第2432号 2001年4月9日


【座談会】

時実利彦と21世紀の脳科学

「時実利彦記念賞」受賞者を囲んで


時実利彦氏
(1909-1973年)
丹治 順氏
東北大学教授・
生体機能制御学
生体システム生理学
酒田英夫氏
<司会>
日本大学教授・
第1生理学
小野武年氏
富山医科薬科
大学教授・
第2生理学
宮下保司氏
東京大学教授・
機能生物学/
統合生理学


時実利彦について

酒田〈司会〉 本日は「時実利彦記念賞」の受賞者にお集まりいただき,わが国の大脳生理学研究のパイオニアである時実先生が抱いていた脳研究のビジョンを振り返り,21世紀の脳科学の進むべき方向を議論していただきたいと思います。
 時実先生は研究だけでなく,幅広く一般向けに入門書を書かれました。最初の本は『よろめく現代人』(1960年)で,新皮質と古い皮質を対比し,大脳辺縁系の機能を紹介しています。2番目の『脳の話』(1962年)で脳の中で人間を人間たらしめているのは前頭葉,前頭前野であることを,3番目の『人間であること』(1970年)で,人間が持つ創造的な思考が前頭葉の機能であることをすでに強調されています。これらを通して先生は一環して,「人間が自分自身を知るには,脳の働きを知らなければならない」と指摘し,科学の基本として脳科学を発展させなければならないと力説されました。
 「21世紀は脳の世紀」と言われ,さまざまな意味で人間の精神機能のメカニズム解明に焦点が絞られ,科学の中心としての役割を担わなければならないと思います。そこで本日は,「知・情・意」という3つの側面から,脳機能の解明がどのように進むかをお話しいただき,21世紀の脳科学の将来像を議論したいと思います。

●時実利彦氏略歴
1934年 東京大学医学部卒業
1954年 カリフォルニア大学ロスアンゼルス校解剖学教室留学
1956年 東京大学教授(医学部脳研究施設生理学部門)
1962年 東京大学医学部脳研究施設長
1967年 京都大学霊長類研究所教授併任
1970年 京都大学教授
東京大学名誉教授

■「知」について

時実利彦と現在

酒田 宮下先生は「側頭葉における記憶ニューロンの発見および記憶想起における前頭葉の役割の解明」という研究業績に対して第2回時実利彦賞を受賞されました。知識のもとになる記憶の研究を中心に,「知」の機能の研究が今後どのように展開されていくかを伺いたいと思います。
宮下 まず時実先生に関して申しますと,高校生の頃に時実先生の『脳の話』に接し,脳研究のおもしろさについて全体的見通しを与えられたように思います。今回,改めて読んでみましてもその印象は変わりません。具体的に言いますと,まず系統発生,個体発生,それからマクロ解剖の構造,そして素子としてのニューロン,システムの話に入っていくという体系性が実に現代的です。40年後の今日でも新鮮な全体構造に関する展望を持っていらしたことはすばらしいと思います。
 また,『よろめく現代人』には,すでに海馬の重要性に関する記述があります。この本の発行から『脳の話』まで2年しかないのに,後者はかなり違っています。例えば,記憶の部分にはシナプスに関する記述が急速に増えてきています。大きなメカニズムとして反響回路と,シナプス自身の可塑性によって伝達効率が変わるという概念を並立し,「どちらも可能なメカニズムである」と記述されています。今考えてもその通りだと思います。
 記憶の研究に限って時実先生の時代と現在との相違を比較しますと,研究方法の進歩が大きいのではないかと思います。記憶の問題は日常生活に絡みますが,現在は行動に対応したヒトの脳活動の計測にPETやf-MRIのような機能画像も使いますし,さまざまなレベルの電気的な現象,特に単一神経細胞の活動,またシナプスおよびその下にある細胞内情報伝達の研究などを総動員して,記憶のメカニズムを研究しているのが現在の特徴だと思います。

