第2369号 2000年1月3日


新春座談会

循環器疾患診療の現在,
そして未来へ 21世紀への飛翔! Part.I


吉川純一氏
大阪市立大学教授・第1内科

山口 徹氏
東邦大学教授・第3内科

堀 正二氏
大阪大学教授・第1内科

笠貫 宏氏<司会>
東京女子医科大学教授・
循環器内科



笠貫<司会> 本日はお忙しいところ,この座談会にご出席いただきましてありがとうございます。今年は2000年という大きな節目となる年であると同時に,21世紀へのカウントダウンが開始される年になります。
 そこで本日は,日本心臓病学会の前理事長である吉川純一先生,現理事長である山口徹先生,また教育委員会の委員長である堀正二先生にご出席をお願いしまして,いささか気宇壮大ではありますが,「循環器疾患診療の現在,そして未来へ:21世紀への飛翔!」と題しまして,2回に分けて新春座談会を行ないたいと思います。
 あらためて循環器疾患診療の歴史を顧みますと,聴診器が生まれたのは19世紀であり,20世紀前半に心電図と心カテーテルが開発されていますが,心エコー図,CT(コンピュータ断層撮影),MRI(磁気共鳴画像)などの画像診断,心不全の病態解明や治療薬,そしてPTCA(経皮的冠動脈形成術)などの臨床応用のほとんどは1970年代に入ってから導入・普及したものです(表1参照)。
 そして,われわれはそれぞれ専門を異にしますが,ほぼ同時期に循環器病学を専門とする医師として出発し,その後もともに歩んでまいりました。そういう意味では,「循環器病学の時代の申し子の1人」と言っても過言ではないと思います。またさらには,われわれが来るべき21世紀の初頭まで,責任を持たなければいけない立場にいるということは,ある面で非常に幸運な人生を歩んできたとも言えるのではないかと思います。
 そうした点からも,今回は20世紀はどういう時代であったのか,どのような研究に進歩があったのか,ということを各先生方のヒストリーと重ねてお話しいただきながら,現在を検証してみたいと思います。そして第2回目は,そのような歴史を踏まえて,来るべき21世紀はどのような姿が望まれるのか,ということをお話しいただければと思います。

心エコー図の進歩

心電図から心筋シンチグラムヘ

笠貫 そこでまず最初に吉川先生から,どのようなきっかけで現在のご研究を専攻し,またどのようにして現在までの道を歩まれてきたのか,という先生ご自身のヒストリーをお話し願えますか。
吉川 笠貫先生が今ご指摘されたことは,私もまったく同感で,日頃から感じていることです。よい時代にこの医学界の中に生きてこれて,また幸い若い人たちと一緒に21世紀を迎えられる,というのが正直な実感です。
 笠貫先生がご指摘のように,医師としての歩みを始めた頃は,CTやMRIはもちろんのこと,CAG(冠動脈造影法)や心エコーもありませんでした。最初に勉強したのはphysical examinationや心電図で,現在でも私の最も好きな診断手技です。心電図ほどきちんととれ,間違いなくメッセージを送ってくる診断法はないと思っていますし,1つの重要な基礎情報であると今でも考えています。
 その後,神戸中央市民病院にいきまして,外科医と対応する必要が生じてきました。外科医の要求は,より正しい診断と重症度,つまり手術ができるかどうかという情報ですので,そのための診断に必要なものとしては,心カテーテルと血管造影,それから心エコー図でありました。
 心エコーはMモードの時代から2次元のエコーに変化してきましたし,心カテーテルは最初は右心カテーテル,CAGは大動脈のルートの造影に止まっていました。1980年代に入りますと,CAGが普及してまいりました。その点で私は,比較的早期に心エコー図の2次元画像やCAGを開始しています。心エコーを施行しながら思いましたのは,基本的には弁膜疾患や先天性心疾患の診断はかなりできるのですが,日常診療で最も重要な疾患である冠動脈疾患に対しては,当時の心エコーはほとんど役に立ちませんでした。心電図や病歴を聞いてある程度診断に対応していましたが,詳しい診断は不十分でした。特に外科医に対する情報としてはほとんど力のないものでした。しかし,CAGをやるようになりますと,この部分に狭窄があり,しかもどの程度であるというようなことから,左室造影から梗塞部分,また心筋の状態なども把握できるようになりました。
 さらにその頃,プラナールの心筋シンチグラムを始めましたが,やはりCAGや左室造影で得られない情報を得ようとすると,それもよりレベルの高いタリウムの心筋シンチグラムSPECT(単一光子放出型コンピュータ断層撮影法)で追う必要があろうということから,そちらのほうへも力を伸ばしてきました。
 最近では,SPECTの画像も進歩しており,今まで核医学にあまり興味がなかった方でも,そちらへ目を向けるようになりました。特にPET(ポジトロン放射形横断断層撮影法)などを加えると,心筋の性状に対してより質の高い情報が得られるようになりました〔カラー頁参照〕。

