医学界新聞

 

英国における緩和医療の軌跡と現状

-日本のホスピス・緩和ケア運動が学ぶべきもの

加藤恒夫(かとう内科並木通り病院)

【第1回】Toward a Single Voice
-緩和ケアの声を1つにまとめる(Peter Tebbit氏へのインタビューから)

●英国ホスピス緩和ケア診療専門家協議会

はじめに

 英国ホスピス緩和ケア診療専門家協議会(National Council for Hospice and Palliative Care Specialist Service以下,英国協議会)は,英国緩和ケアを代表する組織であり,イングランド,ウェールズおよび北アイルランドの多くの緩和ケアに関わる団体を傘下に擁する。
 それは,1991年に,NHS(National Health Service;英国の保健や医療全般に関わる広範な公的保健サービス)の勧めにより設立され,現在では慈善団体の1つとして寄付により運営されている。Peter Tebbit氏(英国協議会,全国緩和ケア開発推進アドバイザー)によると,設立の動機は「関係者の意見の多様性だった」とのこと。つまり,英国協議会が設立される直前までは,ホスピス・緩和ケアに関わる多くの団体が乱立し,それぞれがばらばらの意見を述べ,かつ政府に対してまとまりのない要求をする傾向が出てきた。そのため,それらの声を1つにまとめる(single voice)ようにとの指導が入り,政府主導で設立されたとのことである。
 私が最初に協議会本部を訪問したのは1995年のことであった。その時は,ロンドンのハイドパークのすぐそばに建つBritish Gasの建物に間借りをしていたが,その後2度の移転を経て,現在の建物(Hospice House)に落ち着いている。内部には,英国のホスピスに関係しているさまざまな団体が政府の斡旋で同居しており,相互のコミュニケーションが取りやすいように配慮されている。

英国協議会の役割と機能

 英国協議会の役割を大きく分けると以下のように整理できる。

緩和ケアを広める役割
・英国の政府,国会議員,行政諸団体および関係者,メディアに向けて,ホスピス緩和ケア関連諸組織の代表的な見解と関心のあるポイントを示す
・英国協議会の代表者たちが政府の中で,重要な活動ができる立場につくことをめざす。それは,社会保障の枠組みの中で緩和ケア政策実現の優先順位を高くしたり,ケアの水準を向上するためである
・英国協議会を代表する定期刊行物の発行。それには,協議会と連携している個人や諸団体のものも含まれる

緩和ケアの水準を向上させる役割
・厚生省と協力し緩和ケアの国家的水準を確立し,かつ実践の成果を目に見えるよう向上させる。また全国的によりよい緩和ケアとは何かを明らかにし,その普及を図る
・ケアの品質管理のあり方を点検評価し,緩和ケアを提供する諸組織の認定を行なう。また,その方法や現状を全国的に広報する活動を行なう
・専門職としての基準を設け臨床指針を確立する。この作業は,患者の見解を考慮に入れ,この問題に関心のある諸団体と協力しつつ行なう
・緩和ケアに関わるすべての面で,改良された専門教育と研究の促進を図る。これは,大学や王立医学会,王立看護学会,国際諸組織と緊密に協力しつつ行なう
・ホスピス・緩和ケアサービス発展のためにフォーラムを開催する。その目的は,その領域で活動している人たちが,全国的,または地方的な知識や情報や経験をともに分かち合うことである
・緩和ケアに関わる臨床指針や論文の刊行を行なう。それらは品質管理,臨床の統括管理(clinical governance),連携活動,倫理問題や研究に関する事項などが含まれる

他の分野と連携を促進させる役割
・非営利民間(voluntary)諸組織,保健当局や地区行政当局の各部門が相互によりよい連携関係を築くことができるための方針を策定し,またさまざまな領域での財政的需要のある場所を確認し,それを満たすことができるよう活動する
・ホスピス・緩和ケアに関わる諸団体に他の組織との連携の方法をアドバイスする。それは,保健当局や,プライマリケアグループ,地方行政,その他の国民生活に関連ある行政団体などとの関わり方である
・標準化されたデータ(minimum data set)の刊行。これはサービス提供の運営管理や政策立案を援助するものであり,St. Christopher's Hospiceの情報サービス部門やこの分野で活動する他の団体と協力しつつ実施されている

