医学界新聞

 

〔連載〕医者が心をひらくとき

A Piece of My Mind

JAMA(米国医師会誌)傑作エッセイ集より
ロクサーヌ K.ヤング(編)
李 啓充(訳)

ソバーカの休暇
ナンシー L. グリーンゴールド


前回2490号

 年次休暇が近づいてきた時,私はどんなすばらしい休暇を過ごそうかとさまざまな思いにふけった。新聞の旅行欄でヨーロッパの見どころを研究したが,飛行機に乗るのはやはり気が進まなかった。西海岸をドライブ旅行することも考えたが,最後にグレープバイン・フリーウェイを運転した時にどんなにいらいらしたかを思い出して,そのプランも断念した。2週間の間何もせずに過ごすという考えにも一瞬ふけったが,自堕落過ぎるように思えてならなかった。「休暇をどう過ごすか」についての責任感が次第に重みを持ち始め,私はカリフォルニアの明るい陽射しのもとで肌を焼くということはあきらめなければならないと決めた。毎日8時間を,私の耳にとっては珍紛漢だったロシア語の学習に専念することにした。
 こう決断する前までは,ロシア語は私にとっては忌まわしい言語でしかなかった。研修医としての最初の2年間,私は,ロシア語を母国語とする患者のための外来を担当していたが,どの患者も私の話す英語は一言も理解しないのだった。問診や診察は,常に何人かいる通訳の監視のもとに行なわれた。そしてこの通訳たちは,私と患者との間の会話を検閲しただけでなく,私から医師としての威厳をも奪い取ったのだった。患者とは目を合わせることすら稀だった。というのも,患者は,通訳のほうばかり向いていたからだ。通訳にはどうやっても勝てそうになかったし,実は,私も彼らの庇護の元にあったのだった。
 私は白衣を着た蝿でしかなかった。どうか正確に訳してくれますようにと願いながらする問診も,蝿が立てる羽音と変わらなかった。そして,通訳たちは,しばしば私という蝿をピシャリと叩き落とすのだった。
 「私たちはそういうことは話しません。落ち込むだけですから,患者に癌だなどと言ってはいけません」
 私は,激しく発音される異国の単語が私の耳を襲い続けるのを耐えるしかなかった。私が簡単な質問をすると,通訳がロシア語で何やらぶつぶつ言い,患者は弁護士の陳述のように長々と答えるのだが,その翻訳は
 「調子は悪くて,胃が痛むそうです。大げさな患者ですよ」
 というものになる,という具合だった。通訳たちは,患者の目の前で
 「まったく,この人たちときたら! 症状が悪くならないと薬を飲まないんだから……。先生の言うことなんか聞きはしませんから,説明したって時間の無駄ですよ」
 と,平気で言うのだった。
 患者と口論となり,怒り狂った通訳が口を極めて患者を罵るということもしばしばだった。そして,通訳は,怒った顔を私に向けて
 「まったく,この人たちときたら! 自分がほしい薬をもらうために,他の医者にかかってるんですから。今度そんなことをしたら,このクリニックからたたき出すって言ってやりました」
 と,私に感謝されて当然というように言うのだった。
 実際,通訳たちは,私たち若い医者がどれだけ彼らのことを迷惑に思っているかを理解できないでいた。彼らは,私たちがする質問を「予期」して,私たちの仕事の手間を省こうと全力を尽くした。私たちが何も聞かないうちから心臓の危険因子について患者に質問したり,私たちが言いそうだと彼らが勝手に判断するところの医療情報や助言を患者に与えるのだった。
 私にとっては拷問だった。私は,木曜日午後1時のクリニックの時間が近づくとパブロフの犬のように条件反射を起こすようになった。もっとも,その条件反射は,吐き気を覚えるということだったが。
 私の同僚も同じだった。患者と直接のコミュニケーションができないので,私たちは自分たちがまるで獣医になったような気がしていた。クリニックの日の午後が近づき,またロシア人たちがやってくると思うと,私たちの口からぶつぶつと不平や文句が出るのだった。私たちがただ一語知っていたロシア語は,「バリート(痛い)」という言葉だけだった。ロシア人の患者は「バリート,バリート,バリート」とだけ,私たちに繰り返した。私たちは自分の患者を憎悪しただけでなく,自己嫌悪にも陥るようになった。
 短い休暇を私と患者との間を遮る障壁を乗り越えるために使えないだろうか? 何かしてほしいことを吠えたてるだけの動物か何かのように患者を見ることを,やめることができるようにならないだろうか?
 言語習得コースの第1日目,私はロシア語教官のナンカに紹介された。彼女はブルガリア人の教授だったが,英語は一切使わなかった。彼女は,ロシア語の単語をつぶてのように私の耳にぶつけた。そして,あれやこれやを指さしながら,静かに話したり,おだてすかしたり,怒鳴りつけたりするのだった。私がヘレン・ケラーとすれば,彼女はさながらアニー・サリバンの役を演じていた。私には,彼女の言わんとしていることがさっぱり理解できなかった。