心エコー図の進歩

笠貫 先生が心エコー図を始められた時はMモードだったというお話ですが,その前後のことをお聞かせいただけますか。
吉川 Mモードの心エコー図が応用され始めたのは昭和37-8年からで,昭和40年代になると多くの施設で始まりました。
 ご存知のように,Mモードはある物体からの反射を受信して,それを記録紙を一定のスピードで走行させ,その上に録画するという方法ですから,時間分解能が非常にいいのですね。僧帽弁がどのように動くのか,大動脈弁がどのように動くのか,というような動きの変化の観察には向いております。ただ,形態学的な変化の描出には限界がありました。
 その後,いろいろな方法が試行されてきました。患者さんの胸に探触子を当てて,一定のスピードでスキャンしていく,「ハンド・ヘルド・セクタースキャナ」というものがありました。患者さんの胸部に水の入った袋を置いて,一定のスピードで探触子を水の中で動かして,患者さんの心臓からの反射を撮っていた時代もありますが,大変な時間と労力がかかっていました。しかも,どうしてもきれいな画像が撮れませんでしたので,研究レベルで止まって臨床的には使用されませんでした。
 そこで,リアルタイム2次元画像にする試みが1970年代から始まりまして,現在の電子スキャンが出始めた1980年代になって,電子的にセクタースキャンをして情報を収集する,2次元画像を構築するという方法が行なわれるようになりました。そこから,一気に心エコー図が飛躍的に進歩したわけです。それがベースとなって,先天性心疾患や弁膜症の診断,それから心筋症や心膜炎の診断が進歩してきました。
 ただ,常に頭の中にありましたのは,心エコー図で弁膜疾患や心筋疾患,先天性心疾患の診断はできますが,冠動脈疾患,虚血性心疾患に対応できないということです。これが悩みのタネでして,1990年代に入りますと経食道心エコー法を,次はIVUS(血管内エコー)も利用して,虚血性心疾患に迫ろうという努力をしてきました。

負荷心エコー図について

吉川 最終的に虚血性心疾患の診断につながったのは,やはり超音波画像をデジタル化して,それを4つのスクリーンで同時に観察するという負荷心エコー図を日本で成功させたことだろうと思います。
 これはアメリカのFeigenbaumも行なっていましたが,日本ではわれわれが最初に着手して,これによって狭心症の方の心エコー図による診断ができるようになりました。同時に,ドブタミンという薬剤を低用量使うことによって,心筋が生きているかどうかも判定できるようになったということが,心エコー図を用いて,虚血性心疾患の診断の仲間入りができた1つのきっかけになったのではないかと思います。
 最近では,カテーテルの時にIVUSで冠動脈の輪切り像を見る。それから,ドプラフロワイヤー,冠動脈内の血流速度を見るという方法で形態的診断や機能的狭窄の診断を行なっています。また,LAD(左冠状動脈前下行枝)に関しては,胸壁から比較的末梢の血流を捉えることが可能で,またそれによって冠血流予備能を測ることも可能となります。以上から,前下行枝の狭窄病変をかなり明確に,かつ非侵襲的に診断することが可能となってきております。
 こうしたアプローチによる効果は,例えばヒトでは今まで証明されていませんでしたが,赤ワインが冠血流予備能を亢進させるというような新しい事実もわかってきました。ですから,ヒトに対してそういうアプローチをすることによって,冠状動脈の疾患の診断のみならず,ワインとかまた未知の,例えばコレステロールを下げたら本当に冠状動脈疾患がよくなるのかというようなことを,非侵襲的に診断できるような時代になろうとしていると思います。

