第2380号 2000年3月20日


ハーバードレクチャーノート

連載 第3回 オゾンホール発見とフロン撤廃-1編の論文の重み

浦島充佳(ハーバード大学公衆衛生大学院)


 ワトソンとクリックのDNA二重らせん構造に関する論文はわずか1000単語程度の論文でした。しかしそのインパクトは未だに薄れることなくヒトゲノムプロジェクトという壮大な計画として継承されています。同じように,オゾンホールを推理した論文も社会に大きなインパクトを残しました。ローランド,クルゼン,モリナの3博士は,このオゾン層が人間の活動,特にフロンガス(CFC)により破壊されつつある事実を発見し,世界をCFC削減に導いた功績により1995年ノーベル化学賞を受賞しました。以下は99年10月7日,モリナ博士(マサチューセッツ工科大学)の講演,直接質問したメモを基にしたオゾンホール発見とフロン撤廃の物語です。
 成層圏上部で酸素(O2)に太陽からの放射線があたることによりオゾン(O3)層が形成されます。このオゾン層はわれわれの生活圏を200-300nmの波長の有害な放射線や紫外線(UVB)から保護してくれています(生活圏に存在するオゾンは成層圏との比較ではごく微量ですが,むしろ健康には有害で呼吸器に影響します)。
 1970年イギリスの科学者ラブストックは独自の方法によりCFCsの1つのCFC-11を発見しました。CFC-11は天然には存在せず,今から約65年前,冷蔵庫の冷却に使われる毒性がなく安定した物質フロンとして開発され,1950年代,1960年代の高度成長期には自動車のクーラーやスプレイ,電気製品のクリーナーなどとして急速に普及し,1970年には100万トンもの量が使用されるに至った物質です。
 さらに彼はアイルランドからイギリスにかけてCFC-11を測定し,非常に高い濃度が検出されたと報告しています。イギリスは工業国なので検出されてもあたりまえなのですが,彼は北極でもCFC-11が検出されたことに非常に興味を持ち,1971年彼は自費(イギリス政府に研究費を請求するが却下される)で調査し,南極と北極の両方にCFC-11が存在することを報告しました。しかし彼はCFCがオゾン層を破壊しつつあるとは夢にも思わなかったでしょう。

オゾン破壊の事実を発見

 アメリカの科学者,ローランド博士はある講演に参加した際ラブストック博士の仕事について知る機会を得ました。彼も他の科学者同様CFCは人体にとって無害であろうと考えていましたが,「自然界に存在せず安定性の高いガスが大量に大気中に放出され続けたら一体どうなってしまうのだろうか?」と素朴に疑問を持ちました。ローランド博士は早速大学の仲間のモリナ博士とクルゼン博士を呼んで研究を始めることにしました。
 彼らはCFC-11が地表に近い場所では何年も安定であるが,高度30kmでは多くのガスを抱えこむようにして存在し,太陽光線によりクロリンに分解されることを発見しました。この時点ではオゾンとCFCの関連はわかっていません。彼らは高度30km,気温-60度で起こっている反応を研究室で再現したところ,CFCの存在が原因でオゾンが破壊される事実を発見したのです。CFC-11に紫外線を照射するとクロリンが発生し(CCl3F+UVLight→Cl+CCl2F),さらにクロリンは減少することなく2つのオゾン分子(O3)を3つの酸素(O2)に変える反応を促進します(2Cl+2O23→2ClO+2O2,2ClO+2O→2Cl+2O2)。この連鎖反応でクロリン分子は減らないため,1つのクロリン分子で非常に多くのオゾンが破壊されることになります。実験自体は1日もかからないほどだったでしょう。それでもノーベル賞はとれるのです。

