第2469号 2002年1月14日


【特別寄稿】

理念なき医療『改革』を憂える

第1回 日本の医療費は過剰か?

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学助教授)


「改革」の名に値しない政府・与党の「改革大綱」

 医療制度の抜本改革の必要が言われるようになって久しいが,政府・与党社会保障改革協議会が昨(2001)年11月末に策定した『医療制度改革大綱』は,「抜本的」という言葉からはほど遠いだけでなく,「改革」の名にもまったく値しない内容のものとなった。
 仮に,筆者が大学で医療政策の講座を担当する教官だったとして,「現在の日本の医療制度を抜本的に改革するにはどのようにしたらよいか」という課題に対し,受け持ち学生が政府与党の「改革大綱」を答案として提出したとしたら,何のためらいもなく「落第」と判定するだろう。現今の医療保険財政の危機が長年の失政の結果生じたものであることに対する反省もないまま,患者の自己負担増と診療報酬の切り下げという当座の「銭勘定」のやりくりでその帳尻を合わせようとしているに過ぎない噴飯ものの内容となっているからだ。
 そして,何よりも,政府与党の改革大綱には,どのようにしたら日本の医療をよくすることができるのかという理念が完璧に欠如しているからである。

国民の命と健康の値段

 政府与党は,医療保険制度を維持するためには,医療費は抑制されなければならないと,「医療費抑制」をあたかも自明の公理のようにしている。しかし,日本の医療費は本当に抑制されなければならないほど過剰なものなのだろうか?
 先進諸国における医療費支出を日本のそれとを比較してみよう。に,各国における医療費支出を対GDP比で示したが,読者には,先進諸国における「国民の命と健康の値段」として,この表をお読みいただきたい。
 まず注意していただきたいのは,GDPの総額が大きい国ほどGDPに対する医療費の割合も大きいという傾向があることである(米国,ドイツ,フランスなど)。つまり,「豊かな」国ほど,医療に惜しみなく金をかけ,国民の命と健康に高い値段をつけているのが世界の傾向なのである。先進国の中で,この傾向からはずれ,国民の命と健康の値段を値切っている国はわずかに2か国,日本と英国だけである。

表 先進諸国における医療費支出
(1998年,対GDP,OECD調べ)
   
米国
ドイツ
スイス
フランス
カナダ
ノルウェー
オーストラリア
イタリア
スウェーデン
日本
英国
医療費支出(%GDP)
13.0
10.6
10.4
9.6
9.5
8.9
8.5
8.4
8.4
7.6
6.7

英断を下した英国
日本は先進国一医療費が安い国へ

 「日本は英国よりまし,最下位でなくてよかった」と思われる向きがあるかも知れないが,実は,この栄光の最下位の座は,数年後には日本のものとなることが約束されている。その暁には,日本の「国民の命と健康の値段」は晴れて先進国一安くなるのだが,というのも,2000年の初めに,ブレア首相が「英国は医療にかける金をケチりすぎたために,国民によい医療を提供することに失敗した。これからは,ドイツやフランス並にGDPの10%まで医療にかける金を増やす」という大英断を下し,政府が運営する医療保険(NHS:National Health Service)の予算を,毎年6.3%ずつ増額しているからである。
 なぜ,英国がこのような医療政策の大転換をしたかというと,医療費を抑制しすぎたがために,アクセスに障害が生じるようになったことが大きな社会問題となったからである。例えば,「癌と診断されたのに,手術を受けるために何か月も待たされ,手術を受けた時には転移が進んでいた」というような悲劇的事例が続出したからである。

2つまでしか選べない「コスト」「アクセス」「質」

 米国オレゴン州の低所得者用医療保険「オレゴン・ヘルス・プラン()」の管理部局には,「Cost, access, quality. Pick any two(コストとアクセスと医療の質。このうち,2つまでなら選んでもよい)」という言葉が額に入れて飾られているが,この言葉ほど医療保険政策のエッセンスを的確に言い当てた言葉はないだろう。
 「コストを抑制してアクセスも保証して質もよくする,3つとも同時に達成することなど夢物語だ」と,言っているのであるが,英国の場合はコストを抑制しすぎたがために,手術待ちが著しく長くなるなどアクセスが障害されたのである。このオレゴン・ヘルス・プランの「2つだけルール」を日本の医療に当てはめたらどうなるだろうか。
 二木立氏の言葉を借りるならば,「日本は世界一医療費の抑制に成功してきた」のであるが,それと同時に,これまでは,「国民皆保険制」を維持しアクセスも保証してきた。コストを抑制し,アクセスを保証してきた日本の医療が,残りの1つ,「医療の質」を犠牲にしてきたのは,「2つだけルール」からも明らかなのである。