記憶を想起するメカニズム

宮下 例えば,記憶はどこに蓄えられるのかという根本的な問題に関しては,「陳述記憶」は主に大脳の連合野,ことに側頭葉であることがわかりました。想起のダイナミックスに関しては,自動的なメカニズムと,意識的なメカニズムがそれぞれ並行に走っていることがわかってきました。
 おそらく前者のメカニズムは側頭葉の内部の相互作用が,そして後者のメカニズムは側頭葉とそれ以外の大脳,具体的には前頭葉との相互作用が重要だと思われます。長期記憶はどのように作られるかという物質レベルの問題に関しては,電気生理学と分子生物学の組み合わせという形で研究が進んでいます。そういう意味では,時実先生が書かれた脳の全体を把握するシナリオは,方法論的な裏づけを得て現実化していると言えるのではないかと思います。
酒田 宮下先生は,1988年に「側頭葉の前のほうに複雑な視覚のイメージを蓄えているニューロンがある」こと,さらに昨年,いま話された「前頭葉が記憶の意識的想起に関係がある」ということを「Nature」誌に発表なさいました。これまで,記憶の想起の問題はほとんど研究されていませんでしたが,今後の研究の方向についてお話しいただけますか。
宮下 記憶を作るメカニズムの解明に関しては,物質的な基盤が重要な位置を占めますので,分子生物学的研究が重要です。ところが記憶を想起するメカニズムは神経回路のダイナミックスに依存しますので,分子生物学的なアプローチはあまり役に立ちません。理解のフレームワークを新しく作ることと,それをなるべく客観的に検証する手順が必要で,それが研究が困難であった理由だと思います。
 しかし,今後は前頭葉と側頭葉の相互作用,「トップダウンシグナル」の性質,もしくはその起源を問う研究が中心になってくるでしょう。

エピソード記憶について

酒田 時実先生は『よろめく現代人』の中で,体験と知識の違いを述べています。今ふうに言えば,エピソード記憶と意味記憶の違いで,しかも印象を蓄える場所は「古い皮質」の海馬であるとはっきり書いてあります。これは大変な先見性だと思います。最近Mishkeinらの研究で,海馬がエピソード記憶に不可欠であることが明らかになってきましたが,エピソード記憶の研究の今後の展開をどのようにお考えですか。
宮下 エピソード記憶の特徴づけは大変難しいです。例えば,場所と時間という例を持ち出すと,場所にしても時間にしても,ふつうの意味の知覚モダリティではないです。つまり,視覚や聴覚が知覚のモダリティ(感覚の種類)であるというのと同じ意味で「場所知覚」というのは存在しません。ある意味ではそれらの複合としてのマルチモーダル(多種感覚)ですらないかもしれません。基本的にスプラモーダル(感覚の種類を超えた)と呼ばれるタイプの情報です。
 私が研究対象としているのは,主に視覚モダリティ情報の間の連合です。例えば,モダリティ同士を結ぶマルチモーダルな,もしくはクロスモーダルな種類の違う感覚問題は,原理的には同じかもしれないですが,スプラモーダルな情報をもってきて連合を作ることになると,スプラモーダルな情報自身がどうやってできているかをはっきりさせない限り,軽々とは答えられないです。
酒田 スプラモーダルとマルチモーダルの区別に関して,もう少し説明してください。
宮下 例えば食べ物の場合には,視覚的な情報と臭いの情報を同時に使って1つの対象物を定義することができます。これはマルチモーダルな情報によって作られている対象物になるわけです。ところが,時間はいま言ったような意味では複数の情報を使っても定義できません。ですから,エピソード記憶を厳密に研究するためには,「時間ドメインの情報」は一体どういうものかをきちんと追求すべきではないでしょうか。エピソード記憶に関しては,そういう地道な研究が必要ではないかと思います。
酒田 タルビングもエピソード記憶に関して前頭前野が大事だと言っていますが,前頭前野が壊れて記憶障害が生じるということは,それほどはっきりしない。ただ時間的な順次の記憶に関しては損なわれると言われていますし,その情報がいつ記憶されたかを思い出せない出典健忘があります。そのへんはどのように考えていますか。
宮下 いまの酒田先生のお話の中に重要なキーが含まれていると思います。出典健忘がどのようなものかを考えることが,前頭葉と記憶との関係を考える重要なポイントだろうと思います。どういう状況で,どういう情報が自発的に連合されてくるのか。それは先ほどのエピソード記憶の問題と通じるところがあるように思います。