心エコー図研究におけるブレイクスルー

笠貫 吉川先生がこれまで研究なされてこられて,最も興奮したこと,感激したこと,あるいはブレイクスルーと思われることは何でしょうか。
吉川 やはり,Mモードから2次元画像になって,外科医からの信頼が増したことですね。Mモードで頭の中で想像していた診断が,2次元画像で外科医に直接情報を見せることができるようになりました。例えば,MR(僧帽弁逆流)では腱索が切れてこういう弁だということがわかるのは大変大きなブレイクスルーだったと思います。また,2次元画像によって,初めて川崎病の冠動脈瘤を発見した時も興奮しましたね。
 続いて経食道心エコー法が出てきましたが,これで左心房の中の血流が心房細動例でうっ滞しているのを初めて見た時は,「こうなっているのか。心房細動は怖い」と思ったことを覚えています。
 カラードプラ法が登場しますと,新鮮な発見の連続でした。MRでは逆流ジェットが見え,PISA(近位部等流速表面)も見える。それらにより,MRの定量化ができる。一方,健常者でもMRがあり,TR(三尖弁逆流)やPR(肺動脈弁逆流)はごく一般的に認められる。「正常の弁に逆流がある」という生理学をカラードプラ法から学んだような気がしました。大変印象的でした。
 最近では,3次元エコーの登場ですね。2次元からの転換として,例えば僧帽弁を心臓外科医と同じように観察できる。したがって,外科医と共通の認識で情報を理解し,交換し合える。これは大きな進歩だと思います。いずれの画像診断も,これからは3次元表示が主になっていくものと思われます〔カラー頁参照〕。

心不全診療の進歩

「これからは,心不全の時代」と助言されて

笠貫 次に堀先生,先生のパーソナルヒストリーを時代とオーバーラップさせてお聞かせいただけますか。
 私の印象では,私たちが卒業した1970年前後は,心機能というものを少し科学的に考えようという機運が出てきた頃だと思います。それまで聴診器や心電図が一般的なデバイスとしてありましたが,それらでは心機能は直接わからない。そこが1つのネックで,心臓そのものは見えなかったのです。唯一,私どもの手に入ったのはレントゲンで,心臓が大きくなっているかどうかということしかありませんでした。
 実際にポンプの機能を見るためには,どうしても心臓の内圧を見ないといけないわけで,そこにアプローチするには心臓カテーテルという方法によって心室,心房の圧を測るということがまず基本的にありました。先ほどの吉川先生のお話のように,超音波の技術が芽生えつつありましたが,当時は一般に使えるものではありませんでした。まだ覚えていますが,左室造影にしても1秒間に12枚のカットフィルムで左室を造影していたわけで,いわば黎明期だったと私は思います。
 1970年に冠動脈のシネ撮影がセンセーショナルにアメリカから導入され,初めて心臓の動きをシネで見るということが行なわれるようになってきました。それと同時に超音波技術も進歩し,非侵襲的に初めは弁の動きや,心室壁の動きを少しずつ見れるようになりました。
 1980年に私は,アルバート・アインシュタイン大学のSonnenblick教授という,心機能の大御所のところへ留学して,いろいろ研究をさせていただきました。そこで1つ非常に印象的に覚えていることは,留学が終わる時「これからの循環器はどういう方向に向かうでしょうか」と質問すると,「これからは君,心不全の時代だよ」と彼は言うのです。当時は心不全というのは今ほど注目されるとは誰も思っていませんでしたのに,Sonnenblickは「教科書の心不全の項目を開いて,何が書いてあるか1度読んでごらんなさい。何にも書いてないよ」と言うのです。実際,当時は系統的に理解のできるような学問体系になっていなかったのです。

心機能を評価する4つの指標

 なぜ彼がそう言ったのかをよく考えてみますと,当時,アムリノンという強心薬の開発が始まっていました。彼はそれにタッチしてたわけです。私はその当時,ジギタリスに代わる新しい経口強心薬がこれから出てくることを知らなかったのです。彼は,これが治療のツールとしてきっと花が咲くであろう。その時,心機能というものをもっと理解をしていなければ,その薬の効果を理解できないと思ったのです。
 実は彼は,心収縮能,ポンプ機能を見るにはVmaxという収縮の最大の速度を見るのがいいと提案しました。一方,ジョンスホプキンス大学におられた岡山大学の菅先生,それから佐川先生が,「Emax(収縮終期最大圧容積比)がポンプ機能の評価の1つの指標である」と提唱しました。
 1980年代前半に起こったこの両者の心機能に関する議論の結果,得られたことは,心機能を決めるのはcontractility(収縮能),afterload(後負荷),preload(前負荷),それと心拍数,この4つでもって心臓の挙動,パフォーマンスがすべて記述できることを明らかにしたわけです。このことは,数年から10年近くのディスカッションによって非常に浸透しました。
 Sonnenblickが偉大だったのはそれだけでなく,「いろいろ原因があるにせよ,心不全の原因は根本的にloss of myocardium,つまり心筋が失われることだ」と言った点です。これは心筋梗塞で壊死になって心筋がなくなってもいいということで,当時は,現在のようなアポトーシスという概念はありませんでしたが,壊死であってもアポトーシスであっても,とにかく基本的に細胞が失われるということがないと心不全にはならない,という考え方を提唱したのです。これは今でも基本的なコンセプトとして正しいと思います。