●インタビューから見る英国協議会活動

 次いでPeter Tebbit氏とのインタビューを通して,英国協議会の活動をもう少し詳しく紹介したい。

誰もが最高の緩和ケアを受けられるために

加藤 英国協議会を設立したのはどのような人たちなのですか。
Tebbit 中心となったのは,当時実際に活動していたDerek Doyle氏(スコットランド緩和ケア協議会長,次回に紹介するが,「英国緩和医療の育ての親」として知られる)やDame Cicely Saunders氏(近代ホスピスの創始者であり,St. Christopher's Hospiceの開設者)といった人たちです。英国政府は,1980年代初頭に保健政策の重要課題として初めて緩和ケアを取りあげました。これがとても重要な出発点になります。それまでは,政府に対していろいろな団体がそれぞれの立場から,さまざまなことを言ってきました。そこで,政府としては,これらの意見を統一する必要があると考え,「声を1つにまとめる」ことを勧告しました。それによって設立されたのがこの協議会です。設立当初は政府の力を借りましたが,今では自発的な寄付を主体とした非営利民間諸団体(voluntary organization)として運営されています。
加藤 政府は,なぜその時に緩和ケアを優先順位の高い課題として取りあげたのでしょう。通常のがん医療が医療費を押しあげていたからですか。
Tebbit いいえ,必ずしもそういうわけではありません。NHSが緩和ケアの恩恵を認めたからです。それまでのコミュニティサポートチームやホスピタルサポートチーム*1)の活動の実績を見て,NHS内部からすでに緩和ケアに対する評価の声があがっていました。
 ご承知のように,ホスピス運動は,非営利民間事業領域(voluntary sector)として出発しました。その後NHSが,その活動の有用性を認め,少しずつではありましたが資金援助を始めました。しかし,緩和医療の進歩のレベルは各地域で格差があったために,政府は援助の公平性を確保するために緩和ケアのレベルの水準を一定に達成する必要がありました。その後,1991年に政府文(「The Health of the Nation」,Department of Health, 1992)が発行され,非営利民間事業(voluntary sector)とNHSとのパートナーシップが重要視され始めました。これらが英国協議会の結成の背景です*2)
加藤 英国協議会の目的とゴールについて教えてください。
Tebbit たくさんの組織から代表が参加し,英国協議会のもとに傘下組織(umbrella organization)を作り,英国における緩和ケアの共通の要素を拾い出しました。その上で,実践のための指針を作り,国民の誰もが最高水準の緩和ケアが受けられるようにすることを目的としました。
加藤 そのための戦略はどのようなもので,またそれはどのようにして達成されたのでしょうか。
Tebbit 最大の戦略的課題は,政府の政策に影響を与えることでした。その意味で英国協議会は,umbrella organization の代表として特別な課題(使命)を持っていました。まず第1の課題は,さまざまな出版物を発行して専門家の緩和ケアに関わる意見を世に公表し,国民や多くの医療関係者や政治家たちに緩和ケアの意義を広めると同時に,協議会の名声・評判(reputation)を高めることでした。
 また,政府内部の人たちと緊密に連絡を取りながら活動できたのも大きな助けとなりました。それらの結果,2000年6月には「National Plan and Strategic Framework for Palliative Care 2000-2005」が発表され,今後につながる国民的な緩和ケアの方向が新しく示されました。
加藤 英国協議会自体は,それほど大きな団体ではないよう思えるのですが(2部屋の間借りのオフィスに3人の職員),どうしてそのように大きな影響力を発揮できたのでしょうか。
Tebbit 緩和ケアに関わる言葉の定義を行ない,考え方の統一を図り,さまざまな症状緩和の指針を作成し,その実績をまとめることで,まず緩和ケアの原理(principle)が世に認められるよう努力しました。そして,その過程を通して,患者と家族が緩和ケアの恩恵をどれほど受けているか,それは単に肉体的な側面のみでなく,社会・心理的にも,そしてスピリチュアルな側面であってもですが,それを関係者が認めることができるようにと行動しました。
 とりわけ,政府関係者やNHSの人たちも学習会に積極的に参加してくれるよう呼びかけました。緩和ケアが広がるためには,待ちの姿勢でいるのではなく,緩和ケアのさまざまな情報を国民の1人ひとりが持つことができるように積極的に働きかけることが重要でした。

