医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


〔第17回〕ストップ・ザ・狂牛病(1)

フリーマン教授の口癖

 今は亡きハーバード大学感染症疫学の教授ジョナサン・フリーマンの口癖は「STOP IT!!」でした。感染症の講義の中で,「おまえら,まず何をする?」と学生に問いかけ,そしていきなり目を見開いて大声で叫ぶのです。「感染症が発生したらなんでもいいからまず止めろ! 微生物がどんな格好をしていようと,DNAがどうであろうとプリオンがどうなろうとそんなものはかまわん。とにかく,感染を喰い止めるんだ!」と話されました。
 狂牛病の問題が発生した今,フリーマン教授の「STOP IT!!」が私の耳について離れません。この一連の狂牛病問題は,リスクをアセスメントするだけではなく,「リスクをどのように減らすか?」というリスク・マネジメント,そして「どのようにリスクをパブリックに伝えるか」というリスク・コミュニケーションの観点でも,私たちに多くの教訓を示してくれています。

狂牛病日本上陸

 2001年9月10日,千葉県白井市で狂牛病乳牛(5歳のホルスタインメス)が日本で初めて確認されました。この牛は立位不能,搾乳不十分のため食肉処理場送りとなりましたが,念のため検査を受けたところ狂牛病と診断されたのです。これに対して同日午後6時より開かれた緊急記者会見の場で,農水省の永村武美畜産部長は額に汗を浮かべながら,「この牛の肉はすべて廃棄しました。筋肉,生乳,舌,肝臓,心臓,胃などを人間が食べたり飲んだりすることは問題ありません。……ヨーロッパの危険性が万の単位なら,日本は十の単位」と述べています。またテレビ番組にコメンテイターとして出演した科学者も類似の発言をしています。しかし,最初の1頭が見つかっただけで,日本の牛全体のどの程度が狂牛病で,どの程度が潜伏期にあるのか,また今後何頭発生するのかは誰にもわからないはずです。
 ましてや「狂牛病」と関係すると言われる人の病気(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)が日本でどのくらい発生するかは,まったくわからない状況です。牛がいつから感染性を示すかもわかっていません。また,検査に使われる抗体も,病原微生物を調べる場合と違って相当の確率で擬陽性(本当は陰性なのに陽性としてしまう),擬陰性(本当は陽性なのに陰性としてしまう)が出るはずです。それに感染期間と抗体陽性期間が一致するとは限りません。このように狂牛病対策に重要な役割をする人たちがPrevalence(現時点での有病率)とIncidence(今後どのくらい病気が発生するか),あるいは擬陽性,擬陰性などのクリニカル・エビデンスを示す際の重要な用語の意味をまったく理解してないのです。
 また,「食肉類や牛乳からの感染はあり得ないので心配ない」との発言は,国民の健康よりも風評被害を重視したものとも言えます。彼らの答弁は国民に向けてではなく,企業に向けて述べられているように感じるのは私だけでしょうか?
 確かに,異常プリオンは脳に蓄積して症状を呈するため,脳脊髄は食肉よりリスクが高いかもしれません。しかし,プリオン,発症前リンパ組織(パイエル板,脾臓,リンパ節,扁桃腺)にも存在します。また,牛を解体する過程,肉製品を生成する過程で脳組織が混ざらないとは限りません。そう考えると,理論上,牛乳のリスクは低いかもしれませんが,食肉,特に肉加工食品は「リスクあり」と考えるべきです。
 さらに,「データがない」ことと「安全である」ことは意味が違います。大臣自ら焼肉を食べるところを放送させその安全性をアピールしました。しかし,後で述べる変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発症ピークは26歳であり,おそらく40歳以降であれば食肉を食べても変異型クロイツフェルト・ヤコブ病を発症することは少ないでしょう。すなわち,憂慮すべきなのは子どもの食事なのです。国民に影響力のある人の軽率な発言・行動は,かえって問題をこじらせてしまいます。
 その後,廃棄になったはずの狂牛病の牛が,実は食肉加工に回されていたことが明らかにされます。また,調査に関しても「狂牛病が全国規模で次々に他の牛に感染するわけではない」として「追跡調査は乳牛感染ルートに絞る」と最初に発表しました。その反面,「この牛のいた農場で飼育されている牛はすべて隔離した」という矛盾した措置をとっています。今まで農水省は狂牛病発症に関して「日本は最も安全な国の1つ」として国民を安心させてきました。酪農家の中には狂牛病様の牛がいることに気がついている者もいましたが,それがどういう意味を持つのか知らされず,また飼料も組合から購入しており,その成分の詳細まで知りません。「まさかそんなことはないだろう」と日本人は今まで狂牛病問題を真剣に考えていませんでした。
 農水省は96年4月から,狂牛病の原因と考えられている肉骨粉の使用に関し,牛に与えないようにと,行政指導はしてきていました。にもかかわらず,昨年までは狂牛病が多く発生しているヨーロッパ諸国より肉骨粉,牛肉,牛臓器の輸入を認可していたのです。しかも,どれくらい輸入したかを示すデータすら国は保存していないというお粗末さでした。このためヨーロッパとの共同調査は2001年6月,打ち切られてしまう始末です。
 矛盾点をあげるときりがありません。いかに政府がポリシーを持たずに場当たり的に対応しているかがわかります。このことが,変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の危機感以上に,国民の不安を煽っていることに政府は気づいていません。日本政府はイギリスの失敗から数年経ていたにもかかわらず,再び同じ政治判断ミスを繰り返してしまったのです。よって,犠牲者が発生した場合,関係する役所の罪は,血友病の患者さんに対して対応が遅れた厚生省の罪よりはるかに大きいでしょう。

狂牛病発生の経緯

 狂牛病は,牛が異常プリオンを摂取することにより,脳のスポンジ状病変を来たします。その結果,牛は不安そうな顔つき,ふらつき,食欲不振,乳量低下を来たし,まもなく立てなくなって死に至ります。1986年にイギリスで狂牛病の第1例が報告されました。クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)は振戦,抑うつ,精神症状,運動失調,知覚・運動麻痺,失明,痴呆症と進行し死に至る年配者に多い人の病で,狂牛病同様,脳にスポンジ状変化を来たします。イギリス政府は一貫して両者の関連を否定し続けてきました。ところが,1996年「ランセット」に報告された10人の変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)のクリニカル・エビデンスを受けて,突然手の平を返し,両者の関係を肯定したのです。
 現在,狂牛病がこのvCJDの原因のように言われていますが,vCJDの発生要因に関しては,実際のところ,まだわからないことだらけです。
 次回から「狂牛病の蔓延を防ぎ,vCJDの発生を予防するために私たちは何をなすべきか?」について少ないクリニカル・エビデンスを提示しながら,読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

<参考文献>
浦島充佳「ハーバードレクチャーノート第6回プリオン病の過去,現在,未来」(弊紙2396号掲載)