ACE阻害剤について

 ところが,1980年の中期から様相が変わってきました。カテーテル検査も普及し,超音波で心臓の動きも詳細に見えるようになってきて,ポンプ機能を評価するというのはこれで可能になりました。しかし,それで心不全がすべてわかったかというと,実はそうでないということがわかってきました。なぜかというと,心機能は心不全のある瞬間を捉えているのであって,どういう患者さんが亡くなられるか,という時間軸を横に展開した時に,ポンプ機能だけでは実は何も評価ができないということがわかったわけです。
 その時間軸の展開は何かというと,それは心筋そのものが,時間に応じて変わっていくということがあったわけです。そこに2つのコンセプトが出てきました。1つは,そういうプロセスを規定するものが実はポンプ機能だけではなくて,神経・体液因子がそれに関わっていることがわかってきました。と同時に,もう1つはリモデリング,心臓の形態そのものも経時的な変化をとるということがわかってきた。その原因になったのはACE阻害剤です。
 ACE阻害剤は血管拡張能として後負荷を低下させる薬剤として開発され,いわゆる負荷軽減療法としてトライされたのですが,実際,それは他の血管治療薬と違って,非常にいい作用が得られました。よく考えてみると,これはRAS(レニン・アンジオテンシン)系を抑えていることがわかりました。これが臨床のメガトライアルのCONSENSUS(Cooperative North Scandinavian Enalapril Survival Study)によい成績が出たからです〔カラー頁参照〕。
 これはどうしてだろうかとみんなが頭を捻ったら,実はRAS系を抑えているということが非常に大事だということに行き着きました。その後,多くの基礎的なEvidenceが出てきまして,心肥大,線維化,それから心臓の拡張が心不全のプロセスを進行させる1つのマーカーになっていることがわかってきました。同時に,1975年にWaagsteinたちがβ遮断薬が心不全に効くことを証明した。その当時はまったく無視されていたのですが,ACE阻害剤の効果とあわせて考えてみると,結論として交感神経やRAS系が,心筋不全の進行に関わっていることがわかってきました。
 そして,この考え方がさらにエンドセリン,それから障害性のサイトカインなども,交感神経,RAS系以外におそらく作用しているであろうという仮説を支持していると思います。まだ保険適応はありませんが, アンジオテンシン受容体の拮抗薬として,ロサルタンやカンデサルトが出てきております。
 サイトカインの抑制薬はまだ薬にはなっておりませんが,エンドセリンについてはボセンタンを使ったトライアルが行なわれ,肝機能で陰性が多かったために開発が中止になりましたけれども,心機能検査はよくなって,光明が見えてきています。
 したがって,心機能の評価,特に収縮能をいかに評価するということが私どもの若い時代のテーマであったのですか,それでは時間軸の展開ができないということで,メガトライアルで予後を見るというようになって,初めて神経・体液因子というものが明らかになってきた。これが,1980年の後半から90年の後半まで続いている1つのパラダイムであると思うのです。

インターベンション治療の進歩

心音図の研究室に入室

笠貫 それでは,次に山口先生のお話をお聞かせいただけますか。
山口 私は卒業後,一時東京警察病院に行きましたが,その後大学に戻る直前に,ちょうどアメリカで心エコー図の研究をされた先生が帰ってこられ,その話を聞いてとても面白いと思いました。その頃の心エコー図は,中隔もなければ左室もなく,ひたすら後壁の動きだけで,それが心拍に合わせて動いているのが,心筋梗塞になると動きが悪くなるという話でした。
 今思うと,あの症例の中に前壁梗塞も入っていて,すべてが後下壁の梗塞だけではなかったと思いますが,ともかくイメージして,具体的に心臓が弱っているという状況を捉えられました。それで面白いと思って,初めて心臓を専攻しようと決めたのです。そこで,東大第1内科に入局して心音図の研究室に入りましたが,当時,心臓病で一通りの診断ができたのは,心電図と心音図だったのですね。心音図の対象は弁膜症で,当時は弁膜症の患者さんのほうが多くて,虚血性心疾患はお年寄りでいたかもしれないけれども,虚血と診断する方法も心電図以外にありませんでした。それで心音図の研究室に入って勉強しました。
 同時に心カテーテルも研究しましたが,あの頃は弁膜症に関してはきちんとした外科手術,弁置換もすでにありましたので,心カテーテルは手術をするどうかを決めるためのものでした。それは弁がどうかというよりも,弁が悪いために心臓がどの程度弱っているかを心内圧を測って心不全の程度を評価し,「心不全が起こりかけていれば手術適応」ということで,外科に回していました。そこで心音図と心臓カテーテル検査を覚えたわけですが,少なくとも虚血性心疾患に関しては,心電図以上のものはなかったし,内科医が治療的にタッチできるものはまったく不十分な薬以外に何もありませんでした。バイパス手術もまだ始まってませんでした。
 その後,筑波大学で心筋症を研究なさっていた杉下靖郎先生のお手伝いをしていた頃,初めてPTCAに関する論文に接しました。もともと私は治療をしたいという気持ちが強くありましたから,内科医が外科医のように治療する可能性があることに感激しました。確かに,心エコー図によって弁膜症がかなり的確に診断できるようになりましたし,心カテーテルをやらなくても,手術時期をかなり決められるようになりましたから,その点では大変な進歩だと思いますが,しかし,その後の治療手段としては,どの時点で外科に送るかという話と,堀先生が話されたように,心不全をどう治療するか。それも,ジギタリスと利尿剤しかない時代で,しかも弁膜症に関する治療は,行き着くところは,どのタイミングで手術をするかということですから,心エコー図の威力は感じましたが,臨床医としてはもう1つ物足りないものがありました。そういうところに,カテーテル治療で内科医のレベルで病気をかなり根本的に治せるPTCAは非常に魅力的でした。

