医学界新聞

 

生き方としての「健康科学」とは

山崎喜比古氏(東京大学大学院医学系研究科助教授・健康社会学)に聞く


 「保健医療の主体者は一般の人々である」との考え方が強まる中,一般の人々がどのように保健医療と向き合うか,また保健医療従事者はどうあるべきかかが問われている。
 本紙では,保健医療の主体となり,保健医療の賢い利用者,消費者となることが期待されている一般の人々を対象に,健康とは何か,健康への主体とは何かを考えるためのテキスト『生き方としての健康科学』を編集した山崎喜比古氏(東大大学院・健康社会学)に話を聞く機会を得た。ここでは,氏が考える「健康科学」について語っていただいた。


医療の賢い利用者・主体者

―――先生は今年,「生き方としての健康科学」(山崎喜比古,朝倉隆司 編集,有信堂,1999年)というタイトルの本を出版されましたね。
山崎 おかげさまで,好評につき再版がきまりました。本書を企画した直接の動機は,人文社会科学系の教養課程の大学生向けに開講されている「健康科学」という科目が増加傾向にあり,また学生の人気を集めていることに端を発しています。彼らは,保健医療の直接の従事者になるわけではありませんが,保健医療の主体者,または賢いユーザー,良識のある社会人となることが期待されている人々です。このような人たちへの教育は,保健医療従事者にとっても従来から高い関心事でした。「住民を主体に」という場合にも,住民が自分たちの知識に自信が持てないために,なかなか自主的,主体的な行動がとれない,といった根本的な問題にいつも直面させられてきたからです。
 しかし,これまでの関連書籍を見ると,保健医療従事者養成コースの教科目としての公衆衛生や学校保健と内容的にあまり変わりなく,何か大きなずれを感じていました。そこで,上記のような学生やこれからの保健医療の主体者,ユーザー向けに書いたテキストの必要性を感じ,生まれたものです。例えば一般の人たちにとって関心の高い,「死とは何か」,または医療や医療者との上手な付き合い方などを明らかにした本は,これまでの教科書にはありませんでした。これから必要とされる健康科学とは,専門家養成コースのためだけの基礎科目ではなくて,これから社会人となる中で誰にでも必要となる基礎教養科目なのです。アメリカでいうリベラルアーツに相当すると思います。

新しい「健康科学」への視点

健康への科学

山崎 これまでの健康科学は,「健康状態や病気についての生物医学」であり,疾病や健康状態そのものの知識や理解が中心でした。しかし,これからは,WHOの「ヘルスプロモーション」のように,「健康への力」というものを身につけていくことが,ますます求められるようになってきます。このような時代の健康科学は,健康・病気に関する生物医学と,心や行動,社会に関する科学,行動科学,社会科学など社会諸科学がリンクしたものでなくてはなりません。病気への理解を深めることも,もちろんこの中には含まれてきますが,従来の健康科学とは扱うテーマも体系的にも異なってきます。「健康の科学」というよりは「健康への科学」と言うほうがニュアンス的には近いと言えます。
 「健康への科学」と言う場合に,これまでの健康教育が持っていた伝統的な方法論は,行動の変容を一番の目的とし,保健医療従事者がよかれと思っていることをやらせる,ということでした。しかし今は,「自律性」「自己決定」という言葉がよく使われるように,一般の人に賢明な行動を選択,決定する能力や機会を提供することが大事であり,結果として賢明な行動が選択されることを期待するという考え方にシフトしつつあります。そこで,賢明な行動を選択できる能力はいわば応用問題を解く能力であり,基礎に健康・病気と保健医療への深い適切な「みかた」や「考え方」が必要となってきます。
 さらに言えば,「自分の健康を守る」ということだけでは,健康は個人的,利己的にしかとらえられかねません。個人という枠だけでなく,健康的な社会を作る一員でもある,という自覚を持つこと,さらに患者や障害者とともに生きる社会を作る方向で考えられることがめざされなくてはなりません。こうした認識は,知識というより,またそのようにものを考える,まさに「見識」だと思います。
 例えば,労働衛生分野では今まで,「ストレスコントロールに熱心な企業」を優良企業としてきましたが,近年は,「ストレスコントロールを行なわなくてすむ,ストレッサーコントロールの効いた企業」を評価するという考え方が示されました。つまり,過度のストレスの原因となるストレッサーをコントロールできている企業を「健康的」と呼ぼうということです。よく考えれば確かにそれが真実で,このような考え方ができるのも「見識」のうちだと思います。
 私たちが考える健康科学は,健康状態や健康問題の科学として,健康の回復・維持,増進のための,つまり健康への科学として,しかも,個人主義的でなく,社会的な責任を果たすことにも視座を置いたものとして構成されています。