 彼女は,部屋にあるものすべてについて,ロシア語で何というのかを私に教えようとしていたのだった。机,椅子,床,と,私が部屋にあるものすべてをロシア語で言えるようになると,彼女は主題を前置詞に変え,私はまたさっぱりわけがわからなくなった。私は,所有格,対格,与格の別もわからず,頓珍漢な言い回しを続けた。私は,一体誰がこんな馬鹿げた言語をデザインしたのかと思うようになっていた。単純なことを言い表すのに,なぜ多音節のややこしい単語を使うのか? なぜ,言葉と言葉を子音で繋いで,つばを吐かなければ発音できないようにしているのだろう? 私は文句を言ったが,ナンカは私の文句を無視して,話し,おだて,怒鳴る,ということを続けた。
 これが当然の報いというものだろうか?私はこんなふうにロシア人の患者たちに話していたのだろうか? 診察するから服を全部脱いでとぶっきらぼうに患者に言ってきたが,私は彼らがどう感じていたかまったく気がついていなかったのではないだろうか(それにしても,彼らの重ね着の多さと言ったら……)? 私は,今,服を脱げとは言われていなかったものの,馬鹿で無知な外国人として,自分が丸裸にされているような屈辱を感じていた。
 2週間,私は,犬のように暮らした。犬が飼い主に対してそうするように,教師に笑ってもらったり,背中をとんとんと叩いてもらったり,うまくやったことを誉めてもらおうとして暮らしたのだった。レッスンがとりわけうまくいった日,彼女は私にブレプ(パン)をくれたことがあったが,私はご褒美にあずかった犬のように大喜びでそのパンをたいらげたものだった。宿題のできが悪い,言われたとおりにしていないと当てこすられたりすると,私はいたたまれない思いをするのだった。薬はきちんと飲んでいると言う患者に,血圧はちっとも下がってないじゃないですかと言いながら,私もこのような険しい顔つきをしていたのだろうか?
 そういった質問を我が身に繰り返しながらも,私は単語のジャングルを盲目の信念という鉈で切り開きながら逆境に耐えた。私は教官に,医学用語の語彙を増やしてほしいと頼んだ。彼女は私の願いに応え,粘液や下痢や嘔吐などの言葉を,その上品な口から発するように努力した。多くの学生は「駅はどこですか?」という文を習うのだろうが,私は「ペニスから分泌物が出ましたか?」という文を教えてもらったのだった。
 2週間の間に私が学んだロシア語は,わずかなものにしか過ぎない。私が学んだのはロシア語だけではなく,子ども扱いされたらどう感ずるかということ,そして言語的欠陥ゆえに私が専門家としての度量を失ってしまっていたということだった。過去2年の間に自分が患者にしていたことを,身をもって体験することとなったのだった。
 私はいま,医学ロシア語会話の泥沼でもがきながらも,3年目のレジデントとして内科を担当している。そして,木曜午後の外来は,もはや耐え難いものではなくなった。私は医師として振る舞えるからだ。
 実際,私は今や信じられないくらい目立つ存在となってしまった。通訳たちは私の努力を好意的に見ている。彼らは私と患者とが直接話すことを奨励し,会話の編集者として振る舞うようになった。私が彼らの言っている言葉の内容を理解することを恐れてか,私に対する敬意からかは知らないが,彼らは,私が助けを求めても会話の主導権を奪うようなことはしなくなった。彼らは私の努力を寛大に評価してくれている。私の文法が多少ちぐはぐであっても,彼らは,私のロシア語に対して示す熱意と,私がロシア文化に対して抱く関心を強めていくことをおもしろがっている。私はいまや,名誉ロシア人となったのである。
 そして,患者はといえば,彼らもまた私の努力を好意的に迎えてくれている。彼らは私のことを直接見るようになったし,それまでは一切口をきこうとしなかったのに,赤子の歩みのようにロシア語でアプローチしようとする私の努力に対して,英語で答えようという奇跡的とも言える努力を示す患者も少なくない。「母なる国」について討議したり,私の教師になろうとしている間に,患者がたくさんあったはずの自分の症状のことをすっかり忘れてしまうこともしばしばである。そして,時には,患者が私のことを少しばかり構い過ぎることがあることも,私は認めなければならない。私が動詞の活用や語形変化について滑稽な間違いをしでかすたびに,患者は私に微笑みかけるのだ。そして,もちろんのことだが,患者は私の診察室を後にする時,ロシア式のマナーに従って,私の顔を両手で抱え,両頬にキスをするようになったのだった。

(次回の掲載はこちら

〔謝辞〕患者とより効率的にコミュニケートしようとする私の努力を,支持・激励してくださったマーク・オールト医師とシーダー・サイナイ・メディカル・センター内科部門に感謝する(著者)
〔編者註〕ソバーカとはロシア語で犬のこと。

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本コラムについて
 本コラムでは,20年以上にわたり世界中の医療者に愛され,いまも続いているJAMA(米国医師会誌)の名物コラム「A Piece of My Mind」の傑作選より,その一部を今後数回にわたって紹介する。なお,本傑作選の日本語版である『医者が心をひらくとき-A Piece of My Mind』(李啓充訳,上・下巻)が,8月に弊社より発行される予定である。