医学界新聞

 

日本-タイの看護国際交流活動

タイで開催した「第1回国際看護セミナー」報告


 さる5月4-8日の5日間,日本とタイ国の看護学術交流開発の一環として,「国際看護セミナー」を,タイ国クリスチャン大学と東京大学医学部家族看護学教室で共催した。本セミナーのテーマは,“Tropical Health,AIDS,and Primary Health Care in Southeast Asia:Nurse's Perspective”(看護の視点からみた東南アジアの熱帯医学・エイズ・PHC)とした。日本からの参加者は大学生から大学教授までの15名で,タイからは16名が参加。クリスチャン大学は,本年創立15周年を迎え,学長のJanjira先生は看護学のリーダーの1人として国際的にも著名な方である。
 バンコク郊外のリゾートホテル“ローズガーデン”をメイン会場としたセミナーは,きわめて質が高く,民族舞踊を取り入れたパーティーも実り多かった。ことに参加した日本人15人にとっては,多忙な日常から離れての交流の場ともなり,通訳なしの英語で取り組んだセミナーは各人に深い感動を与え,成功のうちに終了した(詳細は,「家族看護学研究Vol.15,No.1を参照)。ここに参加学生4名によるセミナーの報告を下記する。なお,次回の開催は参加者の希望によるが,明年実施の方向で考えている。

代表:杉下知子(東大大学院医学系研究科教授)


●1日目・プライマリーヘルスケア(PHC)

 初日には,Dr.Kittidilokkulによる「タイのヘルスケアシステム」と,Dr.Wong-khomthongによる「PHCの概念と戦略」,およびDr.Ramasootaによる「PHCの実践における看護の役割」の3つの講義がローズガーデンホテルで行なわれた。

悪循環を断つために

 開発途上国の医療問題としては,病気の種類や病人が多いにもかかわらず医療施設は一部の都市に集中し,医療従事者も少なく,保健行政が手薄になっていることが第1にあげられる。これはタイも同様であり,未だにマラリア等の熱帯病や風土病が流行し重大な健康問題となっている。また,数10床レベルの地域病院が,人口5-10万人をカバーしている状況で,その下のレベルのヘルスセンターには医師はいない。
 さらに,自国に合った医療技術を開発する資金・技術がなく,医療を先進国からの輸入に頼っている。これも開発途上国に共通する問題だが,健康教育が行き届かず予防可能な病気も多発,医療施設へのアクセスは十分ではなく,さらなる病人を生むという悪循環を生じさせている。
 この悪循環を断つ手段として導入されたのがPHCである。具体的には(1)健康教育の普及,(2)風土病の予防,(3)生活改善と安全な飲料水,(4)母子保健と家族計画,(5)予防接種の普及,(6)栄養改善,(7)簡単な病気の手当て,(8)必須医療品の配備,の8項目をさす。そして,PHC実践にあたって必要になるのが(a)住民参加,(b)適正技術,(c)地域資源の最大限有効活用,(d)各分野の協調と統合,(e)既存の医療制度との調和,の5項目である。つまり,PHCの目標は,住民自らが参加し,先進国からの技術依存から脱して各地域に根付いた健康活動を行なうことで,従来の医療と協力して住民の健康状態を改善していくことなのである。
 タイでは,ビレッジヘルスボランティア(VHV)が中心となってPHC活動を実践している。VHVは一般の住民で構成されるが,彼らの役割はヘルスセンターと連絡を取り合い,村の健康促進運動の中心となること。この活動の場となるのがヴィレッジヘルスセンター(VHC)で,運営には政府からの援助以外にPHC基金も用いられる。またここでは,看護職が教育者,情報提供者として重要な役割を担っている。
 PHCの推進は経済的,技術的に困難な状況にある開発途上国においては,住民の健康を守るために必要なことということ理解できた。
和田幸子(東大医学部健康科学・看護学科3年)


●2日目・フィールドワーク(伝統医学の体験)

 2日目は,Nakhon Pathom県のBan Lakmetremai村を訪れ,村のVHCやAgricultural Fund,伝統医学を行なっている寺を訪問し,実際に寺の近くのVHCで伝統医学の体験もした。

1)ヴィレッジヘルスセンター(VHC)
 VHCで,村のVHVリーダーから話を聞いた。このVHCは公衆衛生官,地区長,VHVを含む住民により設立・運営されていて,村の人口345人に対して9人のVHV(同規模の他村の平均は3-5人)が,健康に関する調査冊子の配布・集計・政府への報告,避妊具の配布,乳幼児の健康調査,小学生へのAIDS等,健康教育を行なうなど活躍している。栄養・衛生状態はよく,この村では政府のPHC活動が成功しているように感じた。
 しかし,タイ全体の経済状態の悪化により政府の援助は削減。そのため薬草や伝統医学が見直され,積極的に利用されるようになった。そしてそれは喜ばしいことであると住民やVHVはとらえている。最近は,都市から持ち帰られるAIDSが深刻な現実問題となってきている。

2)Agricultural Fund
 地域単位の農業共同体を訪れ,設立の経緯・現況を聞いた。この地域では10年前に共同体を設立し,会員がボランティアで共同体との作物契約の仲介・調整を行ない,収益を各農民に分配している。当初40人の会員は500人までに増えたこともあったが,現在は2組織に分かれ,会員は各々100人である。真のPHCは,住民が自身の健康に目を向ける余裕がなければ生まれない。

