第2376号 2000年2月21日


連載
アメリカ医療の光と影(22)

医療過誤防止事始め(16)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)



ピンクニー通り15番地
コドマンの「エンド・リザルト」病院として使われた建物は今はアパートとなっている
 マサチューセッツ州旧州庁舎の設計者はマサチューセッツ総合病院(MGH)の創立時の建物を設計したのと同じチャールズ・ブルフィンチである。ボストンの中心ビーコン・ヒルの頂上に建ち,その黄金のドーム型屋根はボストンのあちこちから眺めることができる。
 この旧州庁舎が立つビーコン・ヒルは,昔のままの面影を随所に湛えている。ビーコン・ヒルを走る道はどれも狭く,道というよりは小路と呼ぶにふさわしい。煉瓦敷きの歩道は凹凸に波打ち平らな場所を探す方がむずかしく,うっかりすると躓きかねない。小路に並ぶ街灯は昔ながらのガス灯で,その火は終日絶やされることがなく,昼も暖かい光を灯している。
 煉瓦造りの建物が軒を並べる中,ピンクニー通り15番地の建物は,各フロアの天井が高く,窓も大きく高いなど周囲の建物と比べ異彩を放っている。このピンクニー通り15番地の建物こそ,前回(2375号)麻酔記録の発明者として紹介したアーネスト・コドマン(1869-1940)が,生涯の理想である「エンド・リザルト・システム」を実践するために設立した「エンド・リザルト病院」として使用した建物である。

コドマンとエンド・リザルト主義

 クッシングとともに世界初の麻酔記録を発明した後,コドマンがハーバード大学医学部を卒業したのは1896年のことである。卒業後は,当時ヨーロッパから伝わったばかりのX線の臨床応用に関する先駆的研究に従事し,チルドレンズ・ホスピタル最初の放射線科医師となり,小児放射線科という新臨床領域を創設することとなった。
 1900年,外科に転向することを決め,MGHに職を得る。MGHでコドマンが最初にした仕事は,退院患者のフォローアップであった。当時,MGHでは病院の臨床成績は「退院時」の患者の状態でまとめられていたのだが,コドマンは外科の退院患者について,1年後までの経過をフォローアップしたのである。
 コドマンは,MGHの外科医たちが学会などで「先端医療の成功例」を報告することはあっても,「失敗例」についてはまったく無視していることに大きな疑問を抱くようになった。やがてコドマンは,「病院の生産物(product)とは医療行為そのものではなく,提供した医療行為が患者にもたらす利益である」という信念のもとに,「自分たちのした医療行為が本当に患者の役に立ったのかどうかという最終結果(end result)を調べ,『役に立たなかったとすればそれは何故なのか』()を調べ診療の改善に役立てる」という「エンド・リザルト」システムを提唱するようになった。
 コドマンとクッシングが発明した麻酔記録は,手術中に何があったかを記録するだけでなく,術後に患者が病棟に戻った後の状態をフォローすることをエンド・ポイントとしていたことは前回述べた通りであるが,彼らが発明した麻酔記録にも,「自分たちのした医療行為の最終結果(end result)を重視する」というコドマンのエンド・リザルト主義の考えの萌芽を見ることができる。
 コドマンにとってエンド・リザルト主義は生涯をかけた理想となった。自身が勤めるMGHに対し,すべての患者に「退院カード」を渡し,1年間のフォローアップをするエンド・リザルト制の採用を求める一方,臨床外科協会(アメリカ外科学会の前身)の創立に加わり,1910年には「病院標準化委員会」の議長となり,学会を通じてエンド・リザルト制を普及させることをめざしたのであった。

病院を設立,自らの主義を実践

 1911年,エンド・リザルト制を採用しようとしないMGHに業を煮やしたコドマンは,自分の考えの正しさを証明しようと,ピンクニー通り15番地に小さな外科病院を開設した。MGH外科との掛け持ちであり,この病院はMGHから徒歩で数分の距離に造られた。
 コドマンの病院では,全患者についてその経過が「エンド・リザルト・カード」に要約された。このカードには,主訴,治療前診断,治療,入院中の合併症,退院時診断に加え,1年後の結果が記入された。また,すべての症例について,「成功」か「失敗」かが判定された(失敗の定義は「完璧を欠いたもの」であった)。失敗例については,外科医の技術・知識の未熟,外科医の判断の誤り,ケアや器具の不備,診断技量の未熟など,予め定められた項目に従って失敗の原因が分類された(エンド・リザルトの思想においては,医療の質の向上と医療過誤の防止とは同義であることに注意されたい)。
 1917年,コドマンは「病院の効率に関する研究」という本を自費出版した。自分の外科病院での5年間の全入院例について,そのエンド・リザルトをまとめたものであった。自らの手術の失敗で患者が死亡した事例も含め,失敗の事実とその原因とがありのままに記載された。コドマンは自分の本を全米の主立った病院に送付し,エンド・リザルト制の実践を勧めた。また,自分の病院を受診した患者に対してもこの本を見せ,徹底した情報開示を行なった。

(註)コドマンのエンド・リザルト主義の真髄は,「if not, why not」という言葉に要約されている。