■「情」について

時実利彦と「情」

酒田 次に「情」の話題に移らせていただきます。小野先生は「情動の認知,表出,記憶を担う大脳辺縁系ニューロンの研究」で第1回時実利彦記念賞特別賞を受賞されました。感情や情動の脳内メカニズムの研究についてお話をしていただきたいと思います。
小野 私も医学生時代に時実先生の名著『脳の話』を読み,さまざまな譬え話や名言を引用したり,頭がなくなったカマキリやヘビの行動を観察した幼少時の体験などを交えて,生存,本能,情動,理性における脳の働きと重要性,さらには「人間とは何か」をわかりやすく解説されていたのに深い感銘を受けました。また,脳幹-脊髄系は,「生きている」という静的な生命現象に,大脳辺縁系-視床下部は,「たくましく生きていく」という動的な生命現象遂行のための本能や情動行動に,新皮質,特に前頭葉系は,「うまく生きていく」ための創造活動に関与し,人間らしく生きていくためには,これら「生存」,「本能や情動」,「理性」に関わる脳内各システムの調和のとれた統合の必要性を力説されています。今から40年も前に無私の立場で日本の脳研究の発展に尽力された時実先生が,すでに現在の脳研究の方向性を予見されていたのに敬服しています。
 21世紀には,従来の手法だけでなく最近著しく進歩している分子生物学や非侵襲的脳機能計測法なども駆使して,本能,情動,理性に関わる脳内システムとその統合の仕組みに関する遺伝子,ニューロン,神経伝達物質,ホルモン,免疫物質,行動レベルでの総合的な解明が望まれます。今や脳科学という自然科学は,教育学,人文・社会科学,哲学,宗教なども含む新しい学問創造の時代を迎えているといってよいでしょう。本日は私自身の,本能や情動に関するニューロン,行動レベルでの研究の一端をお話しさせていただきます。
 私は幼少から大学に入るまでの体験から動物の行動や習性に興味がありましたので,大脳辺縁系と視床下部が本能や情動の統合中枢であるとの記述は印象的でした。今から考えると,私が本能の1つである食欲や情動(喜怒哀楽の感情)に関する研究の道を選んだ原点の1つであると言っても過言ではありません。
 最初に手がけたのはサルに食物と非食物を呈示して,レバー押し摂食行動を行なわせ,視床下部,特に外側野ニューロンの応答性を調べる研究です。もう25年以上前のことです。視床下部外側野には身体の内部情報,特に血中のグルコース,遊離脂肪酸,インスリン,副腎皮質ホルモンなど各種の代謝産物やホルモンなどの濃度変化を感知する複合化学受容体の性質を持つ化学ニューロンが存在し,食欲とそれを満たすための一種の本能または情動である摂食行動の遂行に重要な食欲中枢であるという実験的証拠が蓄積されたからです。しかし,当時,視床下部外側野に目にした物体が,食物か非食物であるかなど,外部情報に応答するニューロンが存在するか否かについての研究はまだほとんどなかったので,かなり冒険でした。