医療政策における政府との協力関係

加藤 政府が,緩和ケアを医療政策の1つの柱として認めたのは,がん医療費の高騰と関係があるのですか。日本では緩和ケア病棟の増加は明らかにがん医療費の抑制策として計画されていますが。
Tebbit 英国は市民権の考えが発達した国(civilized country)なので,必ずしも医療経済的な側面からのみ政策の優先順位が考えられているわけではありません。正しい理念は受け入れられる土壌があります。
 政府には,医療政策を立案する上でのいくつかの目標(objective)があります。それらは,(1)人々は威厳を持って死ぬ権利があること,(2)人々はよりよい生命・生活の質(QOL)を求める権利があること,(3)患者の家族にとっても社会的・精神的によい状態(well being)でいられるよう求める権利があること,などです。
加藤 英国協議会が成功裡に運営されてきた秘訣はどこにあるのでしょうか。
Tebbit その第1は,英国協議会とNHSが,がんの医療政策という面でよい協力関係にあったことです。NHSは,私たちをよく利用してくれました。私たちは,よくNHS寄りだと批判されもしました。しかし,政府と協議会とその参加者の間でバランスをとることはとても重要でしたが,実に難しいことでした。さまざまな組織の意見の食い違いや知識レベルの違いなどがあり,それを1つにまとめていくことは,とても時間のかかることでした。忍耐がとても必要です。そして,継続的なコミュニケーションを取り続けることがとても大切です。
加藤 政治家,政党や議会との関わりはどのように行なわれているのですか。
Tebbit 「All Party Hospice Group」という団体があります。これは議員たちが自発的に作ったもので,上下院(House of Lord, House of Commons)のメンバーにより構成されています。委員長は民主党から,議長は保守党から,事務局長は労働党から選出され運営されています。年間3-4回の会合を開き,ゲストスピーカーを招いて学習したり,お互いに連絡しあうよう工夫されています。
加藤 最後になりますが協議会の構成とそれぞれの機能について教えてください。
Tebbit 英国協議会は,最初にも述べましたように傘下組織として参加している各機関の代表者により構成されています。最初は35人の委員がいたのですが,効率的に業務すれば18人ですむと考え,最近人員削減をしました。利害が絡んでいるだけに定員削減はとても困難な仕事でした。なお,スタッフとその役割機能は次の通りです。
National Palliative Care Development Adviser(全国緩和ケア開発推進アドバイザー=現在はTebbit氏が担っている
 主な仕事はNHSと非営利民間機関が共通して利用できる緩和ケアの統括管理基準(National Standard of Governance)を作ることです。また委員会に委託して全国的な健康状況実態調査(Health Care Needs Assessment)を行なったり,作業部会(working party)を組織して,さまざまな課題を整理し英国協議会としての考えを明らかに打ち出す作業を指揮しています。それらは緩和ケアの定義づけであったり,教育についての提案や,倫理的問題,研究の方向性についてなどであり,緩和ケアの発展にとっては欠かせない理論的整理です。これらの資金は英国厚生省から出されており,専門医(consultant)や看護管理者や評価専門家(auditor)などにより構成されています。
 しかし,臨床現場から問題がそれることのないように,そして臨床現場が直面している問題を整理し政策に反映させることができるように,臨床家も常に参加するよう心がけています。
Communication Manager(連絡調整責任者)
 各種委員会や作業部会の構成員が年4回集まり意見交換できるよう調整したり,協議会に各種の出版物の発行にあたっています。英国協議会の内部と外部の情報伝達,共有化の役割です。
Quality and Information Adviser(品質管理および情報担当アドバイザー)
 緩和ケアデータセット(Palliative Care Data Manual)を作ったり,St. Christopher's Hospiceと協力して全国の緩和ケアの情報を集めて解析し,科学的根拠を作ったりしています。仕事の中心はKing's CollegeのIrene Higginson氏が担っています。
加藤 本日は貴重な時間をどうもありがとうございました。
(2000年10月5日)
 

