医学界新聞

 

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感染症新時代を追う

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)
◆03 ウエストナイル熱,そして日本脳炎

2509号よりつづく

ウエストナイル熱の4類感染症への組み込み

 本年10月23日,厚生労働省健康局結核感染症課より,「ウエストナイル熱対策の推進・強化について」という通知が出された。ウエストナイル熱は,1999年に米国における最初の患者が報告された,イエカ,ヤブカ等の蚊によって媒介される感染症である。2002年に入り,米国では患者の発生報告および鳥などからのウイルスの検出数が爆発的に増加し,地域的な分布についても大西洋岸より着実に東進した。米国疾病管理センター(CDC)のHPでは,11月13日現在の今年の患者総数3587人,うち死亡者が211人と報じられている
(http://www.cdc.gov/od/oc/media/wncount.htm)()。わが国でも連日のようにマス・メディアにおいて報道されていることから,医療関係者以外にも多くの人々がこの病気についての関心を持っているに違いない。筆者が最近まで勤務していた横浜検疫所にも,米国行きの旅行者を中心とする方々から多くの質問が寄せられていたものである。
 ウエストナイル熱の侵入に備えて,厚生労働省は,ウエストナイル熱(ウエストナイル脳炎を含む)を感染症法における「4類感染症」に位置づけ,患者発生を全数把握し対策を推進・強化する,という方針を明確にしている。昆虫媒介性,脳炎,動物の関わり…… 筆者はかつて沖縄における日本脳炎患者の発生に遭遇したことがあり,今回の状況は当時のことを思い起こさせた。

沖縄で発生した日本脳炎の記憶

 1991年6月19日,在沖縄米国海軍病院で当時研修中であった筆者は,ICU(集中治療室)に担ぎ込まれた昏睡状態の若い黒人米兵L・S(21歳)をインターンとして受け持つことになった。彼は兵舎の自室で高熱を発し意識不明となって倒れているところを同僚に発見されたのであった。挿管され,半開きになった彼の眼は鈍く中空を見つめていた。いくつかの検査がなされたが,おそらくウイルス性の脳炎である,ということの他に明らかな所見は見いだされなかった。米国より急遽沖縄にやって来たL・Sの母親は,呼びかけにも反応しない息子の手を握り,「この子はきっとよくなる」と自らに言い聞かせるようにつぶやいていた。
 原因究明の動きの中で,筆者には気にかかることがあった。L・Sは沖縄に着任して数か月ほどの新兵である。上官の話によれば,彼らの小隊は,L・Sの病気が発症する約1週間前までトレーニングの一環として沖縄本島北部のジャングルの中で野営を行なっていた。沖縄はその頃梅雨の最中である。彼らは雨に打たれながら,時々水田の近くに降り,またいくつかの豚舎の近くを通った。そして夜間には蚊の襲来に悩まされた。当時,沖縄の米軍は日本脳炎ワクチンの接種を行なっていなかった。
 L・Sの髄液および血清のCF抗体価は当初日本脳炎(JE:Japanese Encephalitis)について有意な上昇を示さず,筆者は検体を琉球大学医学部ウイルス学教室に持ち込み,そこで初めて日本脳炎の診断が血清学的に確定した。ところが,この検査結果は,筆者がどれほど口を酸っぱく説明しても米軍側に採用されることはなかった。誰も日本脳炎患者を診たことがないから,との返事であった。沖縄ではそれまでの11年間,日本脳炎患者は報告されていなかったのである。L・Sは意識が戻らないまま,7月末に母親とともに米本国に搬送された。
 やり切れない気持ちのまま,2か月近くが過ぎた8月下旬のある日,筆者は突然ICUに呼ばれた。そこで目にしたものは,大声で何かを叫んだり,痙攣を繰り返している数名の患者であった。彼らには共通して,L・S同様1週間ほど前にジャングルの中で野営訓練を行なった経緯があった。L・Sと同様の方法で,そのうちの2名より日本脳炎ウイルス抗体価の有意な上昇が認められた。その夏,沖縄の米兵より3名の日本脳炎確定例患者が発生したことが明らかとなった瞬間であった(すべて男性:21-37歳)。そして米本国よりCDCの調査チームがやって来た。

