医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


2506号よりつづく

〔第36回〕エイズ・エピデミック(6)

エイズ・エピデミック

 感染症疫学において,アウトブレイクとエピデミックの定義はなされていません。しかし,局地的伝染病の流行をアウトブレイクとし,もっと大きな規模のものをエピデミックとしているようです。ですから,ロスとニューヨークでエイズ患者が多発した時期はアウトブレイクであり,今はエピデミックの状態にあります。
 エイズ治療に明るい兆しが見えてきたと同時に,世界で3600万人以上の人がエイズに感染し,2000万人以上がすでに死亡したという衝撃的事実が2002年になってWHOにより報告されました。年間の新規感染者は500万人に達し,そのうち女性は200万人,15歳以下の子どもは80万人もいました。このことは,毎日,1万4000人ものエイズ患者が発生していることを意味します。14世紀の黒死病もおよそ2500万人を死に追いやったと言われています。エイズの問題はまさにこれに匹敵するといえましょう。いや,それ以上かもしれません。20世紀初期,スペイン風邪(インフルエンザ)の時もやはり死亡は2000万人以上であったと言われています。
 エイズ患者の70%はアフリカ南部(サハラ砂漠以南)であり,一部の地域では成人のHIV陽性率は4人に1人に及びます。また,ラテンアメリカ(150万人),東南アジア(560万人),旧ソビエトなどでも患者数が増加しています。中国でも感染者は前年比67%増の85万人に及んでいます。人口が多い国だけに,今後が心配です。つまり,先進国で始まった現代の疫病は,発展途上国へと広がっていったのでした。
 しかし,最も大きな問題は,治療費が非常に高いことです。エイズに対してベストの治療を施すならば,年間1人あたりおよそ1万ドルかかります。これを続けられる人は先進国でも少ないことでしょう。ましてや1日1ドル以下で生活する人の多い発展途上国では不可能です。このような現状を受けて,一部の製薬会社はアフリカなどの薬を原価に近い価格で販売すると申し出たり,一部の国ではパテントを無視してゾロの薬品販売に踏み切りました。
 このような動きから薬価は下がりつつあるのですが,それでも年間数百ドルはかかり,アフリカ政府は世界からの申し出を受けられないでいるのが現状です。仮に1人年間千ドルかかり,100万から300万人が治療対象とすると,10億から30億ドルを必要とします。このように,未だ現実との大きなギャップがあります。しかし,世界のエイズエピデミックを今止めないと,本当に大変なことになってしまいます。

血液製剤の問題

 1982年7月,3人の血友病患者に免疫不全の病態がみられたことをWHOは報告しました。血友病製剤は何千という献血ドナーの血液から精製されるため,当然リスクは高くなります。1982年においては,エイズのウイルスもわかっておらず,伝播経路も十分理解されていなかったわけですが,それでも血液で感染することは十分考慮されたでしょう。
 しかし,日本だけではなくアメリカにおいても血友病の専門家はこの可能性を過小評価してしまったのです。当時の血友病専門家は血友病製剤によって患者生活のクオリティが上がるのを目の当たりに見てきたわけで,彼らの血友病製剤に対する信頼の高さが正しい判断を鈍らせてしまったかもしれません。1985年3月にエイズ・ウイルスのスクリーニング検査が可能になりましたが,それ以前にでもリスクの高いドナーを避けるなどの対策を講じていれば,より被害者は少なかったことは事実でしょう。日本だけでなく,アメリカにおいても多くの血友病患者が犠牲となりました。しかし,日本の対応は昔のサリドマイド事件,今の狂牛病問題の時と比較して,改善しているようには見えません。

エイズ垂直感染を断つ

 エイズの伝播経路は,性的接触などによる水平感染と,母子間の垂直感染があります。母親がエイズであった場合,その子どもに15-40%の確率で伝染すると言われています。これをAZT(zidovudine)でブロックしようという臨床試験が行なわれました。この時期,AZTはある程度エイズに有効ということはわかっていましたが,多剤併用療法が行なわれるまで,絶賛できる治療というわけではありませんでした。さらに,妊婦に投与して,胎児に奇形を発生するかどうかについてはやってみないとわかりません。ラットで致死量を内服させると奇形を発生するリスクが上がるという報告もあり,著者らは,妊娠前半のAZT服薬は避けました。そして,1991年4月から,1993年12月まで多施設共同で臨床試験が進められたのでした(New England Journal of Medicine1994: 331; 1173)。
 「ランダム化プラシーボ・コントロール臨床試験」は,あたかも臨床研究の究極の方法のように扱われています。確かにケース・コントロール研究やコホート研究に代表される観察研究の欠点を補うことができます。しかし,倫理性,実行可能性,外的妥当性といった種々の問題を含みます。
 結局180人がAZT群に,183人がプラシーボ群に振り分けられました。そして,AZT群では13人が,プラシーボ群では40人の乳児がエイズとなりました。カプランマイヤー生存曲線において18か月の時点で評価をすると,AZT群では8.3%,一方プラシーボ群では25.5%であり,すなわちAZTは垂直感染を67.5%ブロックしたことになります。そして,AZT群とプラシーボ群の生存曲線の統計学的な差はp=0.00006 でした。
 児の奇形の頻度は,両群で同数であり,生後まもなくの死亡はこれらの奇形によるものであり,心配されたAZTの悪影響はなさそうでした。これが,単純な観察研究あるいはプラシーボなしの介入研究だったら,AZTが有効という結論は下せても,AZT内服が奇形に関係ないと結論できなかったかもしれません。すなわち,AZT妊婦投与が正当に評価されず,世に出るのが相当遅れたことでしょう。
 最近の母子感染防止策として,妊婦にはAZT投与をする他,妊娠末期RNAコピー数が1000倍以上と高い場合には,帝王切開を行ないます。そして母乳栄養は断ち,6週間,児にもAZTを与えます。