医学界新聞

 

「評価と説明責任の時代」の医療改革を

公的医療費の拡大を打ち出したカナダ医療改革委員会勧告

近藤克則(日本福祉大学社会福祉学部)


●カナダの医療改革案をめぐる論争

 カナダで医療費の拡大を伴う医療改革勧告が発表された。学会参加のため滞在したトロントで手にした新聞では,7ページもの医療改革特集が組まれていた他,3日間にわたり第一面に関連記事がのり,学会講演でも取り上げられるなど大きな関心を呼んでいた。日本の医療制度改革を考える上でも参考になるので,トロントスター(Tronto Star)紙(2002年11月29日)などの記事をもとにその内容を紹介する。

公的医療費を9%追加拡大する改革案

 医療制度改革案の作成を首相から諮問された委員会(ロマノウ委員長)が,1年半に及んだ審議を経て,2002年11月28日に47項目の勧告を含む委員会報告を発表した。その骨子は,予想されている医療費増加分に上乗せして,2003年度から3年間で合計で150億(カナダ)ドル(約1.2兆円;1カナダドル=約80円,以下ドル)を新たに投入するというものである。連邦政府から州政府への補助金を2002年度の81.6億ドルから2005年度に153.2億ドルへと倍増させる提案(表1)である。現在の制度のままで予想されている2005年度の88.2億ドルの補助額に比べると,単年度で65億ドルと73.7%もの増加にあたる。この額は,カナダの2001年の総医療費1020億ドル(約8.2兆円)に対しては6.4%(公費負担率71%[図1]から求めた)公的医療費724.2億ドルに対して9.0%にあたる。この額を,医療費の自然増分とは別に追加投資するというのである。しかも,カナダのGDP比医療費水準は,9.5%(OECD Health Dataでは,9.3%[2001年])であり,日本の7.8%(2000年)よりも2割も高いにかかわらずに,である。

表1 ロマノウ委員会の改革案

・3年間で150億カナダドル(約1.2兆円)の総医療費拡大
・連邦政府から州政府への医療費補助額
(億カナダドル)
 現行  改革案   差額 

  01-02年  81.4  81.4  0
  02-0381.6  81.6  0
  03-04 84.1  119.1   +35
  04-0586.7  136.7  +50
  05-0688.2   153.2  +60


5つの重点分野

 この資金を次の5つの重点分野に投入する。MRIやCTなどの待機期間短縮のために15億ドル,高額の薬剤費自己負担の補助に10億ドル,在宅ケアに20億ドル,プライマリ・ケアに25億ドル,僻地医療に15億ドルで,その他に65億ドルである。
(1)MRI・CT:カナダのMRI・CTの人口あたりの普及率は,イギリスよりは多くフランス並みであるが,アメリカやスウェーデン,ドイツ,オーストラリア(そして日本)よりも低い。このために発生している長い待機期間短縮のために投資する。
(2)薬剤費:薬剤費のうち公費で支払われる割合は4割強で,民間保険でカバーされているのが約25%,残り約30%は自己負担である。改革案では,公費負担割合を引き上げるべきと勧告している。
(3)プライマリ・ケア:カナダ医師会長によれば,登録する家庭医を持たない人が300万人はおり,家庭医だけでもあと3000人は必要だという。1991年から2000年の10年間の統計で見ても,医師の数は増えておらず,登録看護師数はむしろ8%も減少している。もっと予防などプライマリ・ケアを重視すべきとしている。
(4)在宅ケア:退院直後と緩和ケアなどの在宅ケアは急成長分野であるにもかかわらず,医療法で位置づけられておらず,家族介護者の負担も増加している。職場における介護休暇制度の拡充なども含めた在宅ケア支援策が必要である。
(5)僻地医療:日本の国土に比べ約26倍も広い国土に約3000万人が暮らすカナダには,多くの僻地がある。そこで受けられる医療水準も引き上げるべきである。
 読者を対象とした世論調査(表2)では,これらのうちプライマリ・ケアの拡充が,最も優先順位が高い項目となっている。

表2 トロントスター紙Web世論調査
(n=422)
改革案の中で,どの分野を優先すべきと考えますか?
プライマリ・ケアへのアクセスの改善46%
薬剤費自己負担の軽減14%
在宅ケアの充実14%
MRI・CTの増設12%
待機期間の短縮12%