情動表出と情動発現について

小野 幸運にもサルの視床下部外側野に,(1)食物の視覚認知期(食物を見た時には応答するが,非食物を見ても反応しない),(2)食物の味覚認知期(好きな甘い食物を食べる時の抑制応答〈インパルス放電頻度の減少〉が促進応答〈インパルス放電頻度の増加〉に逆転する),(3)食物の視覚認知,レバー押し獲得動因および味覚認知期(食物を見て,レバーを押して食物を獲得し口に入れて食べる時のすべてに応答する),の3つのタイプのニューロンが存在することがわかった時は驚きでした。しかも,これら3つのタイプのニューロン応答は摂食やグルコースの静注により血中のグルコース濃度が上昇すると消失し,摂食行動もほとんど停止します。その後,一連のサルやラットの研究により,視床下部外側野には報酬性(正の強化刺激)であれば食物だけでなく,すべての呈示物体や音に同様の応答を示すニューロンがあり,これらニューロンの中には報酬性の物体や音への応答とは異なるが,すべての嫌悪性(負の強化刺激)の物体や音にも同様に応答するニューロンがあり,これらニューロンの応答は正の強化刺激と負の強化刺激に基づく,それぞれ快(報酬刺激獲得)および不快情動行動(嫌悪刺激回避)の表出に関係することがわかったのです。一方,これら情動行動に伴う自律神経反応,特に血圧上昇は視床下部室傍核のパゾプレシン放出ニューロンの活動促進が密接に関係しています。要約しますと,視床下部外側野は内外環境情報に基づく情動の表出に直接関与し,脳幹-脊髄により無意識的に営まれている「生存」の機能を,より確かなものにしているのだと思います。
 扁桃体についても視床下部と同様の実験を行ない,サルやラットの扁桃体には視覚,聴覚,口腔内感覚のいずれか1つの感覚種およびすべての感覚種に応答し,呈示物体や音の好き嫌いの度合いをインパルスの頻度にコードする各種感覚専用型および万能型の生物的価値評価ニューロンや,好き,または嫌いな物体や音の1つだけ,例えばスイカ,食物を袋から出す音やクモ,注射器,さらには人の笑顔や怒った顔に応答する,いわゆる快・不快情動の発現に関与する感覚刺激の意味認知ニューロンが存在することがわかりました。また,これらニューロンの応答は物体の生物学的価値や意味を変えると速やかに消失したり,増強したり,可塑的に変化します。要約すると,扁桃体を中心とする情動系は,現在直面している環境内の事物や事象の生物学的な意味を決定し,視床下部を介して臨機応変の情動表出を行ない,よりたくましい生存を保証していると考えられます。
 サルの前頭前野には,視床下部外側野の各タイプに相当するニューロンがほぼ同じ割合で存在します。しかし,視床下部外側野にはなかった食物報酬を獲得するためのレバー押し期間中だけに持続的に応答するニューロンや,食物,ジュースなどの報酬刺激そのものには応答せず,食物やジュース報酬に関連する検者の動作や音だけに応答するニューロンが存在します。これらの結果から,前頭前野系は正および負の強化刺激の認知だけではなく,報酬獲得のための意欲や報酬を期待できる環境状況の認知に関与し,「生の執着」や「生の創造」に関与するものと思われます。結局,情動発現とその表出は視床・大脳皮質連合野による感覚刺激の知覚・認知,大脳辺縁系による生物学的価値評価・意味認知,そして,視床下部・下位脳幹による快・不快情動行動遂行とそれと表裏一体の関係で起こる自律神経反応や内分泌反応といったプロセスで具現されるものと考えられます。

再び,エピソード記憶について

酒田 エピソード記憶のメカニズムについては,どのように考えておられますか。
小野 情動の発現には,いつ(時間),どこで(場所),何が誰がどうした(でき事)など過去の思い出,エピソード記憶との照合が必要と思われます。サルに一種の自動車を運転させ,広い実験室のさまざまな場所へ行かせ,さまざまな食物を呈示して食べさせた時の海馬体ニューロンの応答性を調べてみました。実験開始前は心配でしたが,サルの海馬体にもラットと同様に特定の場所で応答するニューロン,いわゆる場所細胞があるだけでなく,特定の場所にいる時だけ,リンゴを見て食べる時に応答するニューロンなど,エピソード記憶を担うニューロンが存在することがわかりました。霊長類のサルで,ラットやヒトの研究により示されていた海馬体のエピソード記憶機能の一端をニューロンレベルで明らかにした点では意味があると信じています。