三井記念病院でPTCAの第1例を

山口 1982年に筑波大学から三井記念病院にいくチャンスがありましたが,三井記念病院は外科も非常に活発で,内科も循環器に関して活発でした。当時の冠動脈インターベンションの最大のネックは,うまくいかないと緊急バイパスが必要だということがあって,外科とよいタイアップが組めないとできません。当時の大学はお互いの講座が独立していることもあって,外科と内科の連携が悪く,緊急に冠動脈バイパス手術をすることはとても考えられませんでした。その面で三井記念病院はむしろ積極的にそういう状況を作ることができ,非常にラッキーだったと思います。
 冠動脈インターベンションにおける内科と外科の関係は,根本的にはそう大きくは変わっていません。今は大学病院もセンター制をとったりして,お互いのコミュニケーションがよく取れるようになりつつありますが,第一線の病院に比べるとまだ一歩距離があるかなという感じがしてます。しかし,PTCAが始まった1980年代はそれがより大きく,特に大学のレベルでは非常に限られおり,第一線の活発な施設でしかできないというような状況でした。
 また外科のほうも,バイパス手術が始まったものの,やはり弁膜症の手術で手一杯で,行なえる術数も限られており,「最近は,1枝病変くらいはカテーテルで治せるという話も聞いているので,早く内科でやってくれ」と急かされるような状況でした。一方,私自身もぜひやりたいと思っていましたので,1982年に講習会に行ってある程度習得して帰ってきました。
 やはり第1例目は,今でも大変よく覚えています。こちらも緊張していましたし,それまで狭かった血管が,終わってみたら綺麗に広がっていたのは,今でも忘れられない感激がありました。そういうことを身をもって体験できて実感したことは,「外科医は毎日,こうやって感激しているのだ」ということでした。手術室に入る前に治療を必要とした人が,手術室を出てきた時には治っている。そういう話ができるのが外科医の醍醐味で,外科の先生がいつまでも手術を続けたい心境,そして自分の手で患者さんを治したという喜びがとてもよくわかりました。それがPTCAの始まりでした〔カラー頁参照〕。

PTCAの機器の進歩

山口 その後,PTCAは手技的にはバルーンが年々改良されました。そのスピードのは,驚異的だと思いますね。
 少し本題と離れますが,バルーンの改良に合わせて,日本ではそのコストもどんどん上がっていきました。一方アメリカでは,バルーンの改良が進み,この治療法が広まっていくにしたがって,コストが下がっていきました。この対をなすような状況は,今や内外価格差の最たるものとして取り上げられるようになったのは,非常に残念なことだと思います。しかし,PTCAの治療器具の進歩の早さは非常に目を見張るものがあったことは事実です。
 PTCAは器具も改良されて簡単にできるようになりましたが,当然,PTCAだけではどんなに丁寧に用心してもうまくいかないし,緊急のバイパス手術がある程度出てきます。確率は1-2%にはなりましたが,避けらることはできないという状況ができてきて,これ以上進まないという時に初めて出てきたのが,ステントという金属で内側から抑えるものです。

