医学界新聞

 


杉村隆氏
国立がんセンター名誉総長
東邦大学長
日本対ガン協会会長

俯瞰的に見る「癌学」

時代を見る眼を養う

〔対談〕

Part.II


樋野興夫氏
癌研究会癌研究所
実験病理部長

癌の遺伝子治療の「落とし穴」と遺伝子予防

樋野 ところで先生は,癌の遺伝子治療についてどのように思われますか。
杉村 非常に期待していますよ。必ず可能だと思います。さらに,胎児のうちに正常なRBの遺伝子を入れる。そういう意味での遺伝子予防も可能だと思いますよ。
樋野 遺伝子予防?
杉村 正常の遺伝子によって,遺伝的に癌になるのを予防するわけです。そういうことが可能になると思いますから,遺伝的な癌だからといって,諦めることもなくなる。
 しかし,現在の癌に対する遺伝子治療について言えば,100個の細胞に98個の正常の遺伝子がうまく入って,遺伝子治療ができたとしても,癌細胞はまずいことに2個あったらだめなんですよね。なぜなら,もともと癌は1個の細胞から発生したわけですからね。したがって,すべての細胞にきちんと行き渡らなければいけません。だから,癌の遺伝子治療は非常に大変だと思いますね。
樋野 癌は普通の遺伝病とは違います。
杉村 まったく違う。遺伝子治療の対象に なる意味がまったく違います。
樋野 通常の遺伝病は遺伝子の機能として,20%でも10%でも回復すればいいわけですが,癌は細胞が1つでも生き残れば,また………。
杉村 だめなんだから。
樋野 癌の遺伝子治療は違いますね。
杉村 他の遺伝子治療とは違うものです。それをベクターにしても何にしても,一緒のレベルで考える傾向がありますね。
 そこは先ほどからの話と同様,「落とし穴」だと思います。
樋野 そういう意味でも,癌の遺伝子治療についてはきちんと考えたほうがいいと思いますね。
 ところで,先ほど先生が言われた「遺伝子予防」という言葉はあるのですか。
杉村 いや。今ここで作ったんです(笑)。
樋野 そうですか(笑)。面白い発想ですね。われわれも遺伝性腎癌ラット(Eker rat)でまさに『遺伝子予防』をしましたが,これは究極的な遺伝子治療ですね。

癌の化学予防の「落とし穴」

樋野 化学予防についてはいかがですか。
杉村 化学予防は非常にプラグマティックなものだと思います。副作用がない抗酸化剤のようなものはまったく現実的です。
 現に多種類の野菜を食べたりすることも勧められるでしょう。フルーツを食べたほうがいいとか,繊維を含む野菜がいいとかいうこともつまり化学予防です。それも1つの物質による予防ではなく,集合体による化学予防ですからね。それはそれで成り立っている学問だと思うし,非常にリアリスティックだと思いますね。
樋野 化学予防の領域で,今日のキーワードである「落とし穴」という問題を考えた場合,どういうことが考えられますか。
杉村 ある癌には有効な化学予防が,他の癌に対しては反対に促進することもあるのを忘れていることがあると思います。また,β‐カロチンやビタミンEのように,量が多いと逆効果になる場合もあります。
樋野 例えば野菜でも,ある癌には効くけれども,ある癌には効かないこともあることを把握しておく必要があるということですか。
杉村 おっしゃる通りです。煙草だってそうでしょう。煙草を止めると癌は大体すべて減ります。しかし,BRCAが変異しているアシュケナージ・ユダヤ人の乳癌は,煙草を吸っていると半分になるという報告もあります。煙草ですら,その中の何かが,ある遺伝子背景を持った乳癌には予防になっています。
 また,ヘリコバクターの除去で胃の幽門癌は減るけれども,食道下部の癌の増加が心配されています。

組織・細胞特異的発癌の重要性

樋野 「毒をもって,毒を制す」ですね。癌というのは組織・細胞特異的な発癌をきめ細かく考えなければいけないということですね。
杉村 そうです。ですから,一般論として化学予防というのは成り立つかどうかは非常に難しいと思っています。しかし,例えば胃に腸上皮化生がある場合,胃癌にならないためにはどうするとよいかということはあると思いますよ。それからこの人は,高齢になると大腸にポリープが出やすい。それを予防するためにはどうすればよいかは,きちんとわかると思いますね。
樋野 なるほど。特異的にターゲットを絞った化学予防と,ジェネラルな化学予防には違いがあるということを整理する必要があるわけですね。
杉村 そうですね。ジェネラルな化学予防はないけれども,唯一すべてに共通して言えることはエネルギーの消費を少なくすることですよ。
樋野 あまり食事をしないということになりますね。
杉村 「細くかそけく」,細々と生きているということです。
樋野 それは,やはりフリーラジカルの問題でしょうか。
杉村 そう。酸素の消費を少なくして,仙人みたいな生活をしていることじゃないですか。そのことによって,体内に活性酸素の発生が少なくなります。
樋野 今までの話をまとめてみますと,遺伝子治療の「落とし穴」は,癌細胞という発生を理解しなければいけないということですね。化学予防の「落とし穴」は,細胞によって違ってくるということを考えなければいけないということですね。

