第2366号 1999年12月6日


連載
アメリカ医療の光と影(17)

医療過誤防止事始め(11)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 ロランド・サンチェス医師が切断する足の左右を取り違えた症例は,典型的な「部位取り違え手術(Wrong-site Surgery)」である。部位取り違え手術の頻度は高く,医療過誤保険の団体である「アメリカ医師保険連盟(被保険者医師11万人)」によると,同連盟では,1985年から95年の間に225件の部位取り違え手術について医療過誤保険が適用されたという。さらに,同連盟は,整形外科医が手術に携わる期間を平均30年間として計算した場合,4人に1人の整形外科医がそのキャリアをまっとうする間に部位取り違え手術に関わる可能性があるという計算結果を発表している。

取り違え手術に対し学会が勧告

 度重なる部位取り違え手術の報道に対し,97年10月,米整形外科学会は学会員に向けて「部位取り違え手術を予防するために,執刀医は手術部位に自分の名のイニシャルをマーカーでサインするように」という勧告を出した。この勧告に従って手術部位にマーカーで印をつけるということを術前の決まりとした病院も多いが,「患者を不安がらせる」という理由で規則としては決めていない病院も多い。
 しかし,この処置に対する患者の反応は逆に良好で,医師がマーカーで印を付けることをおもしろがる患者がほとんどだという。中には,術側に「I hurt here(痛いのはこっち)」とか「yes」(反対側には「no」)と,自ら書き込む患者もいるという。手術部位にマーカーで書き込むという行為が過誤を防ぐ物理的な目印を作り出すだけでなく,執刀医と患者との間のコミュニケーションを良好にするという,思いがけないプラスの副作用を生み出すこととなったのである。

腎臓の左右取り違え手術

 手術部位の左右を取り違えるという誤りは,整形外科領域だけに限られたものではない。以下はマサチューセッツ州クインシー病院で起こった腎臓の左右取り違え手術である。患者は76歳女性,結腸および腎の二重癌の手術であった。
 始めに結腸癌の切除手術が行なわれ,泌尿器科医が手術を途中で引き継いだ。泌尿器科医は,触診で結節性病変の存在を確認した上で,右腎を摘出したが,摘出した腎臓の結節性病変に割を入れたところ,病変は癌ではなく嚢胞であることが判明した。泌尿器科医は大慌てで左腎の手術を行ない,腫瘍部のみを部分切除したのであった。
 結腸の手術を担当した外科医のオフィスの職員が腎臓手術の左右を間違えて手術申し込みをしたことが誤りの原因であったが,泌尿器科医が記載したカルテが手術を行なう病院に送られていなかったというミスも重なり,手術に関わった医師・看護婦は誰も左右の間違いに気が付かないままに健側の腎臓が摘出されてしまったのであった。また,執刀医は,術直前に手術室にかけられていたX線写真の所見を確認しなかったというミスを犯していた。

2事例に見る共通点

 クインシー病院の腎臓取り違え手術もサンチェスの切断足取り違え手術も,執刀医が手術室に入室した時には他の手術メンバーの手で術野の準備がすでに整えられていたという点が共通している。サンチェスが術前に術野とされた側の足に壊疽の所見を確認したように,クインシー病院の泌尿器科医も「術側」の腎臓に結節性病変の存在を確認しているが,いわば「ここほれワンワン」の状況に置かれた執刀医たちにとって,これらの「確認所見」は「正しい側を手術している」という思いこみを助長する結果にしかならなかったのである。
 また,そもそも左右の取り違えが生じたのがコンピュータへの入力段階であったことも,この2事例では共通している。医療の場に限らず,ひとたびコンピュータに入れられたりプリントアウトされたりした情報はいかにも「正しく」見え,人々の判断を誤らせる傾向がある。診療業務のコンピュータ化はこれからますます進展するであろうが,手術部位の左右など「誤りやすく,かつ誤りが重大な結果を生じ得る情報」については,入力段階で複数の医療者の確認を求めるプログラムの導入などが必要となろう。

医療過誤を本気で防止するために

 本項ではわずか2例の部位取り違え手術を比較したに過ぎないが,わずか2例の比較だけでも誤りには「パターン」があることが容易に明らかとなる。これに対し,個別症例の分析だけで誤りの原因を同定し予防策を講じようとしても,誤りの「パターン」を見出すことは不可能で,有効な予防策を講じることも著しく困難である。つまり,医療過誤について,過誤が発生した医療機関が個別に原因を分析し予防策を講じるというだけでは,再発防止の努力がどんなに真摯なものであったとしても,その努力が実を結ぶ保証は何もないのである。
 医療過誤防止に本気で取り組もうとするならば,国レベルで過誤の情報を収集・分析するという体制を作ることが最も効率がよいのである。米国では,医療機関の審査格付け機関である医療施設評価合同委員会(JCAHO)が,95年から医療過誤の情報収集と原因分析を行なっている。これまでに650件にのぼる過誤の調査情報を集積し,98年2月の「塩化カリウム急速静注事故防止」を皮切りに,99年8月までに計6件の医療過誤防止勧告を発表している。ちなみに,「部位取り違え手術」についても98年8月にその防止策を勧告している。