第2436号 2001年5月14日


〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)


〔第5回〕高木兼寛「脚気病栄養説」(5)

2434号よりつづく

脚気細菌学説の出現

 明治維新の時代,イギリス人医師ウイリス(註1)の献身的医療活動に心酔した人々により,日本も一度は「イギリス医学をもってして日本の医学とせん」とした時期もありました。しかし,江戸末期に広がったオランダ医学の源流がドイツ医学であったことに加え,政治的力も働いて日本政府は一転してドイツ医学を主流とすることを決定します。
 確かに当時のドイツは,コッホが破傷風菌,結核菌,コレラ菌を発見するなど世界医学界の注目の的で急進展をみせていました。その流れは東京帝国大学医学部(以下,東大),さらには陸軍へと浸透していきました。一方,日本海軍は,イギリス海軍に倣っていた関係もあって,イギリス医学を実践します。
 一言で2つの医学の違いを表現するならば,イギリス医学は,実験医学的裏づけがなくても実際のエビデンスを重視した「病人を診る学問」,一方ドイツ医学は,実験研究を重視した「病気を観る学問」であったのです。現在,EBMと分子生物学の対立という形で,これと似たような状況が現出している印象を受けます。
 兼寛らにより脚気が食事に起因するエビデンスを見事に示された後にもかかわらず,東大より「脚気病菌発見の儀」とする論文が緒方正規博士(註2)より発表されました。脚気患者からある細菌を分離し,これを動物に接種したところ脚気様症状がみられ,これらの小動物の血液中にも同様の細菌を発見したというのです。これが事実だとしたら,もっともらしい証拠ですが,脚気様症状というのがどの程度脚気と一致していたかは疑問です。心内膜炎を併発すれば心不全にもなりましょう。また,もしも脚気を発生せしめているのがこの細菌だとしたら,脚気患者全員からこの菌を特異的に分離しなくてはなりません。さらに,この菌がどのように心臓,および神経病理を発生せしめたかについてまで示す必要があります。
 しかし,この「脚気病細菌説」をもって,東大ドイツ学派はイギリス学派である兼寛の「脚気病栄養説」に対して,徹底的交戦の構えをみせたのです。その中心人物は後の文豪として名高い森鴎外(註3)だったのでした。

鴎外の反論

 確かに,兼寛の学説はエビデンスに基づくものでしたが,実験的検証に弱点がありました。そしてコッホ研究所から帰国した鴎外は,兼寛の脚気病栄養学説に対して「脚気の発生はその年によって増減があり,この現象はただ脚気患者が減少している時期と食事の切り替え時期が一致しただけに過ぎない」と反論します。確かに伝染病は慢性疾患と異なり,年によって患者数が極端に増減し,数十倍,数百倍に跳ね上がることさえあり得ます。しかし,変異するウイルスではなく細菌であり,かつ抗体ができる感染症であれば,大流行の翌年は小流行に留まります。また,当時,人口の都市部への集中が急速に進んだことを鑑みると,伝染病流行規模が大きくなりやすかったかもしれません。
 しかし,脚気が伝染病であるならば,確実に患者との接触があるはずです。家庭,戦艦,牢獄などの閉鎖された空間に患者が発生すれば,同じ空間にいた人は,接触しなかった人に比べて,少なからずリスクが高くなります。すべてとは言わないまでも,感染源が同定できるはずです。ところがこの場合,それではうまく説明ができません。これは患者を診ていれば明らかな話だったのでしょうが,脚気菌ばかりを追いかけてしまうと気がつきがたい点でしょう。
 栄養不良が発病を早める結核においても家庭内発生はしばしば認められ,現在ロシアの牢獄では耐性結核菌が蔓延しています。しかし,当時日本で麦飯を食べていた在監者の脚気発症率はむしろ低かったのです。10年以上の潜伏期を経て発症するエイズでさえも,誰から誰に伝染したと推理することができます。つまりミクロの視点でなくマクロ的に患者発生状況を把握していれば,細菌学説の矛盾点を多数指摘することがでるのです。

鴎外の実験と矛盾

 鴎外は,「もしも正確な実験をするのなら1つの集団を2分して,一方に白米を与え,一方に洋食あるいは麦飯食を与え,しかも同一の地に居住させ生活条件も同じにさせる。このようにしても,米食のみが脚気に罹り他方が罹らなかったならば,米食が脚気を誘発するものと考えられるであろう」と述べ,兼寛の行なった同一航路における比較試験を批判しました。確かに,兼寛の論点の最弱点はここにありました。現代日本の臨床試験においても「過去の成績と比較して改善をみたため,現治療が優れている」という論旨のものが多く,西欧の雑誌にはなかなか受理されないのが現状です。
 鴎外は,陸軍第1師団の若い兵6名(すべて健常者)を対象に白米のみ,麦飯,パンと肉の3種類に分けてそれらを8日間ずつ食べさせました。そしてドイツ最新の方法に基づき検査を施行したところ,白米が最も優れ,パンと肉は最も劣ると発表しています。この研究を現代の薬物治験用語で表現すれば第 I 相試験に相当します。しかし第 I 相試験は薬剤の安全性を試験するために健常者に薬剤を投与するものであって,病人に投与するものではなく,当然のことながら病気に対する薬剤の有効性を評価することはできません。にもかかわらず,鴎外は第 I 相試験の結果をもって第 II 相試験(効果が予想される小人数の患者に投与し,有効性,安全性,使い方を調べる),第 III 相試験(多数の患者に投与し,有効性,安全性,使い方を確認する)を飛び越して脚気病食の効果がないと結論してしまったのです。また8日間の食事では脚気に影響を及ぼさないでしょう。
 ところが,この後,兼寛は医学界から孤立してしまうことになります。


(註1)ウィリアム・ウイリス(1837-1894):英国公使館付き医官として来日。戊辰戦争の際,薩摩藩の将兵を治療したことから,明治2(1869)年,鹿児島医学校長兼病院長として招かれ(兼寛は第1期生として学ぶ),明治10(1877)年まで西洋医学の普及発展に貢献した。
(註2)緒方正規(1853-1919):東大卒。ドイツに留学。東大初代衛生学教授,医学部長を歴任。
(註3)森鴎外(森林太郎;1862-1922):東大卒。ドイツに留学後,陸軍軍医学校教官を経て,同軍医総監・医務局長となり陸軍軍医の頂点に立つ。