第2405号 2000年9月25日

Vol.15 No.9 for Students & Residents

医学生・研修医版 2000. Sep


座談会 きちんと診断学を学びたい

加藤徹男氏
(宮崎医科大学・5年)
奈良信雄氏
(東京医科歯科大学教授・
臨床検査医学)
平山陽子氏
(東京大学医学部・6年)
福井次矢氏<司会>
(京都大学教授・臨床疫学/
附属病院総合診療部長)
 


 診断をする力は医師としてもっとも重要なスキルだ。ところが,日本の医学部の多くはその教育を重視せず,これまで体系的な「診断学」教育が行なわれた例は乏しい。
 近年,「医療の品質保証」を求める社会の声が高まる中,医師として具有すべき基本スキルが教育されていない現状に,学ぶ医学生の側からも強い不満の声が出されるようになってきた。
 そこで,本紙では「きちんと診断学を学びたい」と題して,座談会を企画。優れた教育者・臨床家として知られ,診断に至る思考プロセスを重視した新しい教科書『内科診断学』(医学書院,9月発行)の編集を手がけた福井次矢,奈良信雄の両氏と,現役の医学生2人にお集まりいただき,「診断学教育の現状」,「診断学の学習の仕方」などについて存分にお話しいただいた。


福井 昨今,医療過誤の問題が大きくクローズアップされるようになり,その文脈で,マスコミにも医師の「診断能力の水準」を厳しく問う論調が見られるようになってきました。
 「日本の診断学は満足すべきレベルに達していないのではないか」
 「しっかりした診断の教育がなされていないのではないか」
 このような疑問が市民の側から医療界に突きつけられた格好です。
 実は,私自身も学生時代から医学教育のあり方には疑問を持っていました。臓器別専門診療部門での教育は,あまりに「――ology」的な考え方になっていて,臨床場面で必ずしも役に立たず,もどかしさを感じていたのです。それ以来,ずっと医療の質を向上させるにはどのような教育が必要なのかを考え続けてきましたが,最近注目されているEBM(Evidence-Based Medicine)や臨床疫学などの考え方から言っても,やはり,臨床現場における,インタビューと身体診察をベースにした診断の質の向上,そしてそのような診断学の教育が,非常に重要だと思います。
奈良 私の専門は臨床検査医学で,検査を主体に教育・研究を行なっていますが,検査を活かすためにも,やはり診断学は重要です。患者さんの話を聞く,あるいは診察することは,臨床医学の基本です。それをしっかり踏まえなければ,検査を適切に用いることはできません。最近,ある雑誌で「医療面接」や「身体診察」の仕方の特集記事の編集をしたのですが,学生・研修医から大きな反響がありました。この分野の教育が手薄だということでしょう。

