医学界新聞

 

〔新連載〕医者が心をひらくとき

A Piece of My Mind

JAMA(米国医師会誌)傑作エッセイ集より
ロクサーヌ K.ヤング(編)
李 啓充(訳)

1日目
ロバート E. マーフィー


 最初の日から遅刻するわけにはいかなかった。
 白衣は前の晩から準備していた。ポケットの中身も,中身の取り出しやすさもバランスもチェック済みだった。左下のポケットには,『スカット・モンキー・ハンドブック』*1と心電図カードとものさし。右下には,『ワシントン・マニュアル』*2,採血バレル2本,注射針数本,血液チューブ数本,そして聴診器。上のポケットにはペンライト,インデックス・カード,黒のペン3本を入れていた。上着のボタン穴に駆血帯をくくり,内ポケットには,舌圧子4本,理学所見と抗生剤治療についてのパンフレット,そしてピーナッツを1袋入れていた。準備に抜かりはなかった。
 CCU(冠疾患集中治療室)に30分前に着き,ナースステーションで座って待った。病棟の事務員が
 「医学部の新3年生ね*3
 と,話しかけてきた。私は何でわかったんだろうといぶかった。
 私にうなずく暇も与えずに,彼女が続けた。
 「いい? 一度だけ言いますからね。通常採血は6時30分。指示出しは前の晩まで,それに遅れたら自分ですること。指示は医師にサインをしてもらい,指示の印を見えるようにしてラックに入れる。X線は黄色の伝票に記入して,スタンプを押した後,私に渡す。心電図と心エコーは赤い伝票で,これもスタンプを忘れないこと。自分で採血をする時は,セット1は赤いチューブ,PT/PTTは青色のチューブを氷中に,カルシウムは青いチューブを氷中に,そして血液培養は黄色いチューブに。血液培養は違った場所から2本ずつ取って,必ずふたをベダジンで消毒すること。わかった?」
 やがて,私のチームとおぼしき一団がやってきた。自己紹介がすむと,皆,自分の病棟1日目のの思い出を話してくれた。レジデントのアドバイスは
 「いますぐ臨床実習をやめろ。これからもっとつらくなるだけだから」
 というものだった。
 インターンが1例目を提示した。彼は早口で話した。略語と数字が何度も出てきたが,他の全員には意味がわかっているようだった。隅っこに立ち,何の患者なんだろうと思っているときに最初の質問を受けた。
 「この患者は下肢に温熱があり,皮膚には発赤と浮腫,そしてホーマン徴候が陽性だ。君だったらどうする?」
 20の目が私に集まった。医学部の最初の2年間で答えてきたマルチプル・チョイス(多肢選択式)の問題とは違った。CHF(うっ血性心不全)と利尿剤について私がもごもご言うと,皆が笑いをこらえ,目を丸くするのがわかった。次の質問は4年生に向けられたが,やさしい質問だった。
 「なぜ,DVT(深在性静脈血栓)を見たら気をつけないといけないのかね?」。
 ――ちょっと待って,その質問の答えならわかる。
 私は割り込んで答えたかった。
 午前中は混乱のまま過ぎていった。患者が変わる度に,絶望感が募っていった。インターン,レジデント,ナース,栄養士,事務員の誰もが,私を脇に連れていき,どうしたら「てきぱきと」医学部3年生の仕事がこなせるかを教えた。私は,コンピュータの使い方,動脈血ガスの取り方,X線・カルテ・心電図をどこに取りにいったらよいかを学んだ。昼食を食べる時間はなかった。
 4時までに,読めない字で取ったメモは,カルテ用紙4頁,インデックス・カード9枚になっていた。手の平には,電話番号をいくつも書き込んでいたが,どれも読めなくなっていた。私はピーナッツを食べた。
 次はレジデントの教育カンファランスで,――また質問責めにあった。隠れる場所などなかった。5,6の質問を立て続けに間違えた後,レジデントは,私の顔を見つめながらこう言った。
 「生理学を習ったことがないのか? 弁護士が舌なめずりして待っているぞ……」
 カンファランスの後,私は自分の担当患者2人のカルテにとりかかり,7時に書き終わった。書いている間も,ナースは次々と私に質問を投げかけた。「ミスター・ジョーンズの血圧はどうします?」「ミスター・スミスの下痢は?」「ミセズ・ウィルソンの嘔気は?」どの質問に対しても,「インターンに後で聞きます」としか私には答えられなかった。夜がふけるにつれ,自分の馬鹿さ加減に滅入る一方だった。
 8時に,ミスター・ハントの心臓酵素の採血をするように言われた。それまでの私の採血経験は同級生3人を相手にしたものだけだった(そのうちの1人は失敗した)。私は,自分が何をしているのかすべて承知していると見えるよう,全力を振り絞った。左腕に格好の静脈を見つけ,いざ針を刺そうとした時,患者がこう言った。
 「点滴の上流から採血するのはまずいんじゃないかい?」
 患者でさえも私よりよく知っているのだ。
 右側の静脈を探しながら,私はなぜ6時間置きに採血をしなければならないのかを患者に説明しだした。患者は,心筋梗塞と狭心症の違い,「ソナーの機械」で何がわかるのか,どうして心電図で梗塞の場所がわかるのかを知りたがった。私は,いろいろな検査の意味を説明し,複雑な生理学(私自身基本的なところしか理解していなかったが)を,ミスター・ハントにわかる簡単な言葉に翻訳した。
 私は採血に3回失敗した。私は患者に謝り,インターンを呼んでくると言った。
 「よせ」
 とミスター・ハントは言った。
 「もう1回やったらどうだ。きっとうまくできる」
 私は,彼が自分を信頼してくれていることに感動した。もう1度挑戦したが,また失敗した。
 「もう1回」
 と,患者が言った。
 「次はうまくいくとも」
 そして,うまくいった。
 私は再度患者に謝り,夕飯にしようと部屋を出かけた。もう9時になっていた。おやすみなさいと患者に言うと,彼は
 「あんた,研修の学生だろう,違うか?」と聞いてきた。私はそうですとうなずき,彼が1人目の患者だったことを打ち明けた。
 「いいか」
 と彼は言った。
 「椅子に座って,俺に話しかけてきた人間は,2日間誰もいなかった。君は本当に賢いし,とてもよい人間だということが,よくわかった。君は,きっと,よい医者になるよ。俺にはわかる」
 とてもよい1日目だった。

(次回の掲載はこちら



*1 米国の医学生・研修医が白衣のポケットに入れて持ち歩く「臨床医ポケット手引き」。
*2 「ワシントン大学内科治療マニュアル」の略称。白衣のポケットに入るサイズなので,研修医・医学生に愛用される。
*3 臨床実習に入ったばかりの医学生。米国の医学部は4年制の大学院教育であり,4年制大学を卒業した者が進学する。前半の2年間で主に基礎医学と臨床入門的な内容を学び,後半の2年間はすべて診療参加型の臨床実習(クリニカル・クラークシップ)を行なう。医学部3年生といえども診療チームの一員であり,日本の研修医にも相当する役割を担う。

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本コラムについて
 本コラムでは,20年以上にわたり世界中の医療者に愛され,いまも続いているJAMA(米国医師会誌)の名物コラム「A Piece of My Mind」の傑作選より,その一部を今後数回にわたって紹介する。なお,本傑作選の日本語版である『医者が心をひらくとき-A Piece of My Mind』(李啓充訳,上・下巻)は,8月に弊社より発行の予定である。