第2476号 2002年3月4日


【特別寄稿】

理念なき医療『改革』を憂える

最終回 EBMに基づいたガイドラインの滑稽

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


2474号よりつづく

EBMに関する誤解を広めるキャンペーン

 筆者は,1999年の5月に日本を訪れた際に,米国B大学医学部の学生臨床実習責任者であるF医師の講演を拝聴する機会を得た。講演は首都圏のある大学病院で行なわれたが,そのテーマは,臨床実習の場で,どうやって学生にEBM(Evidence-based medicine)の実践を教えるかというものであった。講演後,F医師は,ある教官からの質問に,正真正銘驚いて目を白黒させた。
 質問は,「EBMの究極の目的は診療ガイドラインを作ることにあるはずだが,ガイドラインから外れる症例ではどうしたらよいのか」というものであった。この質問は,F医師の講演内容をまったく理解していなかったことを示すだけでなく,EBMに対する完璧な誤解に基づくものであったからこそ,F医師は驚いたのである。
 なぜ,そのような頓珍漢な質問を受けるのか理由がわからないと,F医師が理解に苦しんでいる様子は気の毒であったが,実は,そのような頓珍漢な質問が出た原因は,当時,厚生省(現厚生労働省,以下同)が,EBMに関する誤解を広めるキャンペーンを始めていたことにあったのである。
 筆者が知る限りでは,「EBMとは治療ガイドラインに基づく医療をすること」というEBMに対する本末転倒の誤解を広めるキャンペーンを厚生省が始めたのは,99年2月に,同省の医療技術評価推進検討会が,「EBMの概念を広めるため,国が音頭をとって治療ガイドラインを策定する」という方針を発表したのが最初である。そして,同年5月には米国のEBM専門家がのけぞって驚くほど頓珍漢な質問を日本の医学部教官から受けるまでにその影響が浸透したのであるから,この厚生省のキャンペーンは短期間の間に,実に見事な成果を上げたと言わざるを得ない。

EBMの本質

 周知の如く,EBMとは,個々の患者の問題点に対し医学的に利用可能な最善のエビデンスを適用しようという医療である。ここでキーワードとなるのは「個々の患者」(individualized patients)という言葉であるが,患者の臨床像の多様性・複雑性を鑑みるからこそ,1人ひとりの患者の問題点について,最適のエビデンスを探す努力が必要だとしているのである。そのために,文献等のエビデンスを批判的評価することが必須になるのだが,それぞれの文献のエビデンスが目の前の患者に適用できるかどうかを検討する際にもっとも重要となるのは,文献で対象とされた患者群はどういう基準で選ばれたのか,逆に,除外された患者はどういった条件を有していたか,という情報である。
 換言すれば,EBMとは,「目の前の患者に当てはめることができるか」という視点から文献等のエビデンスを検討する作業を繰り返すことなのである。EBMは,その別名を,「tailor-made medicine」,あるいは,「customized medicine」というように,個々の患者に最適な医療を「特注」しようと努力する医療である。医療を衣料に喩えて言うならば,個々の顧客の体型や好みに合わせて,一番着心地のよい服を作ることをめざす努力がEBMであり,ガイドラインに基づく医療とは,それと反対に,大量生産で用意した既製服を,できるだけ多くの顧客に着せようとする努力であると言えよう。

料理本医療に対する戦い

 「料理本医療(cookbook medicine)」とは,「誰かが作ったガイドラインを闇雲に患者に適用する医療」のことであるが,非常に皮肉なことに,「EBMは料理本医療だ」とよく批判される。上述したようにEBMは「料理本医療」とはまったく正反対の医療であるから,実は,「EBMは料理本医療」という批判はまったく的外れなのであるが,なぜ,EBMに対して「料理本医療」という批判が出るかというと,それは,「EBMとはガイドラインに従った医療をすることだ」という誤解を広める人々が跡を絶たないからにつきる。
 日本の場合,「EBM=ガイドライン」という大間違いのキャンペーンの先頭に立っているのは厚生労働省だが,米国で料理本医療としてのEBMを押し進めているのは,マネジドケアを運営する保険会社である。米国では,個々の保険会社がそれぞれ独自のガイドラインを用意し,そのガイドラインに記載されていない診療行為については「エビデンスがない」と,その保険給付を認めず,ガイドラインをコスト抑制の道具に使っているのである(しかも,保険会社が使用しているガイドラインはエビデンスに基づいて作成されたものではなく,コンサルタント会社が恣意的な基準で作成したものであることがほとんどである)。
 ちなみに,EBMの創始者の一人であるデイビッド・サケットは,「EBMは料理本医療」という故なき批判に対し,「トップダウンの料理本(ガイドライン)を押しつけられることを危惧する医師たちは,EBMの推進者たちがバリケードの中で味方となっていることをいずれ理解することとなろう」とまで述べて,「EBM=ガイドライン」という主張を批判している。筆者が「EBM=ガイドライン」という厚生省の「勘違い」キャンペーンを強く批判するのも,このサケットの言葉に100%同意するからに他ならない。

EBMはコスト抑制の道具か?

 さらに,米国のマネジドケアの例でも明らかなように,「EBM=ガイドライン」という誤解を広める人々の本当の目的は,「ガイドラインをコスト抑制の道具にしたい」というものであることが多い。
 また,コスト抑制の手段としてのガイドラインを医療現場に押しつけるか否かとは別に,「エビデンスに基づいた医療が行なわれれば,不必要な医療が行なわれなくなり,コスト抑制が期待される」という主張も,実は,EBMに対する誤解の最たるもので,これについてもサケットは,「EBMはもともとコスト抑制の道具ではないし,EBMを実践して患者にとっての最大限の利益を追求すれば,逆にコストが上がることすらある」と断言している(EBMが何であり,何でないかについては,サケットが明瞭に論じた論文を参照されたい:Brit Med J,312巻71頁;1996年)。

EBMという革命

 EBMは,個々の医師の経験や勘に頼ってきたこれまでの医療のあり方そのものを変える,革命的な概念である。この概念を普及し,これを正しく実践できる質の高い臨床技能を持った医師を育て上げることが,日本の医療の質を高めるためには急務である。だからこそ,多くの医学教育者がEBMの教育に躍起となっているのであるが,そういった医学教育者の努力を無にするかのように,EBMとは正反対の料理本医療をEBMだとするキャンペーンを展開する厚生労働省の姿勢に,筆者は強い憤りと危機感を抱いてきた。
 ところが,今回の医療改革論議の中で,「EBM=ガイドライン」という誤解はますます幅を利かせ,厚生労働省の医療制度改革試案にも,政府与党の医療制度改革大綱にも,総合規制改革会議の答申にも,医療の質を高めるための切り札であるかのように「EBMに基づく標準的診療ガイドライン」策定の重要性が唱われている。「EBMに基づくガイドライン」を策定し,料理本医療としての「EBM」を推進することは,今や,「国是」にまで格上げされた観がある。
 しかし,EBMを正しく理解する人々にとって,この「EBMに基づくガイドライン」という言葉がどれほど珍妙なものであるかは容易に了解されようし,そもそも,「EBMに基づくガイドライン(Evidence-based medicine-based guideline)」など,恥ずかしくて英語に訳すことが憚られるような施策を「国是」とするなど,それこそ恥ずかしい限りと思うのだが……。
(本稿おわり)