■「意」について

時実利彦と「意」

酒田 次に「意」の話題に移ります。今回,「高次運動野における随意運動の制御メカニズムの解明」で第2回時実利彦記念特別賞を受賞された丹治先生に,まずここに至る研究の流れをお聞きしたいと思います。
丹治 時実先生との学問的な出会いはかなり特殊で,運動単位(モーターユニット)の研究です。先生のモノグラフに,「運動単位の活動を単に筋電図として見るのではなく,単一の神経細胞活動として時系列解析すると,その中に非常に重要な意味が隠されている」と書いてあるのを,大学院生の時に読んで大変驚きました。ある生体現象を見る時に,どこまで洞察力を持って見るのか。また,脳全体を理解した上でそれを観察すると,まったく違う見方があることを教えていただきました。単一細胞の信号列の時間構造を解析すると,情報が豊富に入っていることを思い知らされました。時実先生は運動細胞を対象にされたのですが,私はぜひ脳細胞でやってみたいと強く感じました。いまから考えてみると,脳の神経細胞の活動を解析してみたいと考えるに至った動機になったと思います。
 最初は,一次運動野の細胞活動から研究を始めました。次に高次運動野研究へと進みましたが,大脳皮質を大きく内側と外側に分け,内側の運動野と外側の運動野とはどこが違うかに着目しました。その結果,内側は1度脳の中に取り込んだ内的情報に基づいて運動を組み立て,外側は感覚情報,外界情報に誘導される運動の企画・構成に使われることがわかりました。共通部分を除きますと,その使い方の差が最も大きいのではないかということになりました。
酒田 そこで意志と繋がるわけですね。
丹治 そうですね。単一の動作ではなく,複合的な動作,あるいは意味のある組み合わせで行なう複数の動作の順序制御や動作の順番をどう決めるかということから研究が始まりました。
 最初に見たのは,脳の局所的な機能ブロックです。ムシモールを脳の内側の補足運動野に注入した場合と,外側の運動野に注入した場合ではかなり違います。運動選択のための感覚情報との連合,例えば「赤信号は止まれ,青信号は渡れ」というような感覚情報との連合は,内側を壊しても障害されませんが,外側を壊すとできなくなります。それに対して内側に注入すると,順序をもった複数の動作を意味のある組み合わせで行なうことができなくなります。
 次の段階では,脳のそれぞれの部位で,どんな細胞活動が行なわれているかを調べました。時間をおいて行なう動作を順序よく整理するためには,脳の個々の細胞がどのように活動するのかを知ることは興味深いところです。例えば,顔を洗うという一連の行動を考えると,洗面所に歩いて行って蛇口を捻る。それからタオルを用意して,顔を濡らしてから洗顔をするわけです。そう考えると,連続動作というよりは個々の動作をどう順序よく並べるか,というほうがより概念的におもしろいのではないかと考えました。時間をおいて,異なる複数動作をどのように順序制御するのかという情報のメカニズムを研究しようと思ったわけです。
 脳における神経活動の局在を調べることは,PETやf-MRIで盛んに行なわれるようになりました。しかし,局在だけをいくら調べても解けない問題があります。例えば,動作の順序情報をどのように取り出し,どう解読するか。そして最終的に動作を開始する時に,正しい動作を次々と取り出す過程がどのように行なわれるかを知るには,細胞活動の時間的推移を精密に解読することが必要になるのですが,大脳皮質の内側の補足運動野と前補足運動野に,そのような過程を表現する細胞活動が見つかりました。例えば,動作Aと動作Bを時間的に繋ぐ,あるいは出力情報の答えが見つかり,いち早く表現する時には補足運動野が強く出てきます。前補足運動野はより抽象的に動作が何番目という情報,あるいは一連の動作の始めと終わりを表現する信号や,次の動作にシフトするシフト信号を表現します。
酒田 前補足運動野が補足運動野とのつなぎの役をしているわけですね。
丹治 解剖学的にも,前頭前野と前補足運動野は強い関連がありますし,細胞活動を見ているとそういう色彩が強いですね。
酒田 前頭前野はどうですか。
丹治 順序動作や連合課題程度のことを行なっている限りでは,補足運動野や前補足運動野で見たような明瞭な神経活動は,前頭前野では影が薄くなりますね。そこが逆におもしろい点で,前頭前野の出番はそのような条件ではなく,局面展開がもう少し複雑化した状況にあるようです。
 前頭前野の話になりますが,ワーキングメモリーに代表される,ある感覚情報を短期間に貯蔵して,利用するという側面はありますが,それが前頭前野の最も重要な活動かどうかは疑問があるところですね。前頭前野でなければいけない活動の側面はたくさんあって,むしろワーキングメモリー以外のほうが大事ではないかと思います。要求度の高い条件設定をして,運動前野や高次運動野と前頭前野を比較すると,それらの活動は相当違います。後ほどお話が出ると思いますが,現在与えられている感覚情報と,過去にメモリー化された記憶情報を統合して,これから自分が行なうのに必要な情報を新たに作る。そういう要求が与えられた時に,前頭前野の活動が強く出るようです。
 連合という作業の時にも前頭前野は活動しますが,ある1つのやり方でワンパターンに連合するのでなく,別なやり方で連合したほうが効率がよい,あるいは自分の目的に照らしてもっとよい連合の仕方をする時に,前頭前野が顕著に働くようです。つまり,何のためにその動作をするかという目的性や,どういう状況のもとにその動作をするのか,何を情報源としてそういう動作をするか,という状況依存性に対応して,しかるべき活動が前頭前野に出現します。