CDC調査チームの迅速な対応

 彼らの対応は早かった。同年の秋口にかけて大規模な血清疫学(約2000検体)を指揮し,蚊を採集し,米兵の約10%が沖縄滞在1年以内に日本脳炎に感染していることを明らかにした。ただし,感染場所の分布は地域によって差があるとし,後にリスクによってワクチン接種勧奨の程度を変えた。秋口,日本脳炎ワクチン接種が開始され,翌1992年4月までに,3万5253人に10万2000本を接種したのであった。その中で発生した,入院9例を含むワクチン副反応の状況(全例がアレルギー反応)については,CDCをはじめ以下のHPに記載されている(http://www.aventispasteur.com/usa/product/pdffiles/!LE3294J.PDF)。その後CDCは,東アジアに展開する米国軍人軍属に対する日本脳炎ワクチン接種勧奨を始めた。
 8月に日本脳炎を発症した1名は,家族と会っても誰か思い出せぬまま帰国した。残る確定例の1名は完全に回復した。
 実際に日本脳炎患者を診た筆者にとって,その臨床像の悲惨さは脳裏に焼き付かれたものであった。しかしそれ以上に,米軍基地内で発生したことを理由として,この情報が日本の統計にも載らず,日本側の日本脳炎対策についてプラスに働かなかったというその後の状況が,筆者を現在の道に進ませるきっかけとなっていることを付け加えておきたい。

日本脳炎の状況にも注意が必要

 その米軍兵士を含まないわが国の日本脳炎患者報告数は,国立感染症研究所感染症情報センターのHP(http://idsc.nih.go.jp/iasr/iasr-gg1.html)では,1991-1998年の8年間で,合計35人,1992年以降では毎年4人以下,とある。患者数を地域ごとに見ると,東北,北海道での患者発生は報告されず,九州と四国で22人と全患者の6割以上を占めている。患者の年齢分布は,特に1995年以降はすべて60歳以上であったようだ。
 2002年,わが国ではこれまでに6例の日本脳炎患者が8月から9月にかけて発生し,その年齢中央値は68.5歳(42-89歳)で,特徴的だったのがすべて中国地方で占められていた点であった。日本脳炎の疫学に何か変化が起こっているのか,答えは明らかではないが,わが国において主たる日本脳炎ウイルスの増幅動物であるブタの日本脳炎ウイルス抗体価から,日本脳炎ウイルス感染蚊は,現在でも毎夏,北海道を除く日本各地に存在する状況に変わりはない。

ウエストナイル熱との対峙

 筆者はウエストナイル熱以上に,わが国に厳然として存在してきた日本脳炎の脅威がいまだ続いていることを強調したい。しかし,日本脳炎に対しては有効なワクチンがある一方,ウエストナイル熱に関してはそれがなく(2002年秋の時点),予防手段が蚊の発生防止・駆除等に限られるという点に,備えの難しさがあることも現実である。報告は少ないものの,ウエストナイル熱においては輸血,臓器移植,母乳を介しての感染を疑わせる報告があることも状況を複雑にしている。
 日本においては現時点でウエストナイル熱症例の輸入事例,国内感染のいずれもないと推定されるが,この感染症の侵入・発生に対して,厚生労働省をはじめとする関係省庁,国立感染症研究所,各検疫所,大学,保健所,医療機関(医師),獣医師,昆虫学者等がいかに迅速,効果的に連携し,情報共有と防疫活動を行なうことができるか,という点が最も重要であろう。日本脳炎に関して,米軍は患者発生から2か月間は何もしなかったが,その後のCDCの対応の迅速さ,および合理性は大いに学ぶべき点があった。いざという時にあのように動くことができるか,感染症対策を職務とする現在,筆者はいつもそのことを考えている。
〔参考文献〕
厚生労働省健康局結核感染症課通知.「ウエストナイル熱対策の推進・強化について」平成14年10月.