医学界新聞

 

座談会  日本の学術成果の
          世界への発信のあり方をめぐって
              ――――Vision, Mission, Message


杉村 隆氏
国立がんセンター名誉総長・日本学士院第二部部長

大塚正徳氏
東京医科歯科大学名誉教授・日本学士院会員

名取俊二氏
理化学研究所・特別招聘研究員

遠藤 實氏
埼玉医大副学長・日本学術会議第7部会長

廣川信隆氏
東京大学教授・細胞生物学

樋野興夫氏
癌研究会癌研究所実験病理部長


■歴史を振り返って

「近頃気になっていること」

杉村<司会> 本日はわが国で発行する英文雑誌はどのようにあるべきか,といういささか気宇壮大な問題について,皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。
 と申しますのも,本日ご出席いただいています大塚先生とは共通の悩みを持っています。それは,日本学士院は江橋節郎先生をはじめとする諸先輩が大変なご苦労をなさって,『Proceedings of the Japan Academy』という歴史のある雑誌を発行しております。この雑誌は学士院の会員の総会で会員により提出紹介された論文を掲載するという性格のもので,それが大きな特徴となっていました。しかし,最近は皆さんの関心が次第に薄れてきているので,何とか活性化できないか,魅力ある雑誌にできないか,と大塚先生とは話していました。
 また,遠藤先生も日本学術会議として何か雑誌を持つべきだという意見をすでに何度かお書きになっています。
大塚 「日本に『Nature』や『Science』に匹敵する速報学術雑誌がほしい」と『学術の動向』(日本学術協力財団発行)に書いておられましたね。
杉村 それから,名取先生が以前『生化学』の「近頃気になっていること」にお書きになっています(資料)。最近は皆さんが外国の雑誌に注目し,何かと言えば,「『Nature』に載った,『Science』に載った」というようなことを言いたがる風潮が蔓延しているように思いますが,こういう風潮に対してどのように思われるでしょうか。
大塚 私も何度かそういう発言を耳にしましたが,やはり日本の科学のあり方という問題が根本にあると思います。
杉村 確かにそうですね。それと同時に,日本人が自分の国にどういう誇りを持つかという品格の問題もあるのでしょうね。そして,その次に「科学」の問題があるのだと思います。科学の進歩が遅ければ,江戸時代のように雑誌などは必要としません。良質の科学があるからこそ,このような問題が起こるのではないでしょうか。

<資料>
「近頃気になっていること」
名取俊二    

 今の世の中の風潮でもう1つ気になるのが,インパクトファクターなる数値によるジャーナルの格付けである。発表した論文のインパクトファクターの高低が,その研究者の研究費やポストの獲得に大きく影響するようになってきた。若い研究者の中には,ランクの高いジャーナルに論文を出しやすくするために,ほとんど貢献がないような欧米の研究者を著者の中に加える例もあると聞く。偏見かも知れないけれど,ジャーナルの格付けはアメリカ主導の商業主義の産物で,これが確立したおかげで一番ほくそ笑んでいるのは,ランクの高いジャーナルの出版社であり,研究者はいたずらに踊らされているだけのように思われてならない。
(『生化学』2001より抜粋)  

