第2372号 2000年1月24日


連載
アメリカ医療の光と影(19)

医療過誤防止事始め(13)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 医療施設の審査・格付け機関である医療施設評価合同委員会(JCAHO)が「警鐘的事例」の制度を設け,医療過誤の情報収集・防止に取り組みだしたのは1995年である。前回(2368号)も書いたように,警鐘的事例の定義は「死亡あるいは重大な身体的・機能的傷害を,予期し得ない形で生じた(あるいは生じ得た)事例」とされ,医療施設は,施設内で生じた警鐘的事例を見落とすことがないよう,また,生じた警鐘的事例のすべてに対して「適切な」対応をするよう期待されている。

審査の対象

 JCAHOは警鐘的事例そのものを審査の対象とはしておらず,警鐘的事例に対する医療施設の対応が適切なものであったかどうかを審査の対象としている。具体的には,
(1)過誤が起こった「根本原因(後述)」について徹底的な分析がなされたか
(2)類似過誤のリスクを減少させるための適切な改善策が導入されたか
(3)導入した改善策の効果をモニターする体制が整えられているか

ということを審査するのである。
 医療施設には,施設内で発生した警鐘的事例の「すべて」について適切な対応をすることが期待されているといっても,すべての警鐘的事例がJCAHOの審査対象となるわけではない。まず,患者の死亡や,四肢喪失のような非可逆的な機能喪失など重大な結果を生じた場合は,状況の如何に関わらず審査対象となる。さらに,患者の自殺,乳児の誘拐・取り違え,レイプ,輸血の誤り,患者あるいは部位取り違え手術については,重大な結果につながらなかった「ニアミス」であってもJCAHOによる審査対象となる。これまでJCAHOが審査対象とした警鐘的事例の内訳を付表に示すが,米国では,入院患者の安全を守ることも病院の責務であるとされ,患者の自殺・病院内で起こった犯罪も病院の責任とされることに注意されたい。

Who?ではなくWhy?

 JCAHOの警鐘的事例制度の根幹をなしているのが,過誤を生じた原因に関する「根本原因分析(root cause analysis)」である。JCAHOは,過誤が生じる背景には必ず組織あるいは運営上の体系的欠陥があるという前提に基づき,警鐘的事例が生じた場合,その根本原因分析を行なうことを医療施設に義務づけている。根本原因分析の対極にある対応は,誤りが起こった原因を当事者の不注意など「個人のレベル」に求める立場であるが,この場合に取られる過誤防止対策は,当事者の処罰と「これからは一層気をつけましょう」というかけ声だけに終わることがほとんどである。
 根本原因分析では,当事者の「うっかりミス」が直近の要因として同定された場合,「当事者がうっかりミスをしたのはなぜか」と「うっかりミス」の原因を突き止めることが要求される。根本原因分析で問題とされるのは「Who?(誰が間違いをおかしたか)」ではなく,「Why?(なぜ間違いが起きたか)」だからである。さらに,根本原因分析を実施することの目的は当事者の処罰ではなく類似事例の再発防止にあるので,「うっかりミスが気づかれなかったのはなぜか」と再発防止を念頭に置いてシステム上の問題点を同定することが奨励される。

医療過誤防止勧告

 JCAHOは,警鐘的事例の根本原因分析を通じて集積したデータを基に,これまで以下のカテゴリーについて過誤防止策を勧告している。
・塩化カリウム急速静注事故(98年2月)
・部位取り違え手術(98年8月)
・院内での患者の自殺(98年11月)
・患者拘束中の死亡事故(98年11月)
・乳児誘拐(99年4月)
・輸血事故(99年8月)
 この中から,部位取り違え手術の防止勧告について紹介しよう。勧告は15例(整形外科10例,泌尿器科3例,神経外科2例)での根本原因分析のデータに基づいて作成された。まず,部位取り違えが生じやすい要因としてJCAHOは次の4要因をあげている。
1)複数の執刀医がかかわる手術
2)複数の臓器にまたがる手術
3)手術の準備をせかされるなど,時間短縮の強いプレッシャー
4)奇形・高度肥満などの患者側の要因

 また,部位取り違え手術の事例でしばしば同定される根本原因は次のようなものであるとしている。
(a)コミュニケーションの齟齬
・インフォームド・コンセント取得時あるいは手術直前の術側の決定プロセスに患者や家族を参加させていない
・手術チームのメンバー間のコミュニケーションが不十分あるいは不正確である。テクニシャンなど特定のメンバーを手術部位確認のプロセスから排除したり,医師の決定を信頼しすぎたりすることが原因となる
(b)カルテ,X線写真など術前の患者アセスメントが不完全
(c)手術部位決定時の手順の問題
・施設として正式な手順が定められていない
・手術室での最終確認を行なっていない
・口頭確認をしていない
・(X線写真など)手術室に必要な情報が届けられていない
・必要な情報を確認したかどうかのチェックリストを作っていない
・手術チームの中に「排除」されたメンバーがいて,口出しをしてはいけないという感情を抱いている
・執刀医の決定に疑義をさしはさんではいけないという態度など,執刀医の決定を信頼しすぎる
 JCAHOはこれらの情報を基に部位取り違え手術に対する防止勧告の具体策を示しているが,ここではそれらを列挙することはしない。JCAHOが推奨する防止勧告策は,いずれも根本原因の項であげられた事柄を改善するということに尽きるからである。徹底した根本原因分析を行なえば,おのずと類似過誤の防止策が浮かび上がる仕組みとなっているのである。

表 JCAHOが審査した警鐘的事例の種類
  (1995-99年10月28日)
種類件数
患者の自殺12719
投薬の誤り8914
術中・術後の合併症7011
部位取り違え手術508
治療の遅れ315
患者拘束中の死亡・傷害305
患者の転倒284
暴行・レイプ・殺人264
患者の脱走234
輸血事故183
乳児の誘拐・取り違え173
その他14620
655100