医学界新聞

 

インタビュー

医学教育の中で医師-患者関係を学ぶ

斎藤清二氏(富山医科薬科大学助教授・第3内科)


「患者との関係」を臨床実習で体験

――先生は,富山医薬大でユニークな「医療面接法」の実習に取り組んでおられるそうですね。
斎藤 私は,これから病棟での臨床実習を開始する医学科の5年生を対象に,医療の基礎である医療従事者と患者間のコミュニケーションの出発点である「医療面接法」を教えています。以前は「病歴聴取」と言われていたものが,最近では「医療面接」と呼ばれるようになってきました。前者は,患者からデータをとり診断をするためだけのものであり,一方後者は,患者との対話である,と理解されています。私がこの実習を始めた頃は,まだ「病歴聴取」を教える方法しかなく,不満を感じていましたが,他に満足いくような教え方がありませんでした。ちょうどその頃,私は個人的にカウンセリング技法を勉強しており,その中で他者(カウンセンリングでは「クライエント」という),つまり患者と対話する技法を段階的に教育する方法「マイクロ・カウンセリング・トレーニング」(MCT)の存在を知りました。ここでいう「マイクロ」とは,カウンセリングにおける技法を細かく分けた1つひとつを「マイクロ・スキル」と言うことからきています。カウンセリングの最も基本である「クライエントと関係を作る」ための技法は,医療の場にも共通することに気づき,卒前臨床実習に導入することを考えました。医療面接の基本となる行為,例えば「患者の話を聞く」ことから始まり,「患者さんが話し始めたら,さえぎらずに最後まで話してもらう」「患者の話を要約する」「必要なところを補足して質問していく」というようなスキルを教育する方法がMCTです。このようなカウンセリングの技法はすべてが並列なわけではなく,いくつかの異なるレベルの技法群が階層構造をなしています。学生にはこれを1つひとつ,階層構造に沿って教えることが重要なポイントになります。
 実習の1つの例をお示しすると,最初に私がデモンストレーションを行ない,3-10分くらいのロールプレイ,続いて教官と参加者によるフィードバック,ディスカッションなどを組み合わせた,約3-4時間のミニ・ワークショップを行なっています。まだこの実習には模擬患者(SP)の方には参加いただいていないので,学生同士,または私が加わって,グループ全員が患者役と医師役の両方をできるように工夫しています。最初に始めたのは,4年次の内科診断学実習の中でした(1984年)。そして1988年からは,6年次のベッドサイドラーニング(BSL)の中で教えることになりました。1993年からは,実習の効率化を図り,医師-患者関係に関する系統講義や,病歴聴取のスキルに関する講義を4-5年次で教えることにし,5年次の実習ではロールプレイとディスカッションを主体とした,体験実習を重点的に行なっています。

OSCEを使って評価

斎藤 今までこの実習を10年余り行なってきましたが,その効果については客観的な評価がなされていませんでした。そこで,効果を評価する方法としてOSCE(客観的臨床能力試験)を導入しました。最初に行なったOSCEは,パイロットスタディとして施行しました。これは1学年100名のうちからボランティアを36名ほど募り,この実習を(1)半年前に受けたグループ,(2)つい最近受けたグループ,(3)まだ受けていないグループの3つに分けて,OSCEの結果を比較したものです。実際の結果では,最近実習を受けたグループほど,よい成績をとる傾向が認められましたが,統計的な有意差は証明できませんでした。しかし,「要約技法」という,患者さんの話を聞いた後に要点をまとめる技法については,(1),(2)が(3)に比べて有意に点数が高く,実習の効果が証明されました。
 昨年(1999年)から,実習に入る直前の5年生に,「医療面接法」を含めた基本的な診察法の実習を新たな枠組みで開始しています。これは「臨床基本(診断学)実習」と呼ばれています。その中で,臨床基本技能をビデオで講義したり,スモールグループでのロールプレイ実習の後,OSCEで技能・態度レベルの評価をするというものです。
 ただ,OSCEを前提にして教えると,確かにある程度はできるようになりますが,「マニュアル化じゃないか」という疑問が常に指摘されます。しかし実際に病棟での指導医に話を聞くと,この実習を受けた後でBSLに行った学生たちの評判はなかなかよいようです。この実習を開始する前の学生たちは,BSLで患者のもとに行っても何をしてよいのかわからず,うろうろしていたことに比べると各段の進歩です。少なくともこの実習を体験することにより,学生たちは患者のもとで一体何をすればよいのかを身につけているようで,大きな効果だと思います。

