医学界新聞

 

[連載] 質的研究入門 第5回

保健医療サービスの研究における質的研究方法とは(2)


“Qualitative Research in Health Care”第1章より
:CATHERINE POPE, NICHOLAS MAYS (c)BMJ Publishing Group 1996

大滝純司(北大総合診療部):訳,
藤崎和彦(奈良医大衛生学):用語翻訳指導


「質的方法」とは何か

 本書で取りあげる方法に共通した特徴は,研究上の疑問に対して数量的な答えを追求しないという点である。
 それでは,それらは何を目的にしているのだろうか。質的研究のゴールは,社会現象を(実験的というより)そのままの自然な状態で理解するのに役立つような概念を作り出すことにあり,関係するすべての者の考え方,経験や視点がそれぞれ重要な意味を持つ。例えば,十代の若者や若い労働者層に禁煙キャンペーンの意味はよく理解はされていても,彼らは自分たちの日常生活に関係する問題とは思っていない。その様子を理解するのに,この方法は特に適したものである。
 質的研究は,例えば「そこにXがいくつあるか」を求めるというよりは,「Xとは何か,そして異なる状況ではXはどう変化するのか,それはなぜか」といった疑問への答えを求めるものである。通常の質的研究では頻度や確率を求めることはしないので,量的方法に対立する概念だと見なされる。実際に,方法論的な論争の中で,両者が敵対するものとして取りあげられることも多い。この視点は,社会構造を描出する理論と,社会現象やその意味を理解しようとする理論との間に見られる社会理論の分裂に似ているために,それを引き合いに出して強調されることが多い。
 Box2()は,社会科学での質的方法と量的方法との間の差異について風刺的にまとめたものであり,この両者が本質的に相容れないものであるということの根拠として,しばしば紹介されるものである。
 無作為化比較研究は,無作為化という手法による実験的操作を用いて仮説の検証を行なうことを目的としており,量的研究の縮図といえる。しかし,「Xとは何か」ということはXを数量として取り扱う上で基礎となるもので,そのXが何であるかが分類されるまでは,そのXがいくつあるかを数えることはできない。
 さらに言えば,保健医療サービスは人間を相手にしているが,人間というものを総体としてとらえようとすると,それは自然科学が対象とするものごとよりもずっと複雑で,人間関係などについてわかっていないことが山ほどある。保健医療の専門職が,それらを解き明かさねばならない場合も出てくるが,実験的,量的方法はこれらの疑問に答える方法としては適していない。
 糖尿病に関する研究を例にして考えてみよう。無作為化比較研究を含む量的研究が,この疾患の治療の発達に貢献していることに疑いの余地はなく,血糖の調節が長期予後における合併症の発生を減らすことが知られている。
 しかし,保健医療の専門職から見れば,患者の行動に関する問題の解決策のほうがより大切になることが少なくない。一般の医師にとっては,患者が治療を受け入れるかどうかが重要であって,強化インスリン療法の効果には,第二義的な意味にしかない場合もありうる。ここに質的研究の利用価値がある。実際に,患者がなぜ治療的な管理に従わないのかについて検討,解説した一連の研究がある。
 質的研究と量的研究を,に示したように対立し続けているものと決めつけることは適切ではない。双方の研究者は,実はそれぞれの領域にこもりきりで,互いの活動を知らずにいることが多い。質的―量的と区別することで不必要な亀裂を生み,学問の発達にはほとんど貢献していないという認識が社会学では高まってきている。保健医療サービスの研究においては,質的方法と量的方法との違いが大げさに語られ,誤解されたままになっている。
 に示した二分法によれば,量的研究では標準化した質問を用いるなど,信頼性(何度テストを繰り返しても同様の結果が出ること)を追求するのに対して,質的方法では,人々が実際どのように行動するのか,また人々が自分たちの経験や態度や行動を述べる言葉の裏にある真の意味をつかむことで,妥当性をより重視している。
 つけ加えるならば,質的研究の拠り所は仮説の検定や演繹的なものよりも,帰納的な(観察から仮説を導き出す)推論にある。例えば,質的研究の方法論に関する過去の文献を見ると,回答者の表向きの発言や行動の裏に入り込み,個人的な考えや日常の活動を明らかにしようとするためには,研究者の専門職としての知識に基づく既製の類型や概念をデータ収集の際にあてはめないことが大切だと強調しているものが多い。質的研究では,データを集める前に疑問点や仮説を考えるのではなく,研究計画の作成,データの収集,分析というように,段階を踏んで行なうのではなく,生のデータと概念化の間をいったりきたりしながら,その意味づけを行なうことが求められる。
 方法論に関する議論の中では,量的と質的の区別が明確であるかのように述べられることが多いが,そのような対比は実際よりも大げさに語られている。保健医療サービスの研究は,その対象の性質上,現実的で個別性の強い問題から生じた疑問がもとになって研究が推し進められることが多く,研究者の理論的立場が研究の原動力になることは少ない。Brannenが言っているように,「認識論と方法の間には,何の必然性も,1対1の対応もない」のである。氏が示唆しているように,どの方法を選択しどのように活用するかを考える際には,その分野や方法論について研究者が知っていることに方法を合わせるのではなく,研究する対象が何であるかを重視し,方法をそれに十分に適合させればよいのである。つまり,質的研究の中にも演繹的な要素が含まれていても構わないのである。
この項つづく

表 Box 2〔量的社会科学と質的社会科学の間の二分法的特徴〕
 質 的量 的
社会理論
方 法
疑 問
推 論
標本抽出方法
重 点
活 動
観察,面接
Xとは何か(分類)
帰納的
理論的
妥当性
構 造
実験,測定調査
Xはいくつあるか(数えあげ)
演繹的
統計的
信頼性