クローン動物における発癌

樋野 それから,クローン動物などが流行りですが,例えばクローンマウスやクローンラットができた時に,通常の動物の発癌実験と,体細胞から作ったクローン動物を用いた発癌実験とでは当然違ってくると思いますが,染色体が短くなった体細胞核を入れて生体にしているわけですから,発癌がどうなるかが問題になります。
 例えばマウスなどのクローンはすでにできていますから,体細胞核から作ったマウスと通常のインブレッドのマウスで同じように発癌剤を与えるとどうなるか。きわめて興味あるところですね。
杉村 それは興味ありますね。
樋野 そういう研究は大切だと思います。
杉村 それは当然です。

環境発癌の「落とし穴」

樋野 それから,環境因子による発癌もあります。low doseの問題がありますね。
杉村 これも大問題ですね。とにかく今から何年か前までは,放射線の作用は線量と直線関係があり,0点を通ると信じて誰も疑わなかったわけでしょう。
 今はそうではなくて閾値があります。閾値というのは結局,放射線によってあるダメージが起こってもそれを修復する能力があって,能力よりもダメージの量が少ないと閾値が生じる。そこまではまだいいのだけど,少量の放射線はかえって癌になりにくいというのはなおわかり難いですね。
樋野 いわゆる「適応応答」ですね。
杉村 そうです。一般論として閾値があるのは本当だと思いますね。ただ同時に,1000種類の1つひとつに閾値があるものにわれわれは接触しているわけですからね。1000種類がみんなDNAにダメージを与えている場合もあります。そうすると,1つひとつのものに閾値があることがどういう意味を持っているのかが本当はわからなくなっています。
樋野 複合ですね。それがあるからやはり危ないものはやめましょう,ということになります。
杉村 「なるべくやめましょう」ということです。ですから,「絶対やめましょう」ということは,少し眉唾のところがあると思います。「なるべくやめましょう」と言うのが正しいでしょう。つまり「なるべくやめましょう」というのは,「絶対やめる」ための経済的負担や今後のリスク研究にアンバランスな費用がかかるなら,少しはあっても諦めましょうということですね。
樋野 「なるべく」と「絶対」の違いを理解することですね。
杉村 つまり「現実的にやりましょう」ということですね。他の発癌要因もあるのだから,1つだけ考えてもあまり役に立たないわけですよね。例えば,化学発癌実験をケモ・ハザードで考えた綺麗なクリーンベンチを使って実験します。しかし,それが終わると煙草を一服吸ったりしている。人間とは本来矛盾しているわけですよ。
樋野 そうですね。閾値とかlow doseの問題は非常に難しいところがあります。
杉村 難しいですね。それは科学であると同時に心理学であったり,社会学であったりすると思います。
樋野 『われには大いなる矛盾あり,われは大いなればなり』(ホイットマン)ですね。化学予防にしても,環境因子による発癌にしても“癌は大いなれば”きちんとそういうことを踏まえて研究する必要があるということですね。