公的な医療保障の拡大への批判

 公的医療費を引き上げて医療の公的な保障水準を高めるのか,公的に保証する水準は下げて民間保険などを活用し,私的にまかなう部分を増やしてアメリカのようにするのかの論点については,公的医療保障の水準を引き上げる道を提案した。カナダの医療制度は,かつて大英帝国の一員であったことを反映し,イギリスNHSを基本モデルにしながら,お隣のアメリカの影響も受けている。公的な医療保障制度はあるが,日本以上に民間(プライベート)医療が併用されている。例えば,医療費の内訳(図1)を見ると,公費が71%に対し民間保険が11%を占め,自己負担が16%,その他が2%を占めている。
 当然ながら発表された改革案は民間保険会社を含む財界団体からは批判された。財界団体のアンソニー会長は「われわれは失望した。改革案は他の選択肢を無視している。例えば,長期的にみた医療財政の持続可能性(sustainability)を考えれば,もっと民間セクターを活用するような道も考慮すべきである」とコメントをしている。

特権か市民権か

 このようなプライベート医療の拡充を迫る論調に対し,ロマノウ委員長はこう反論している。
 「公的医療と民間のプライベート医療の併存を求める圧力は,われわれが直面する重大な危機である。それは富める者向けの医療とそうでない者向けの医療を作ることである。カナダ国民は,それを望んでいない。一方,民間医療の活用を支持して小さい政府を擁護する者が注目しているのは,政府の財政支出だけであり,国民の(私的に負担する分を含む)負担ではない。必要な時に質の高い医療に受診できることは,一部の(富める)者の特権ではなく,すべての国民に保障される市民権(right of citizenship)であるべきだ」

●医療費拡大の前提は「評価と説明責任」

世論の大勢は公的医療費拡大を支持

 この委員会報告が出されるまでに,24都市で45回の公聴会が開かれ,591人が発言し,640の個人・組織が意見を委員会に正式に提出した。これら以外にもオンラインの調査に1万4000人が参加したなど,国民の関心は高い。
 その背景には,長い待機者リスト問題がある。カナダの大都市,トロント市内の大学関連病院でさえも,がんの手術待機期間が過去2年あまりの間に26%も延びて,54日になっている(表3)。しかも,手術する方針を決めてからの日数であり,外科医に診てもらうまでに30日かかったパトリシアさんの例も紹介されている。これはトロントだけではない。カナダ医師会雑誌に掲載された乳がんを対象とし待機期間を調べた論文では,1992年の29日から,1998年の42日まで延びている。
 その一因は,倍の給与が得られる形成外科など民間医療に,麻酔科医が流れていることにある。民間医療では,夜遅くまで手術が行なわれている一方で,トロント市内の大学関連病院にある31手術室のうち,すでに3つが閉鎖されているのに加え新たに4つ閉鎖されるという。
 医師会長も改革提案を歓迎する見解を発表し,改革を渋るであろう政治家たちを牽制するために「もう論議の段階は終わった。実行に移す時がきた。100日以内に決断すべきだ」と述べている。

表3 がん手術の待機期間

2002年のプリンセス・マーガレット病院と大学健康ネットワークにおけるがん手術の待ち期間は平均54日。これは2000年の43日より増えている。
〈手術決定から手術日までの平均日数〉
病院日数症例数
プリンセス・マーガレット病院35  144  
トロント総合病院33  537  
トロント・ウエスタン病院5  10  

がんの部位   

前立腺66  36  
内分泌(ex:甲状腺)64  15  
内腫44   37  
乳腺40  111  
メラノーマ34  19  
33  79  
消化器(ex:大腸)33  28  
産婦人科(ex:子宮)28  145  
生殖器-泌尿器(ex:膀胱)28  42  
頭頸部27  230  
肝・膵臓27  11  

・紹介から専門医初診までの平均日数:13日
・初診から手術決定まで:8日
・手術決定から手術日が決まるまで:33日
・紹介から手術日までの総待機日数:54日

評価と説明責任の時代へ

 国民的論議を踏まえて作られた委員会提案をクレティエン首相は好意的に受け止めながら,以下のようにコメントしている。「医療への新たな投資は,変革と成果のために使われるべきである」として,「成果を評価することなしに,ただ資金だけをつぎ込むことはしない。説明責任(accountability)が大変重要だ」と。
 委員会提案には,カナダ医療審議会(Health Council of Canada)の創設も含まれている。この審議会で,医療システムの業績(performance)や資金がうまく活用させているかどうかを監視して,評価と説明責任を果たすという構想である。
 1年間,「公衆衛生」誌(医学書院発行)に連載した「私のみたイギリス保健・医療・福祉事情」で紹介したように,イギリスでも,医療費拡大による医療改革が,評価と説明責任の追及とともに進められている。カナダの医療改革論議をみても,「医療費抑制の時代」を超えて「評価と説明責任の時代」へと向かっていることがわかる。
 これらの動きは,日本の医療制度のパフォーマンスは悪くないこと,医療費水準が低いにもかかわらず抑制ばかりが強調されるわが国の医療改革論議が,国際的にみれば異常であることを示している。