医学界新聞

 

【特別寄稿】

理念なき医療『改革』を憂える

第4回 保険者機能強化は日本の医療を救うか?

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


2473号よりつづく

産業界が主張するのは「マネジドケア」の日本への導入

 医療改革論議の中で,「保険者機能強化」を強く主張しているのは,「総合規制改革会議」と経済産業省の懇談会である「医療問題研究会」である。この2つの組織は,医療における市場原理の導入も強く主張しているが,それというのも,ともに,医療における「ビジネス・チャンス」の拡大を目的として設置された組織だからである。両者とも保険者機能強化の一環として,支払い審査の「民営化」を主張しているが,ビジネス・チャンスの拡大という目的を考えれば,何の不思議もない。
 それはさておき,両者が保険者機能の強化について共通して主張する点は,
(1)「患者(被保険者)のエージェント」として保険者が医療サービスの内容を監視する役を務めること
(2)医療機関との個別契約を結ぶことができるようにすること の2点にまとめられよう。さらに,経産省「医療問題研究会」は,これらに加えて,民間企業に競争させることで保険サービスの向上を図るべきとしている。
 これらの主張を総合すると,米国のマネジドケアと類似する仕組みを日本にも入れようと主張していると言ってよいだろう。マネジドケアの失敗については,筆者はすでに詳述しているが〔『アメリカ医療の光と影』(医学書院刊)〕,改めて,「マネジドケア先進国」米国の実体を例にとり,「保険者機能強化」の主張について検証しよう。

1)保険会社は患者の味方となったか?

 マネジドケアは「医師や病院が不必要・不適切な医療サービスをすることがないように,消費者に代わって,保険会社が監視しましょう」という約束を掲げ,患者(消費者)の大きな期待を受けて登場した。しかし,消費者の大きな期待とは裏腹に,登場してわずか数年後に,マネジドケアに対する患者の評価は逆転し,保険会社は「パブリック・エネミー・ナンバー・ワン(民衆の最大の敵)」の地位を獲得するまでになったのである。
 なぜ,患者がマネジドケアに対して怒ったかを一言で言うと,保険会社が「患者の利益」よりも「コスト抑制」を優先し,実は,患者の味方ではなく,契約先の企業の味方として振る舞ったからである。保険会社が医療サービスの内容を審査する活動は「利用審査」と呼ばれるが,これは医療の質の向上のためではなく,コスト抑制の手段として使われてきた。コスト抑制が目的であるから,患者が医師と相談して決めた治療方針について,保険会社が保険給付を拒否するということも日常茶飯に起こり,だからこそ患者の怒りを買うことになったのである。
 ここで,強調されなければならないのは,利用審査という制度は,現代の医療において一番大切な「インフォームド・コンセント(患者と医師が治療のゴールを共有し,そのゴールを達成するために共同して治療方針を決めるプロセス)」のルールと,真っ向から対立するものであるということである。日本の医療に本当に必要なのは「インフォームド・コンセント」のルールを徹底させることにあるはずなのだが,患者がインフォームド・コンセントのルールに基づいて,医師と決めた治療方針に対して,それを無効にする新たな権限を保険者に付与するなど,本末転倒の発想としか言いようがない。
 患者の権利を保証したいのであれば,患者の権利を保証する法および制度を整えることこそ必要なのであって,保険者の機能・権限を強めることで患者の権利を強めるという主張は詭弁であるだけでなく,米国の例を見る限り,逆の結果を招くことにしかならない。