保健医療従事者に何が求められているか

―――保健医療従事者は今後どのように考えていくべきでしょうか。
山崎 このような健康科学は,これからの時代の保健医療従事者にとっても基礎教養科目として必要ではないでしょうか。今,保健医療の主体者・主権者である人たちに対して,保健医療従事者の立場は「援助者」であり,「アドバイザー」であるという関係が,ますます求められています。例えば,すでに福祉領域では「保護」,「措置」という用語よりも,「自立支援」,「学習支援」が好まれる方向へと変わってきています。
 保健医療従事者は,市民や主権者が身につけなくてはいけないことが一体どのようなものなのかを知った上で,専門家として関わっていかなくてはならないでしょう。これが基礎にあるのとないのとでは,今後のサービス提供のありかたがずいぶんと変わるのではないか,と思います。

看護は人間科学

人間の真髄に迫れる可能性

山崎 また例えば,精神障害を持つ不幸や精神障害そのものがもたらす不幸と同時に,日本という社会の中で精神障害を持つことの不幸,というものがありますね。病気の科学,病人の科学を考える時,その病気が社会の中でどう受けとめられているか,それを保健医療従事者も感知することが重要になります。保健医療の専門職となる人も,病気を持って生きていく人たちの日常生活での経験を理解することが必要となります。近年,こうした「Illness Experience」(病体験)への着眼が進んでいます。そのような体験を理解したり,実際に体験することは,看護にとってもすごいインパクトがあると思いますね。
 私自身は,看護学とは真性の「人間科学」だと考えています。看護学は,生物学的であると同時に心理社会的な存在としての人間をそのままトータルに扱おうというわけです。今の大学で標榜されている「人間科学」の中には,医学や看護学は含まれていません。しかし,看護学は今までの「人間科学」が持ち得なかった身体へのアプローチが可能な,あるいはむしろそれを主にした「人間科学」だと思います。
 看護の強みは,他人の身体に触ること,他人の身体をサポートすること,ができることです。これは人との関わりにおいて決定的に重要なことでありますし,人間というものを知る上でとても重要なことです。つまり看護は最も人間の真髄に迫れるという立場にあると思います。ですから看護学によって真性の人間科学が開花する可能性があると期待しています。

健康であるということ

―――先生が考える「健康」とはいったい何でしょうか。
山崎 これまでの医学は,いかに病気になるかというメカニズムや,また病気を促進する要因すなわちリスクファクター(危険要因)を研究し,そのようなリスクファクターを軽減,除去することに関して,多くの努力と時間を費やしてきましたし,この考え方が,医学を大きく進歩させました。
 ここで考えなくてならないのは,例えばリスクファクターにさらされていながら,なお健康でいる人たちがいます。強烈なストレッサーにさらされつつもうまく対処して,危機的な状況を自身の成長の種にしてしまう人たちもいます。
 例えば,こんなテストがあります。若い人たちが「自殺を考えたことがありますか」というアンケートに,「ハイ」と答えると,「精神的に不健康」であるという得点が加わるというものです。しかし,そう答えた人のほうが,この先困難に直面した時に,なんとか乗りきっていくのではないか,つまり「精神的に健康では」という可能性もあるのです。彼らにはむしろストレス対処能力が備わっており,また生きていく意味を1回は考え,深い悩みを1度は体験したのだから,人の痛みへの共感性,キャパシティがある可能性も十分に考えられるのです。危機やストレスフルな経験の克服が人の成長や発達に欠かせない,とまで考えられています。

リスクファクターとサリュタリーファクター

山崎 しかし,そのような危機を成長の種にできる人がいる一方で,できずに負けてしまう人もいるのです。それを分ける要因を,リスクファクターと対応してサリュタリーファクター(salutary factor;健康要因)と呼んでいます。この2つの要素が人の健康を決めていると考えることができますが,今まではあまり後者は研究されてきませんでした。健康というには,リスクファクターを除くということとともに,健康要因を支援し,強化するという2つの働きかけが必要なわけです。
 このように考えると,死にゆく状態にある人に,実は健康要因があるということです。例えば,それは安らかに死を迎えられることであり,それを支えることが健康への働きかけなのです。WHOの「ヘルスプロモーション」は,「健康への力と機会をすべての人に提供する」という考え方で,つまり,死にゆく状態にある人たちにも,重度の障害をすでに持つ人たちにも健康というものがあり,そうした健康への要因に働きかける,ということです。「ヘルスプロモーション」を「健康増進」と間違えてとらえられている向きもありますが,どんな健康状態にある人たちにも健康があり,健康を追求する力やチャンスをすべての人たちに提供するということが,健康科学の基本的な考え方だと思います。
 またこのような考えに基づく実践において,看護職の役割はますます大きいものとなってくるでしょう。
―――本日はありがとうございました。