トレーニング不足で自信持てぬ医学生

縦割り教育の弊害

福井 本日は,医学教育の受け手である学生さんに,「診断学」教育・学習の現状やに問題意識をうかがい,教える立場の私たちと意見交換をしていただきます。その対話の中から,読者の皆さんにはぜひ,診断学とはどのようなものか,また,いかに学習すべきなのか,考えていただきたいと思います。では,平山さんからお願いします。
平山 「電車や飛行機に乗っていて急患が発生し,『どなたか医師の方はいらっしゃいませんか』という場面で,果たして自分が名乗り出られるだろうか」そんな話をよく友人とします。このまま卒業し医師免許を取得したとしても,私自身も含めて,学生の多くは「名乗り出る自信はない」というのが,医学生の現状ではないでしょうか。
 私たちの大学では,「――ology」ごとの授業がカリキュラムの多くを占め,診断学にはあまり時間が割かれていません。臨床実習に入ってからも,1週間に1人,すでに診断のついた患者さんを割り当てられてレポートを書いて終わりという形なので,「本当にこれで卒業した時に患者さんを診断,治療できるのだろうか」と強い疑問を持っていました。
 私が医学教育に関心を持つようになったきっかけは,5年生の時に黒川清先生(東海大医学部長)にお願いして,東海大のクリニカル・クラークシップを体験したことです。学生が診察チームの一員として生きいきと患者さんに接しているのを目のあたりにして,教育によって学生は変わるのだということを実感しました。もっと,臨床の現場で生じる問題をいかに解決するかという観点から,教育のあり方を変える必要があると思います。
加藤 僕たちの大学でも,縦割りの講座ごとのカリキュラムになっていて,診断学のような言わば「横」の動きについての臨床教育はほとんどありません。一応,「内科診断学」というカリキュラムはあるのですが,実際にはわずか1日で,しかも2時間弱という身体診察のデモを体験するだけのものです。ベッドサイドで患者さんに接する医学生でありながら「診断学」の考え方や基本的スキルを体系的に学ぶことができない現状に,僕たちも大きな疑問を持ってきました。そこで,今年5月より「メディカル・インタビュー・トレーニング」(模擬医療面接とその相互レビューを中心とした学習会。有志学生25人によって自主運営されている〔本紙2396号に紹介記事〕)という鑑別診断にウエイトをおいた面接トレーニングを開催し,いまようやく学習の手応えを感じ始めてきたところです。
奈良 これまでの医学教育はどちらかというと,臓器ベースの系統講義が主流です。例えば,急性肝炎だったら,どのような自覚症状や身体所見があるか,どのような検査を行なうべきかということは,よく教わっているわけです。ところが,「自分は肝炎だから診てくれ」という患者さんは,まずいません。むしろ,「食欲がないから診てください」というような訴えをもって受診されるわけです。そこで,症状からいくつもの鑑別診断をあげるという能力が求められます。
 加藤さんが指摘されたように,医療の現場では各科をまたぐ横断的な能力が非常に大切で,それを勉強していくことこそ,「診断学」のはずです。ところが,日本の医学教育の多くは縦断的な教育で,この横断的なトレーニングが欠けていると思います。

本を読んだだけでは診察できない

平山 東大では4年生の後半に週に1度「内科診断学」という授業があります。そこでは,学生3人が患者さん1人から病歴を聴取し,それを先生にレポートするというようなことをしますが,本来,メディカル・インタビューはさまざまな要素を含んでいるはずです。受け答えの仕方とか,初めは開かれた質問からというようなセオリーもあると思います。
 ところが,その「内科診断学」ではセオリーはまったく教わらずに,単に情報を得るためのメディカル・インタビューで終わってしまっているのです。身体診察にしても,腹部触診は脾腫の患者さんに一度触らせていただいただけでした。その程度のものだったので,現在,臨床実習で患者さんを割り当てられ,診察させていただくようになってからも,多くの診察手技は独学で身に付けたものであって,果たしてその診察が正しいのかどうかは学生にはわからないという状況です。
 診察手技は本を読んだだけではわかりません。触診ひとつをとっても,ベッドサイドでどんな強さで押したらいいかということを教えていただきたいという思いがあります。もっとも東大でも2年後には「内科診断学」の最後にOSCE(客観的臨床能力試験)を導入し,評価を受けるようになるそうで改善の兆しはありますが……。
福井 米国では,臨床実習(クリニカル・クラークシップ)に入る前の段階で,ICM(Introduction to Clinical Medicine)といって,何十時間もインタビューや身体診察の授業や実習があります。講義形式の指導→ビデオによる学習→学生同士のロールプレイによる学習→模擬患者を用いた学習→最後に患者さんのベッドサイドで特定の診察手技を教わるのです。ベッドサイドで身体診察を学ぶ場合にも,「この患者さんはこういう所見があるから,このグループはいつ行って診させてもらう」などの調整を行ない,主だった異常所見のある患者さんのところを学生はまんべんなく回れるように配慮されています。日本の医科大学には,そこまできめ細かい指導をしているところは,ほとんどないようです。
平山 授業の中では学生同士で練習することも,ビデオを観ることすらありませんでした。段階的に学習できるようなカリキュラムにはなっていません。
加藤 宮崎医大でもカリキュラムとしてはありません。ただ,一部に教育熱心な先生方から,臨床実習の際にビデオ教材を用いたりして,ひと通り身体所見のとり方を教えていただきました。しかし,他の先生方の中には概説講義の時に身体所見のとり方も説明する先生もいて,すると臨床実習で「説明したのに何でできないんだ!」ということにもなってしまう。平山さんがおっしゃったように診察手技は本だけでは学べないものであり,実技の訓練,トレーニングが必要なはずです。ところが,そのような認識が薄く,知識を与えれば実技もできるものと思い込んでいる先生が少なからずいるのです。乱暴な喩えですが,車の運転教習で,教本を読ませただけで「さあ,運転してみなさい」と言っているようなものだと思います。
福井 スキルの部分はしっかりチェックしなければなりません。OSCEの導入や,臨床実習に入る前の総合試験の検討などという形で,改善の方向は出てきているようにと思いますが……。

