第2451号 2001年9月3日


EBMと「UpToDate」【前編】

李 啓充(マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学医学部助教授)


EBMの「食わず嫌い」

 Evidence-Based Medicine(EBM)の重要性が強調されるようになって久しいが,EBMをめぐる昨今の日本の状況に関して,筆者は3つの憂慮を抱いている。
 第1の憂慮は,EBMを熱心に推奨する人々の努力が,逆に,EBMの「食わず嫌い」を増やしているのではないかというものである。周知の如く,EBMの手順は,
(1)目の前の患者(individualized patients)についての臨床上の疑問点の抽出
(2)evidenceを示す文献の効率的検索
(3)臨床疫学と生物統計学の原則に則った文献の批判的吟味
(4)得られたevidenceが目の前の患者に適応できるか否かの判断
という4段階であるが,EBMの専門家たちが(3)の臨床疫学および統計学的手法の重要性を「一生懸命」に強調すればするほど,一線の臨床医は「EBMは時間がかかるし,難しいし,面倒くさい」という思いを強くするのではないだろうか。
 「山勘や経験に頼らず,evidenceに基づいた診療をすることの重要性はわかる。しかし,現実問題として,忙しい外来診療の場で,次から次に現れる患者を前にして,文献検索やその批判的吟味をしている時間など取れるわけがないではないか」と,日常臨床の場でEBMを実践するのは時間的に無理だと諦めている臨床医は多いのではないだろうか。

EBMという言葉のハイジャック

 筆者が抱く第2の憂慮は,特定の意図を持った人々がEBMという言葉をハイジャックして,EBMでないものをEBMと称して世に広めようとしているのではないか,というものである。
 EBMという言葉をハイジャックした主張の最たるものは,「EBMの目的とは望み得る最良の臨床ガイドラインを作成することにある」とか,「ひとたび最良の臨床ガイドラインが作成されれば,それに従って診療を行なうことで,いつでも,どこでも,誰でも,EBMを実践することができるようになる」とする主張である。

EBMは「料理本医療」か?

 実際に,アメリカでは,この主張に基づいて,マネジドケアの保険会社が各社「独自」のガイドラインに照らし合わせて,医師の診療方針についてその必要性と適切性を審査する事態となっていることは,拙著『アメリカ医療の光と影』(医学書院刊)で紹介した。また,「EBM=臨床ガイドライン」というEBMの誤解を広める動きがあるがために,「EBMは料理本医療(cookbook medicine)である」と,逆に,EBMに対する故なき批判がなされるという,皮肉な事態まで現出している。
 「EBMは料理本医療」という批判に対し,Sackettは,EBMとはindividualized patientsの問題点から出発する「bottom-upのアプローチ」とした上で,「top-downのcookbookを押しつけられることを危惧する医師たちは,バリケードの中でEBMの支持者たちが味方となっていることをいずれ理解することとなろう」とまで述べて,EBMのめざすところはtop-downの臨床ガイドラインを押しつけることとは正反対の極にあることを強調している(Brit Med J 312:71-72, 1996)。

EBMへの過剰に楽天的な期待

 筆者が憂慮する第3は,臨床疫学的手法を駆使して文献検索とその吟味をしさえすれば,個々の患者の臨床像の多様性・複雑性を克服してすべての問題が解決できるという,EBMについての過剰に楽天的な期待感が蔓延しているのではないかということである。実際には,目の前の患者の問題を解決せんと,長い時間と多大の努力を費やして文献を検索・吟味したとしても,「世の中には,目の前の患者に適用できるevidenceはない」ということの確認に終わることが多いのである。心筋梗塞後の患者に対するアスピリンやβブロッカーの投与の必要性について異議を唱える人はいないが,このように白黒のはっきりしたevidenceが臨床医学において得られる状況というのは,むしろ例外的である。
 EBMに対する過剰な期待を煽ることが,EBMを一生懸命実践しても答えが見つからないのでは,時間と労力をかけてEBMをやる意味がないと,EBMに対する誤解と失望を広げはしないかということが懸念されるのである(類似の議論は,「インフォームド・コンセントを患者から得ようと努力しても,患者は医学的情報を部分的にしか理解しない。インフォームド・コンセントを得ようとする努力は無駄」とするものだが,完全な結果が望めないという理由で,理念の背後にある原則までを放棄する謂れはない)。

「UpToDate」という1つの答え

 以上が,EBMをめぐる現況について筆者が抱く3つの憂慮であるが,これに対する現時点での最良の答えとも言えるコンピュータ・ソフトウェア「UpToDate」が,今,米国を中心に世界の医学界で急速に普及しつつある。「UpToDate」を使うことで,診察室で患者を目の前にしながら簡便かつ信頼できる情報検索が可能となり,文字どおり「いつでもどこでも誰でも」EBMが実践できるようになったのである。それだけでなく,「UpToDate」は,白黒のはっきりしたevidenceが存在しない状況に対しては,expertのrecommendationが提供され,患者を目の前にした医師が「答えがわからない,どうしたらいいのか」と頭を抱えたまま終わることがないように作られている。
 一体,「UpToDate」とはどのようなソフトウェアであるのか?
 「UpToDate」を開発した医師こそ,「The Electrolytes」などの名教科書の著者として知られるnephrologist,バートン・ローズ博士であるが,筆者はローズ博士とともに,第33回日本医学教育学会で「UpToDate」を紹介する責務を担った。