医学界新聞

 

連載 MGHのクリニカル・クラークシップ

第9回

リスクマネジメント
-隠すことは何もない-

田中まゆみ(ボストン大学公衆衛生大学院)


2388号よりつづく

重要度増す品質保証と危機管理

 いつ何が起こるかわからないのが医療である。患者の予期せぬ急死や治療による後遺症を経験したことのない医師はまずいないだろう。それは防ぎ得ない不可抗力だったのか,医療ミスだったのか。いずれの場合にも,個々人の取り組みのみで対処しきれるものではないことは確かである。
 訴訟王国アメリカでは,医療事故に対する組織的取り組みとして,「品質保証(クオリティ・アシュアランス)」(事故をどう防ぐか)や,「危機管理(リスクマネジメント)」(万一起こった場合にいかに訴訟に至るのを防ぐか)と呼ばれる活動が発展してきた。医療現場におけるこれらの重要度は増す一方である。
 医学教育の場でも,医学生は,(1)“First, do no harm(何よりも患者に害をなすなかれ).”で医療の侵襲性に対する自覚を促され,(2)「インフォームド・コンセント」で医療の危険性・不確実性を患者に知らせて患者の判断に委ねる「患者主権」を実践し,さらに,その危惧が不幸にも現実になった時の対処法を(3)「リスクマネジメント」として学ぶわけである。医学生が訴えられることはまずないが,クラークシップでは全員が医学生用医療過誤保険に加入している(医学部がまとめて保険会社と契約する。保険料は年400ドル前後と非常に安い)。

医療者が持つべき基本姿勢

 品質保証と危機管理は,日常と事故時の違いがあるだけで,心がけとしては実は同じことを言っているにすぎない。要約すれば,以下のようになる。
(1)記録の保全:(日常)カルテは,いつ誰に読まれてもよいように書く。記載なければ証拠なし。書き落としがないように,系統的網羅的に書く。複数の医療者が意見を書く。(事故時)決して記録を書き直してはならない。カルテは法的文書である。改竄は即,医療側が有罪と認めたことになる。
(2)患者や家族への情報の公開:(日常)患者や家族に病状をありのままに説明し,良好な信頼関係を築いておく。(事故時)責任者〔専任〕を決めて密に対応し,経過を頻繁に知らせ,質問には丁寧誠実に答える。事故が医療者側のミスであるか否かに関わらず,事故自体が患者家族に与えた衝撃を理解して受けとめる。医療側のミスが明らかになった場合,被害の軽重に関わらず,躊躇せず率直に謝罪する。
(3)医療機関内の情報公開:(日常)患者の情報はチームで共有する。引き継ぎを円滑かつ密に行なう。小さなミスでも必ず教官やしかるべき院内機関に報告する。個人を責めず,どうしたら防げたかをフィードバックして学習材料とする。(事故時)個人を矢面に立たせず,組織として責任者が対応する。必要に応じ,監督機関に報告し,監査を受ける。重大な事故なら第三者に原因究明を依頼し,調査委員会を設置する。事後のフィードバック教育を実施する。
 また,言うまでもないことだが,救急処置訓練など緊急事態に素早く対応できる訓練をすべての医療者に徹底しておき,2次,3次の事故を防止することも重要である。

医学教育における医療過誤防止

 実際には学生が医療過誤で訴えられることはまずないといってよいが,クラークシップをしながら,医療現場で医療過誤防止にいかに心を砕いているか,そして起こった時にどう対応するかを見聞して学ぶことは多い。
 実例を紹介してみよう。ある日のことであった。回診中にチームリーダーが輸血部からの注意書を一同に回覧した。それは,その前日,筆者が属するチームが自己免疫性溶血性貧血(AIHA)患者に輸血して,23だったヘマトクリットが16まで下がった件について,「AIHAでは輸血は禁忌。以後気をつけるように」というものだった。
 入院時プレゼンテーションでの「ステロイド開始,同時に輸血でヘマトクリットの早期回復を図る」という治療方針に誰も異論を唱えなかったのはチーム全体,つまりは教官の責任なので(血液の専門家ではなかった)みんな一斉に彼の顔を見たが,さすが教官,いささかも動じることなく,「ではみんなで患者さんに会いに行こう」と席を立ちチームを引き連れて病室を訪れた。