地球の異変を正確に予知

 ローランド博士とモリナ博士は「このままCFC-11が工場などにより使用され続けたらオゾンが10%前後減少するだろう。さらにオゾン層が薄くなると地表に届く紫外線が増加し,皮膚癌,白内障など健康に非常に大きな影響を及ぼすことになるかもしれない。しかもCFCは安定した物質なので仮にCFC使用が中止されたとしても100年は今の状況が続くであろう」と予測し,1974年に「nature」誌に発表しました。
 しかしこの予測は紙上発表される前にリークされ,やや誇張されてニュースなどのマスメディアを通して広がったのです。その後は政治家が「これは一大事」と考え,また化学工場も市民を敵にまわすわけにはいかず自らリーダーシップを発揮してCFCの廃止を呼びかけます。その甲斐あって,1970年後半,アメリカ,カナダ,ノルウェー,スウェーデンはスプレー缶のCFC使用を禁止するに至ります。
 これより遅れて現実が明らかとなりました。1984年イギリスが南極のオゾン層は1960年代と比較して35%も減少していると報告したのです。アメリカもこの事実を確認し「南極のオゾンホール」はこの時からよく知られるようになりました。1980年代になり,衛星技術の進歩に伴ってCFCが紫外線で分解されてクロリンとなりオゾンを分解するという現象が成層圏で実際に観察され,ローランド博士とモリナ博士の説が正しいことがやっと証明されました。彼らは,ガリレオが地球を外から眺めることなく「地球は丸い」と予測したように,机上の理論で地球の異変を正確に予知し得たのです。
 すべてが明らかとなった1987年には150か国がCFCの段階的削減を定めるモントリオール条約に調印しました。これにより1992年には大気中のCFCの増加は止まりました。さらに1996年にはCFC使用禁止に変わりましたが,一部の発展途上国は未だに調印できずにいるのが現状で,必ずしも楽観できる状況ではありません。
 ローランド博士ら3博士は,小さな実験から地球の未来を予測しオゾン層拡大の最悪のシナリオを食い止めました。その功績は大きく,1995年にノーベル化学賞を受賞したのです。オゾン層破壊の発見に関与した科学者は他にもいましたが,“From Science to Society”につながった点がノーベル賞受賞の理由でした。この話は原因が単一であり,CFCの代用が可能であり,化学工場の科学者が事の重大性を認識しえた点に成功の鍵があったと言えます。また政治を動かしたのはメディアであった点も見逃せません。さらに21世紀の産業のあり方として,合成された化学物質を市場に出す前のチェック機構の必要性をも示唆しています。

科学は社会に還元されて価値を持つ

 3博士の予想通り,最近オゾン層の破壊により地表に届く紫外線の量が確実に増加しています。このUVBが人の健康を大きく脅かしはじめました。アメリカでは皮膚癌の8割を占める基底細胞癌が1978年から1991年の間毎年13%(毎年80万人)の割合で増加し続けています。潜伏期間を考慮すると今後さらに増加することが予想されます。疫学調査では成人期ではなく小児期の強い日焼けがリスクとなります。オゾン層が10%減少することによって,皮膚癌は地球全体で考えて年間26%発生率が上昇し,年間175万人が新たに白内障を発生するという調査結果も出ています。
 また皮膚の細胞表面抗原が強いUVBにより変化し,日光湿疹,接触性皮膚炎,さらにはSLEを代表とする自己免疫疾患を発症しやすくなっています。紫外線は免疫疾患に使用されることがあるように,UVBは免疫を抑制する事実が明らかとなりました。皮膚のランゲルハンス細胞を介した機序が報告されていますが詳細は不明です。皮膚結核は改善しますが,肺結核は悪くなります。またヘルペス,ハンセン病,カンジダなどにも悪影響です。
 われわれは今後100年は続くであろうオゾン層破壊による健康への影響を注意深くモニターし,人々に注意を促していかなくてはなりません。
 科学は社会に還元されてはじめて価値を持つものだと私は考えます。Discovery and Beyond;ノーベル賞受賞には発見の斬新性が必要条件であり,社会へのインパクトが十分条件なのではないかと思います。