医学界新聞

 

連載(14)  ベトナムが抱える問題…(1)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2426号よりつづく

■ホーチミン市の現在

 「アジアが好き」ということは,タイ国に限らず自然と「インドシナ半島全域が好きである」ということにつながります。インドシナ半島全域の歴史を知らずして,現在のタイ国の歴史を遡ることは難しく,自ずと他の国々にも目が向いてしまうというわけです。
 1989年の正月に,私は初めてベトナムのホーチミン市を訪れました。この時のホーチミン市の風景は,私が小学生だった頃,テレビのブラウン管を通して見たサイゴン陥落の忘れられない映像と重なりました。ベトナム戦争から14年が経ったホーチミン市は,当時からのホテルは薄汚れたまま,市場は喧騒で活気づいているものの,そこここに孤児や浮浪者があふれている,という状況でした。若い男女は2人,3人乗りで単車を乗り回し,一晩中爆音を轟せています。この街の様相からは,若者や子どもたちのやるせない想いとともに,一方では人々の活力や躍動感が伝わり,市全体の復興が急速に進むことを予感させました。そして,インドシナ半島の国々は密接に文化的・経済的なつながりを持っているのですが,近年ではこの国々はエイズをも共有することになったのです。

10年ぶりのベトナム訪問

 私は,2000年11月4-18日に,ベトナムのホーチミン市で実施された(財)国際開発高等教育機構(以下,FASID)主催による「エイズ・マネジメント・コース」に参加する機会を得て,10年ぶりにベトナムを再訪しました。このコースの参加者は,日本から15名,ラオス3名,カンボジア4名,ベトナム8名の合計30名。また,講師やオブザーバー等はアメリカからの2名,タイ2名を含む11名でした。
 日本人参加者のうち6名は,現在アジア地域においてHIVプロジェクトや女性問題などで実際に活躍している方々で,6名中5名は女性でした。国際機関の職員として,あるいはNGOの現地代表として活動する彼らの実践と経験を共有し勉強できたことは,このコースに参加してのもう1つの収穫でした。彼らの多くはまだ20代後半ですが,世界各国のプロたちと対等に活躍しているのです。
 派遣直前の11月1日に,東京で事前研修が行なわれ「日本のHIV/AIDSの現状と対策」に関して外務省関係者から講義がありました。
 「沖縄・感染症対策イニシアティブ」によると,その対象となる感染症はHIV/AIDS,結核,マラリア,ポリオ,寄生虫症の5つ。そして,その中でもHIV/AIDSへの支援対策は最優先されるべき課題として位置づけられています。
 平均寿命の顕著な短縮や孤児問題は,労働人口の減少をもたらし,その国の経済や社会開発に大きな影響を及ぼします。このように,感染症は人々の生命への脅威という保健・医療上の問題にとどまらず,途上国においては重大な社会開発の阻害要因ともなっているのです。


「エイズ・マネジメント・コース」で,グループに分かれて研修を受けるアジア諸国からの参加者(右端が筆者)

急増するHIV感染者

 1991年以降,カンボジアのHIV感染者数は約18万人と報告されました。90年代のはじめ,ベトナムでは急激なHIV感染者の増加はみられていませんでした。しかし,現在では16万人に及ぶであろうと推測されており,インドシナ地域ではカンボジアに続くHIV/AIDS対策の重点地域となっています。また,感染者の65.2%は麻薬常用者であり,注射針の共有が原因とされています。しかも,その麻薬常用者のほとんどが16-25歳という若者層であったため,その後は性交渉を通じて感染者が急激に増加したのだと考えられています。
 「ドイモイ」(1986年以降ベトナムで進められている改革政策)後の街の,急速な経済発展の中で人々の生活格差は一層拡大し,市街の通り(ストリート)には急速な発展から取り残された人々が生活しています。
 ホーチミン市には,豪華なホテルや高級店が建ち並ぶようになり,日本人をはじめ世界中からも観光客が集まります。街を歩いていると,「靴磨きをする」(15分程度で1ドル)と言って,日本語で寄ってくる子どもや青年たちがいます。アジアではよく見られる光景ですが,HIV/AIDS問題に正面から取り組んでいる現地NGOを訪ねた時に,彼らの置かれた過酷な状況を知りました。

法と現実

 この現地NGOは,ボランティア医師によるクリニックなど,さまざまな支援を行なっています。また,外国からの資金援助を受けて,ストリートに暮らす10代の少年や少女,あるいは成人たちに注射針を配布しています。HIV/AIDSの現実問題として,その蔓延を防ぐべく講じた手段なのですが,麻薬使用の針を配布せざるを得ないほど深刻であっても,国の法律は簡単に変えられません。ですから,そこで活動する人たちは,皆が警察に逮捕されることを覚悟の上で行なっているのです。そして,靴磨きの少年たちは注射針を受け取り,片手に握りしめた今日の稼ぎを,食事ではなく白い粉に変えるのです。
 1990年代初頭のタイでも同じ状況が起きていましたし,現在でもその数は減少したものの継続しています。日本も決して例外ではないはず。
 ベトナムの現状からアジアのHIV/AIDS問題を考えることをテーマに,次号も続けてお伝えしようと思います。