■21世紀の脳科学

「言語機能」について

酒田 最後に脳科学の将来像についてお伺いしたいと思います。
 今まで話してきた記憶や随意運動や情動などの高次機能の他に,人間の脳機能としては言語機能と思考機能が脳科学ではまだほとんど手がつけられていない問題として残っています。宮下先生はチョムスキーとの共同研究から,言語機能に挑戦していると伺いましたが,今後の見通しについてはいかがでしょうか。
宮下 やはり,21世紀になりますと,言語の問題は非常に重要な問題として立ち上がってくると思います。人間という種が持っている能力として,言語機能は非常にユニークですが,言語機能をどのように特徴づけるかという点について,さまざまな学問的な立場があると思います。私自身は言語機能に関しては,文法またはシンタックス(構文論)の問題が最も重要だと思います。有限のシンボルの組み合わせから無限の表現が出てくるのが言語の特徴です。現在の言語学ではそうしたシンボル操作として考えられる能力が,実際に脳というアナログ的ネットワークから出てくるところが驚異だと思います。現在,われわれの手にある武器は具体的にどうやって研究するかを考えると,1つはイメージングで,もう1つは遺伝学だろうと思います。
酒田 どういう研究があるのですか。
宮下 遺伝学に関して申しますと,SLI(Specific Language Impairment)と呼ばれる症候群が存在すると主張されています。これは「文法にかなった表現を作る能力の障害」と定義されています。例えば,時制の問題です。これは10年ほど前に発表された研究があります。
酒田 遺伝的に障害があるわけですか。
宮下 言語学者の間でも,本当に文法機能の障害と見なしてよいかどうか,議論があります。しかし,そういう症状がもし存在するとすれば,遺伝的側面を研究する方法があります。例えばアルツハイマー病の研究で確立された方法論がありますので,原理的には遺伝子レベルのメカニズムを追求することが可能です。しかし,イメージングとか遺伝学という現在われわれの持っているアプローチだけで,ヒトという種に特有な機能に対して,十分な解明が可能なのかという問題が21世紀の脳科学に問われる課題だと思います。