医療従事者に必要なコミュニケーション

斎藤 今年から,本学の特徴を生かして,医学・薬学・看護学の1年生全員(計250人)に,医療従事者に共通する必要な医療コミュニケーションを教えるカリキュラムをスタートしました。これは,「人間的な医療従事者を養成しよう」という目的をもっています。このカリキュラムの内容は,先ほどお話したような「医療面接法」の他に,「疑似体験」「インフォームド・コンセントと模擬裁判」,「病者と社会」や,4泊5日の介護体験実習や看護体験実習などが含まれます。
 学生を前期と後期の2つに分けて,130人ずつをさらに10のスモールグループに分けました。スモールグループ実習のファシリテーターとして,心理や行動科学の教官,看護学科の大学院生,カウンセラー志望の研修生など,学内,学外から広く協力をいただいています。私が担当している「医療面接法」(90分×5回)では,そのうち4回を使い,スモールグループによるロールプレイとディスカッションを通じて,マイクロスキルを1つずつ教えます。最後に,大阪SP研究会の方にSPとして参加してもらい,医療面接のデモンストレーションを行なう,という構成です。第1回は「コミュニケーションの基本的態度」をテーマに,導入のデモンストレーションとして「よくない面接」「聴かない面接」とはどのようなものかを学生たちに想定させて,各自にやってもらいました。学生たちはそっぽ向いたり,相槌を打たない,しまいにはまったく話していることと別のことを話すなど,いろいろと考えてやっていました。
 その次に「よい面接」とは何かを想定させ,設定を変えてやってもらいます。その後で各グループごとに「心地よいコミュニケーションとは何か」を議論し,最後に全員を集めて,各グループの代表者に発表してもらいます。
 2回目は「質問と傾聴」をテーマに,医師役,患者役,そして観察者の3人1組のロールプレイを行ないます。特徴的なのは,あとでフィードバックしてもらう人(観察者)を必ずおくことで,これはカウンセリングの教育の時によく用いられる手法です。この時には,最初に「今日はどうされましたか」から始まり,医師役にできるだけ多くの質問をさせます。その後に,今度は「今日はどうされましたか」と聞いて患者役が答えたら,「もっと詳しく話してください」と,医師役からは質問をせずに患者側の「話しを促す」行為をさせます。つまりクローズドクエスチョンとオープン・エンド・クエスチョンの両方の使い分けを学ばせるわけです。
 この結果,患者役からは「質問をしてもらったほうが話しやすい」とか,「質問をされすぎると自由に話すことができない」など,さまざまな生の意見が出てきます。さらに3回目は「共感的な聴き方」,4回目は「理解の共有」と続き,最後に「医療面接とは何か」を理解してもらうことを目的に,SPを患者役に医療面接のデモンストレーションを行ないます。

「安心して」じゃ安心できない

斎藤 この時に,シナリオは前もってSPの方と打ち合わせをしておきます。各グループから医師役を募って,8分間,皆の前で面接してもらいます。
 患者さんは「胸が苦しくて」と話し始めますが,学生のほうは何とか患者さんを安心させようと,「安心してください」「大丈夫です」と,答えてしまいます。しかし,「安心して」の一点張りでは,SPの方は,「一生懸命なのは伝わるが,それだけでは安心できない」ということになります。そのフィードバックに対して,「それではどうすればよいのだろう」と学生に考えてもらうのです。ここで学生から,さまざま意見が出てくるかどうかが1つのポイントだと思います。多少とんちんかんな意見が出ても否定せずに聴いて,いろいろな意見が出てくるのを待つのです。この過程が重要です。また,「患者の話を共感的に聴く」と,いくら口で説明しても,それが実際どういうものなのか,本当の意味で理解することはとても難しいことです。しかし,学生とのディスカッションの中で,ファシリテーターである教官が学生の発言を共感的に聴く態度を示すことにより,学生に大きな影響と教育効果を与えることになるのです。

