第2473号 2002年2月11日


【特別寄稿】

理念なき医療『改革』を憂える

第3回 市場原理の導入は日本の医療を救うか?

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


2470号よりつづく

「医療にも市場原理を」という大合唱

 「日本の医療に市場原理を導入せよ」という主張がやかましいほどに唱えられているが,一連の医療改革の動きの中で,市場原理の導入を最も強く主張しているのは,「総合規制改革会議」と,経済産業省の懇談会である「医療問題研究会」である。
 総合規制改革会議は,「ビジネスチャンスの拡大」が規制改革の目的の1つであることを明言しているが,医療に関しても,産業界が進出する道を拓くことをその目的としていると考えてよい。議長代理に「病院経営への株式会社参入を認めよ」と以前から強く主張している人物を据える一方で,委員には医療界の人間は1人も入れず,この会議の目的は初めから産業界の意向を一方的に反映させることにあったと言われても仕方はあるまい。
 一方,経済産業省の懇談会である「医療問題研究会」も,医療に営利(株式会社型の)医療法人の参入を認めるべきなど,産業界が医療に進出するチャンスの拡大を声高に主張している。ちなみに,同研究会は「日本の7割の病院が赤字であるから,株式会社化して経営効率をよくしてあげよう」と,いささか恩着せがましい形で営利医療の導入を謳っている(これと反対に財務省・厚生労働省は,「日本の医療機関は十分な黒字をあげている」と言って診療報酬切り下げを主張しており,日本の病院経営者たちは,自分たちが儲けているのか損しているのかわからず途方に暮れているのではないだろうか?)。

市場原理で医療の質がよくなり,価格が下がるという幻想

 市場原理を医療に導入せよと言う立場の人々は,「医療も,テレビを作ったり,物を貸したりするのと変わらない経済活動である。市場原理・競争原理を導入することで,サービスの質もよくなり,価格も低下する」と市場原理の効用を主張した上で,「医療人は経営については素人だ。経営のプロが病院を運営することで,効率的な医療サービスの提供が可能となる」と,経営をプロにまかせることの重要性を強調する。バブルを弾けさせた経営のプロたちが日本の経済をどこに連れていったかはさておくとして,市場原理を医療に導入することで本当にサービスの質がよくなり,価格が下がるのかということを,市場原理医療の先進国,米国を例にとり検証しよう。
 米国の営利病院と非営利病院を比較した研究は数多いが,営利(株式会社型)の病院経営を進めようとしている人々の主張とは反対に,営利病院のほうがコストが高く,医療の質も劣ったとする結果がほとんどである。代表的な文献を紹介すると,(1)腎透析患者の死亡率は営利医療施設のほうが高いだけでなく,営利施設の患者は腎移植の待機リストに載せられる率が低い(N Engl J Med 341巻420頁,1999年),(2)小児喘息で入院した患者を比較すると,営利病院のコストのほうが高い(N Engl J Med 341巻1653頁,1999年),(3)メディケアの支出を地域ごとに比較すると,営利病院が経営する地域での支出が,非営利病院が経営する地域より高かった(N Engl J Med 336巻769頁,1997年),といった具合となる。
 ただコストが高く,質も劣るだけでなく,営利病院のほうが医療事故に遭う率が高いことも報告されている(Pediatrics 102巻E70頁,1998年;Int J Health Serv 30巻739頁,2000年)。血液事業を民間の営利企業に委ねた場合に,「効率が悪く,高くつき,危険」なものになるということは広く知られているが,エビデンスは,病院経営を営利企業に委ねた場合も同様の結果になることを示しているのである。

利潤追求のために営利病院は何をするか

 株式会社は,そもそも,出資者(株主)に配当を還元することを主目的とする組織である。ただ,それだけでなく,株価をも維持しなければならないから,経営者は,常に,高利益率を維持することが要求される。これらの要求を満たすために,株式会社運営の病院がどのような経営戦略を採用するかということを,90年代中頃に全米一の巨大病院チェーンに成長したコロンビアHCA社(現HCA社)の例で見てみよう。
 同社は,低コストを実現するために採算が合わない部門・高賃金の人員(特に看護婦)を切り捨てたうえで,患者には割高の請求をして利益をあげた。また,巨大な資金力に物を言わせて,強引な手法で地域でのシェアを拡大したことでも知られている(同チェーンはテキサス州エルパソ市の2病院から始まったが,創始者はこの2病院の経営を立て直すために,競合する第3の病院を買収してこれを閉鎖した)。さらに,同社も含め,米国の巨大病院チェーンは,「組織的診療報酬不正請求」の前歴を有している企業がほとんどで,利潤追求のためには違法行為もいとわない商法が世論の指弾を浴びたのである〔詳しくは拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院刊)を参照されたい〕。