「思考機能」と前頭前野

酒田 時実先生にちなんだ座談会なのでこだわるわけではありませんが,21世紀の脳科学を論ずるには前頭葉の機能を考えないわけにはいきません。なぜならば,前頭葉が未来を予測し,計画を立ててそれを実行するための領域だからです。言語に限らず,そういう前頭葉の機能についてはいかがでしょうか。
丹治 確かに言語を入口にして前頭前野の機能を研究しようとすると,言語はヒトに特異的ですから,実験神経科学的な研究は難しいですね。そうではなくて,言語は思考の脳内メカニズムの1つというように広く捉えることも可能ではないかと思います。言語は使わないにしても,言語を使ったと同等なことが原理的に行なわれている脳機能は広汎に存在します。それを研究すればよい,というスタンスでいけば,いわゆる思考の原理というのは,21世紀でかなり解明できるのではないかと思います。前頭前野の特徴は,膨大な情報が集まることです。そこには現在の情報も過去の情報もある。それをもとにして予測も行なわれます。次々と新しい情報が生成され,その中で意味のあるものが生き残っていく。新情報の生成が膨大な情報の統合と予測という作業の中で次々と行なわれる,という捉え方から,例えば先ほどの概念形成の問題やルールの作成,問題解決という個々の問いは解けるわけです。それを統合していくと,言語の論理構成や思考という研究は,少なくとも原理的理解としてはかなり進むのではないかと期待しています。
酒田 論理的思考は必ずしも言語を使わなくても成り立つというお考えですね。私もそういう方向でないと神経生理学者がそういう問題にチャレンジする可能性がないと思うので非常に勇気づけられます。
宮下 丹治先生のおっしゃる通りだと思います。ただ少し見方を変えて,ヒトに特有であるという観点をまずよいとしましょう。それから,チンパンジーと人間の分岐というところを考える。そうすると,どう考えても言語というのは,それほど多くの突然変異から生まれた現象ではあり得ないですね。ですから,非常にたくさんの情報を統合するという観点と,遺伝子全体からみると,少ない数の突然変異で可能になった能力であるという観点が,どのようにうまく調和してくれるかは非常に興味深いところですね。
酒田 確かに言語はコミュニケーションの手段ですから,コミュニケーションの機能としては動物と人間に共通点が多いと思います。どこまでが共通で,どこで人間と人間以外の霊長類との違いが生ずるのかという分岐点を見つけることは重要ですね。1990年代には聴覚神経科学で,サルのコミュニケーション音の認識の研究がかなり進んできましたし,ジェスチャーの模倣という側面から言語表出のメカニズムに迫ろうという研究もあります。近い将来,言語の脳内メカニズムの研究にも大きなブレイクスルーが期待できると思います。
小野 丹治先生や宮下先生は,新皮質の機能を話しておられると思いますが,先ほどから言われているように,新皮質の重要な機能は理性や思考,そして推論や創造になります。最近アイオワ大学のダマージオ教授らは,前頭葉前部の背外側部や眼窩面内側部に損傷や機能不全があると,穏やかで冷静沈着で立派な人格に見えるが,感情,いわゆる喜怒哀楽の感情が欠如している。このような患者は複雑な環境内での将来の予測,意思決定,目標実践ができず,自己や社会に損害を与えても平気で間違った行動をし,社会から脱落し,自分や家族の維持もできなくなると報告しています。このことは,情動が理性に基づく行動に不可欠であることを物語っています。
酒田 前頭葉の腹内側部ですね。
小野 扁桃体も含まれます。ダマージオ教授は『Descartes' Error-Emotion, Reason and the Human Brain, 1994(生存する脳-心と脳と身体の神秘:田中三彦訳,講談社刊)』の中で,「生物の進化は環境が変わっても“生存”するために起こり,その進化過程では,脳のない生物は存在したが,脳や心があって身体のない生物は存在しなかった。脳は生物の“生存”を有利にする適応的産物である。当然のことながら,人間の感情も,合理的な意思決定も“生存”があって初めて可能になるのであり,身体の内部環境や外部環境の変化に応じて,絶えず変化する身体状態と脳活動のダイナミックな相互作用を無視して論じることはできない」と主張しています。進化の過程でも,おそらく先に顔の表情や情動行動などの非言語的コミュニケーションが出てきて,それにたまたま言語という機能が備わって,意思を交換する。その手段として言語が使われているので,最終的には喜怒哀楽の感情,先ほど言ったように,大脳辺縁系と前頭葉の機能が重要になるわけです。
酒田 時実先生は,新しい皮質と古い皮質が対立する関係にあることを強調していますが,ダマージオは少なくとも意志決定に関しては,いわゆる理性と感情は両方必要であり,それが統合されて初めて理性的な判断ができると強調しています。これは重要な指摘ではないかと思います。そして, 理性と感情を統合するのが前頭葉の一部であるというのも意味のあることだと思います。時実先生は前頭葉は「よく」生きるための脳であると言っていますが,その中心はまさにこの領域だろうと思います。

