医学界新聞

 

【新シリーズ】

隣の医学生


廣中浩平さん(日本医科大学医学部4年)

聞き手:坂野真理さん(日本医科大学医学部6年)


 医学生・研修医にもいろいろいます。1人ひとり,医師をめざす理由も違うし,日々の生活,勉強法,熱中していること,価値観など,それらは個々の医学生・研修医によってさまざまです。
 その中には,「へぇー,こんな生き方もあるんだ」,「俺もがんばらなくっちゃな」,そんなふうに他人を唸らせる,魅力的な人たちも少なくありません。
 新シリーズ「隣の医学生(研修医)」では,皆さんの身近にいる,ちょっと輝いている医学生・研修医に登場していただきます。
 シリーズ第1回目の今回は,プロボクサーとしてリングに立つ,異色の医学生廣中浩平さんに,同じ大学の坂野真理さんがインタビューしました。

(本シリーズは不定期の掲載となります)


プロボクサーへの道

坂野 なぜ,ボクシングを?
廣中 僕は高校を卒業後,一度大学の工学部,さらに工学部の大学院修士課程を終えていますが,ボクシングを始めたのは,修士課程に入る時です。大学生の時には体育会の野球部にいたのですが,それを引退した後,何かスポーツをやりたいと思い,軽い気持ちでボクシングジムの門を叩いたのがきっかけです。
坂野 最初からプロボクサーをめざしていたのですか?
廣中 いいえ,考えてもいませんでした。まったく偶然の結果です。大学院を修了すると,4年前に廃業した山一證券に就職し,東京の新橋支店に配属されました。すると,たまたま同時期に,職場から比較的近いところにオープンするボクシングジムがあり,「会社帰りに寄ってみるか……」と,軽い気持ちで通い始めたのです。何しろ,オープンしたてのジムだったので,プロ選手なんて1人もいなかった。そこで,ジムに所属している5人で,通る通らないはともかくとして,プロテストを受けてみようということになったのです。本当は期待されていた選手が別にいたのですが,なぜかその人はテストに落ちてしまい,たまたま僕だけ合格してしまったんです。
 しかも,僕のジムが関係している興行がその2か月後に決まっていて,当初はその別の選手が出る予定だったのですが,プロテストに落ちてしまったので,「じゃあ,おまえ出てみろ」ということになったわけです。それから先は1つの流れで,
「試合がある。やれるか?」
「やります」
と僕が答えれば,試合を組んでもらえるという感じです。
坂野 プロとして何戦何勝ですか。
廣中 10戦4勝5敗1分です。
坂野 その10戦は大学に入ってから?
廣中 いえ。サラリーマンをやっている時に3試合やって,それから1年浪人して,大学に入ってから7試合です。

山一證券の崩壊と医学部進学

坂野 山一證券に勤めていたというのも驚きです。「山一の廃業」という,あの歴史的事件を目の当たりにしたんですね。なぜ,証券会社に?
廣中 工学部にいた頃から,将来的には独立して自分で事業をやりたいと思っていたんです。ですから,何か事業のタネを見つけるために,いわば社会勉強のために証券会社に入りました。ですから,山一が潰れた時も,「まあ,勉強になったからいいや……」と(笑)。ただ,1つだけ思ったのが,「仕事をする上で,会社に運命を左右されるのはもうイヤだ」ということでした。
 自主廃業を決めた97年11月から,残務整理を終え,解雇になる翌年の2月末までの間,山一の社員たちは,皆再就職活動をしたのです。僕も,何社か回ったりしたんですが,その時に痛切にそれを感じました。
 会社が潰れるというのは,自分の力の及ばないところで起こるわけです。自分が何かのプロとして会社に雇われるならともかく,まだペーペーの,たいした能力もない人間が,これで他のところへ行っても,また潰れたら同じことの繰り返しですから,それもバカバカしいなと思ったんです。むしろ,起業するタネを見つけようと思ったその時に,ふと医学に興味がわいてきたんです。
 特に,ゲノムプロジェクトで,もうすぐ解読が終わるとかいろいろ言われていた頃なので,成長分野だとも思いました。また,父が医者だったこともあり,医学部の再受験というわがままを認めてくれたという事情もあります。
坂野 なぜ,日医大へ?
廣中 これは私のわがままですが,医学部に合格したら,またボクシングをやろうと思っていたんですよ。ボクシングをやるなら東京がいちばんいいんです。ジムを移ったりするのも,プロだと契約上の問題があって,たまにもめることがあるんです。東京の医学部をいくつか受験し,最終的に日医大に決まったわけです。

