第2506号 2002年10月14日


〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


2505号よりつづく

〔第35回〕エイズ・エピデミック(5)

エイズ数学モデル

 1990年代に入るとエイズの病態解明が進みます。エイズウイルスは体内のCD4陽性リンパ球に感染し,細胞内で増殖,これを破壊し血中にばらまかれ,再度CD4陽性細胞に感染します。AZTは抗エイズ薬として臨床的に最も有効な薬ですが,ウイルス量をあまり低下させることができません。その後,蛋白阻害剤等が開発されましたが,この後続薬はウイルス産生を抑え,CD4陽性細胞の増加を導きます。ホー博士らは,ウイルスRNA量と感染CD4陽性細胞の推移を追うことによって,エイズの病態生理に関する数学モデルを発表しました(Nature 1995:372;123,Science 1996:271;1582)。このエイズ病態を数学的に捉えるという斬新な発想,これは相関や有意差に固執していた従来の古典的生物統計学に対して非線型モデルという新天地を切り開いたものでした。新しい発想がすんなりと受け入れられるアメリカ。当然のごとく,ホー博士はタイム誌の「1997年時の人」に選ばれました。
 エイズの患者さんに対して治療を開始すると,ウイルス量が2.1日で半分になることがわかりました。また,1日当たりリンパ球は1.8×109新しく作られており,エイズウイルスは10.3×109個作られていることもわかりました。CD4細胞から血中に放出されたウイルスの平均寿命はおよそ0.3日(半減期0.24日)であり,感染CD4細胞の平均寿命はおよそ1.3日です。CD4細胞が崩壊してウイルスを血中に散布し再びCD4細胞に感染,そして再びウイルスを血中に放出するまでの時間は2.6日です(図1)。


 その結果,HIVは年間およそ140回細胞内で増殖し細胞を破壊するサイクルを繰り返します。潜伏期間が10年とすると,1400サイクルとなります。そして,ウイルスが細胞内でRNAよりDNAに変換される際,1塩基対あたり10-4の確率で突然変異を起こすと推定されています。もしも,エイズ患者さんの体内に1010のウイルスが潜んでいるとすれば,毎日1-2個の変異が生じていると考えられ,ウエイらによれば,2週間で薬剤耐性を獲得すると計算できます(Nature 1995:373;117)。
 以上の論理により,細菌の薬剤耐性獲得機序とは異なり,エイズは仮にAZTを投与しなくとも突然変異を起こしやすいことが理解できます。よってエイズウイルスは同じ固体内にあっても非常にヘテロな集団であると考えるべきなのです。
 そのことを考慮すれば,当然多剤併用療法が基本となります。近年「ウイルスの毒性が弱まってきているのではないか?」とする考えもあるようです。しかし,ウイルスの立場からすると宿主が死亡すれば自分からも繁栄することができないわけで,進化したウイルスであれば,宿主と共存できるように変貌していくはずです。ですから急速に変更を繰り返すことにより,弱毒化する可能性は十分あるのです(図2)。


 最近は多剤併用療法により治療成績も向上しつつありますが,完全とは言えません。なぜならエイズウイルスはリンパ節や脳組織,マクロファージなど比較的長期に生存する細胞にも住みつくため,そうは簡単に駆逐されないからです。理論的には長期生存する感染細胞の寿命がつきるまで薬剤を使い続ければ,ウイルスを駆逐できるはずです。
 ホー博士らは上の数学モデルに基づいて長期生存細胞の寿命を1年と設定しました。ところが,エイズ患者さんの体内からウイルスRNAが1年間検出されなかったため治療を中止したところ,すぐに血中にウイルスが出現してしまったのです。彼らのモデルはエイズウイルスの行動を正確に予測するには至らなかったことになりますが,現在highly active anti-retroviral therapy(HAART)はエイズ患者さんの入院を50%,死亡を30%減らしたと言われています。

エイズ治療成績の飛躍的な進歩

 いずれにしても,蛋白阻害薬の他,作用機序の異なる新薬の登場により,その治療成績は飛躍的に進歩しました。アメリカでは年間エイズ発生が1992年をピークに,エイズによる死亡も1995年をピークに減少しはじめました。1980年代,この医学の進歩を誰が予測したでしょう。しかし,全世界のエイズ患者数はまだ増えているのが現状であり,楽観はできません。
 FDAによる新薬認可までの期間も1986年当時平均34.1か月であったものが,1999年時点では12.6か月にまで短縮されていました。もちろん十分な臨床試験によってリスクとベネフィットの調整が図られなくてはなりませんが,事務的な問題で新薬販売が遅れれば,助けられる人をみすみす失うことになりえるからです。特にエイズのような致死的疾患はなおさらです。