研究におけるボルトを緩める自由度

杉村 とにかく,少し不確実にボルトを緩めた状態で進んだほうがいいのではないかという気がします。と言うのも,ヘリコバクターの意義などは,最初に日本の胃の癌病理学者が気づいてよかったはずですよ。ボルトが締めつけられて,頭と目が連動しなかったわけです。
樋野 要するにいまは締めすぎである。だから,自由度がなくなっているわけですね。それはある意味では評価システムの問題もあるでしょうし。
杉村 みんなが他人を評価できると思っている。第一,本当に評価できる人がそんなにたくさんいたら困ると思いませんか? 内心どこかでみんな変だと思っている。思っていながら,日本国中の空気がそうだから,評価できることになって,評価し合っている。だから,本当は神の領域を犯していることになります。
樋野 巨額なお金が出るものは,それなりに必要かもしれませんが,それとは別にアメリカのスタディグラント研究費が増えているように,日本でもそうすべきであるということですね。
杉村 そう思います。一方では,評価する人をもっと大事にしないといけない。
樋野 ボルトが締めすぎられて……。
杉村 ボルトを締めなければいけないもの,締めれば進むものもありますよ。
樋野 国家プロジェクト的なものですね。そういう意味では,発癌研究なんて泥臭いところがあって,時間もかかります。しかし,稀なできごとであっても後でジェネライズされ,何かのブレイクスルーになります。長い目で見れば,社会に対して貢献できるということになりますね。
杉村 私は,現在の科学の発展した姿を何年か前にきちんと予見して評価した人はいないと思います。例えば北村先生の初期の研究を,当時きちんと評価した人がいるかどうか疑問ですね。
樋野 c-kitのことですね。
杉村 先生がご専門とされている,ノルウェーのEker先生の仕事を評価した人もそうです。
樋野 いないと思いますよ。
杉村 いないでしょう。しかし,評価されないものから評価されるものへ変容していくわけだから,評価する人はもっと自然に対して,また自分の未熟さについても謙虚でなければいけないと思います。
樋野 そうですね。
杉村 おそらく,そういう風潮も大きな「落とし穴」になるのではないかな。
樋野 まさに『神は細部に宿り給う』ですね。癌は個性があるわけですから,癌研究者にも個性があると認め合うことが大切ですね。
杉村 新しい芸術,音楽でも美術でもそうではないですか。現代芸術も,生まれてくる時は古典的な観点から見れば何か変なものですよ。デザインにしたって,最初は評価されないものですよ。科学だけは例外だと考えるのは正しくないと思います。いわば人間の精神活動なんですから。
樋野 先覚者はどの集団でも2%しかいない,と言われております。基本は『人間を大事にする』ことですね。

遺伝子診断と治療感受性

樋野 ところでもう1つ,癌細胞の遺伝子診断の問題がありますね。これは遺伝性の癌だけでなくて,例えば通常の癌でも,p53のmutationがあれば化学療法の感受性が違うということもありますから。
杉村 これは現実的にすごく大切ですね。ルーティーンに行なうべきだと思います。
樋野 遺伝子診断を病理診断と同じようにですか。
杉村 そうです。今や血液を分析機に入れれば,1時間位でデータが出てくるでしょう。この癌はp53に変異があるが,この癌にはないということがすぐにわかります。今回の癌学会長の田原榮一先生がなさっているような研究をもっと進めるべきだと思います。
樋野 遺伝子診断が予後感受性につながるということですね。
杉村 少なくともp53に変異があるかないかによって,治療方針が大きく違ってくるでしょう。
樋野 癌細胞の治療の感受性にDNAチップを利用して,「この遺伝子の異常があれば化学療法はよく効く,放射線治療がよく効く」というふうにもっていくべきであるということですね。
杉村 そうなれば,患者さんにはむだな化学療法・放射線治療はやめましょうということになると思いますね。
樋野 時代の大きな流れですね。SNPs(single nucleotide polymorphisms)もその流れの1つですね。
杉村 そうです。がんセンターもそうですし,癌研でもそうでしょうが,遺伝子診断のセクションが研究所でなく,病院の臨床検査部にあるのですから。

倫理の「落とし穴」-科学のこころと良心

樋野 わかりました。もう1つ,倫理的な問題はどう考えられますか。
杉村 倫理的な問題というのは,「慣れ」の問題だと思います。
樋野 慣れですか。
杉村 昔は未開の地の人が入れ歯を見たら驚きました。しかし,今は驚く人はいませんね。輸血でも移植でも誰も驚かないでしょう。慣れればいいんですよ。慣れると,現在は倫理的におかしいと思うことがおかしくなくなりますよ。そこで重要なことは,良心の問題です。決して新しくはない古いこと,例えば静脈注射や100年も使用している古い薬であるアスピリンを飲ませようとする時に,慣れているから誰も倫理的な問題を問いません。しかし,そういう平凡なものに伴う副作用に注意する良心が必要です。良心があれば,新しい治療であろうと同じことですよ。
 私は遺伝子治療に関しても,倫理観というものは誰でもが普通に持っていなければいけない「良心」だと思いますね。それを特別に「倫理委員会」とか言って,新しい治療や試験を対象として考えることは,先ほどの評価の問題と同様に間違った流行ですよ。普通の良心を鼓舞すればいいのですよ(笑)。
樋野 なるほど(笑)。「人間の尊厳とは何か」ですね。それが教育ですよね。
杉村 例えば,患者さんが外来に待っているとします。予約すれば待たないで済むのに,何となく平然と待たせている。しかもそれが普通のことだと思っているのです。
 しかし,誰もそれが倫理的におかしいと倫理委員会で問題にしようとも思わない。それがおかしいのですよ。倫理委員会には日常のことで議論すべきことがたくさんあるはずです。
樋野 あんな分厚い倫理委員会の書類は,一体何のためにあるのかということになりますね(笑)。
杉村 必要ないですね。もっと普通のこと,平均的,原理的なことが大切です。
樋野 精神文化の頽廃ですね。ところで先 ほど先生が言われた「遺伝子予防」というのは大きなテーマだと思いますけれども,もう少しお聞かせいただけますか。
杉村 それは,それこそ倫理的にやるべきです。トライ&エラーがもちろんありますよ。進歩の道程には多くの間違いの存在を許さなければ,進歩しません。絶対間違いなく進歩するなんてことはあり得ません。