ボクシングでは食えない

坂野 そもそも,ボクシングだけで生きていこうとは考えなかった?
廣中 それはまったく無理です。ボクシングって,基本的にファイトマネー以外は収入がないんです。有名になってマスコミに登場するような人間は別ですけど,僕はまだ4回戦という,いちばん下のレベルですから,ファイトマネーは1試合4万円です。1試合4万円という額自体は,他の競技と比べて安いわけではありません。たぶんプロレスラーもその程度だと思うんです。ただ,プロレスラーは年間100試合ぐらいやることができますから,年収で400万円くらいにはなるでしょう。これは,しんどくても何とか生活できる額だと思います。一方で僕らは頑張っても年間5-6試合ですから,食っていけるという次元ではないのです。
坂野 もし,それで生計を立てられるくらい稼げるのであれば,ボクシングだけで生きていこうと考えました?
廣中 稼げるなら,絶対にそちらの道にいったでしょうね。ボクシングを引退した後に,大学へ行こうと考えたと思います。

厳しいトレーニング
ストイックな生活

坂野 平均的な1日とはどのようなものですか?
廣中 朝6時半に起きて,まず6キロほど走って……。
坂野 6キロ!マラソン大会みたい(笑)。
廣中 そして大学へ行きます。大学がだいたい午後4時半ぐらいに終わって,いったん家へ帰り,5時過ぎに荷物を持ってジムへ行き,帰るのが9時から10時ぐらいです。
坂野 それを毎日,ほぼ欠かさず?
廣中 そうですね。日曜以外は毎日。
坂野 すごくストイックな生活ですね。飲みに行ったりすることはないんですか?日本の医学生はけっこう遊んだりすることが多いでしょう?そういうことはほとんどなく,勉強とトレーニングですか?
廣中 ボクシングは危険を伴うスポーツなので,トレーニングはどうしても欠かせません。そういう点では,どうしても同期の学生とのつきあいも薄くなってしまいますし,遊ぶ時間もあまり取れないですね。
坂野 ボクシングと学業の両立はいかがですか?
廣中 それがいちばん不安なんです。今までは,試験があるとわかったら,試合を組んでもらわないようにしてきたんですが,それが難しくなっていて,今回は試験と試合が重なるんです。だから,試験が簡単であることを祈るだけです(笑)。試験があるのはきついですね。トレーニングというのは,毎日というか,一定のリズムで同じような量をやっていないといけないので,試験勉強のように集中してやるわけにはいかないんです。ところが,試験の日程によってトレーニングのリズムが狂うことがあるんです。それがやはりきついですね。どんなスポーツでも練習しないで負けるのは当たり前ですが,ボクシングは危険なスポーツなので,負けることは下手をすると事故につながります。やるからには最低限そうならないだけのトレーニングをしておく必要があります。

人はなぜ死ぬのか?

坂野 殴り合っていると痛いでしょうね。
廣中 皆そう言うんですけど,たいして痛くないんですよ。というのは,脳には痛覚がないじゃないですか。だから別に脳が揺れても痛くはないんです。でも,だから逆に怖い。感覚がない分,どうなっているかわからないですから。何十年も経ってからその症状が現れるかもしれないし,そうでなくても,硬膜下血腫なりになるかもしれないし……。
坂野 ボクシングでそのような事故はけっこう多いのですか?
廣中 最近減ってきてはいますが,そういうことはあります。これは僕が医学部に行こうと思ったきっかけの1つでもあるのですが,ちょうど会社が潰れた頃は,ボクシング界もひどい状態で,毎年1人ぐらい試合で死んでいたんです。
 「なんで死ぬんだ?」と,その頃から研究が始まって,日大でやっている低体温療法とかが発達してきたんですね。僕も,自分の身を守るためですから,そういうことをいろいろ勉強したんですが,やっているうちにそれ自体に興味がわいてきたんです。つまり「なんで死ぬのか?」という問いに興味を持ったのです。
 「頭を殴られれば危険じゃないか」というのは,直感的に考えればそうなんですが,だからといって皆が皆死ぬわけじゃない。そのあたりのメカニズムは,実はまだわかってないんです。そこを「おもしろそうだな」と思うようになったわけです。

