医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(16)

医療過誤防止事始め(10)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


〈症例〉
ロランド・サンチェス,51歳,外科医

〔前回(2362号)よりつづく〕

レッテルの重み

 フロリダ州医務監察局(ボード)が,サンチェスが関わった2件の過誤事件の処分について,検討する公聴会を開いたのは95年9月であった。州のボードは医師免許を管轄する責任を担う機関であるが,過誤事件に関わった医師の適性を審査するとともに,過誤事件に関わった医師に対する行政罰を検討するための公聴会である。ボードの審査担当官がサンチェスを告発する「検事」役を務め,「免許停止2年,監察期間5年,罰金1万5千ドル」という厳罰に処すことを主張した。
 サンチェスにとっては,皮肉にもこの公聴会が自らの立場を弁明する初めての機会となった。ウィリー・キングのケアに関わった複数の医師が,切断された左足について「まったく健常な状態であったというのは誤りで,いずれは切断が必要となったであろう」ことを証言した。ボードの審査担当官も,ウィリー・キング事件におけるサンチェスの役割には同情すべき点が多くあったことを認めながらも,誤りを防ぐべき「最終的責任」は執刀医にあることを強調し,「一罰百戒」の意味からもサンチェスを厳罰に処すことを主張したのであった。
 一方,サンチェスの弁護士は,部位取り違え手術(wrong-site surgery)の同種事例に比べて処罰が際だって厳しすぎるとした上で,「1人の医師を罰したところで同様の過誤事件を防ぐことはできない」と反論した。ボードの最終処分は「免許停止6か月,監察期間2年,罰金1万ドル」と同種の事例より重いものになったが,その背景には,切断する足を間違えるような「でたらめ医」に対する処分を「甘い」もので終わらせてはならないという社会感情に対する配慮があったと言われている。
 サンチェスの医師免許停止処分が解けたのは96年の1月であるが,サンチェスは97年3月の「メディカル・エコノミクス」誌のインタビューで「弁護士に言われたとはいえ,『でたらめ医』のレッテルを貼られたまま何も反論せず沈黙を守ったことを後悔している」と語るとともに,「事件の影響で患者が減った」ことを嘆いている。

「でたらめ医」から「社会の敵」に

 サンチェスが3度目の医療過誤を引き起こし,フロリダ州が無期限の医師免許停止処分を決定したと報道されたのは98年の7月であった。事件があったのは97年11月,セントラル・タンパ・ベンコー病院であるが,同病院は脳卒中後遺症などの患者が入院する長期ケア(介護)施設である。サンチェスが入院患者の中心静脈栄養ラインを取る際に患者を取り違えたというのである。フロリダ州当局の担当官は免許無期限停止という緊急処分の理由を,
「サンチェス医師は一連の恐ろしい誤りの経験から何も学ばない危険きわまりない医師である。……彼は根本的誤りを繰り返すことで,患者および州が医療に負託している信頼を裏切った。……罰に制限を設けるべきでないし,免許を失効させる以外にサンチェス医師から社会を守る手だてはない」と,説明した。かくしてサンチェスに押された烙印は「でたらめ医」から「社会の敵」に格上げされることとなったのである。
 フロリダ州の処分の根拠となったのは看護婦の証言であった。看護婦は,リスト・バンドの名前を確認するようにサンチェスに言ったのに,サンチェスは無視して間違った患者にラインを入れてしまったと証言したのである。患者は89歳,脳卒中後遺症の失語症で話すことができなかった。これに対してサンチェスの言い分は,看護婦が「先生,この方です」と言うままに患者にラインを入れただけであって,患者を取り違えたのは看護婦であったというものであった。
 両者の証言が対立することについて審査を担当したフロリダ州庁のスティーブンソン判事は,看護婦の証言には信憑性がないとの裁定を下し,州のボードに対し免許停止期間を無期限から9か月に軽減するよう勧告した。患者を取り違えたこと自体は看護婦の責任であるが,サンチェスもラインを入れることについて患者の同意を得る義務を怠ったことから,9か月の免許停止が相当としたのである。ウィリー・キング事件の前歴さえなければ,看護婦の証言を鵜呑みにして州が免許無期限停止という重い処分を即決することもなかったであろうし,患者から同意を得なかったことについて免許停止9か月という重い処分を受けることはなかったに違いない(切断する足を取り違えたウィリー・キング事件に対する処分でさえ免許停止6か月であった)。

医療者も「被害者」に

 医療過誤の被害者は,患者や家族だけではない。過誤に関わることとなった医療者もまた医療過誤の「被害者」となる。サンチェス医師が関わることとなった「過誤」事件3例について,同一状況にわが身を置いた時に「自分は絶対大丈夫」と言い切れる医師がどれだけいるであろうか?
 ここまで米医療界を大きく揺るがした医療過誤の事例を数件紹介してきたが,いずれの事例も,直接過誤に関わった医療者の資質に著しい問題があったから過誤が生じたのではなく,システムの欠陥によって「誰にでも間違いが起こりうる状況」が作り出されたことが過誤の原因となっているのである。過誤の原因を過誤に関わった当事者の医療者としての資質に求め,当事者を罰することで事足れりとする立場は,類似過誤の再発防止という観点からは本末転倒と言わざるを得ない。
 医療過誤に関わった医療者が被る「被害」は,「多額の賠償金を支払わなければならない」とか,「免許停止などの行政罰を受けなければならない」とかいう皮相なものだけではない。何よりも大きい「被害」は,「自分の誤りが原因で患者が亡くなってしまった(患者に大きな傷害が残ってしまった)」と,自責の念に苛まれなければならないことにある。
 ジゴキシンを10倍量処方したために乳児を死なせてしまったテキサス,ハーマン病院の事例を以前(23532357号)紹介したが,誤った処方箋を書いたレジデントは,事件後同病院の内科部長に対し「自分は医師には向かないから医師免許を返上したい」と申し出たという。一方,事件当日レジデントを指導する立場にあった教官の医師は,「苦しい思いをしながらも自分が頑張っていられるのは,自分には,事件に関わることになったレジデントたちに,彼らが悪い医師だったからこの事件が起こったのではないということをわからせる義務があるからだ」と語っている。
 過誤に関わった当事者を罰することで問題は解決しない。逆に,「厳罰主義」はミスを隠すことを奨励する結果となり,医療過誤を拡大させる効果しかないと言われている。システムそのものの誤りを正す努力をしない限り,医療過誤に苦しむ患者,家族,医療者が後を絶つことはありえない。