医学界新聞

 

連載  戦禍の地-その(5)  

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻理(高知医大・看護学科)


2389号よりつづく

複雑な民族問題を背景に

 これまでの連載では,主にコソボ自治州内プリズレン県において,帰還難民であるアルバニア系住民を中心に援助活動を行なってきたことをお伝えしてきました。先の連載と重複しますが,コソボでは1998年初めにコソボ解放軍とセルビア治安維持部隊との間で武力衝突が始まり,30万人を超える国内避難民と難民が発生しました。1999年の3月末には,NATOがセルビア共和国の軍事施設を標的に大規模な空爆を実施し,この直後から大量の難民がアルバニアやマケドニアに逃れたのでした。
 国内避難民とは,国内に留まっているが移動をしながら逃れている人々。難民とは,自分の土地を離れ国外へ逃れた人々。そして帰還難民とは,和平等が成立した後に再び自分の国へ戻ってきた人々のことを言います。これらの国内避難民・難民・帰還難民の問題は,コソボ紛争を起こしたバルカン半島だけではなく,現在も世界中の広い地域で起きていることがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの資料を読んでいるとわかり,暗澹とした気持ちになったりします。
 
ベオグラードのコソボ(セルビア系)難民
 布とビニールシートで仕切った空間には,家族5人が暮らしている。ベオグラードにいる難民のほとんどが,コソボ自治州プリズレン県スワレカ市から来ていた。みんな自分の家や畑を気にかけており,「コソボに帰りたい」と話していた

日本は世界第2位の援助金拠出国

 コソボ帰還難民の復興援助には,アメリカに次いで日本が世界第2位の援助金拠出国であることを,どのくらいの日本人が知っているのでしょうか?また,その配分や支出内容に関心を持っているのか,という疑問が残ります。もちろんこの質問は,私自身にも向けられています。当然のことですが,国際的な援助では巨額なお金が短期間に右から左に動きます。
 今回のコソボに限って話を進めるならば,アルバニア系にもセルビア系にも公平で平等な援助というものが果たして存在するのでしょうか。援助活動とは,一方に味方したり偏ったりするものだ,ととらえるほうがむしろ自然かもしれません。ですから,それをいつも修正しようと常に気を配っていなくてはなりません。これらは決して民族間に限らず,公平に分配されるがゆえに起こる不平等もあちらこちらに存在しています。例えば,クルーシャマレのような壊滅状態の村の隣に,住居はまったく被害を受けていない村があります。国際機関およびNGOからの援助物資や食料はどの村々にも公平に一律に援助されますから,その生活の差はどんどん開いていくばかりでした。
 コソボ自治州内には,紛争中もセルビア系住民が暮らしていました。しかし,アルバニア系住民が戻ってきた時,報復を恐れたセルビア系住民らは,逆に難民となりセルビア共和国側に逃れたのです。プリズレン県の村々から逃れたセルビア系の人々と会ったのは,首都ベオグラード郊外のスポーツセンターや人里離れた病院施設,山荘などでした。民族は違ってもコソボ自治州からの難民には変わりありません。
 AMDAが,ベオグラードとボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア系精神科医師らによるコソボ難民への医療援助を始めたのは1999年の夏からでした。AMDAが,プリズレンで毎日一緒に活動していたアルバニア系医師・看護婦そして通訳など10名以上の現地スタッフに,ベオグラードで難民の援助活動を行なっていると知らせたのは,厳しい冬が訪れる前の11月になってからでした。

危険と隣り合わせの援助活動

 家族や親戚を失った人々は,愛する人たちを殺した張本人とその民族への憎しみを深く心に刻みます。その悲しみや憎しみがピークの時期に,現地スタッフにセルビア系コソボ難民援助のことを話すのは2つの理由から危険でした。まず,現地スタッフに説明しても一緒に活動した期間が短く,言葉も通訳を通してのことであり,活動の本質が伝わらない可能性があるということ。そして何よりも一番危惧したのは,AMDAがセルビア系を援助していることがスタッフ以外の人々に漏れた時に,現地スタッフの家族を含めて危険な状況が起こる可能性があるということでした。
 同じアルバニア系住民同士でも過激な活動をしている人々がいますから,セルビア系を援助しているNGOで仕事をしているとわかれば,どのような行動に出るかわからないのです。もちろん日本人スタッフも標的になります。そのために私も,コソボ内での活動期間中は絶対にその情報が漏れないように,最後まで細心の注意を払いました。
 UNHCRによると,過去7年間で任務中に殺された国連職員は160人にのぼり,NGOでも同じような犠牲が出ていますが,現在のところ各国政府もメディアのいずれも人道援助職員への安全問題に大きな注意を払っていないと報告されています(難民Refugees1999年第2号:UNHCR)。
 国際救援活動の現場は,この報告からもわかるように命がけなのです。常に危険と隣り合わせの援助活動を続けるためには,援助する側が信じている公平と平等の価値観が,ある状況の中では不公平や不平等を生みだしているのかもしれないという自覚を持つことが重要です。援助する側と,それを受ける側とのギャップが,少しでも多く埋まるように努力することが,調整員をはじめとするスタッフみんなへの課題となっています。

・今回のホームページ紹介
 UNHCR
(国連難民高等弁務官事務所):ジュネーブに本部を持つ国際機関。そのトップに立つ緒方貞子氏はコソボにも何度か訪れており,世界中の紛争地と難民の現場を歩いている。
http://www.unhcr.or.jp