「診断学」のアートとサイエンス

奈良 私は医学というものはアートとサイエンスの両側面とも大切だと思います。アートは技術ですから,平山さんがおっしゃったように,例えば,インタビューの仕方を教わっていないとか,身体所見の取り方を教わっていないというのは,非常に困るわけです。もちろん,そのアートを磨くことは,学生自身が医師になってからやらなければなりませんが,最初のイントロの部分は教官の側が教えなくてはなりません。
 また,サイエンスの側面から言えば,私は「診断学」とは「鑑別診断学」だと思うのです。例えば,発熱があった。さあ,どのようなものを鑑別する必要があるかという時に,そこから抜け落ちたものがあると,即誤診につながる可能性があるわけです。漏れのないように鑑別診断をあげるトレーニングも並行して行なわねばなりません。
 そして,サイエンスとはまず記載することから始まります。正しく記載するということは大切なことで,それは正しく評価することへとつながるわけです。そのようなトレーニングも「診断学」の中に取り入れていかなくてはなりません。いずれも最初は教わるべきことですが,学生のほうからも積極的に取り組んで,自分のアートとサイエンスを琢磨していってほしいですね。
平山 インタビューなり身体診察なりの手法がすでに身についている自信があったら,ベッドサイドでももっと積極的に患者さんに接することができると思うのですが,その自信がないために消極的になりがちということはあると思います。
加藤 学生たちは訓練する機会が少ないために自信が持てずにいるのだと思います。このことを僕たちは,「メディカル・インタビュー・トレーニング」を開催する中で実感しました。このトレーニングでは,医師・看護職・模擬患者・患者さんらに協力していただき,直接フィードバックをしていただいたのですが,このような経験により「自信がついた」,「患者さんとどのように対応するかということの基本,コツがわかった」との感想を,多くの参加者が口を揃えて述べていました。また,共感的な態度を私たちが持ち,患者さんと好ましい関係を築くことにより,「診断」という医師の仕事もスムーズに適切に行なうことができるのだと感じました。
福井 かつては,医学教育に携わる教官の中にも「インタビューやコミュニケーションのとり方は接客業のものであって,医者がそんなことをする必要はない」という考えが根強くありました。しかし,患者さんの病気を治すことに貢献し,患者さんに安心感をもたらすなどの効果もあるのですから,たとえ接客的であってもコミュニケーションスキルは積極的に使うべきです。
 また,インタビュー技法は,おそらく感性のある人には自然に身につくのだと思いますが,すべての学生についてあるレベルまで短期間に引き上げるには,臨床場面を想定して,具体的に指導することが必要だと思います。医学教育界でもようやくその重要性が広く認識されつつあります。この数年で各大学の教育のあり方もかなり変化していくのではないでしょうか。