『Journal of Biochemistry』,『Gann』,その他

杉村 歴史を振り返ってみますと,柿内三郎先生が『Journal of Biochemistry』(1922,大正11年)を,山極勝三郎先生が『Gann』(1907,明治40年)を創った頃はドイツの科学が全盛の時代でしょう。なぜ大正,明治時代にこういう先生方が雑誌を創ったのかという素朴な疑問があります。日本の国力がこれから盛んになる勃興期だったので,そういう気運があったのでしょうか。現在はそれが萎えてしまっているように思えます。
大塚 過去には優れた業績が日本の雑誌に発表されたこともあります。その代表例の1つは湯川秀樹先生で,1935-39年にかけて,『Proceedings of Physics-Mathematical Society of Japan』に連続的に論文を発表しています。基本的に日本のジャーナルに載せるという立場を採っておられたようです。もし湯川先生が当時,外国のジャーナルに投稿して,「英文の表現が悪い」などと批判されていたら,あれほど論文を量産することはできなかっただろうと思います。しかも,当時のヨーロッパの大家は新しい粒子の出現に好意的でなかったと聞いたことがありますので,まだ後進国だった日本から送られた革命的な論文がすぐ受理されたかは疑問だと思います。
 それから,筋肉のスキンド・ファイバーの研究で国際的に有名な名取禮二先生が『Jikeikai Medical Journal』に発表しておられます。しかも,立て続けに論文を出しておられますが,もし『Journal of Physiology』に挑戦し続けていたら,あのようにはいかなかったのではないでしょうか。
樋野 そういう意味では,先ほど杉村先生が「品格」とおっしゃられましたが,矜持と言うのか,意地でもやるという精神がないとできないところがありますね。
杉村 梅沢浜夫先生が出していた『Journal of Antibiotics』は,最盛期の頃には世界中の製薬会社が購読していましたね。そのため,Citation Indexもよかったのです。
 その他にも,東北大学の『Tohoku Journal of Experimental Medicine』,大阪大学微研の『Biken Journal』,医科学研究所の『Journal of Experimental Medicine』などがあります。また個人のお力の預かって大きいものとしては,多田富雄先生の『Immunology』,富澤純一先生の『Genes to Cells』,小堀鴎一郎先生の『Gastric Cancer』などが現在あります。

■日本から発信する雑誌の必要性

競争化社会がもたらしたもの

大塚 1950-60年代頃の日本の科学は,欧米からかわいがられていましたが,今は逆に憎まれているような傾向があると思います。特に『Nature』の編集者の論説などは,むしろ日本をターゲットにしているように感じます。遠藤先生が研究者として出発された頃は,出てきたら叩こうという気持ちは今ほどはなかったでしょう。
遠藤 その頃の日本は,存在しなかったに等しいようなものだったと思います。そういう状況の中で,「これはなかなかやるな」という人がポツンポツンといたからかわいがったのではないでしょうか。
大塚 はっきりしていることは,その頃の日本は貧困だったということですね。ところが,現在は経済大国になり,科学の上ではともかく,経済の上では明らかに競争相手の1つになりました。
遠藤 われわれの若い頃に比べるとレベルは上がっていると思います。当時は,レフェリーしたら箸にも棒にもならない論文がかなりありました。今は平均値で水準に達していますから。
廣川 私が研究者になった30年ほど前は,日本にはよいジャーナルがあまりありませんでした。国力の差もあって,残念ながらグラントの額も大きく違うので,当時は若い研究者は日本で頑張って仕事をして,米国のジャーナルに投稿しました。
 エアメールで1週間かかりましたし,レビューが返ってくるのに大体2か月ぐらいかかりました。当時は日本からアメリカの雑誌に投稿し,アメリカ人と同等に競争しようとすると,自分たちの存在を脅かす論文は,アメリカでは蹴落とそうとする傾向がありました。残念ながら今も続いている傾向ではないでしょうか。
 その1つの基盤として,アメリカの社会が大変競争好きな社会だということがあります。グラントもそうですし,評価もそうです。私もよく昇進の評価などを頼まれることがありますが,最近の傾向は,まずAという人がプロモーションされる場合には,国内の同年代の同じようなフィールドのB,C,Dという研究者の具体的な名前をあげて,どちらが上かと比較させるのです。それにプラスして,国外にAよりも優れた人がいるかどうかも比べさせます。
 例えば,国外にAを凌駕するような研究者がいたら,相対的に自分たちの地位が下がってしまうわけです。だからこれは生きるか死ぬかの世界です。
杉村 そうならなおのこと,その競争に勝たなければいけないでしょう。そういう意味でも,『Proceedings of the Japan Academy』を始め,わが国から発信する英文誌のレベルを上げなければいけないでしょう。

