第2375号 2000年2月14日


連載
アメリカ医療の光と影(21)

医療過誤防止事始め(15)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 MGH(マサチューセッツ総合病院)が組織として創立されたのは1811年のことであるが,病院としてその機能を開始したのは1821年である。創立時のMGHの建物は,設計者の名をとって現在ブルフィンチ棟と呼ばれている。ブルフィンチ棟最上階のドームが「エーテル・ドーム」であり,1846年にウィリアム・モートンが世界「最初」のエーテル麻酔を行なった場所であることからこの名がある(誰が世界最初の全身麻酔を行なったかについては諸説があるが,モートンの成功は,アメリカだけでなくヨーロッパにまでエーテル麻酔を急速に普及させ,その影響力の大きさ故に医学史に名を残すこととなった)。

クッシングとコドマン

 モートンによる全身麻酔の発明から約半世紀後の1894年,MGHは,「麻酔記録」発明の舞台ともなった。現在,麻酔記録に患者の脈拍や血圧を経時的にグラフとして記入するということを不思議に思う医師はいないが,この「チャート型」の麻酔記録を発明したのは,ハーバード大学医学部の学生ハービー・クッシング(クッシング病の発見者)とアーネスト・コドマンの2人であった。クッシングとコドマンの2人が,なぜ麻酔記録を発明するようになったか,その経緯を,クッシングが「世界初」の麻酔記録のオリジナルを1920年にMGHに寄贈した際に書いた書簡から紹介する。
 「今もそうだと思いますが,当時,外科手術の麻酔をかけるのは医学部学生の役目で,私も3年生の時に初めて麻酔をかけました。教室で突然名を呼ばれて,これから行なう手術の麻酔をかけるように言われたのです。教室脇の小部屋で,助手に指図されるまま,見ず知らずの患者に麻酔をかけることとなりましたが,患者は吐きそうに『ゲエゲエ』するばかりでなかなか眠らず,教官からは何度も患者を早く入室させるようにせかされ,私は気が気でありませんでした。ようやく患者を教室に入れましたが,その患者さんの顔つきと無精髭の感触は今でもはっきり覚えています。手術が始まった途端,激しい嘔吐が始まり,吐物のほとんどを吸入した患者は亡くなってしまいました」
 「自責と悔悟の思いに苛まれたまま,私はなすすべもなく手術台の横に立っていました。私がたった今患者を殺してしまったというのに,誰も私に注意を向けようとはしませんでした。患者は亡くなってしまったのにもかかわらず,講義のためにと手術は最後まで続けられました」
 「逃げるように病院を後にした私は,その日の午後はノース・ボストンの町をあてもなくさまよい歩きました。夕方になってから,私は,外科教官の家を訪ねました。私は,医学部を辞めることを教官に告げ,今回の悲痛なできごとについて患者の家族にどのような償いをしたらよいかを尋ねました」
 「まったく驚いたことに,教官は,今回のことはなんでもないことだし,患者が死んだのは私の麻酔のせいではなく,もともと絞扼性イレウスで嘔吐を繰り返していたからだと言うのです。こんなことはしょっちゅう起こることだし早く忘れたほうがいい,医学部を辞めることもないと彼は言ったのです。その教官に言われた通り私は医学部に残りましたが,教官の言葉とは裏腹に,この患者のことを忘れることなどできませんでした」

チャート型麻酔記録の発明

 「私は親友のコドマンに相談しました。私たちは自分たちの麻酔技術を向上させることを誓い合いました。どちらが『よい』麻酔をかけられるかということで,負けたほうが夕飯をおごるという条件で賭けを始めたのです。『よい』麻酔の点をどのようにつけたかの詳細は忘れましたが,患者が病棟に戻った時に意識がはっきり戻っていて,その後,嘔吐もしないというような条件だったように思います」
 クッシングによると,チャート型の麻酔記録が発明されたきっかけは,コドマンとの夕飯をかけた「賭」の記録のためだったというのであるが,賭の相手とされたコドマンは,賭の話はまったく記憶にないとし,「クッシングは話を面白くするために脚色したのだろう」としている(ちなみに,クッシングは,ウイリアム・オスラーの伝記を著してピューリッツァー賞を受賞したように,文筆家としても名声を博した)。
 「賭」の話はともかく,クッシングとコドマンの2人がチャート式の麻酔記録を発明した理由が,麻酔の質を向上させ死亡事故を減少させることにあったのは間違いがない。クッシングとコドマンの2人は,自分たちが作成した麻酔記録のデータを基にエーテル麻酔に関する論文を執筆したが,この論文が世に出ることはなかった。死亡例が赤裸々に語られる論文の出版をMGHが許可しなかったからである。
 クッシングとコドマンの2人は,今から100年以上も前に,「医療事故を防止するために事故に関する情報を収集・分析し,その結果を公表する」という試みを行なっていたのである。ちなみに,2人が残した「世界初」の麻酔記録の実物は,現在,ハーバード大学医学部附属図書館カウントウェイ・ライブラリーに展示されている。