医学界新聞

 

【特別寄稿】

理念なき医療『改革』を憂える

第2回 またもや先送りされた高齢者医療保険制度の改革

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


2469号よりつづく

破綻して当然の制度を姑息な手段でしのぐという失政

 そもそも,なぜ現今の医療保険財政破綻の危機が招来しているかと言えば,「老健拠出金制度」という,いずれ破綻することがわかり切っていた制度に闇雲にしがみつき続けてきたからであることは論を待たない。
 日本が世界に類を見ない「少子高齢社会」となり,高齢者の医療に対する「必要」(「需要」ではない)が増え続けることがわかり切っていたのに,この増え続けるはずの高齢者の医療費を,被用者保険や国民健康保険から流用して賄うことを続けてきたのであるから,財政が破綻する健康保険組合が続出したとしても何の不思議もない。不思議なのは,誰が見ても「もつはずがない」とわかり切っていた「老健拠出金制度」をそのままにして,患者自己負担増という姑息な手段でしのぐという失政を繰り返してきたことであり,政府・与党が昨(2001)年11月末にまとめた「医療制度改革大綱」でも,懲りもせずに同じ手段をとり続ける愚を重ねようとしていることである。

なぜ米国は高齢者医療を税金で運営するのか?

 さらに,今回の政府・与党の改革大綱策定の動きと並行して,総合規制改革会議などが「医療に市場原理を導入する」ことを強く主張する一方,「医療保険から公的部分を減らし民間の部分を増やす」という,財務省等の意向が明らかにされた。
 「医療保険を民間に任せ,市場原理の下で運営したい」ということは,日本の医療保険制度を米国型のものにしたいと言っているのと同義である。しかし,皮肉なことに,市場原理体制の本家本元の米国でさえも,こと高齢者の医療については,税金で運営する公的医療保険「メディケア」()を,国家の巨大事業として運営しているのである。市場原理の下で医療保険を運営した場合に,購買能力の乏しい弱者が切り捨てられること,しかも,有病率が高く所得が低い高齢者はとりわけ容易に切り捨てられることを,米国は何十年も前に身をもって体験したからである。
 「メディケア」成立以前の米国では,高齢者の医療保険は,民間のものしかなかった。高齢者は有病率が高いので,高齢者を対象とした医療保険は,当然,その保険料が高額なものとなるため,実に高齢者の2人に1人が何ら医療保険を有しない「無保険者」となっていたのである。このような事態に対し,「高齢者が安心して医療を受けることができないなど,先進国家として許されることではない」と,ジョンソン大統領が,税金で運営する高齢者医療保険制度「メディケア」を創設したのは,1965年のことである。
 40年近く前から,高齢者が安心して医療を受けられるようにするという国家としての責任を果たし続けてきた米国とは正反対に,日本の政府・与党は,「老健拠出金制度」という本来一時しのぎの帳尻合わせにしかなり得ない制度にしがみつき続けた失政に対する反省がないばかりでなく,高齢者医療保険の対象年齢引き上げ,患者自己負担増など,高齢者が安心して医療が受けられるようにする国家としての責任を果たすどころか,その責任を放棄することに躍起となっている。
 「老健拠出金制度」を廃止し,国民が安心して老後を迎えることができるような永続性のある高齢者医療制度を一刻も早く作ることこそが「抜本改革」に求められてきたものであったはずなのに,政府・与党の改革大綱では,「改革の緊急性」を言う端から,またもや姑息な「銭勘定の帳尻合わせ」で時間を稼ごうとしているのである。

質の悪化を奨励する「伸び率管理制度」

 さらに,政府・与党は,「三方一両損」と,まさしく銭勘定の言葉で,患者,医療機関,保険者が「改革の痛みを分かち合う」ことを強調している(もともと,彼らの医療制度改革大綱は「銭勘定」しか考えていないので,ここで言う「痛み」とは「『懐』の痛み」しか意味していない)。
 しかし,一連の改革論議の中で提案された施策が実施された場合に,国民を待っている痛みは「懐の痛み」だけでは済まされないことが問題なのだ。中でも,今回新たに提案された老人医療費の「伸び率管理制度」は,「銭勘定」しか考えていない財務省・厚労省の本音を見事に象徴するだけでなく,日本の医療に致死的影響を与えかねない危険を孕んでいる。
 伸び率管理制度とは,ある年の医療費総額の伸び率をあらかじめ決めておき,実際の伸び率が予定率を上回った場合には,その分を2年後の診療報酬から減額し,医療界全体にペナルティを課すというものだが,この制度は,ただでさえ「質」に大きな問題を抱える日本の医療に,「質の悪化を奨励する」ものだからだ。
 以下,単純化したモデルでこのことを説明しよう。世の中に,規模が同じ2軒の病院(A病院とB病院)だけが存在したと仮定する。A病院は良心的な病院である。あらかじめ決められた総額100の範囲で,収支は「とんとん」でいいから,患者に最大限の医療サービスを提供することをめざし,売り上げ100,利益2,という経営目標を立てて病院を運営する。
 一方,B病院は「最大限の利益をあげる」ことをめざす。A病院がどのような売り上げをあげるかわからないので,2年後に全体でどれだけの減額を受けるかわからない。安心して病院を経営しようと思えば,「マージンを確保しつつ売り上げも増やす」ことが一番確実であるから,売り上げ120,利益20という経営目標を立てる。この目標を達成するために,採算が取れない部門(例えば小児科)はすべて切り捨て,経験豊かな職員を解雇するなどして人件費を削り,マージンが大きく診療報酬が高額な診療行為についてはその適応を積極的に拡大する。
 この2病院が経営目標通りに運営された場合,2病院の平均売り上げは110となり,社会全体の予定を10上回る結果となる。2病院とも平均10%診療報酬を減額されることになるが,マージンを20確保していたB病院にとっては痛くもかゆくもない一方,最良のサービスを追求するための診療体制を整えてきたA病院は,途端に倒産の危機を迎える。かくして,「最良のサービス」を追求する病院が世の中から消え,「最大限のマージン」を追求する病院だけが生き残ることになるのである。
 政府与党は,改革の「痛み」を分かち合うことを強調するが,良質の医療が世の中から消えるという,取り返しようがないほど大きな「痛み」を国民に強いようとしていることに気がついていないのだろうか。あえて繰り返すが,日本の医療の最大の問題は,その質が低いことにある。ただでさえ低い日本の医療の質をさらに低下させるインセンティブを内包する制度を導入するなど,決して容認されるものではない。

註)メディケア:対象年齢は65歳以上。クリントン政権では,対象年齢の「引き下げ」が検討された