レフリーシステムを整備する

廣川 問題を整理してみますと,まず『Cell』,『Nature』や『Science』という雑誌になぜ若い人たちが投稿したがるのかという問題があります。それは,やはり多くの人に読まれるということがあるからでしょう。それから,平均的によい論文が載る傾向があることです。また,レビューのプロセスにはconstructiveな場合もあって,revisionをしている過程で論文の質が向上するということがあります。ですから,一方では若い人はそういう雑誌に大いにチャレンジしてよいと私は思います。
 そしてその場合に問題になるのは,最近は少しずつ改善されてきましたが,レビューが一方通行であるということです。つまり,日本人がアメリカやイギリスの論文をレビューするようになるべきです。
 また,先生方がおっしゃるように,日本でも少なくとも1つは良質の雑誌を持たなければいけないと思います。今までいろいろ先生方がご努力されてきているわけですが,共通の問題があります。1人の方が創設者として努力なさっても長続きしません。やはり運営を支える強力な組織があり,資金がなければいけません。国策として遂行しなければならないでしょう。
名取 現在は国もかなり研究費を出すようになりましたが,それと同じように日本の研究成果をいかにして世界に向けて発信するか,という面にも国がもっとお金を出すべきだと思います。また,そういう雑誌の編集者も国が雇うべきでしょう。お金の心配もなく,よい仕事ができるようになります。ご指摘のように,特定の個人や学会が単独で運営するのは難しいでしょう。
杉村 学士院長も心配しておられて,文部科学省にお話しになっています。それから,中曽根首相の時代に「対がん10か年総合戦略」が出発しました。その時,日本からの情報発信が話題となりました。国策としてこれをやることは,よい大学を30校選ぶことよりも大切なことかもしれません。
大塚 私も学士院の『Proceedings of the Japan Academy』に関する委員会で,いま廣川先生や名取先生がおっしゃったようなご意見を紹介しました。
廣川 例えば,杉村先生が責任編集者になり,外国人を含め複数のPh.Dを専従スタッフに雇い,現役の研究者がモニタリング・エディターやレビューアーするというサポート体制を作ることも可能でしょう。
遠藤 そこで大事なことは,廣川先生が先ほど言われたようにきちんとレフェリーすることです。外国の一流の雑誌に出してよいと思うことは,よいコメントが戻ってくることです。往復しているうちによくなることがあります。新しく雑誌を出すのなら,そこまでいかなければいけないでしょう。
大塚 レフェリー・システムを整備すると同時に,さらにリジェクションレートを上げていかなければならなりませんね。

「2つのチャンネルを通す」ことと「評価」が抱える問題

樋野 われわれの世代からみますと,雑誌のポイントは「グラント」と「ポジション」の2つあるように思います。先ほどから名前の出ている海外の雑誌に出すと,「教授になれるし,グラントも取れる」と考える精神構造そのものを変えなければいけないと思います。
 もう1つは,先ほども言われたように,権威を持つことが重要です。そして,権威を持ってやる立場と,実際に論文を書く若い世代の意識改革が大切だと思います。例えば,廣川先生のように,『Cell』誌の表紙になるような人が言えば説得力があると思いますね。
大塚 先ほど廣川先生が言われたように,若い研究者が『Nature』や『Science』にチャレンジすることも大切です。そこに論文を出してグラントを貰い教授になることも悪いことではないのですが,『Nature』に載ったからといって,鬼の首を取ったように言うといったことでは困ると思います。
廣川 そういう点では,2つのチャンネルの経路で進めていくことが大切ですね。
樋野 ところで,アメリカでは人事を決める時に,以前はその人物を評価して決めていたのに,最近はNIHのグラントをどれくらい持っているかということで決めるそうです。日本もまさに同様の状況になっています。直属の上司ではなく,国やNIHが評価しているようなものです。評価する人の問題もあります。
大塚 領域が広く,かつ専門化していますので,業績を評価することが,以前に比べると難しくなっているのではないでしょうか。「立派な仕事だから評価されるべきだ」と言っても,反論されるとなかなか覆せません。そこで,最後はCitationがいくつとか,『Nature』にいくつ出ているかというところに追い込まれることになります。