Sigwartのワークショップに参加:ステントの登場

山口 それまでPTCAの大きな問題点は2つありました。
 1つは急性期に施行した時に血管に損傷ができて,うまく広がらないということ。もう1つは,うまく広がっても再狭窄するケースが30-40%あることです。その2つの問題に対して,何かもう1つサポートするものはないか。それが金属であれ何であれいいのではないかと考えていたのです。そういう点では,金属性のものが一番やりやすいということから,ステンレスの話についての基礎論文は出ました。そして,実際にWallstentを始めていたSigwart先生のワークショップに参加するためにスイスに行きました。1987年頃のことだったと思います。
 今で言うところの “live demonstration”です。まだ30何例目でしたが,世界中から200人位来ていました。とてもうまくいったのですが,終わり頃になって,昨日やった人がおかしくなったという話になりました。
 これまでの風船で広げたのではとても想像もできないぐらい,非常にきれいにスムーズに広がったわけですが,その翌日には,金属を入れたために血栓性閉塞が起こってしまう。そのためにワルファリンやアスピリンをやったりしたが,昨日やった人がまた詰まるということが起こったことは問題かもしれない。しかし,PTCAだけでうまくいかないところを解くカギは,やはりあのへんにあるのではないかと感じました。日本で一番最初のステントは,血栓性閉塞が多くて,また再狭窄も多くて不成功でした。
 そのような時に,Palmaz-Schatz stentの話を聞いて,アメリカ心臓病学会に出席した際に,ようやく探し当てた1メートル位の小さなブースに1個だけあって,実際に見ることができました。日本で治験が始まったのが1990年で,認可されたのは1993年でした。最初はワルファリンをやったりして大変でしたが,そのうち強力な抗血小板薬をやれば血栓性閉塞が予防できるということになって,現在のように気軽に使えるようになりました。
 その後,デザインもシステムも非常に進歩し,現在は日本でも70%程度使われてます。成績も,緊急バイパス手術は0.5%もないと思います。よほど特殊な症例でなければ,まず緊急バイパスにいくこともなくなりました。急性期の狭いところを広げるということに関しては,ステントと,ロータブレータという,非常に硬い石灰化の病変を削るものと組み合わせれば,大体の症例はうまく広げられるようになっています。97-8%は,拡張するということに関してはうまくいきます。
 緊急の合併症も非常に少なくなりましたから,緊急時を除いて,分枝の閉塞という小さな合併症を除けば,1%くらいで済むだろうと思いますね。そうなると,再狭窄をどうするかということが問題になります。

急性冠動脈症候群の意義

急性冠動脈症候群という概念

笠貫 各先生方から各々の領域の進歩についてお聞きしましたが,ここで共通トピックスとして,急性冠動脈症候群を取り上げてみたいと思います。不安定狭心症や虚血性の突然死を含めた急性冠動脈症候群が現在1つの大きな流れですが,各々の立場から病態,診断,治療についてお話ししていただけますでしょうか。
 LAC-I という研究によると,狭窄した部分はそれほど広がってないけれども,コレステロールが溜まって,いわゆるソフトプラークと言われている柔らかいものができている。そして,それがむしろラプチャーする。そういうものがコレステロールの抑制療法できれいに抑制され,その結果,急性冠動脈症候群の発生率が落ちたのですね。それがかなりインパクトを与えて,狭くなっている部分が必ずしもハイリスクではない。ソフトプラークができ,それが破れた後に血栓ができて詰まってしまう。これが安定狭心症や心筋梗塞の病態である。だから原因としては同じ基礎病態があるので,急性冠動脈症候群という1つの概念でまとめようではないか,というのが現在の考え方ですね。
 一方,動脈硬化でプラークができることと,硬くなるという2つの現象を一緒に解釈していたものが,硬化よりも,むしろ柔らかいプラークができることのほうがハイリスクであると考えられるようになってきました。ですからコレステロールを下げることによって,プラークの部分を退化させてやると,プラークが安定化するという考え方で,老化で硬くなるのとは要因が異なると捉えられるようになってきました。加齢による硬化はある程度避けられないけれども,プラークは脂質のコントロールによってかなり避けられるのではないかということですね。そのためにスタチン系のものが非常に有効であるというメガトライアルがあります。
 もう1つ,最近プラークの不安定化は,実は炎症が関係してるというので,いわゆる感受性の高いCRP(C反応性たんぱく)を見ると,非常に不安定なプラークの存在がわかるという報告があります。CRPの高い人は急性冠動脈症候群の発生率が高いという結果が出ているので,今後検討しなければいけない課題だと思います。

