医学界新聞

 

ハーバードレクチャーノート

連載 第4回 環境汚染から子供を守れ

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


クリントン大統領の声明

 1997年4月,クリントン大統領は以下のような声明を発表しました。
 「私は子供に安心して食事をあげられるようにしたい。今度の法律では子供の安全を第一に考えています。子供は単に大人を小さくしただけではありません。子供は日々成長し,体重当たりでみると大人より多く呼吸し,多く食べ,多く水を飲み,皮膚からの吸収もよく,特に乳幼児は手にとって口に入れて確かめる習性があります。各臓器は未熟で,毒による影響は大人よりはるかに大きいと考えるべきです。子供たちは自分で考え自分たちを守る術を知りません。ですから化学物質の子供への影響の大きさは従来の体重当たりの換算ではとても正確に評価できません。そのために新しい基準は厳しいものとなっています。もしも食品に使用される農薬が子供を危険にさらす可能性があるのであれば,これを使用するべきではありません。よって信頼できるデータがない場合には基準値の10分の1以下とします」
 この声明によって1996年に立法化された食品品質保護法をより強固なものに改正したのです。最近50年間にアメリカで2万,世界で7万もの新しい合成化学物質が精製されました。しかも約半数において健康に対する安全性が確認されていません。今回はCDCジャクソン博士の講義をヒントにまとめました。

化学物質による健康被害

 現代社会において健康に被害を及ぼす化学物質はどのような経路で体内に入るのでしょうか?
 狭義のダイオキシン類はゴミ焼却が不完全だと生成されるのは周知ですが,殺菌剤,防腐剤,除草剤,殺ダニ剤,シロアリ駆除剤,プラスチックの添加剤,スチレン樹脂の未反応物質,有機溶媒などの一部は性ホルモン様作用を有し,環境ホルモンとされています。ヒトや特に水を生活の場とする生き物の生殖器異常は既によく報道されているところです。これらの物質は主に口から入りますが,肺や皮膚からも吸収されます。ですから食品,水,幼稚園,学校,公園,庭,レストラン,家,随所において子供は環境ホルモンに暴露される機会があります。通常の毒物と異なり,正常ホルモンと共調したり拮抗するため,血中濃度が増えれば作用も強くなるわけではなく,むしろ低濃度で強い影響を示します。よって安全域という考え方は,必ずしもあてはまらないのです。また,半減期が10年以上と長く,急性毒性の結果のみから「健康には影響ありません」とするのは見当違いと言えます。
 また鉛,水銀,カドミウム,砒素,アルミニウムなどの重金属も問題です。かつて鉛はガソリンに含まれており,車の排ガスとして大気中にばらまかれ,知らず知らずのうちに摂取していました。このような子供における慢性鉛中毒はIQを低下させ,思春期の非行を増やすことが報告されています。無鉛ガソリンを普及させることにより子供の鉛血中鉛濃度が劇的に低下したことは,パブリックヘルスの勝利の1つと言えましょう。
 アメリカ,ミシガン湖はシカゴをはじめとする工場地帯をもち,今でも湖底にPCBが残留します。1980年から1981年の間に生まれた新生児の臍帯血を測定して11年間の長期間にわたり追跡調査したところ,出生時PCBが高かった子供では知能指数が有意に低かったというデータも発表されています。
 ここで重要な点は,環境ホルモンの脳神経系への影響は水俣病における水銀中毒時の神経症状のように明らかでなく,微細な影響であることが予想され,用意周到な1000人以上を対象とした調査を行なわないと見落とす可能性が高いということです。また1人ひとりのIQが5下がったからといって大きな問題としてとらえがたいかもしれませんが,もし日本人全員のIQが5ポイント下がったり,暴力,非行,犯罪などが増えたとしたら国としては非常に大きな損害を蒙ることになります。上記にあげた化学物質はすべて多かれ少なかれ神経毒性を持ちます。日本の“キレル”子供の元凶は環境汚染にあるかもしれません。

危険に曝される毎日の食卓

 雨は大気汚染物質の代表である硫黄酸化物や窒素酸化物を取り込んで酸性雨となります。この酸性雨は土壌やゴミの堆積物に存在する鉛,水銀,アルミニウム,カドミウムなどをイオンとして溶かしだして井戸水,川や海に少しずつ流しだします。これらは非常に安定した物質であるばかりでなく,海の食物連鎖により濃縮され,魚介類で1万倍以上となり,われわれの食卓に上ります。農薬の類いも雨に洗われ,川や海に流れ同様の経路をたどります。ですからダイオキシンが野菜よりむしろ魚介類に多く含まれる理由はこの点にあります。
 例えば水銀は土壌や水中の微生物によってメチル水銀に変換されますが,これが酸性雨などにより海に溶け出して特に寿命の長いマグロ,カジキマグロ,鮫などで濃縮され,これらの魚を食べることによって知らない間に慢性的に水銀に暴露されることになります。メチル水銀は脂溶性なので,脳血管関門や胎盤を通過し,母乳中にも含まれます。慢性に水銀を取った場合,共同運動や視力の障害がでる可能性があります。最近アメリカ食品薬品局(FDA)は先にあげた魚をとる頻度を週に1回以下,妊婦および授乳中の女性においては月に1回以下にするように勧告しています。
 日本の出生数減少とはうらはらに世界の人口は増え続けており60憶人を超えました。2040年には倍になるだろうと予測されています。よってこの増え続ける人口を養うために農業はますます拡大されなくてはならず,その結果生産性を上げるため農薬使用量も増加し,世界の海はますます汚染されるでしょう。