2)保険者と医療機関との個別契約

 保険者が医療機関と個別契約を結び,診療報酬を割引きさせたり,サービスの質の向上を図る,というのがその主張である(ちなみに,この主張は医療保険一元化の動きとは完全に逆方向をめざすものである)。確かに,個別契約によって,米国では診療報酬の大幅値引きが達成されたが,患者の立場からは「アクセスが制限される」という大きな弊害が生じている。
 例えば,HMOは,保険会社が指定したネットワークの中でしか保険給付が受けられないという仕組みになっているが,「遠隔地にしか指定医療機関がない」とか,「予約待ち3か月」など,アクセスが著しく障害されているのである。逆に,保険会社が,ある医療機関と専属契約を結んだ場合,他の会社の保険に加入する患者はその医療機関を受診できない,これでは日本でも,財政事情のよい大企業の保険組合が地域で一番評判のよい医療施設と専属契約を結んだ場合,国保の患者はその施設を受診できないということが起こり得るのである。
 また,診療報酬の値引きであるが,90年代後期に見られたマネジドケアのコスト抑制効果は,実は「利用審査」などで医療サービスを監視した結果ではなく,この値引きがもたらしたものと言われている。しかし,「大幅値引き」というのは,何回も繰り返せる手段ではなく,「1回限り」の効果しかあげることができない。最近米国の医療費が再び高騰し始めているのは,マネジドケアがこの1回限りの値引きの効果を使い果たしてしまったからだと言われている。
 さらに,「マネジドケアによって医療の質が向上した」というエビデンスはなく,「保険者機能を強化すれば医療の質がよくなる」という主張も根拠がない。医療の質をよくしたいのであれば,直接に医療の質をよくするための法・制度の整備をめざすことこそが肝要なのであって,保険者機能の強化などという迂遠かつ無効な方法で,医療に新たな混乱を招き入れる必要などないのである。

3)営利企業による医療保険運営の問題点

 企業が医療保険で利益をあげようとすれば,病人を加入させないことが最も手っ取り早い方法となる。米国の保険会社では,実際に患者の医療にかかる経費のことを「医療損失(medical loss)」と呼んでいるが,これが85%を上回る企業は,ウォールストリートで「非優良企業」とされてしまうので,株価を維持しようと思ったら,どうしても医療損失を下げなければならない。そのためには,病人の加入は何としても避けたいのである(ちなみに,公的医療保険であるメディケアの「医療損失」は98%である)。
 健常者をまとめて集める(「サクランボ摘み」と呼ばれる行為)ためには,例えば,大企業との契約が優先される。保険会社がサクランボ摘みを繰り返した結果,米国の医療保険は,健常者を対象とした「低価格保険」と,有病者を対象とした「高価格保険」とに二極化した。「マネジドケアは,病気さえしなければとてもよい医療保険制度だ」と言われているが,企業に勤めていた人が病気で退職したりすると,途端に医療保険を失ったりするのも,こういった二極構造のせいなのである。
 マネジドケアは「低価格で良質のサービスを提供する」という約束で登場し,もしその約束が果たされていたならば無保険者の数は減ったはずなのだが,マネジドケアの登場後,逆に無保険者が増え続けているのも,実は,サクランボ摘みが原因となっている。国民皆保険制というすばらしい制度を維持してきた日本に,なぜ,アメリカ型の医療保険制度を入れ,無保険者が増えるような事態を招きたがるのか,理解に苦しむと言わなければならない。

米国の医師や病院は赤字でも必要な医療の提供をやめなかった

 マネジドケアは「医師や病院は出来高払いの制度を悪用している」という不信から生まれたと言っても過言ではないが,この不信が,保険者機能の強化を主張する人々にも共通していることは言うまでもない。
 しかし,米国におけるマネジドケアの実態は,こういったステレオタイプの不信とは裏腹に,「医師や病院は,患者の利益のためには自分たちの収入を犠牲にすることもいとわない」ことを示している。
 その好例が,「キャピテーション(人頭割診療報酬支払い制度)」ではほとんどの医師や病院が赤字になっている,という事実である。「キャピテーション」とは,保険会社が患者1人当たりについて定額を医師や病院に支払った後,医師や病院が患者の医療に要するコストを負担するというもので,過剰なサービスを提供すれば赤字になるという財政的リスクを医療サービス提供側に負わせる診療報酬制度である。
 医師や病院がキャピテーションの制度の下で利益をあげようとすれば,サービスの量を減らすことが手っ取り早く,「医師・病院性悪説」の立場からは,「キャピテーションの下では,患者にとって必要な医療サービスが提供されなくなる」ことが危惧されるのである。しかし,現実には,保険会社とキャピテーションの契約を結んだ医師や病院のほとんどが赤字に喘ぎ(),「医師や病院は患者から搾取し,自分たちの収入を増やすことしか考えない」という不信とは正反対に,米国の医師や病院は,自分たちが赤字になっても,患者に必要な医療を提供することをやめなかったのである。

(註)保険会社は,個々の医療機関・医師と契約する際に,例えば,「自分の会社の保険に入っている患者はすべて診なければいけない」などという契約条項(全商品条項と言われる)を入れ,赤字になるとわかっているキャピテーション契約を強要した。