■わが国の現状と課題

日本人としてのアイデンティティと国際性

大塚 『Proceedings of the Japan Academy』の話に戻りますが,日本学士院が持つ1つの問題点は会員の高齢化で,会員だけで雑誌を運営することが困難になっています。
杉村 エネルギーがないことだと思います。次の世代の人のために“巣”を創ることが大事だと思います。
廣川 それから先ほども言いましたが,専従のスタッフです。Ph.Dの資格を持った若い方を複数雇用すべきでしょう。
杉村 『JJCR(Japanese Journal of Cancer Research)』には,非常に優秀なスタッフがいましたし,Citation Indexが2を超えています『JJCO(Japanese Journal of Clinical Oncology)』は現在は大変よくなってきています。これはイギリスに長くいたスタッフがいるからです。そういう人がいるだけでも,かなり現実的なレベルで問題が解決できるような気がします。
樋野 それに加えて,先ほど杉村先生がおっしゃったように,日本人としての誇りがなければいけないと思います。
 昔,日本人が英語で書いた書物は,現在でも外国で引用されることがあります。例えば,日本人の影響を受けたアメリカの指導者としては,ルーズベルト大統領が新渡戸稲造の『武士道』を読んで日露戦争の仲介をしました。また,J・F・ケネディ大統領は内村鑑三の『代表的日本人』を読んで,上杉鷹山を尊敬して経済政策を立案しました。そういう人が現在の日本の科学の分野におられると,インパクトがあるように思います。
 また,「トロイア遺跡」を発見したあのシュリーマンが137年前に日本を訪れ,1か月ほど滞在して,『シュリーマン旅行記』という本を書いています。その中に「日本人の矜持」という話があって,当時の日本人は立派であったと記述しています。そういう意味でも,矜持のある日本の科学者が日本発のジャーナルを作って,そういう人に権威をもたせたらよいのではないでしょうか。やはり誇りがないとインターナショナルにはなれないような気がします。
杉村 そうですね。西洋人は普段の会話が豊富なのは,西洋人は西洋を知っているからです。日本人の会話が貧しいのは,日本を知らないからで,そこには教育の問題があります。私が直接存じ上げている吉田富三先生や中原和郎先生は,現代の人よりはるかに国際人であったように思います。
 樋野先生がよく言われるように,新渡戸稲造のような国際人が必要ですね。
廣川 国際的に尊敬されるためには,日本人としてのアイデンティティがはっきりしなければいけないのではないでしょうか。
 話が少し大きくなりますが,その原因の1つは戦後の教育が日本人であるということを教えない,つまりアイデンティティがないような教育になったからでしょう。よい意味でのアイデンティティを取り返さなければいけないと思います。
大塚 やはり太平洋戦争が終わった時に,日本人はアイデンティティや自信を失った。そして,取りあえず科学のレベルを取り戻そうと頑張ってきたわけです。しかし,今になってアイデンティティや文化がいかに貧困であったかということに気づいた。難しい時期の出発点にあるのでしょう。
名取 現状をすぐに変えるのは,相当難しいでしょう。やはり20年,30年先を考えるべきで,そのためにもジャーナルの発刊が必要だと思います。
遠藤 そうですね。時間がかかりますね。
杉村 そういう意味では,追い風が吹いているのかもしれないですね。

「科学者を育てる」こと

大塚 次により本質的に,日本の科学・日本の科学者をどう育てるかということが問題になってきますね。
樋野 雑誌とともに,人物を並行して育てるためには,それなりの大きなストラテジーが必要です。そのためには,社会にアピールをしなければいけないと思いますし,インパクトをもってアピールできる人物が必要になると思います。
廣川 日本の科学をどのように育てるかという問題に関して少し危険だと思うことは,アメリカ追従と言うか,「アメリカ万歳!」という人の意見がかなりあることです。日本の文化や日本人の考え方や社会の仕組みは,アメリカとはかなり違うのに,アメリカのシステムを接ぎ木のようにもってくるところがあるように思います。
 科学者を育てるという問題になりますと,アメリカでは今は優秀な白人男性が科学者にならない傾向があります。どうしてかと言うと,サラリーが安い上に,ポジションやグラントを取るためには競争が激し過ぎるからです。だから,ベンチャービジネスやウォールストリートへ行くわけです。その隙間を埋めているのが女性と外国人です。しかし,アメリカは多国籍国家ですから,それでもやっていけるわけです。しかし,日本では根幹になる若い世代が意欲を持って研究者になろうと思い,育ってくれなければ困ります。
 「科学者になろう」という子どもたちを育てていかなければなりません。そのためには,われわれにも責任がありますが,国としてもそれなりの対策が必要です。例えば,基本になる理科教育は非常に重要です。それから,大学を疲弊させないで,よい研究者を教育者として置いておかなければいけないと思います。今のままですと,大学は根幹部分が削られて,教育だけをしていればよいということになりかねません。優れたお手本がなければ,将来の科学を担っていくべき人材が育てられないでしょう。
大塚 先ほど名取先生が「地道な20年,30年の努力を始めるべきだ」とおっしゃったように,日本の科学者と日本の科学をどのように育てるか,という政策・戦略を真剣に考えなければいけないですね。
樋野 例えば,今思えば驚くべきことですが,昔はアインシュタインやキューリー夫人,ベルグソン,新渡戸稲造といったそうそうたるメンバーがユネスコ創設に献身しました。あのような「知的協力委員会」が現在の日本には必要だと思います。
杉村 その通りです。そもそも「知的」ということが日本では尊敬されなくなったのではないでしょうか。