隠すことは何もない

 “We made a mistake.(われわれは間違いを犯しました)”と教官は淡々と切り出した。
 「あなたのタイプの貧血に対しては輸血せずステロイドだけで経過を見るべきだったのに,早く症状を改善しようと輸血してしまったのです。もともとあなたの体の中には赤血球を壊す成分ができていてそのせいで貧血になったのですから,これはまずかった。一時さらに貧血が悪化してしまいましたが,現在はステロイド投与の効果で貧血は改善してきています。このような間違いをして誠に申し訳なく思っています。ちょっと診せていただけますか?」
 そして丁寧に診察したあと,「大したことがなくて何よりでした。何かご質問はありますか」と尋ねた。
 「私はもう2度と輸血は受けられないのですか?」と,患者は至極もっともな質問をし,教官は慎重に「血液の専門家に往診を依頼したので,その時に聞いてみましょう。」と答えた。
 たたみかけるように,患者は「これはそちらのミスということですか?」と訊いた。みんな教官の顔をじっと見る(この患者は病院を訴える気かな?)。
 「その通りです」。初めから“We made a mistake.”と言っているのだから,あっさりとしたものである。「残念ながらわれわれもミスを犯します。ミスに気づくのが早く,適切な事後処置を取ったため,被害が最小でくい止められてほっとしています。もちろん,このようなことが2度と起きないよう,気をつけます」
 自分の身に何かが起こったことぐらい患者にはわかっている。一体何が起こったのか,知りたいと思うのは当然だし,知る権利がある。誠実に説明して,患者がカルテを見たいと希望すれば見せる。弁護士を連れて来れば病院の弁護士が対応する。隠すことは何もない,“Honesty is the best policy”なのである。

最良のリスクマネジメントとは医療者が傲慢さを捨てること

 この他にもMGH(マサチューセッツ総合病院)の名声とは裏腹なミスを結構目撃した。その度に患者に報告しては謝っていた。患者や家族としては,研修医のミスでは拳の振り下ろし場所がないと思うかもしれないが,現代医療で事故が大事に至るのは個人のミスというより組織のチェック機構が機能しなかったためということが多い。むしろ,患者には「ミスは起こりうる」と自覚してもらうほうがよい。実際,アメリカの消費者団体は,「入院したら,ミスから自分の身を守るために,薬や処置についていちいち質問しましょう」という呼びかけをしている。
 それでは専門家としての看護婦や医師の立場がないではないか,と思うのは,まだまだ医療者として傲慢なのである。「どんな専門家でもミスをするでしょうから,及ばずながら私も協力しましょう,何といっても自分の体ですから」と患者に言われて反論できようか。感謝こそすれ,腹を立てる理由はどこにもない。
 そう,最良のリスクマネジメントは,ふだんから,「素人に何がわかるか」という医療者にありがちな傲慢さを捨て,公明正大にふるまい,隠し事をしないことである。ミスは許され得るが,ウソは弁明の余地がない。どんなに動転し狼狽しても,嘘だけはついてはいけない。嘘をついたらどうなるか?「故意で悪質」というレッテルが張られ,「過失」だけとは比べものにならない厳しい処置がとられる。
 多くの病院では服務規定で,虚偽の記載・報告や隠蔽工作をした医師には辞職を勧告すると定めている。訴訟でも,虚偽や隠蔽が明らかだと天文学的数字の懲罰的賠償金を課せられる。病院は事故を報告した後,その根本原因分析と再発防止策の構築をJCAHO(医療施設評価合同委員会,)から義務づけられているが,「故意で悪質」と評価されたらメディケア指定からはずされるのは必至であり,病院全体の死活問題となる。NIH(米国国立衛生研究所)のグラント(研究助成金)での臨床治験で「故意で悪質」な倫理規定違反を犯そうものなら,その研究者はまず永久にグラント差し止めを食らう。
 すなわち,嘘や隠蔽は病院にとっても医師にとっても自殺行為なのだ。だから,医学生も研修医も教官も「正直であること」が何をおいても,最大級に奨励される。研修医が主体となって治療しているのだから,間違いは起こる。教官も全能ではない。大切なのは,防止努力と,起こった時の対処の仕方だ。ミスを犯しうることを謙虚に認め,ミスを犯したら心から謝罪し,ミスから学ぶことである。
 前述のAIHAの患者の場合,何かよい防止策はあっただろうか。輸血請求のたびにその患者が輸血の禁忌に触れないかコンピュータチェックをするというのも一法であろう。しかし,もともとマネジドケアによる入院期間短縮への圧力がなかったら,少しでも早くヘマトクリット値を改善して退院させようと焦ることもなく,この輸血事故も起こらずにすんだかもしれない。経済的圧力などさまざまな逆風の中で“First, do no harm.”をどこまで貫徹できるか。問いは重い。
 だが,答えは結局,どれだけ患者中心の患者医師関係を築けるかにあるのだろう。医師は患者を個人的に知れば知るほど慎重になるはずだ。そして患者ももっと賢くなって自分の権利を知り,医師の言いなりにならない必要がある。患者に発言力があるほど,医師は躊躇する。
 患者を弱者の立場におかない医療。患者の人権が医師の裁量権より優先される医療。2400年前に“First, do no harm."と喝破したヒポクラテスの偉大さが,先端医療技術の氾濫する現代において一層身にしみるのである。少なくともMGHの面々は,そのように自戒しているようである。

:医療施設の質を評価する第三者機関。高齢者の公的保険であるメディケアの認定医療施設のお目付役であり,問題があれば認可を取り消す権限を持っている。