第2359号 1999年10月18日


連載
アメリカ医療の光と影(14)

医療過誤防止事始め(8)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


タンパ切断足取り違え事件

〈症例〉
ロランド・サンチェス,51歳,外科医

 その日予定されていた手術は,足の切断手術だった。患者は51歳の男性,典型的 な糖尿病性壊疽の症例であった。手術部入り口の手術予定表には「左足」切断と書かれていたが,反対側の足にも壊疽が進行しており,いずれは反対側の足も切断しなければならないことになるだろう。手洗いを済ませ,手術室に入室した時には,すでに患者は麻酔をかけられ,手術野はドレープで覆われ消毒も済まされていた。執刀前に所見を最終確認したが,足背動脈の拍動はまったく触れず,壊疽の所見も明らかであった。
 手術は順調に進んだ。手術が7割方済んだと思われる頃,カルテを読んでいた外回りの看護婦が突然泣き出した。インフォームド・コンセントによると,切断すべき足は「左足」ではなく「右足」だったというのである。麻酔前に患者は「右足」の手術と言っていたが,患者の勘違いと思いこみ,手術予定表に従って「左足」の手術の準備を始めてしまったというのだった。彼女が泣き出したのは,手術が後戻りのできない時点になって初めて自分の誤りに気がついたためだった。
 規則通りに事前にインフォームド・コンセントの内容を確認していたならば,実は手術予定表が間違っていたことに気がついていただろう。執刀前にインフォームド・コンセントの内容を確認しなかったという点については執刀医のサンチェスも同罪であり,看護婦だけを責めることはできなかった。
 予定とは違う側の足を切断したとはいっても,いずれは反対側も切断しなければならなくなるだろうとは事前に患者にも説明していた。サンチェスにとっては,とにかく手術を済ませ,患者には事後に説明をして納得をしてもらうしかなかった。
 以上が,世に言う「タンパ切断足取り違え事件」の発端であるが,この事件は患者の名を取って「ウィリー・キング事件」とも言われている。そもそもの間違いの始まりは,サンチェスのオフィスの事務員が手術申し込みをする際に右と左を間違えたことにあった。手術の直前に間違いに気がついた事務員は,手術部に電話で訂正を連絡したが,連絡を受けた手術部の職員はコンピュータの手術予定は訂正したものの,手術部入り口の手術予定表の記載を訂正することを忘れてしまったのであった。

報道が米国民の医療不信を増強

 誤った手術が行なわれたのは1995年2月20日,フロリダ州タンパ市のユニバーシティ・コミュニティ病院であった。事件が明るみに出たのは手術から5日後であるが,病院職員が地元のテレビ局に内部通報したことが報道のきっかけだったとされている。「フロリダの病院で間違った足が切断された」事件は,あたかもまったく健常な足が誤って切断されたかのように報道された。この事件をめぐる米下院議場での議員間のやりとりは前回紹介したが,この事件の報道は,米国民の医療不信を増強することとなった。
 さらに,この事件の直後に,全米屈指の癌治療センター,ダナ・ファーバー癌研究所でボストン・グローブ紙の医療問題担当記者ベツィー・リーマンが,抗癌剤の過剰投与で亡くなった事件をきっかけに,医療過誤問題が全米メディアで集中して報道されるようになったことは以前にも述べた(2358号)。
 医療過誤が全米的問題となる中,米国民の医療不信を克服せんと米医療界に医療過誤防止に対する組織的かつ真剣な取り組みを行なう機運が醸成されたが,タンパの切断足取り違え,ダナ・ファーバーでの抗癌剤過剰投与の2事件がこういった動きの直接のきっかけとなったのである。米医師会は医療過誤の防止を推進するために「全米患者安全基金」を設立し,医療施設合同評価委員会(JCAHO)は医療過誤〔JCAHOは医療過誤といわずに,「警鐘的事例(sentinel events)」と呼んでいる〕のデータ収集に取り組むとともに,医療過誤を起こした医療施設に対して,「根本原因分析(root cause analysis)」を行ない,類似医療過誤の再発防止策を講じることを病院監査の要件とするようになったのである。
 ウィリー・キング事件は,このように米医療界全体に非常に大きな影響を与えることとなったのであるが,当然のことながら,執刀医であるサンチェス医師の人生も,この事件によって大きく揺れ動くこととなった。
 サンチェス医師は,患者との補償交渉が進められる中,弁護士や医療過誤保険会社から口止めされていたために,「何の異常もない足を切断してしまったでたらめな医師」という一方的な報道に対しても,一切弁明する機会は与えられなかった。さらに,自宅前に張り込む報道関係者から逃れるため,妻子はモーテル暮らしを余儀なくされることとなった。ウィリー・キング事件のほとぼりがさめることをひたすら待つサンチェス医師にとって,この先にこれ以上の苦難が待ち受けているなど夢にも予想することはできなかったのである。

この項つづく