「国家の施策」について

大塚 日本の科学技術政策,例えば,科学技術振興事業団の「戦略的基礎研究」はどこで決めているのですか。
杉村 総合科学技術会議です。
樋野 そういう意味では,三権分立が成り立っていないのではないでしょうか。つまり,科学政策を立案する人と,その資金を賄う人と,それを使う人が同じになっているのではないでしょうか。
杉村 残念ながらおっしゃる通りです。
廣川 総合科学技術会議ができて,基本政策を作りましたが,私が疑問に思うのは,重点領域が限られた分野に特異化し過ぎていることです。しかも,ほとんどが応用科学で,近視眼的なものが多いですね。政治家主導の傾向が強すぎると思います。
名取 たしかにそう思います。大型の研究費がくるのは流行している領域ですね。研究者の間に大きなアンバランスがあって,地道に基礎研究をしている人が切り捨てられてしまっているような気がします。
 しかし,将来の科学はそういうところから生まれ出てくるのではないかと思います。本当の意味での科学に皆が魅力を感じなくなり,忘れられてしまっているような気がしますが,そこが一番大事な問題ではないかと思います。
廣川 その危険性はあります。科学研究はやはり自由な発想の中から生まれるものです。その意味でも,ボトムアップ型のグラントが現在50%を切りそうすが,本当は70%ぐらいあってもよいと思います。
杉村 以前の厚生省,文部省などの「班会議」が悪の根源のように言われていますが,よいところもありましたね。
樋野 そうですね。班会議で立派な先生から学んだ記憶があります。そういう学問の継続性,歴史がなくなっていますね。
杉村 私は吉田富三先生から教室で教えていただいたことはありませんが,班会議ではご一緒させていただきました。東北の温泉で,浴衣を着て朝から晩まで議論したこともありました。
樋野 そういう模範となるべき人が少なくなっているから,ますます現代の人たちが自信を持てなくなってきているようなところもあると思います。
杉村 班会議に対して,「独創性を殺している」という批判がありますが,そういうものではありません。そういう模範になるような人がいなくなったら,独創性というものは育たないでしょう。
廣川 あれは日本の知恵と言えますね。コンペティションではなく,コーディネーションです。それから,日本の知恵と言えば,「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」は,まさに日本の特定領域の班研究の国際版です。コーディネーションという概念を国際的に持ち込んだのですが,大きなインパクトがあります。