一般診療に役立つ「診断学」の教育

基本あっての専門

奈良 カリキュラムの改変だけでなく,各大学で,しっかりと診断学を教えることのできる教官の数・質の確保も必要です。日本の大学病院の診療体制は,系統講義の延長の医療です。つまり,教官には臓器別の専門家が多い。その専門にちょうど当てはまればよいのですが,それを外れた病気もたくさんあります。ですから,本来は基本的なことはある程度ジェネラルに診ることができるべきだし,そのような診かたを学生たちに教えていただきたいと思います。
 1つ例をあげますが,動悸,息切れ,めまいの症状で来院された40歳前後の男性のケースです。担当された先生(循環器)は狭心症だろうということで,負荷心電図をやったのですが,実はそうではなく白血病だったんです。白血病で貧血が急に起こったのですから,動悸,息切れ,めまいは当然の症状です。眼瞼結膜を診る,血液検査をするという,基本的な診察・検査が抜け落ちていたために,負荷心電図までいってしまったというひどい例なのですが,専門医のところへは,その専門の病気を持った患者さんがだけが来るわけではないという教訓を示しています。
福井 自分はこの専門だからこの部分だけについて診断できるというのであれば,一般診療で役立つ「診断学」とは言えません。患者さんの全体を診て,どのような問題に対しても,ある程度仕分けをきっちりできるというのが一般診療での本来の「診断学」でしょう。
平山 大学病院の先生ではなかなか難しいのではないですか?
福井 一般診療の教育の場が乏しかったという意味では,奈良先生がご指摘のように私たち教官のほうがもっと勉強しないとだめな分野も多いと思います。
加藤 僕たちの「メディカル・インタビュー・トレーニング」では,市中病院の先生方に協力していただき,コモン・ディジーズの観点からシナリオを作っていただいたり,ファシリテータとして模擬面接のレビューをしていただいたりしたのですが,大学病院の先生とは切り口が違うということを感じました。
 いま福井先生がおっしゃったように,「診断学」には,問題の所在をはっきりさせていくというような意味合いがあるとするならば,大学病院の患者さんを相手に診断学を学ぶというのは必ずしも効果的とは言えない面もあるのではないでしょうか?大学病院に来られる患者さんは,すでにある程度問題が明確化されていますし,診断がついている場合も少なくないですから。
 患者さんの状態がある程度整理された大学病院という場所は,概説としての診断学を聴くにはよいと思うのですが,実習施設としては大学病院だけでは不十分という気がしないでもありません。むしろ,コモンディジーズが多く,診断も確定していない患者さんの多いであろう市中病院で実習するほうが,生きた「診断学」を学ぶためには効果的ということはないでしょうか。
平山 私も同じように感じています。米国でも,市中病院での病棟実習や家庭医のところで行なわれる外来実習のウエイトが高いと聞いています。

専門領域しか診ないスタンスが問題

福井 日本の大学病院が実習施設としてふさわしくないとは思っていません。先ほど奈良先生があげられた白血病患者さんの例のように,大学病院だからといって,問題が仕分けされた患者さんばかりが来るわけではありませんから。ただ,専門診療科では,当該専門分野の問題しか診ない,その他の問題は切り捨てるというスタンスの実習指導をされてしまうと困るわけです。
 実際,患者さんの抱える問題の種類はどこで診ようと,思っているほど大きく変わるわけではないはずです。広い視点で捉えれば,専門分野のつぼにはまった病気以外にも患者さんの問題はいくらでもあるわけです。例えば,高齢者で循環器の病気を持っているような患者さんであれば,ほとんどの人が糖尿病を持っていたり,眼科の問題や,耳鼻科,泌尿器科の問題もあるし,心理社会的な問題も抱えています。それらの問題をトータルに取りあげて,自分たちはいま,その中のこの部分を診ているということをはっきり認識させるような教育を専門の先生たちが必ずしも行なっていないから,加藤さんがおっしゃったような問題が生じるのだと思います。
加藤 なるほど。
福井 さらに,インタビューでは診断するための情報を得るだけでなく,良好な人間関係を築くとか,治療的な意味を持つとか,そのような点についても幅広く教えるべきなのに,それぞれの専門科ではしばしば,一面的な診断学しか教えられてないと思います。
奈良 コミュニケーションをとるということは非常に大切ですね。優れたインタビューにより,医師と患者が対等に話し合える土壤を築くことは,いま騒がれている医療過誤防止の第一歩でもあるのです。
 また,冒頭に平山さんご紹介された「飛行機や電車の中で急患が出た時,どうするか」という話ですが,そのような時,私たちはおそらく器具も薬も持っていないから,何もできないわけです。しかし,「医者ですよ」という一言だけでも,患者さんは安心できます。コミュニケーションをとることによって,何らかの治療的効果はある。フィジカルな効果はなくても,少なくともメンタルな効果はある。このことを医療者は忘れてはならないと思います。