会見を終えて

 このインタビューを通して,日英の緩和ケアに対する関係者の態度や方法論の相違を浮き彫りにすることができる。
 第1は,言葉に対する姿勢の違いである。英国では,緩和ケアに関わる言葉の定義を重視し,緩和ケアの関係者や国民が,1つの言葉を1つの同じ事柄として理解することができるよう努力されている。(この点は,日英の文化の差によるものとも言え,英国では日常会話の中でさえ,私の使う言葉の定義をよく質問されたものである。)あいまいさを排除しようとする言葉に対する姿勢の違いが,緩和ケアという医療文化の発展に大きな差となって現れているよう思われる。
 第2は,緩和ケアの関係者が政策的ゴールをその折々に明確にしていることである。そして,その計画を実現する戦略を持ち,それを明確な言葉として表明していることである。そうすることにより,関係者がゴールを知り,その達成のために今何をすればよいかがわかるように工夫されていると,私には見える。
 第3は,英国では,緩和ケア領域において政府,民間団体および医療関係者がともに1つの方向をめざすように努力していることである。緩和ケアは,これまでのNHS改革の議論を通して積み重ねられた国民医療計画の中に,しっかりと位置づけられている。
 本稿の最初にも述べたように,日本には,このような議論を進めていくための,公式な機関や機会が皆無である。私は,この事実が,今後の日本における緩和ケア発展の阻害要因となりかねないと考える。

【著者注】
1)コミュニティサポートチーム:これは,家庭医(GP)や訪問看護婦などのように実際に医療や看護を担当するものではなく,アドバイスのみを行なう専門家集団で,医師,看護婦,ソーシャルワーカーなどにより構成される。マクミランチームがその代表的なもの。通常は独自の事務所に常駐したり,ホスピスに配属されたりしていて,プライマリケアチームの活動を助ける。すべて寄付による非営利民間団体により運営されており,無料で相談に応じたり患者宅まで出かける。
 ホスピタルサポートチーム:病院内で緩和ケアのリエゾン活動を行なう専門家チーム。コミュニティサポートチームと兼任する場合もある。非営利民間団体による運営のみではなく,最近ではNHSにより設置されているものもある。
2)英国協議会が設置された当時,英国はサッチャー政権下における医療改革の真っただ中だった。彼女は1989年に政府白書「Working for Patients」を発表し,医療の質の改善や効率性の追及などの医療改革に着手。実態調査(needs assessment)に基づく政策の決定,自己監査(audit),科学的根拠に基づく医療(evidence-based medicine)などの基礎を作った。また,専門家同士の競争を政策の柱とし,これが1989年,緩和医療が専門医療として認知された歴史的背景ともなっている。一方1991年には,政府白書「Health of Nation」を発表し,より柔軟な協調政策の必要性をも打ち出している。
 そして,1997年5月に成立したブレア政権は,同12月に政府白書「The New NHS-Modern Dependable」を発表し,現在の医療政策の基礎であるパートナーシップを掲げた。これが現在の英国協議会にも大きな影響を与えている。


〈連載にあたって〉

●日本のホスピス・緩和ケア運動の現状と課題-日英の比較による考察

ホスピス・緩和ケアにおける日英の差

 日本に「ホスピス・緩和ケア」が紹介されて,はや23年を迎えようとしている。しかし,平成11年度の人口動態調査によると,がん患者の病院死の割合は90%であり,自宅での死亡7%(残り3%はその他の施設)に比べて依然高く,看取りの場所に変化の兆しが見えない。一方,本年8月時点の日本のホスピス・緩和ケア施設は89施設となっているが,そのほとんどが病院併設型(86施設)であり,患者にとって緩和ケアを受けるための選択肢はきわめて少ない。また,厚生省(現厚生労働省)の調査によると,国民の多くはがんの在宅ケアに望みを託することをあきらめているように見える(1998年の「末期医療に関する意識調査等検討会報告書」によると,「末期がんの自宅療養が可能である」16.2%,「実現困難である」48.7%)。
 それに比べて,英国での緩和ケアは明確に在宅を中心としており,地域社会の中でのケアをめざしている。それは,1995年に発表された政府文書(Calman-Hineレポート)や,英国ホスピス緩和ケア診療専門家協議会の「Promoting Partnership:Planning and Managing Community Palliative Care 1998」の中などに明示されている。そして,プライマリケアチームを中心とした在宅ケアを支援すべく,数多くのコミュニティサポートチームがすでに結成されている(1999年現在400か所)。また,病院で治療している時にも,できるだけ個人の希望に添ったケアが提供でき,かつ,入院から自宅療養にスムーズに移ることができるよう,基幹病院の中にも数多くのホスピタルサポートチーム(同209か所)が結成されている。
 では,日英のこれらの差を生み出した原因は何なのだろうか。2つの国における緩和ケアの歴史の差はたった10年だというのに(筆者の定義は,英国の緩和ケアの発祥を1967年の「St.Christopher's Hospice」開設の時点,日本のそれは1978年に「日本死の臨床研究会」が結成された時点としている),それにはさまざまな要因があるだろうが,筆者はその原因を「両国間の言葉の使い方」と「教育に対する考え方」の中にあると考えている。