日本医療の最大の問題はその「質」

 日本の医療の最大の問題は,政府与党が一番気にしているコストにあるのではなく,その「質」にある。日本の医療の質が「お粗末」であることの格好の証左が,頻発する医療事故である。しかも,ただ医療事故が頻発するだけでなく,起こっている事故そのものの質が「お粗末」なことに,日本の医療本体の質の「お粗末さ」が端的に象徴されているのである。なぜ,日本の医療の質がこれほど「お粗末」なものになってしまったかというと,社会的に医療の質を保証する制度を作ってこなかったことに加え,医療の質を高めるための社会資源の投入を惜しんできたことに原因がある。
 医療の質をよくすることに金を使うことを惜しんできた格好の例が,「医師の卒後研修を保証する財政基盤を社会に用意してこなかった」ことである。その結果,ろくな研修も受けていない未熟な医師を「一人前」として医療の最前線に立たせることを繰り返し,多くの患者に犠牲を強いてきた。
 米国では,メディケア(税金で運営する高齢者医療保険)を通じて,連邦政府が研修医1人当たり年10万ドルという巨額のコストを支出しているが,医療の質を保証するためには,質のよい医師を作り出すことこそが肝要との認識があるからこそ,国家として積極的に莫大な資金を投入し続けてきたのである。

不安禁じ得ぬ「医療費抑制」の大合唱

 これとは対照的に,日本では,研修医に対して最低賃金にも満たない給与しか支払わず,その上,労働基準法に違反する過酷な労働を強いることが常態化している。2004年に遅まきながら「臨床研修の義務化」を開始することは決まっているが,いまだにその財源をどうするかについての明確な方針は示されていない。「医療費を抑制しなければならない」という大合唱が続く中,本当に研修の義務化を支えるに十分な財源が用意されるのか,不安を抱いているのは筆者だけではあるまい。
 医療の質をよくすることに金を使うことを惜しんできたもう1つの好例が,先進国の中でも極端に低い「看護職員数」である。厚生労働省発表の数字によると,病床100床当たりの看護職員数は,日本は米国の5分の1,英国の3分の1にしか過ぎない。日本の3倍の看護職員を病床に配置している英国が,「国民に十分な医療を提供できなかった」と反省し,「看護婦数を増やす」ことを大きな目標の1つとしてNHSの予算を増額しているのと対照的に,日本では「医療費は何がなんでも抑制しなければならない」と,医療の質の問題を真剣に改善しようとするどころか,逆に,質のさらなる悪化を招きかねない施策が推し進められようとしている。

国家としてのプライオリティの選択

 「銭勘定」を優先するのか,それとも「国民の命と健康」を支える制度をよりよくすることを優先するのか,要は国家としてのプライオリティを選択することにあるのだが,日英の為政者の発想には,天地以上の違いがあるようだ。そもそも看護婦が病棟を走り回らなければ日常の診療業務がこなせないような医療提供体制をそのままにして,「コスト抑制」を大義のごとくに振り回し,ただでさえ先進国の中で一番安い「国民の命と健康の値段」をさらに値切ろうという『医療制度改革大綱』に,一体,誰が合格点を出すことができようか。

註)オレゴン・ヘルス・プラン
 オレゴン州が運営する低所得者用の公的医療保険。疾患と医療行為の組み合わせに優先順位をつけ,優先順位が高いものには保険給付を認めるが,低いものには給付を認めない画期的制度。必要度の低い医療サービスについてはそのアクセスを保証しないことを眼目としている(詳しくは,拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院刊)参照のこと)。

李 啓充氏
1980年京大医学部卒。天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て,90年よりマサチューセッツ総合病院(現在ハーバード大助教授)に勤務。今後の医療の行方に警鐘を鳴らす著書『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(いずれも医学書院刊)が大きな話題となっている