臨床実習で「診断学」をいかに学ぶか

積極的に診せていただく努力

福井 「臨床実習で『診断学』をいかに学ぶか」ということをもう少し考えてみたいと思います。すでに話にのぼっているように,臨床実習に入る前にまず「総論」的なこと,基本的なテクニックを学び,実習ではそれを用いて,1人ひとりの患者さんに応用しながら確実な知識や技術にしていくのが,基本的な流れになります。
奈良 やはり,実際に応用して理解を深める,使いこなすということが重要です。ですから,患者さんにしょっちゅう接していることが大切で,頻繁に患者さんと話をするとか,自分の担当以外の患者さんでも,機会があれば積極的に診せていただくことです。技術は磨かなければ錆びてしまうものですから。
平山 学生の積極性にも問題があるのかもしれませんね。自分の患者さん以外に接する機会はほとんどありません。
奈良 臨床実習で受け持つ患者さんは1週間に1人というお話でしたが,それはいかにも少ないですよね。
福井 私たちが研修医の時には,同僚が受け持っている患者さんについても,異常所見があれば全部見せてもらっていました。学生の実習でも,他の学生が受け持っている患者さんに異常所見があったら,一緒に見させていただくぐらいの積極性があるとよいのですが。
平山 私も友人に「見せてくれ」と頼むのですが,患者さんがナイーブになっている場合もあるし,友人からも「失礼だからできない」と断わられることがあります。
奈良 それも教官の問題だと思います。教官がきちんと,「こういう学生が来ますから」と紹介していれば,患者さんの多くは協力してくださると思います。一方,学生同士で「他の学生も来るから」というと嫌がる患者さんはいるでしょう。積極的に教官に働きかけることが必要だと思います。
福井 日本では,患者さんの在院日数が長く入れ替わりが少ないので,できるだけ多くの入院および外来の患者さんに接することができるシステムを作らないと,臨床能力の向上に長い年月を要してしまいます。米国では在院日数が5-6日ですから,1か月もやれば5替わりの患者さんを診ることができます。ところが,日本は1替わり少々というところです。これでは経験の深さがまったく異なってきます。そういう意味では,学生の側も積極的に,自分の担当外の患者さんについても診るように努力すべきです。
加藤 学生の立場からはやはり,他の患者さんに「診せてください」とは言いづらいですね。そこで,最近私は若い先生方が毎日病棟を回診される時に,なるべくくっついていくようにしています。すると結構,異常所見を見ることができるし,時々手技も教えてもらえたりします。いまの教育システムでは学生の側でも積極的に学習する機会を見つけていかなければ学べることは限られてしまいます。

ベッドサイドで見たことを教科書で確認すること

福井 自分が診た患者さんの異常所見については,必ず教科書で確認することが大切です。実際に見ることは大事ですが,それだけでは,頭に残らないし,広がりがありません。毎日丹念にそのような知的作業を続けることが大切だと思います。
 米国では昔から,ハリソンやセシルなどの代表的な内科学書の総論の部分に,症候からのアプローチを記述した章があり,米国の医学生たちはそれを丸暗記するぐらいに読んでいます。そして,こういう症状の人が来たらこういう病気が考えられるということを,実習の時にも繰り返し勉強しています。何度か驚いた経験をしたのですが,米国の一般内科のスタッフたちに,例えば「胸痛の鑑別診断をちょっと話してください」と言ったら,1時間ぐらいいつでも話をするんです。「頭痛の話を」と言っても,そこで蕩々と話をします。主な症状の鑑別診断について,体系だった知識がインプットされているのです。つまり,鑑別診断について米国の内科医ははるかに時間をかけて勉強しているし,それを臨床教育の場で常に繰り返しているのです。
 私は以前から,「総合診療や一般内科をやる人は,良質の診断学の教科書を1年に1度は読むべきだ」と言っています。これはすごく勉強になるからです。遺伝子や分子生物学などの新しい知見が毎年出ているように,意外に「診断学」にも新しい知見が出てきているのです。特に,米国の有名な「診断学」の教科書をみていると,臨床疫学的な考え方を徐々にとり入れてきています。臨床家や教育者にとって毎年読む価値は十分あると思います。
奈良 かつては「診断学」というのは未来永劫変わらないという意識があったんですね。一旦教われば自分流にやるし,以前の教科書を越えるような教科書も作れないということで,新しいものもなかなか作られてきませんでした。しかし,新しい知識を盛り込んだ上での「診断学」というのは非常に大事です。われわれ自身も勉強していかなくてはなりません。いま福井先生のお話をうかがって感銘を受けまして,私も明日から,いや今日から読まなくてはならないと思いました(笑)。