影響を受けやすい胎児

 胎児が大人と比べていかに化学物質による影響を受けやすいかは,1960年代にあったサリドマイドの悲劇を思い出せば「胎児と成人は違う」ことが,簡単に理解できます。かつて睡眠薬としてサリドマイドは成人を対象に安全性が確認され市場に出回りましたが,妊婦が服用することによって手足があざらしのように短くなる奇形を持つ新生児出産が増え中止となりました。
 母親の妊娠中のアルコール摂取は胎児の成長を妨げるだけでなく,顔や眼の形の異常を来たします。また1950年代,自然流産予防目的である女性ホルモン製剤が広く妊婦に使用されたところ,母親は特に問題なかったのですがその子供たちの多くが20年後に膣癌を併発し問題となりました。さらに膣癌をまぬがれ40代になった女性たち(子供たち)は乳癌になりやすい傾向にあります。また母親が妊娠中にDDT(農薬の一種で現在日本では禁止)に暴露された場合でも,子供が成人した後の乳癌の頻度が増えています。このように妊娠中の影響が相当後になって出現することもあるのです。
 人の発生は受精卵,すなわち1つの細胞から始まります。約40週で3キロの赤ちゃんになるにはものすごい勢いで細胞分裂を起こすことになります。その過程は精密であるがゆえに些細な環境因子の影響を受けやすいのです。ダイオキシンは細胞内に入り込み,細胞の増殖を制御する蛋白の合成に影響します。特に,ダイオキシンが胎児期,顔,口,泌尿器,肩,などの組織を作る細胞に強く働くことが科学的に証明されており,また動物実験でも泌尿器奇形や口蓋裂を発生しやすいというデータが既に出ています。ベトナム戦争時散布された枯葉剤(ダイオキシン)により,流産,死産が増え,二分脊椎をはじめとする奇形が増えたとされますが,戦争中のため明らかな数値はわかっていません。
 最近,アメリカの自然の豊かな土地においてさえオタマジャクシの奇形が多発しており,注目されています。ダイオキシンは通常体内で脂肪に沈着しやすい物質ですが,胎児特有のアルファフェト蛋白と結合することにより,10万倍も水に溶けやすくなります。つまりダイオキシンは胎児のすべての細胞に広く浸透し,大人とはまったく違った毒性を発揮します。このような劇的変化を考えると,「胎児の1日の変化は大人の10年以上に匹敵する」と認識するべきなのです。

子孫のためにきれいな地球を

 妊娠中の影響が子供の癌に影響した例はまだあります。妊婦中に農薬を扱った女性とその子供を対象に調査したところ,その子供は白血病などを中心とする癌になりやかった(3-9倍)というデータが数多く発表されています。また新興住宅地に多くの若い家族が同時に越してきた場合,そこで生まれた子供は白血病になりやすい(頻度が一過性に10倍以上に増える)という報告もあります。原因は定かではありませんが,家の塗料との関係は否定できません。白血病になった子供2人の臍帯血が保存してあったので,これを調べたところ,白血病細胞が感度のよい方法で確認されました。このことは,白血病細胞は出生時すでに存在し,徐々に増えて発病する証です。一卵性双胎での白血病兄弟例が5%以下であることは白血病の成因として遺伝より環境のほうが重要であることを示しています。この2つの事実は小児白血病の一部の原因は妊娠中にあることを示唆しているのです。
 実際,小児癌は増えており,特に悪性リンパ腫,睾丸腫瘍の伸びが目立ちます。また,乳癌,前立腺癌のようなホルモンと密接な関係をもつ腫瘍が増えているのも気になるところです。妊娠中の化学物質の影響は奇形や癌だけでなく,免疫系アレルギー疾患にも影響する可能性が示唆されています。
 化学物質による環境汚染は大人にとっては多少癌や心臓病になりやすい程度の問題かもしれません。その程度であれば禁煙したり,体重を落とすことによって環境汚染によるリスクは打ち消されてしまうでしょう。しかし今まで述べてきた通り,環境汚染はこれから生まれてくる子供にとっては大きな問題です。私たちはなんとかして自分たちの子孫にきれいな地球を残してやらなくてはなりません。

●本連載第1回「ポリオ撲滅に向けて」追加記事

 来年より米国は現行ポリオ経口生ワクチンを再び不活化ワクチンに変更することを決定しました。なぜならポリオ生ワクチンにより,わずかながら麻痺を残す小児が見られるからです。既にヨーロッパやカナダでは変更しています。しかし,アジア,アフリカでポリオ患者がしばしば発生し,移民が多いアメリカで生ワクチンを切り替えるには時期が早いようにも思います。せめて最初2回を不活化,後2回を生ワクチンにするなどの工夫をするべきなのではないかと私は考えます。