医学を学ぶものとしての夢

坂野 そのような分野の研究をやりたいとお考えなのですか? あるいは,どのような医者になりたい,という目標のようなものはありますか?
廣中 いちばん迷うところです。僕自身,イメージがわかないんですよ。というのは,僕たちの時から臨床研修が必修化されますよね。すると,研修が終わると僕は35歳になっているわけです。臨床医としてやっていくのなら,脳外科に行きたいと思っているのですが,脳外科に限らず専門医になるにはさらに7年の実地研修が必要です。研究をやるとしても,大学院などを考えると,時間的に可能なのかという不安が自分の中にあります。受け入れてくれる場所があるのかという不安もあります。
坂野 それは年齢的なものですか?
廣中 それもあります。まだ噂でしか聞かないから実態はわからないですが,基礎の研究室で新規採用をするのは30歳までという話も聞きますし,何より,ふつうの大学は60歳が定年ですからね。それから考えたら,基礎の研究室にいられる時間自体が短いですよね。
坂野 医者になるなら脳外科の医者というのは,やはりボクシングと関係して?
廣中 そうですね。僕の中で,いま一番の目標は,ボクシングに限らないんですが,脳の外傷による事故をなくしたいんです。事故が起こるのは防ぎようがないのですが,それを全員社会復帰させるようにしたいんです。最近は,低体温療法のおかげで,早期に出血を取り除いてしまうことができれば社会復帰が可能になっていますが,後遺症が残ってしまう人もいるので,それをどうにかしたいなと……。
 そういう点で,今の脳外科の技術を発展させることと,究極的には――そこまでできるかどうかわかりませんけど――脳の再生ですよね。そういうことができるようになりたいと……。それができるようになれば,外傷に限らず,脳の疾患すべてに適用できますから。ただ,それがやれるかどうかというのは,まったく別問題ですけどね(笑)。

ボクシングは殴り合ってナンボ
試合に勝った時は大きな満足感

坂野 ボクシングは医師になっても続けるんですか?
廣中 いいえ。もうこの1-2年かもしれません。
坂野 えっ,そうなんですか。でも,せっかくここまでプロボクシングをやってきて,ここでやめてしまうというのはちょっと寂しい気がするのですが。
廣中 いや,それはもちろん,続けられるなら続けたいですけど,別にやめるというのは学校が忙しいからだけではなくて,言ってしまえば能力的な限界もありますから。まだ自分の中では,「続けていればもうちょっと上がれる」と思ってるわけです。ただ,「もうちょっと上がれる」レベルと,頂点を狙うやつらのレベルというのは,どうにも埋まらないということも実感としてあるわけです。だから,自分にとっていけるところまでいって,「ここまでいって駄目なら,そこでやめよう」と思っています。
 もう1つには,やはり危険ですからね。自分の限界までいって,それでどうにもならんのに続けるというのは,事故につながりかねないのです。大手のジムなら,「やめる」,「やめない」以前に「やめとけ」と言われますよ。クビという言い方ではないですけど。会長たちの立場にしてみれば,興行するのは「勝てる」と思うからです。勝ち目がないということは,下手すると選手に死亡や大怪我の危険性があるということを意味します。自分のところの選手にそうなってほしいとは誰も思いません。そういう意味では厳しい世界です。
坂野 じゃあ,ボクシングは趣味として続けるという感じですか?
廣中 いいえ。たまに身体を動かす程度にはやると思うんですけど,これは人によって考え方は違うと思いますが,僕自身はいまのところ,トレーナーなどの指導者側にまわれるほどの時間的余裕はないと思うので,だとしたらもうやらないですね。選手としてやるなら,ボクシングは人と競技してナンボ,殴り合ってナンボだと思うんです。その殴り合いができないのなら続けても楽しくない。
坂野 試合は楽しい?
廣中 うーん。まだ,「楽しい」とまでは思えないですね。自分が練習のイメージどおりに動けたら楽しいと思えると思いますよ。しかし,そうはいかない試合が多いですから。
坂野 いま,いちばん満足している時はどういう時?
廣中 やはり試合に勝った後ですね。勝った後は,どんな試合内容であろうが,とにかく「勝った」という満足感だけですね。
坂野 私も一度応援に行きたいと思います。これからもがんばってください。本日はありがとうございました。

 






廣中浩平さん
1994年京大工学部卒,96年同大学院修士課程修了,山一證券に入社。98年山一證券自主廃業をきっかけに,医学部進学をめざす。99年日本医科大学医学部入学,現在同大4年生。大学時代は野球部に所属。大学院在学時にボクシングを始め,就職後は東京・築地のワンツースポーツクラブ(櫻井孝雄会長)に所属し,97年6月にプロテストに合格。プロとしての通算成績10戦4勝5敗1分





坂野真理さん
日本医科大学医学部6年。将来の夢は「社会をケアする医師になる」こと