基本の「型」を学ぶ

斎藤 コミュニケーションを学ぶ時に,技術や技法を強調しすぎると,「それではマニュアル化してしまい人間的ではない」という批判が必ず起こります。それは確かにそのとおりで,ある側面から見れば当たっていなくもありません。しかし,私はよく言っているのですが,「医療面接」はスポーツや武道と似ているところがあり,基本の「型」を練習していないと,本当の意味で使いこなせない,または応用が効かないのではないかと思います。ただ「人間性が大切だ」と言っても,その「人間性」を表現できなければ,患者さんには伝わりません。少なくとも,基本となる技法・スキルを,意識しなくても使えるようになるまでトレーニングすることは,非常に大切だと思います。
――医療面接に対して学生さんが漠然と不安を感じているとよく聞きます。それは今の若い人たちがコミュニケーションそのものについて,不安を持っていることによります。この実習では患者さんだけでなく,人とのコミュニケーションの取り方を学ぶ授業であるようにも感じます。
斎藤 そのとおりです。教えている内容と,実習の中で学生たちが行なっていることすべてとはパラレルになっています。「人の話をよく聴く」,「それに対して共感的な言葉を返す」ということは,ロールプレイに限らず,実習のディスカッションの中でも行なわれなくてはなりません。そして,もしそうなれば,この実習における教育効果はとても高くなります。このような実習では,ある技術を「この通りにやりなさい」と教えるだけではだめなのです。実習そのものの中にある雰囲気自体が,コミュニケーションを作り出す空気になっているので,それを感じることが大切です。「こういうふうにものを言うと,人に受け入れてもらえるのか」ということが実感できると,それまで緊張していた学生がリラックスしてきます。この体験そのものが,学生たちのコミュニケーションに対するある種の「構え」を柔らかくしていくのです。単に苦手だから避けるのではなく,自分自身を変えていく,また今までの自分のコミュニケーションのあり方を変えていく方法が,どうも世の中にはあるらしい,ということを学んでいくのです。このような素養を身につけた人たちが,今度は後輩の指導をしていくことになります。この効果が実際の臨床の中でうまく発揮されるためには,10年ほどかかるのではないかと思います。