IVUSと急性冠動脈症候群

笠貫 急性冠動脈症候群についての先生のお考えはいかがでしょうか。
吉川 これもうちに上田教授という病理の先生がおられ,この分野の研究を積極的に進めておられます。当然,私は上田教授の影響を受けております。やはり,原因はプラークラプチャーであろうということで。そういう目で,先ほど研究的と申し上げましたが,IVUSを使ってみますとやっぱり見つかりますね。そういう目で見にいかないといけないと思います。ですから,急性冠動脈症候群の発生原因にプラークのラプチャーがある。もちろん,そこには炎症細胞が動員されているということは,ほぼ間違いないのではないかと思っております。
 ただ,IVUSにも問題があり,柔らかいプラーク(lipid-richなプラーク)と硬いプラークを鑑別できない。プラークラプチャーを来たしやすい柔らかいプラークを検出できないというのは問題点ですね。これからは,IVUSに新しいテクノロジーを導入してこれらの問題点を解決できる方向に向かうものと思います。

プラークの安定化

山口 私も,急性冠動脈症候群が出てきて,治療を考える上で,狭くて血流が悪い虚血があるということと,プラークがラプチャーして詰まるということを,明確に分けなければいけないと思います。
 例えば,狭い部分を治療するために,インターベンション療法になるのはいいのですが,虚血を解除するために行なうのと同時に,破れかかった,あるいは破れてしまったプラークを処理する1つの方法として,インターベンションを行なっている面もあると思います。
 プラークを安定化させることは,もっと正面切って求められなければいけない治療です。その意味で言うと,炎症がどこまで関与しているかということも大きな問題だと思いますね。
 動脈硬化そのものも,プラークだけでなくクラミジアなどの感染症との関わりという話も出ています。これが判明すると,これまでの疾患概念が大きく変わる可能性を十分秘めていると思いますが,とりあえずはある種の炎症機転が関与して,ラプチャーが起こっているとすれば,やはりラプチャーを止め得ることの可能性は,将来はあるのではないでしょうか。ですから,CRPの話はとても重要な話ですが,もう少し研究してみないとわかりません。
 プラバスタチンにはコレステロールを下げる効果と別に,炎症を抑える効果があることが報告されました。ですから,コレステロールが下がるだけではなく,プラークの安定化に効いてるのはないか。プラバスタチンを投与すると,その1つのエビデンスとして,CAREスタディでも脳卒中の低下が認められています。
 ですから,もしかすると頸動脈あたりのプラークの炎症も,プラバスタチンがその炎症を抑えているのであって,コレステロールが強く関与しているとは考えてはいないのですね。コレステロールが重要なのはやはり冠動脈であって,プラバスタチンの炎症を抑える作用が,頸動脈の炎症を抑えているので脳卒中が減るのではないかと考えているようです。ですから,今後コレステロールを下げると同時に炎症を抑えるような薬が,プラークを安定化させる治療として出てくるかもしれません。
山口 プラークの安定化には,さまざま方向からのアプローチがあると思います。
 血小板GPIIb/IIIa阻害薬のabciximabを受けた患者さんは,その後もイベント発生率の低いことが知られてきました。やはりプラークが安定化するのでしょう。「パシベーション」という言葉まであるくらいですから,安定化の内容は何だということはあると思います。しかし,狭窄を解除することも治療の目標の1つであれば,プラークを安定化させるということも大きな目標の1つで,狭窄を解除することと同じくらい重要な問題だと思います。
 ただそのアプローチには,炎症や血栓の話から,コレステロールの話までさまざまなアプローチがあると思います。

不整脈診療の進歩

不整脈との出会い

笠貫 3人の先生方のご経験を通して,画像診断,心不全診療,インターベンション診療,そして冠動脈疾患の歴史と現在についてよく理解できたと思います。
吉川 ところで,笠貫先生のご専門である不整脈の観点からのご自身のヒストリーをお聞かせいただけますか
笠貫 1970年に私が東京女子医科大学心臓血圧研究所にまいりました時は,硝酸薬の経口薬のみでCa拮抗薬もなく,CAGの導入期でしたから,問診と診察と心電図くらいで,CCUにはりつきながら,その病態と診断を考え,治療に当たっていました。初めてのCa拮抗薬(BAY-1040)の臨床試験を通して,狭心薬日記を作成し,毎日患者さんにインタビューを行ないながら,CAG万能の現在では得られない多くの知識,さらには心疾患の臨床の何たるかを学びました。
 私と不整脈との出会いは,1969年のScharlagの論文とWellensの1冊の本にあったと言えます。1971年に,その論文を片手に1例目のHis束電位が記録できた時の感激は,今でも鮮明に記憶しています。その後,当施設で電気生理学的検査は6000例を超えますが,発作性上室性頻拍や,心室頻拍を誘導した各々の1例目も忘れられません。1972年にホルター心電図の解析器を自ら操作した1例目から,これまですでに1万2000例を超えますが,この2つの検査によって不整脈の機序解明,診断,重症度評価,治療は格段の進歩を遂げました〔カラー頁参照〕。
 抗不整脈薬は1950年代よりキニジンが使用されていましたが,1970年頃からジソピラミドなどNaチャネル抑制作用を有する多くの I 群薬が開発され,私も10種類にあまる薬剤の臨床試験に参加できました。