人類の生存と脳科学

小野 話は少し変わりますが,ラットで情動ストレス時の脳内のサイトカインの変化をRT-PCR法により見ると,大脳皮質ではほとんど検出されません。ところが,大脳辺縁系や視床下部ではIL1βやIL2が検出され,大きく変化します。ですから,情動は生存のために働いているのですね。そうなりますと,自律神経系,内分泌系,それから免疫系を考えなければいけませんが,免疫系の研究が遅れているように思います。脳内,特に大脳辺縁系と視床下部の免疫機能による生体防御や健康維持に関する研究が今後は必要だと思います。
酒田 生存という問題ですね。いま個体の生存ということで,免疫系が非常に大事だというお話がありましたが,やはり人間が生存していくという場合には,個体の生存だけでなく,人類全体の生存が重要です。そういう意味で,今後の脳科学は,人類の生存ということを1つの目標に置く必要があるのではないかと思っているのですが,丹治先生はいかがでしょうか。
丹治 賛成ですね。社会の持っている情報システムと脳の情報システムの比較という大きなテーマがあると思います。現在はIT革命が進みまして,情報の配送は隅々まで行なわれていますし,情報の貯蔵も収集も効率がよいですから,多くの情報がグローバル化されています。しかし,基本的に欠けているのは,たくさんの事象をどのように統合し,結局どこに向かわせようとするのかという視点です。まさに,世界的情報システムの中で,情報の有機的統合と目的志向性の確保という前頭前野の機能が欠けているわけです。「IT革命」と言われても,情報システムが肝心なところで活きないというところがあると思います。
小野 前頭葉だけでは説明できないですね。やはり,利害関係に絡む情動があります。時実先生も書いておられますが,生後すぐに出てくる大脳辺縁系が司る情動は素地で,素地がしっかりしていないと,大脳皮質,特に前頭葉が司る人間としての正しい理性という立派な絵は描けないと思います。やはり情動と理性は切り離せないというのが私の考え方です。
酒田 ダマージオの話が出ましたが,最近出版された彼の『The Feeling of What Happens』という本の中で,意識の脳内メカニズムについて書いています。最後に精神機能の階層構造が書いてあります。私にとって意外だったのは,良心が一番上位にあることです。創造性はその次です。良心が他の精神機能より上位にあるのは,良心に基づく意志決定がただ知的に複雑な情報を処理するだけでなく,善悪の判断,エモーショナルな側面,あるいはフィーリングの側面を含んでいることが大事で,その両方がうまく統合されることによってはじめて正しい,よい意志決定ができるということではないかと思います。その意志決定が,個人だけのものではなく,人類全体としての意志決定につながる,ということが重要です。時実先生は『人間であること』の最後に,「人間において素晴らしく発達している前頭連合野は私たちをして,“よく”生きていかせると同時に,集団と個の対立,個と個の対決というきびしい試練に耐えて生きていくことを余儀なくさせている。この対立の処理の仕方に人類の将来がかかっている」と述べています。そういう人類の生存に役立つような科学になることを21世紀の脳科学に期待して,この座談会の結びとさせていただきたいと思います。本日は,長時間どうもありがとうございました。