本当に患者の役に立つ医師になる

「嫌な」患者に会った時

――このような医療面接の技法を身につけて,医師となった時に,例えば自分と合わないような,嫌なタイプの患者さんと会ってしまった場合,医師はどのような対応をすべきでしょうか。
斎藤 先ほどお話したOSCEのスタディの中で,いろいろな認知行動特性というものを同時に調べ,点数がよい場合に何か関連する項目があるかを調べたところ,ほとんど関連性がありませんでした。しかし,唯一相関する項目がありました。それは学生が「今日の模擬患者さんはいい人だった」と感じているというチェック項目で,「対人認知における親しみやすさ」と言います。つまり,「今日はいい患者さんにあたったなあ」と感じながら面接している人の点数が高いことになります。
 「応需義務」(医師法第19条「臨床に従事する医師は診察治療の求があった場合には,正当な事由がなければ,これを拒んではならない」)に縛られている医師にとって,一番の問題は「嫌な患者と出会った時にどうするか」です。「嫌な患者さん」というのは結局,自分の手持ちのやり方の中に収まってくれない患者さんです。その時点での,自分の限界を越えるような患者さんが嫌なのです。しかし,その患者とがんばってつき合っていくと,自分の幅が広がる可能性があります。そう考えると嫌な患者ともなんとかやっていける,ということです。悪いパターンは,そのような患者を避けてしまうことで,それでは医師に進歩がありません。しかし,「患者を嫌だと思ってはいけない」と自分にあまり強く言い聞かせすぎる,真面目すぎるタイプの医師はかえって危ないですね。嫌だと感じるのが悪いのではないのです。嫌だと感じつつも,なんとかつき合い続ける中から何かが生まれます。
――懸命に治療しているのに,また,標準的とされる治療を行なっているのにいっこうによくならない患者さんや,診断・検査を十全に行なっても特に原因が見つからないけれど,具合がよくならない患者さんに対してはいかがでしょうか。
斎藤 よくそのような方を「医療の論理にのらない患者」と言うのを耳にします。しかし,目の前の患者さんが苦しんでいるのに「この人は医療の論理にのっていない」と言うとしたら,その「医療」のほうが狭いのではないでしょうか。これは語義矛盾で,「患者にのらない医療」をわれわれが提供していると考えるべきだと思います。そのような場合に医師がとるべき行動の選択肢は,自分の論理を守って患者さんを切り捨てるか,自分の持つ医療論理を1度壊して再構成するかのどちらかということになり,医者は悩みます。そこで悩み続けていると,いろいろ感情がわいてきますが,その矛盾の中で自分が何を行なうべきかを考え続けていると,自分の医療の幅が広がるのです。そう考えていくと,「医師患者関係を築く」「コミュニケーションをとる」という言葉はとても簡単に使われるきらいがありますが,実は非常に厳しい内容を含んでいることがわかります。

タフになること・医師として成熟すること

斎藤 なまじ学生の時に,患者を切り捨てずに関係を結ぶ技法に触れてしまうと,医師になった時に,患者と対することがかえって辛くなってしまう場合が出てくるかもしれません。しかし,「この人は自分を鍛えるためにきた患者さんなのだ」と考えることが,1つの定石であると思います。言葉でいうときれいごとに聞こえるかもしれませんし,また口で言うほど簡単ではありません。ただ,そういう内面の作業を続けていかないと,本当に患者の役に立つ人間的な医師にはなかなかなれないだろうな,と思います。患者のほうも一緒に悩んでくれる医師がほしい。それでいてなかなかつぶれない,苦しいからといって患者を突き放さない医師がほしいのです。自分をそういう医師に育て上げていくために,臨床心理学的なものの考え方や教育はとても役に立つと思います。自分の中にネガティブな感情が起こってきても「この苦しさは,きっと何か意味のあることだ」と思えば,ある程度耐えられます。そのようなことのくりかえしによって,ある種のタフさが少しずつ身について,打たれ強くなるのです。これが医師として成熟していくことであり,専門家としての強さと言えるのではないでしょうか。

日本に医師-患者関係の研究団体を

――これからやってみたいことは。
斎藤 医学教育に限って言えば,このような授業を異なった学年の学生に対して,複数回繰り返しやってみたいですね。それで学年を経るごとに学生がどのように成長していくかをみたいですね。それが発展して,例えば6年生や既に医師になって臨床に出ると,もう少し高度なコミュニケーション技法を要求される場面があります。医療には「difficult patient」と言われてしまう方々がいますが,この方たちにどのように対応していくか,またアメリカでよく行なわれている「bad news telling」――例えば癌の告知などの悪い知らせを,患者がきちんと受けとめられるために医療者がどのように伝えるか――を自主的に学ぶ人たちの世話ができたらいいと思っています。
 アメリカに「American Association of Physician and Patient」という団体があります。これは学術的な活動と同時に,常にワークショップでfaculty developmentを行なっています。今まで日本に「医師-患者関係」「医師-患者コミュニケーション」に焦点を当てて,それをメインに活動をする学術団体はありませんでした。最終的には,日本にも医師と患者の関係性に関する研究と教育を行なう組織がほしいですね。これまでは卒前教育を中心にやってきましたが,もしそれがうまくいくと,その先を学びたい人が必ず出てきます。そういったことを学習することが,自身の医師としてのライフスタイル形成に役に立つという実感を持つ人が集まって,学びあえる場があるといいですね。
――本日はありがとうございました。