癌研究を通して,時代を見る眼を養う

樋野 癌研究,発癌研究でも「落とし穴」がたくさんあるわけですから,それを浮き彫りにして活字にする,というのが今回の狙いでもあるわけですね。
 この対談に先だって,先日,洗足池の勝海舟の墓と世田谷の吉田松陰の墓に行ってきましたが,『かくすれば,かくなるものとは知りながら,やむにやまれぬ大和魂』(吉田松陰),『行ないは,われにあり。評価は他にあり。われ関せず』(勝海舟)の心境です(笑)。
 時代精神に翻弄されることなく『明日の癌研究』を語るべき大切な時期であると思いますが,そういうことを胆力を持って発言する人もあまりいないし(笑)。
 それは発言できないというよりも,わからなくて発言できてないという人も多いと思います。気がついていないというのが多いと思いますから,ある意味では教育が大切であると思います。姿勢の根本に何が据えられるべきかを明確に把握し得ていないのが現状と思います。『気骨ある異端児のあふれるエネルギー』は時代の要請と思います。
杉村 樋野先生の言われる通りです。
 癌細胞には生命の神秘である発生や分化が絡み合っています。癌の医療には,診断,治療を含め,学際的なことが集積しています。癌の予防には,社会心理的なものが密接に関連しています。今日は話題にはなりませんでしたが,QOLはより宗教的に考えなければなりません。
 樋野先生と話していると,日本の現在の混沌と戦うスピリットが出てくるように思います。
樋野 癌学は俯瞰的に見る統合の学問であり,大分水嶺に立ち,North(北),East(東),West(西),South(南)を展望し,good news(福音)を伝えることが,「人間社会の病理学」の理解に貢献できるものと考えます。
 今回の先生の日本癌学会総会での特別講演は,癌研究の「落とし穴」がキーワードになるわけですね。大いに楽しみにさせていただきます。本日はありがとうございました。
(終わり)

Part.Iの構成
●「がん研究の過去・現在・未来:いくつかの落とし穴を考えつつ」
●発癌研究の歴史的な流れ
●癌戦略上の「落とし穴」
●癌の個性
●癌の発生を遅らせる
●自然退縮する癌
●稀な現象から研究の突破口を見つける
●遺伝癌細胞のリセット:epigeneticな変化
●遺伝子発現病(gene expression disease)としての癌
●「宝探し」
●生物種による違い
●オリジナル・スタンダードの欠如
●評価の「落とし穴」-『既知の比較』
●「先端科学」と「発癌研究」
●少数を尊重する治療
●実験腫瘍学
●グローバル研究と純正研究の止揚(アウフヘーベン)を求めて
●癌研究の構造改革
●潜在癌から顕在癌へのメカニズムの解明を
●癌研究における“森と木”の関係
●“何か気ぜわしい", “何かがおかしい”
●大病理学者は「作家」であり,「編集者」でもあった