市場原理の導入が医療にもたらすもの

 以上は,営利病院と非営利病院の比較だが,市場原理を医療一般に導入した場合にどのような不都合が起こるかを,やはり米国の実例で検証しよう。
(1)弱者の排除
 市場原理のもとでは,購買力の乏しい人々が医療へのアクセスから排除される。特に,高齢者は有病率が高く,所得も低いので,市場原理のもとでは容易に排除される。米国政府は,市場原理からこぼれ落ちた人々に医療保険を提供するために,国家による救済処置として,メディケア(高齢者)・メディケイド(低所得者)という巨大公的医療保険を運営している。
(2)負担の逆進性
 有病者ほど保険料が高くなるなど,医療が必要な人ほど,医療へのアクセスが閉ざされてしまう。また,企業を通じて保険に加入していれば,大口顧客として割引価格で医療サービスを購入できるが,無保険者は定価で購入しなければならないなど,弱者ほど負担が重くなる。
(3)バンパイア効果
 地域に「サービスの質を落としてでも価格を下げてマージンを追求する」悪質な医療企業が参入してシェアを獲得した場合,「サービスの質を追求する」良質な企業も,悪質な企業の経営手法をまねないと生き残れなくなる。吸血鬼にかまれた者が皆吸血鬼になるということで,これをバンパイア効果という。
(4)市場原理のもとで価格が下がる保証はない
 価格がどちらにふれるかは,売り手と買い手の力関係で決まり,実際,医療を市場原理に委ねてきた米国では,70―80年代は毎年10%を超える医療費上昇が続いた(90年代に入り,マネジドケアが興隆してから医療費の伸びにブレーキがかかるが,皮肉なことにマネジドケアは,ネットワーク内の医療施設に「統制経済」を強制することで,そのコストを抑制した)。また,米国は政府として薬剤価格を規制していないが,米国の製薬業界が平均利益率2割と市場原理の恩恵を享受する一方,米国民は世界一高い薬剤を購入させられている。
(5)質が損なわれる危険
 営利病院のほうが,質が悪く,事故の率も高いという報告が多いことは上述の通りである。

医療という「危ういなりわい」

 なぜ,医療に市場原理を導入するとこうも不都合なことばかり起こるかというと,それは「医療は他の経済活動とは決定的に違う」からに他ならない。医療とは,「人の命をかたに取ってお金をいただく」という「危ういなりわい」であるからこそ,テレビを売ったり物を貸したりするのと同じ次元で考えてはならないのである。
 他のサービス財については,「お金がないので,あるサービスの購入を諦める」という選択しか消費者に許されないとしても何ら社会の問題とはならないが,医療の場において消費者にそのような選択しか許されないとすれば,それは成熟した社会として決して容認され得ることではない。
 また,市場原理を導入して医師や医療機関に競争させることで,医療の質をよくするという主張があるが,医療の質をよくするには,そのための直接の施策を施行し,そのための制度を社会に用意することこそが政策の本筋であるべきであり,市場原理を導入することで医療の質が自動的によくなるなどという主張は本末転倒の発想に基づくものと言わなければならない(類似の議論は診療報酬支払い制度の改革についても行なわれるが,例えば,「DRG/PPSを導入すると医療の質が標準化される」という主張も,根拠がないだけでなく,まったく筋違いの主張である)。

問われる為政者の見識


お茶を楽しむ高齢者たち(英国の施設で)――ブレア首相は医療への公的支出を増やすことを決断した
 2000年の始めに,英国のブレア首相が,国家として医療にもっと支出しなければいけないという英断を下したことは第1回で述べた。その際,「英国の医療に市場原理を導入してはどうか」と聞かれたブレア首相は,「英国では入院患者の3分の2が高齢者であるという現実があるのに,市場原理を導入するほど馬鹿げたことはない」と言下にこれを否定したという。高齢者を市場原理にさらすことがどれほど恐ろしい結果を招くかを,鋭く認識していたからこその発言である。英国よりも高齢化が急速に進行している日本で,その為政者たちが医療に市場原理を導入しようと躍起になっている姿を見る時,日英の為政者の見識の格差に情けない思いを抱くのは筆者だけだろうか。