学・残り3年は臨床医学)になります。最後に医師国家資格試験があるのも同じで,ロシアで医学を学ぶ外国人はロシア人と同様こちらの試験をパスしなければ医師資格を得ることはできません。
 ここからは私の在学する大学について述べさせていただきますが,同じロシアでも大学によって多少の違いがあるのは申し上げるまでもありません。

■ロシア国立医科大学の教育

ロシア人学科
 こちらは通常の医学部(1906年設立)の他に,小児科専門と生物医学専門コースという2つのコースがあり,どちらも医学部ではあるのですが(つまり医師国家試験を通れば医師資格を得られる),より専門に特化した教育が行なわれています。特に小児科コースというのは世界で最初に設立されたそうで(1930年),当大学の古くからの得意分野らしく,提携する小児科専門の病院(なんでもプーチン大統領夫人がオーナーだとか)が大学に隣接しています。生物医学専門コースでは,分子生物学に重点を置いた教育が行なわれます。こちらは宇宙開発に伴って設立されたものだそうです(1963年設立)。

外国人学科
 医学部外国人学科には,英語課程とロシア語課程があります。ただしこの分類は基礎医学3年間に関してで,臨床の3年間は実際にロシアの医師や患者と接する病院研修になりますので,当然すべてロシア語になります。私が学んでいる英語科では最初の基礎医学3年課程が英語で行なわれますが,毎週ロシア語の授業もあり,4年次からの臨床に備えています。ロシア語課程では,外国人が実際に医学の勉強を始める前に1年間のロシア語予備コースがあります(計7年間)。予備課程を修了した学生は以後6年間ロシア人学生のクラスに編入し,まったく同じカリキュラムで学びます。

国籍
 当大学の約7000人の学生のうちそのほとんどがいわゆる白系ロシア人です。ただしロシアと言っても広いですから,その他にもトルコ系や,旧ソ連の共和国からの学生(まるで日本人のようなモンゴル系の顔立ちが目立ちます)も多いです。対して外国人学科では英語課程は主に自国でも英語教育を行なっているインドやマレーシアからの学生が大多数を占めています。ロシア語課程は主に中国・中南米・アフリカ・ギリシャ・アラブ諸国などからで,英語をまったく話せない学生も多くおり,互いにロシア語で会話をしている様子も見受けられます。ちなみに日本人は私がはじめてだそうです。
 こうしてみると多国籍が入り乱れているようですが,やはりどうしても人種ごとに固まってしまう傾向があり,寮での部屋割りも最初はランダムに割り振られるのにもかかわらず,自然にインド系・中南米系・アジア系・欧米系等に分かれていきます。気をつけてみてみると,ロシア人学生も,コーカサス系のいわゆる白人とその他の地域出身のロシア人とで分かれてかたまっていることが多いのに気がつきます。

学期
 6年間の教育(外国人学科のロシア語課程は7年間)で,前後期の年間2期制です。9月から新学期で,6月に年度が終わるのは欧米諸国と同じです。休暇は夏季(2か月)・春季・冬季(それぞれ1-2週間)の3回です。

試験
 出席・ラボ・小テスト・提出物など通常のノルマを全部クリアすると,年2回(1月と6月)の試験を受ける資格が与えられます。逆に言えば,ノルマが達成されていない場合には試験を受けることもできず,したがって単位ももらえないことになります。成績は5段階評価で2以下は落第になります。最終的に記録される成績は出席・ラボ・小テスト・提出物などと,試験結果を総合的に評価・決定されます。試験形式は筆記と口頭試問で,さらに組織標本やスライド,人体などが用いられます。

第1学年
 生物(Genetics, Ontogenesis, Parasitology含む),化学,物理,ロシア語,医学用ラテン語,組織学,解剖学,それに体育があります。組織学・解剖学では実際に組織標本を観察したり死体解剖などを通して,基礎的な人体についての知識を学びます。
 1年で最も大変なのもこの2科目といえます。どちらも2年の前期まで,つまり計1年半学ぶことになります。

第2学年
 生化学,生理学,細菌・微生物学,組織学,解剖学,体育,ロシア語に加え,週1回の病院研修(General Surgery, Basic Therapy)が始まります。やはり1年次に較べると格段に大変になります。

第3学年
 病理学,病態解剖学,病態生理学,薬理学,ロシア語,病院実習(週2-3回,Surgery含む),公衆衛生学,X線学があります。3年からは病院と大学と半々くらいの割合になります。