「今後の展望」について

遠藤 少し話がずれますが,そういう意味では講座制というものも,よいところがありますね。講座制のもとで,細々とでも研究を続けていけるだけの体制があって,継続した結果,ある時に花開いたというケースがかなりあります。
 先ほど廣川先生がボトムアップと言われましたが,ボトムそのものを大事にしないといけないでしょうし,効率だけを考えてもいけないと思います。お金の無駄遣いという議論が気になるかもしれないけれども,その中から大きな成果が1つでも出てきたら,それで十分だと思います。
名取 裾野をどう維持していくか,どう広げていくかということが大切でしょう。流行だけを追ってしまうと,視野が非常に狭くなってしまいます。
樋野 学問の空洞化も起こり得ますね。
廣川 私も遠藤先生のご指摘にまったく賛成します。特に最近は,経済停滞のために経済界からの圧力によって,大学が総動員で近視眼的になり,短期間に効果を出すような方向に導かれている傾向があるように感じます。これは大変危険なことです。
 そういう意味で,ご指摘のように基礎的な研究が大事です。それが文化というものであって,それを育てていくことが大学の使命だと思います。
杉村 文化というのは無駄でなければいけないのです。無駄を平然と認めることが文化ですよ。戦後は「文化国家」という言葉がありましたが,最近は「経済国家」という考え方だけでしょう。いま必要なのは文化の再興ですね。
大塚 そうですね。文化の再興,科学の再興ですね。ところで,それはどこが行なえばよいのでしょうか。
樋野 学術会議や学士院が,もっと社会に対してアピールしなければいけないのではないでしょうか。
杉村 両方とも責任があるとは思います。
大塚 杉村先生のお考えとは少し違うかもしれませんが,私は学士院が日本の科学行政に責任を負って意見を述べ,正しい方向に導く義務があるかというと,必ずしもそうではないと思うのです。学士院には尊敬されている先生方が多数おられますが,「学士院は栄誉機関なのだから,会員が軽率な意見を述べて世間に迷惑をかけるようなことがあってはいけない」という気持ちの方が大勢居られるように思います。適切な意見を述べ得る人でも,慎重に控えるという傾向があるようです。
 一方,学術会議はまさしく国の科学政策に責任を負っていると思いますが,最近学術会議のあり方について,総合科学技術会議が答申を出すことになっているそうですね。総合科学技術会議のメンバーのうち,科学者は少数ではありませんか。
名取 「戦略創造プログラム」の今年度の新規募集領域を見ると,ライフサイエンス関連では「糖鎖の生物機能」と「テーラーメード医療をめざしたゲノム情報の活用」です。どういうプロセスを経てこのような領域が取り上げられたかはわかりませんが,個人的には少々失望します。
 「戦略創造プログラム」を銘打つからには,もう少し生物学の広い領域から,野心的な研究を掘り起こすようなスタンスがあってよいように思います。
樋野 利害関係も生臭くなるから,やはりピュアにはものが言えないのではないでしょうか。そういう意味では,学士院のほうがよりピュアだと言えるのでしょうか。
廣川 私は最近の科学技術政策について,総合科学技術会議が日頃のリーディングプロジェクトに代表されるようなトップダウンの大型プロジェクト研究などの決定過程をみるにつけ,具体的政策決定に当たって,政治家だけではなく,科学者の意見を十二分に汲み取った上で,ものごとを決定していってほしいと強く思います。
遠藤 総合科学技術会議はトップダウンで構成員が決められた政策決定機関ですが,学術会議は政策決定には直接関与せず,まったく独立した立場から,純粋に科学に基づいた信頼すべきデータを提供すべき機関だと考えています。というのは,社会の種々の問題を解決するには,科学の智識を総動員しなければならない時代になってきているので,学術会議は最近,そのような問題に分野横断的,総合的に叡智を集めて提言するのが第一義的な仕事ではないかと考えるようになってきました。そうした社会と関わる目に見える活動を通じて,社会が科学に対して敬意を持ってくれるようになることが基本的に大切だと思います。
 また,国際対応をはじめ,学術に関連したその他のいろいろな仕事ももちろんやっていかなければなりませんし,科学の大切さをもっとアピールすることも学術会議の大切な仕事でしょうね。
杉村 貴重なご意見だと思います。なお,現在試行中ですが,先ほどから話題になっている『Proceedings of the Japan Academy』に発表をご希望の方々は,日本学士院宛てに,原著論文,総説論文をお送りいただければ,適当な会員,またはその領域の見識ある方が査読の上,採択と決まれば,学士院の総会で会員により紹介され,比較的早く印刷されます。この雑誌の対象は広く,理学,工学,農学,医学,薬学です。
 さて,本日は大所高所より日本の科学,科学者,日本で発刊する英文雑誌に関して皆さんのご意見をうかがえ,ありがとうございました。読者の皆さまにもご参考になれば幸いと存じます。
(おわり)