CAST報告による転換

笠貫 しかし,1989年のCAST(Cardiac Arrhythmia Suppress on Traial)報告により,I 群薬から III 群薬(主にKチャネル抑制作用,特にアミオダロン),そして,Vaughan Williams分類からSicilian Gambitへと,大きな転換期を迎えることになりました〔カラー頁参照〕。
 一方,非薬物療法では,直流通電による電気的除細動のCCUでの有用性が確立されたのは1960年代ですが,1980年には植込み型除細動器が臨床応用され,現在では心室頻拍/心室細動による突然死の最も強力な治療法として普及し,年間新規植込み例は3万人から4万人になっています。
 また,1980年代,難治性頻脈性不整脈に対してカテーテル電極を用いた直流通電によるカテーテルアブレーションの臨床応用が始まり,私も1987年,その1例目としてベラパミル感受性心室頻拍に対して施行し,通電時患者さんがベッド上で跳ね上がった時の驚きと,根治した喜びは大変なものでした。
 それも,1989年にはlarge tripカテーテルの開発により,1990年以降は高周波通電によるアブレーションが,まずWPW症候群に対して根治療法として確立され,現在まで,房室結節回帰性頻拍,心房粗動,心房頻拍,特発性持続性心室頻拍に対してはすでに確立された治療法として普及しつつあります。また,徐脈性不整脈に対するペースメーカー療法は1970年代には確立し,その後,生理的ペースメーカーの開発・普及により,生命予後の改善から,運動耐容能力などQOLの改善へと適応は拡大されています。
 このように,私も1971年の電気生理学的検査などの導入に始まり,1990年代のアミオダロン,カテーテルアブレーション,および植込み型除細動器に至る新しい診断・治療法のすべての導入と開発に深く関わることができたのは,「まさに幸運であった」という一言に尽きます。この実感は3人の先生方と同じだと思いますし,各々がわが国における“生き字引”とも言えるかもしれません。
 そこで次回は,その知識,経験そして自負をもとに,21世紀に向けてわが国は何をなすべきか,そしてその展望についてお聞きしたいと思います。
 またさらには,わが国におけるEBM(Evidence-based Medicine),および大規模臨床試験の位置づけと今後のあり方について考え,また2003年に予想される“医療ビッグバン"に向けて,われわれのなすべきことを考えてみたいと思います。
(以下,次号に続く)


表1:循環器疾患診療の小史
19世紀 聴診器を用いた間接聴診法
1903 弦線電流計を用いた心電図記録
1936 右心カテーテル法(Cournand)
1950 左心カテーテル法(Zimmerman)
1954  心エコー図の臨床応用
1959 冠動脈造影法(CAG, Sones)
1960 熱ペン式直記式心電計を用いた心電図記録
1962 米国でCCU開設
1965 心エコー図により初めて心膜液貯留を診断
1967 選択的冠動脈造影(Judkins),冠動脈バイパス術(CABG),心臓移植の実施,日本で第1号のCCU(東女医大)
1969 心腔内心電図記録(His束心電図)
1970 バルーンカテーテルの開発(Swan, Ganz)
1973 リアルタイム断層心エコー図の開発
1975 慢性心不全へのβ遮断薬の有効性報告
1976 ドプラ法による心内圧の測定
1977 経皮的冠動脈形成術(PTCA, Gruntzig)
1979 冠動脈内血栓溶解療法(ICT, Rentrop)
1980 植込み型除細動器の臨床応用
1982 直流通電によるカテーテルアブレーション,シクロスポリン導入による心臓移植の増加
1983 組織型プラスミノゲンアクチベータ(t-PA)による経静脈性ICT
1986 ステント(Stent)の臨床応用,方向性アテレクトミー(DCA)
1987 カラードプラ法の臨床応用
1989 IVUS(血管内エコー)の導入
1990 高周波によるカテーテルアブレーションの確立
1991 回転性アテレクトミー(Rotablator)
1992 日本でアミオダロン認可
1993 日本でステント認可
1994 日本でカテーテルアブレーション認可
1995 日本で植込み型除細動器保険償還
1997 日本で臓器の移植に関する法律公布,施行
1999 日本で臓器の移植に関する法律公布後初めての心臓移植