「訴え」から「診断」を導く

症候から疾患を頻度順にあげる訓練

福井 ところで,皆さんはさまざまな症状について,何%ぐらいの可能性でこれこれの病気が考えられる,というような講義や実習を経験することは多いですか?
加藤 今回,自分たちで「診断学」を勉強して,もっとも欠けている情報がそれだと思いました。奈良先生がおっしゃったように,僕たちは講義ではまず縦の部分,つまり疾患についてのさまざまな性質について学んだわけです。しかし,逆に症候から入ってどのような病気があるかということは,なかなか僕らの頭には思い浮かびません。そこで,鑑別診断を重視したメディカル・インタビュー・トレーニングを始めたのですが,そこには頻度というものがあると思うのです。
 例えば血尿でよく遭遇する疾患というものがあると思うのですが,大学の授業では稀な病気ほど時間をさいていたりすることもあり,僕らには実際に起こる疾患の頻度というものが,うまく頭にインプットされていない可能性があるわけです。そのような理由から,今回事前学習の際に,ある症候においてどのくらいの頻度で,どのような疾患が起こってくるのかということを調べる作業をしたんですが,実はなかなかそういう資料が見つからなくて困ってしまったのです。一定の目安になる信頼性のあるデータがあれば,経験の乏しい人でも診断に近づくことができるのではないかと思いました。
福井 その点は,私も学生時代から気になっていました。稀な病気であっても処置を誤ると命に関わるような病気というのはそれなりの時間をかけて勉強するべきだと思いますが,一方で,頻度が非常に高い疾患なのにほとんどカリキュラムの中に入っていないものがあるのもおかしな話です。
 そのようなバランスをうまくイメージ的にとらえられないかと考えてきたのですが,このたび,奈良先生との共同編集させていただいた『内科診断学』(医学書院刊)では,かなり無理をして,執筆された先生方に「疾患頻度」と「臨床的重要度」を2次元図で描いていただきました。
奈良 従来型の教科書ではそれぞれの疾患は並列というか,同じパーセントで記述されているものがほとんどですが,実際には重要性とか頻度を考えていくのが筋だと思うのです。しかし,実は私も執筆時に根拠とする資料がなく,難しかったですね。
福井 エビデンスがない時にはやはりエキスパート・オピニオンで!
奈良 とりあえず,それで作っていくのが大事だと思います。現時点では間違っているかもしれないけども,それを土台にしてまた改訂していけばいい。
福井 つまり,データがあれば,そのデータに基づいて診療を行なうべきですが,それがない時には(これはEBMの基本的な考え方ですけど),エキスパート・オピニオンでとりあえずやっていくしかありません。そのエキスパート・オピニオンが誤っている可能性が高いものについては,データをきっちり調べてレベルの高いデータにしていく必要がありますから,現時点では,まだまだレベルの低いものも多いのですが,頻度や重要度を記した教科書がこれまでまったくなかったことを考えると,画期的と言ってよいのではないかと思います。