対談を終えて

 昨年,同じく広島で第87回日本病理学会総会が,田原榮一会長(広島大教授)のもとで開催された。筆者は,「“悠々とした病理学”-21世紀に向かって」という演題で教育講演の機会が与えられ,少なからず反響があった(本紙第2296〔1998年7月6日付〕号参照)。
 それが1つの遠因となり(?),今年の第58回日本癌学会総会で杉村隆先生の特別講演の前に,「癌研究の創造性を求めて」と題するシンポジウムを山村研一先生(熊本大)と一緒に司会をすることになった。また今回のもう1人の特別講演は,私のMentor(よき指導者),Dr. Alfred G. Knudson(Fox Chase Cancer Center)である(同氏との対談は本紙第2227〔1997年9月22日付〕号参照)。
 私にとって,第58回日本癌学会総会を前にして,俯瞰的に“深く”,“広く”,“高く”「癌学」を語れる人物である杉村隆先生と対談の機会を与えられたことは,本当に大いなる学びの時であった。
 「何かと気ぜわしい」
 「何かがおかしい」
 「何かが内側で壊れてしまっている」
 「それが何なのか,その実体をなかなか明確に把握し得ないでいる。何をどうすればよいのか,その有効な対策を打ち出し得ないでいる」
 「姿勢の根本に何が据えられるべきであろうか」
 これは,現代の癌研究者だけでなく多くの人が感じているところである。
 時代精神に翻弄されることなく,「日本の癌学はかくありたい」と心の静まりを持って語り合い,「明日の癌学」の道筋を展開することは,きわめてタイムリーなことであると考える。グローバル研究を超えて,日本の独自性はあり得るのか?『日本の土壌の上に立つ癌学』とは,何であるのか?「毎日汲々として世界の進歩を追っているだけでなく,悠々と思索することも,独創の根性を打ち込むことになる」(杉村隆先生)ことが,本対談の基本的精神であったと思う。
 「癌学」は,いわゆる先端科学とは若干趣が異なり,俯瞰的に見る総合の学問と言えよう。グローバル研究と純正研究の止揚を求めることは,“俯瞰的に見る「癌学」”の時代的要請である。
 さらに研究を評価する場合,「現象の発見」と「原理(メカニズム)の発見」の違いをきちんと認識して,それぞれの立場の重要性を相互に理解することが大切であると考える。その上で,生物学のcomplexityからsimplifying and unifying rulesを求めることになろう。なぜなら,「現象の発見」なくしては,研究対象は「既知の比較」でしかなく,すでにお手本があり,研究の独創は困難と言えよう。現代の分子生物学の大きな流れに対して,時には批判的精神も必要であろう。「誰にでもできるが,どこにいてもできない」研究と,「どこにいてもできるが,誰にでもできない」研究の違いをきっと理解することが大切である。

 癌研の実験病理部の創始者であり,癌の本態解明に道を切り拓いた,日本が誇る癌学者吉田富三はかつて,
 「発癌は多段階である」
 「1つひとつの癌には,それぞれ特有の個性がある」
 「癌細胞と正常細胞の間は,継続的であるとも言える」
 と述べている。まさに,温故知新である。また,
 「癌といふ病気は,古く人類と共に地味に存在を続けて来た病気でありまして,派手な流行といふものはない。………人間が生活しているという状況のなかで,どこででもできるものであり,ただagingといふものとは明らかに結びついているのでありますが,しかし,その発生には個人差が非常に大きいのであります」と。
 これは,ヒト癌発生における遺伝的体質の重要性の指摘であり,1970年代の松永英氏(元国立遺伝研所長)の遺伝性癌の宿主抵抗説と共に,今日のSNPの源流はむしろ日本の癌研究の流れの中にあることを覚える必要があるのではなかろうか。
 山極勝三郎は1915年にウサギの耳にコールタールを塗り,世界で初めて扁平上皮癌を作ることに成功した。そして,1932年に佐々木隆興,吉田富三がオルトアミノアゾトルオールをラットに食べさせ,肝臓癌を作った。日本は化学発癌の創始国であり,発癌研究には伝統がある。

 「『古の学者は己の為めにし,今の学者は人の為めにす』とは,論語の一句である。………ギリシャ以来伝えられて来た『真理のための真理の研究』というのも同様である。そのような研究の結果が,初めて国をも世をも裨益するのである。………いまや進歩した文明と大衆社会の時代において,………自ら究めるべきをも究めつくさないで,人類や大衆,いままた国家の名において呼びかけるものに,直ちに凭りかかる傾向がある」
 「『何かをなす』(to do)の前に『何であらねばならぬか』(to be)ということを,まず考えよということが(新渡戸稲造)先生の一番大事な教えであったと思います」(南原繁元東大総長)。

 まさに,これは本対談の本当の狙いであった「時代を見る眼を養う」である。「かくあるべきもの」を自分が持った時に,周りの人たちに「かくありたい」気持ちを起こさせるもののようである。故に,「出会い」が必要である。
 人間の癌化は人間存在にとって根源的な課題であり,人間社会のあり方に指標を示すことのできるものであり,癌学者の「社会」に対する時代的貢献の到来ではなかろうか?

(樋野興夫)