第4学年以上
 4年から6年まではそのほとんどが臨床実習で占められます。これは主として1週間ごとのサイクルで,例えば今週は眼科の感染症ということであれば,大学と提携する専門の病院に一週間通い,医師から指導を受けるということになります。また大学では平行してそれぞれのサイクルに合わせた講義が教授により行なわれます。4年からは講義も臨床実習もすべてロシア語になり,やはり最初は大変苦労するようです。
 6年の春から夏にかけて国家資格試験が行なわれ,合格した外国人学生はそれぞれの大使館で手続きをした後帰国することになります。国にもよりますが,ほとんどの学生は自国での医師免許に書き換えるのに,帰国後さらにいくつかの試験を受けて合格しなければ,自国で医師として働くことはできないことになっています。そのため,ロシアでの国家試験合格後も今度は自国での試験に向けて勉強を続けなければならないということになります。
 卒業後こちらの大学院に進む学生以外はほとんど自国に帰るというのが典型的で,ロシアに残って医師として就職するというケースは(できないことはもちろんないとは思うのですが)今のところ聞いたことがありません。

■留学生の生活

 ほぼ90%以上の外国人学生は,大学所有のHostelという,いわゆるアパート式の留学生寮に住んでいます。料理は自炊で,先輩学生らが共同で自主運営する食料品店・インターネットカフェ・国際電話回線・コピーまた各国料理宅配などのサービスが充実しているのには驚きます。さらにこれはどこでもそうなのかもしれませんが,留学生間のネットワークで医学書や医学用CD,家具家電から電話線にいたるまで盛んに売り買いされています。特に到着したばかりの新入生はベッドと机以外に何もない部屋に入りますので,先輩からの情報や中古品の譲受はとてもありがたいものです。夕食時には多国籍の料理の香りが廊下に漂います。
 長い夏期休暇には多くの学生が帰国してしまい寮はガラガラになりますが,冬期・春季休暇にはモスクワで過ごす学生がほとんどです。

■ロシア特有の事情

 ロシアに限らず海外に留学するというのは多かれ少なかれいろいろ困難なこともあると思いますが,ロシアに留学している学生特有の悩みとして思いつくままいくつかあげてみたいと思います。ただしこれらはあくまで私個人の考えに過ぎないことをはじめに申し上げておきます。
 「Russophobia(ロシア嫌悪症)」という言葉があるのをご存じでしょうか。誤解を招かないようにしたいのですが,こちらに来て間もない頃はロシア人のお世辞にも愛想がいいとは言えない応対にしばしば不快な思いをしたものです。特にロシア語ができないとなると手も足も出ず,買い物から住居確保からビザ申請にいたるまでひどく非効率的で怠慢・横柄な応対をされて,途方にくれたことも少なくありません。すべてのロシア人がそうだとはもちろん言いませんし,大変親切で面倒見のよいロシア人に助けてもらうこともありますが……。
 さらにここ最近ロシアではネオナチの台頭がみられ,スキンヘッドの若者による外国人への攻撃がしばしば起こっています。ひどいケースでは犠牲者も出て,特に有色人種の多い私の大学の外国人学科では一時期,攻撃が激化して1週間授業中止,自宅待機になったこともありました。ロシアで困っていることは,と聞かれてまず頭に浮かんだのは以上の点でしょうか。

■授業について

 英語学科では教授も全員ロシア人ですが授業はすべて英語で行なわれ,教科書も英語のものを使います。教授は9割が女性で,40-60代といったところでしょうか。クラスは少人数制で10人を超えることはまずありません。日本での数百人規模での講義に慣れた私には,この少人数制がとても好ましく思われます。やはり実習などになると少人数がゆえに教授のきめ細やかな指導が受けられますし,質問や時には議論なども自然に活発になります。教授群は大変親身で,医師や教授の給与が決して高くない(それどころか低所得の部類に入るそうです)ことを鑑みても,その熱意には実に頭が下がります。
 「他の国でしばしばみられる医師が受けるある意味で特殊な尊敬や地位が,社会主義の影響がここではそれほど見られない。ロシアの医師が他と違うのは,本当になりたくて医師になった者が多いということだ。」という記事を読んだことがあります。やや極端な意見ではありますが,確かに医師だということに付随するようなステイタスや高給といった要素は私のみた限りここではあまり感じられない気がします。
 教科書などは大学が購入し,図書館を通して年間10から15冊ほどの医学書が貸与されます。使われているのは欧米の医学部でも主流のものとあまり変わりません。その他には学生間でよく医学系CD-ROMがやり取りされ,私もしばしば使っています。

■最後に

 ロシアというお国柄,学問以外のところでつらいこともありますが,医学教育に関していえば,何も知らずに始めた去年からこの1年で学んだことだけでもかなりのものですし,こちらさえ熱意を持ってあたれば教授は倍の熱意で応えてくれるのには励まされます。そういった意味では満足していると言えるでしょう。
 以上簡単にこちらでの大学生活についてお話させていただきました。
《第1回 ドイツ編(堀籠晶子)》