訴えを捉える

加藤 もう1つ教材として必要だと思ったものがあって,それはある症候の時に,患者さんはどのような言葉を多く使ってそれを訴えるのか,というリストのようなものです。例えば,「めまい」だったら,単にめまいではなくて,「グルグルまわっている様子」とか「宙を浮いている」とか,受診時に,患者さんはどのような言葉で表現するのかということを知ることができれば,もっと学習しやすくなります。
福井 『内科診断学』にはまさにそれが記述されています。「患者の訴え方」という項目を設け,患者さんが主にどのような言葉で症状を訴えるのかを,具体的に記しています。
加藤 それはありがたいことです。
福井 少し話題がそれますが,例えば私たちは「呼吸困難」と言いますが,その「呼吸困難」にもいろいろな言葉があります。例えば,首が締めつけられるような感じで苦しいという場合と,息を吸うのが苦しい,あるいは,吐けなくて呼吸が苦しいというのではそれぞれ全然意味が違っていて,どの言葉で訴えているかによって,呼吸器疾患なのか心臓の疾患なのかまったく頻度が異なるのです。そういう種類の研究も欧米では数多く行なわれてきています。わが国でも,患者さんがどのような言葉を使うと,どのような疾患と関連するというような臨床的な研究が今後必要だと思います。
 つまり,患者さんが言ったことを私たちが医学用語に翻訳して「呼吸困難」といった無味乾燥な言葉にしてしまうのは危険なことかもしれないのです。それによって,臨床研究としての発展性をなくしてしまう可能性があります。「患者さんの言葉をそのまま記載しましょう」というのは十分意味のあることだと思っています。
奈良 同感です。主訴などを記載する場合,医学用語ではなくて,患者さんの言っている言葉を書いておいたほうが,臨床的にあとで確認する際にもいいと思います。
福井 そうです。それをしないと鑑別診断を誤る可能性もあります。
奈良 誘導してはいけませんが,患者さんにとっては症状を表現しにくいこともしばしばだと思います。「こういった訴えでしょうか」と,いくつかこちらからリストをあげて,症状を表現するのに適する言葉を問い合わせることも必要だと思います。例えばめまいの場合にも,回転性なのか,浮動性のものなのか,立ちくらみ感なのかを捉えるために,「こういった状態ですか」といくつか聞いて,「あっ,それです」と言っていただければいいわけです。患者さんは「めまい」という一言しか知らない場合があります。こちらから具体的なリストをあげて聞くことも大事だと思いますので,多少なりともこの『内科診断学』が役立てば嬉しいです。
福井 最後に雑談がてらに申しあげますが,皆さん,シャーロック・ホームズの本は読まれましたか? 私は学生時代,あのシリーズに大変感動した覚えがあります。それ以来,いろいろ文献を調べたりして100年近く前の医学雑誌に出た論文のコピーも持っているくらいですが,作者のコナン・ドイルにはとても尊敬していた内科の教授がいたそうです。その教授はすばらしい鑑別診断をしていた人で,それをモデルにシャーロック・ホームズは書かれたそうなんですね。私の診断学への興味の原点がそこにあると思っているものですから,学生さんにはシャーロック・ホームズを読むことを薦めています(笑)。
奈良 実は,私もシャーロック・ホームズの隠れファンです(笑)。
福井 シャーロキアンだったんですね,私たちは(笑)。

(了)


●福井次矢氏
1976年京大医学部卒業,84年ハーバード大公衆衛生大学院卒業。聖路加国際病院で内科研修を行なった後,コロンビア大St. Luke's Hospital Center,Harvard Medical School Cambridge Hospital,国立病院医療センター,佐賀医大を経て,94年より現職。専門は内科,臨床疫学。著書は『臨床医の決断と心理』,『臨床入門 臨床実習の手引き』,『EBM実践ガイド』(以上,医学書院)など

●加藤徹男氏
宮崎医大5年生。青年海外協力隊参加を経て宮崎医大入学。対患者コミュニケーション能力・病歴聴取スキルなどの基本的臨床能力の訓練の充実を求め,「メディカル・インタビュー・トレーニング」など学生主体による学習会を昨冬より開催している

●平山陽子氏
東大医学部6年生。5年次に同窓会誌「鉄門だより」の編集委員を務め,学生の立場から積極的に医学教育改革への提言を行なう。本年7月に開催された日本医学教育学会では,「すべての医系学生に勧めたい在宅患者訪問実習」を発表した

●奈良信雄氏
1975年東医歯大医学部卒業。同附属病院第1内科で臨床研修を行なった後,横浜赤十字病院,放射線医学総合研究所,東医歯大第1内科等を経て,94年より現職。専門は臨床検査医学,血液内科学。医学生の教育に積極的で,内科診断学,検査診断学を実習を通じて教育している。臨床研修の教育にも関心が深く,『臨床研修イラストレイテッド』や「レジデントノート(隔月刊)」(以上,羊土社)の編集を手がけている