3)タイの伝統医学
 薬草を用いた伝統医学で知られる仏寺で,僧から概論を聞いた。タイの伝統医学では「病気は身体に悪いものが入ってくるから起こる」と考えられており,基本治療は嘔吐など「身体から出す」ことに重点が置かれている。寺の近くのVHCにはいつでも無料で利用できる薬草入りサウナがあり,私たちもタイ流の癒しを味わった。

4)Big Jar
 余談だが,村のあちこちに雨水を溜める巨大な水瓶があった。前日の衛生状態に関するの講義では,「清潔な飲用水を確保するため」とのことだったが,実際は蓋がされていなかったりボウフラがわいていたりと,飲用にするには問題があるのでは?と思ってしまうようなことが多かった。

三原華子(福島医大学6年)


●3日目・熱帯医学

 熱帯医学についての研修は,マヒドン大学熱帯医学部のThe Hospital for Tropical Diseasesで行なわれた。ICU婦長による「マラリア患者に対する看護の役割」や,医師による「熱帯地域における健康問題」の講義の他,病院見学も実施した。

文化背景の違いにおどろき

 タイを含む熱帯地域では多くの感染症が流行している。中でもマラリアは都市部では稀だが,山岳地帯や国境付近にほぼ1年中流行しているところがある。
 マラリアは治療が遅れると,死亡することも稀ではない。合併症や重篤化を防ぐには,ICUにおける早期の診断・治療が重要で,治療は化学療法だけでなく,体温調節,水分・栄養補給,保清,環境整備などの対症療法が効果的である。この対症療法は医師よりはむしろ看護者の関わる場面である。ICU婦長は「適切な看護により悪化や合併症を防ぐことができる」と述べていた。熱帯地域では医療従事者が不足していることからも,熱帯病における看護の役割は大きくなっているのだと考えた。
 病棟見学を行なったが,成人病棟と小児病棟は定員約30人の大部屋だった。ここでは,研究のため治療は無料である。宿泊費と食費は患者が払わなければならないが,実際には払えないことが多い。日本と異なっていたのは,患者名・病名等が患者にも面会者にも見える位置の壁に掲示してあり,ベッドの間に仕切りのカーテンがない等,プライバシーへのこだわりがないことだった。ICUは4床で,機器は日本と大差はなかったが,入室前の手洗いや消毒,空気の清浄化は行なわれていない。すぐ隣の透析室でICU婦長が「ダイアライザーは非常に高価なので,肝炎の患者には同じダイアライザーを10回使う」と発言し,日本人参加者から質問が集中した。1日1回10%ホルマリン液で30分洗浄をして同一患者に10回用いると説明があったが,感染の危険性についての不安が拭い去れなかった。1日の外来患者数は150人。直接受診する患者が大部分で,中小規模病院や地域の病院からの紹介・依頼のシステムはあっても,それを効率的に機能させるのは難しいようだった。
横山梓(東大医学部健康科学・看護学科4年)


●4日目・タイでのHIV/AIDSに対する取組み

 4日目には,Bamrasnaradura病院で,Dr. Achara Chaowawavichよる「タイにおけるAIDSの状況」と,Pa-Earn Thanompongchati看護婦長よる「HIV感染患者へのケアにおける看護の役割」の講義と病院見学が行なわれた。

HIV/AIDSの正しい知識と応用

 この病院は,1960年に感染症対策のために建てられた公衆衛生省直轄の病院で,タイで最初のAIDS患者を受け入れた後,公衆衛生省からの支援でタイ初のAIDS病棟を設立した。匿名でのHIV/AIDS検査とカウンセリングを開始し,現在では患者・家族・一般向けの教室やAIDS Clinic Dayが開かれている。AIDS患者に限らず他の疾患患者も多く訪れるが,サルモネラ,結核,下痢を合併している人,ターミナル期,衰弱の激しい人以外は一切分けて扱うことはしていない。
 AIDS外来患者へのケアは,まずトリアージ看護職の問診で,(1)HIV感染の症状のない患者,(2)症状はあるが結核感染のない患者,(3)症状があり結核感染のある患者の3つに分けられる。次いで,ナースプラクティショナーが応対し,その後にカウンセラーや医師に引き継ぐ。また,ベッドではなくストレッチャー上でAIDS患者を対象とした日帰りケアを行なうAmbulatory Care Unitという専門病棟があった。入院患者へのケアは,AIDSの効果的な治療法が確立されていないため,悪化しないように維持していき,その中でも特に精神的なケアに重点が置かれている。
 タイでは,AIDS患者の増加に伴い,さまざまなところで働く看護職が患者の援助をしていかなくてはならない現状がある。だが,まだまだ誤った知識によって十分なケアを受けていない患者も多い。そのため,看護職は正しい知識を持って自分自身の感染を防御しつつ,患者に十分なケアを提供していくことが必要である。この病院では看護職だけでなく,すべての医療従事者が正しい知識を持ち,患者により十分なケアを提供することを目標と掲げていた。
 この研修により,プライバシーを守ることが大切で誤解を受けやすいHIV/AIDSという疾患を持つ患者への,適切なケアを行なうことの大切さと難しさを改めて学ぶことができた。
湯原なお子(東大医学部健康科学・看護学科4年)