両国間の言葉の使い方による差

 まず言葉の問題について考えてみよう。筆者は日本の代表的なホスピス・緩和ケアにかかわる学会,もしくは研究会のホームページと機関誌より「緩和ケアの定義」を探してみた。しかし,驚いたことにはいずれの団体においてもこの定義づけは行なわれていないか,もしくはWHOの定義を借りているだけである。
 また,厚生省健康政策局(現厚生労働省医政局)の監修した出版物(「21世紀の末期医療」,厚生省健康政策局総務課編,中央法規出版,2000年)のテーマには「21世紀の末期医療」という言葉が使われており,しかもその内容には「ホスピス」「緩和医療」の文字が多用されている。一応,内容に緩和医療の定義はあるものの,それはWHOからの引用に過ぎない。では,なぜ借り物ではいけないのか。筆者もWHOの定義自体に異義はない。しかし,それはあまりにも一般的すぎて,そこには日本の医療の歴史も,がん医療や末期医療の社会的背景も踏まえられていないし,日本の今後の方向も見えてはこない。
 上記の出版物は単なる調査報告書であり,定義作りを目的としたものではない。しかし,日本の,この領域の代表的執筆者によるこのような言葉の濫用は,全国的な概念の混乱を招き,進むべき方向を見失わせる原因とならないだろうか。
 繰り返し述べるが,使われる言葉(概念)を定義し,過去の歴史と現状を踏まえ,今後の進むべき道筋を明確にしてこそ,緩和ケアが医療の変革をめざす運動になることができる。しかし,このような言葉の統一を図ったり,将来像を議論する機会と場所が,現在の日本のホスピス・緩和ケア運動の世界にないことは悲しい事実である。

教育に対する考え方の相違

 次に,教育の問題について考えてみよう。医学教育は国民に利益を供するための新しい医学医療の知識と技能を体系的に広めていくための,また,その専門性を世代から世代へと受け継いでいくための,最も基本的な手段である。教育プログラム,またはカリキュラムが確立されていることが,その専門性が体系化されている証とも言えよう。しかし,日本の関連諸団体(前述)において,緩和ケアの卒前卒後の医学教育について,そのあり方を体系的に論じた形跡はない。また,インターネットによる検索では厚生労働省および文部科学省の文書や班研究の報告書にも,その問題について論じたものは見当たらない。日本の緩和ケア病棟がこれだけ増え続けている今日,このような教育不在の事態は,今後のわが国における緩和ケアの発展を大きく損なう要因になりかねないだろう。
 筆者はこのような問題意識のもと,英国の文化機関「The British Council」の協力により,2000年10月および2001年6月と2度渡英し,(1)英国緩和ケアの統合の実情と今後の方向,(2)その教育の発展の歴史,を,それらを開発した当事者から直接聞くことができた(なお,筆者は1988年以降,家庭医療・緩和ケアの視察研修のために合計8度渡英している)。
 本短期連載では,彼らへのインタビューを中心に,ホスピス・緩和ケア運動における日英の比較を試みる。そして最後に,私たちが岡山において体系化をめざしている「緩和ケア岡山モデル」を紹介したい。
(編集室より:参考文献等は割愛しました)

●今後の連載予定
1回目:緩和ケアの声を1つにまとめる(本章)
2回目:スコットランドにおける緩和ケアの戦略(スコットランド緩和ケア協議会Deke Doyle氏へのインタビュー)
3回目:卒前教育の発展への軌跡(前英国緩和医療学会長 Richard Hillier氏の業績等,サザンプトン大 Bee Wee氏へのインタビュー)
4回目:「緩和ケア岡山モデル」-プライマリケアチームおよび大学との連携モデル
(なお,掲載は原則として1回/月)