医学界新聞

 

国際比較で見る日本の医療の実態
――医療改革論議に向けて

岡安裕正,近藤正晃ジェームス(マッキンゼー・アンド・カンパニー) 


 医療改革論議が活発化している。しかし,その多くが各団体の立場や個人の感覚を拠りどころにしたもので,議論の基盤として事実認識を共有したものになっていないようである。MGI(マッキンゼー・グローバル・インスティテュート)では昨年,約1年にわたり,日本の医療の生産性とその改善の方向性について,国際比較の観点を中心に定量分析を進めてきた。その詳細な結果については,http://www.mckinsey.co.jp/overview/o08.htmlをぜひご覧いただきたい。
 本稿では,この分析から得た主要データのいくつかを挙げて日本の医療の実態を確認したい。これらのデータが,事実に根ざした,建設的な医療改革論議を行なうための一助となれば幸いである。


日本の医療投入量は実は米国と同水準

 医療システムの効率の国際比較は,一般的には,1人あたりの医療費,または医療費の対GDP(国内総生産)比を用いて行なわれる。OECD(1997)の調査によると,日本の医療費は,1人あたり年間29万円であり,アメリカの50万円,ドイツの33万円など,他の先進国と比べると低くなっている。対GDP比でも,日本は7%であり,アメリカの14%やドイツの11%を大幅に下回っている。これらをもって,日本の医療システムは効率がよいとすることが多いのだが,この仮説は本当に正しいのだろうか。
 本来,医療システムの効率を国際比較する場合には,例えば各国固有の生活習慣によって疾病率が異なる,あるいは必要な器具の値段が異なる等,医療の効率そのものとは独立した要素が及ぼす影響を取り除くことが必要になる。そこで,今回のわれわれの研究では,次の3つの要因を調整して,日米の国民1人あたりの医療投入量を比較検討した(投入量には,医薬品代,労働への対価,施設・機器の減価償却代等,一切の投入が含まれている)。
(1)医療の対象となる疾病や傷害の発生レベルの違い(日本は米国に比べて生活習慣病,殺人,暴力,交通事故,HIVなどが少ない)
(2)医療に投入される労働,医薬品,資本などの価格水準の相違(いずれも日本の単価が安い)
(3)疾患予防のレベルの違い(日本では定期検診など,予防活動への医療投入量が多い)

 こうした調整の結果,日米の国民1人あたりの医療投入量には,ほとんど差がないことが明らかになった(図1)。日本の医療費が少ないのは,生活習慣病や傷害犯罪が少ないという社会的な要因や,労働・医薬品・資本などの単価が低いなど,医療の効率とは別の要因によるところが大きいからなのである。われわれの試算では,仮に日本の疾病・傷害発生率が米国並みであれば,日本の医療費は現在より22%上昇することになる。

非効率が存在する日本の医療

 このように,疾病や傷害の発生レベル,医療投入要素の単価,疾患予防レベルを調整してみると,日本とアメリカでは医療投入量はほぼ変わらないのだが,注目したいのは,その内訳がかなり異なっていることだ。
 日本は労働投入が少なく,医薬投入が多い(図2)。日本では過剰な投薬が問題視されて久しいが,今回の分析でも日本は疾患の罹患率と傷害の発生率が米国より低いにもかかわらず,米国の2倍の医薬品が投入されていることが明らかになったのである。また,日本では急性患者の平均入院日数が24日間であり,11日のドイツ,6日の米国と比べると大変長い。このために労働力やベッドの数という面でも無駄が生じている。
 このように,日本の医療には投薬や入院を中心に非効率が存在する。裏返せばその分,日本の医療には改善の余地がある,ということだ。われわれの推計では,こうした無駄を排除することによる,日本の医療の生産性改善ポテンシャルは,最適化された状態を100%とすると,約30%もある。

改革の重点は制度面での効率改善とサービス水準の向上

 このような分析を踏まえると,日本の医療改革において優先的に取り組むべきことは,まずは効率向上を促すための入院や投薬に関する制度の改善,加えて医療サービスの水準を上げること,という2点であろう。

(1)平均入院日数を短縮し,処方薬の過剰使用を改める
 一部の先進的な病院では,術前入院の短縮,内視鏡手術やクリティカル・パスの導入により,急性患者の平均入院日数を14日まで短縮している。この事実は,日米の治療方針の差,また日本はアメリカに比べて回復期の患者受け入れ施設が不十分である,という点を考慮しても,日本の医療機関が入院日数を削減する余地が大きいことを示唆している。
 また,薬剤についても,例えば,ある長期療養病院が従来の出来高払い制度から,最近設けられた日額制度に移行したところ,患者1人あたりの1日の処方薬のコストは78%も低減した。今回の研究で医師と病院管理者を対象に行なったヒヤリングでは,患者に影響を与えることなく,処方調剤水準を平均40-65%削減できる,という結果を得た。

(2)医療サービスの水準を向上させ,医療満足度を高める
 このように過剰な投入が行なわれる一方で,医療満足度に関する調査によると,日本では診療時間といったサービス・レベルから治療そのものの質に至るまで,特に人手が絡むサービス面で満足度が低い(図3)。例えば,多くの病院では,大量の外来患者を診察しなければならないために,患者1人あたりの平均診察時間が5分を切っている。ちなみに,アメリカの平均診察時間は28分である。
 そこでは,少ない医師や看護婦が大量の外来・入院患者を抱え,その結果,説明不足,医療過誤といった問題をも生んでいる。
 したがって過剰な投入量を見直すだけでなく,同時に医療ユーザーの満足度を上げるための取り組みも必要になる。問題は患者の望むサービスを行なうために十分な人手が確保できていない点にある。必要な人手は,医師や看護婦だけではない。例えば,アメリカでは,理学療法士,作業療法士,心理療法士などの多くのスタッフが医療チームの一員として大きな役割を果たしている。しかし,日本においては,こうしたリハビリやメンタルケア,在宅医療に必要な訓練を受けたスタッフの数は,米国の1/8程度でしかない。
 改革にあたって最も重要な事実は,こうしたサービス・レベル向上に必要なコストと,先に述べた過剰な入院・投薬にかかっているコストはほぼ同水準ということができる。したがって,過剰入院・投薬といった医療システムの無駄を省ければ,患者の望むサービスを,患者に新たな負担を強いることなく実現できるのである(図4)。



 「誰でもどこでも診察を受けられる」――この点は,日本の医療制度の優れた点として評価できる。今回の分析を通して,この優れた点を変えることなく,しかも医療利用者の負担を増やすことなく,医療サービスのレベルを上げることが可能であることが明らかになった。さらに,先に述べたようなスタッフ拡充を進めることにより,100万人以上の雇用を生み出す余地がある。医療には,大きな雇用創出産業として,日本経済への貢献も期待できるのである。これから本格化するであろう医療改革の議論が,サービス・ユーザーである患者のニーズを真に満たすための「前向きの論議」へと発展することを期待したい。