医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部附属市原病院麻酔科)


第7章 独占市場での価格と生産量
-医療過疎地と政府の規制

 現在日本の医療機関は,かつてないほどの競争にさらされています。その一方で,いまだに「医療過疎地」と呼ばれるようなところもあります。また,世界に目を向けると,発展途上国ではこうした医療過疎はめずらしいものではありません。診療を受けるために遠方から都市部の病院まで重病患者を運ばねばならないこともあります。
 こうした医療過疎地の診療所で働く医師たちは誠に尊い仕事をしています。まさに「医は仁術」を実践しています。地域では住民に慕われ,求めがあれば往診も行ないます。また医療保険のない時代には,貧しい患者からは診療代金の一部しか受け取らないといったことも行なわれました。
 しかし,本当に医療過疎地で働くすべての医師が「医は仁術」を実践しているのでしょうか。経済学では1つの市場に1つの医療機関しかない状態を「独占市場」と呼びます。前章では「完全競争市場」について分析しましたが,それと対比させてこの「独占市場」を分析します。もし医師たちに利潤を最大化しようとする動機がある場合にはどのようなことになるのかを,この章では考察してみたいと思います。

独占市場の定義

 さて前章では「完全競争市場」を定義しましたが,それと対比するかたちで「独占市場」を定義すると下表のようになります。
 完全競争市場と比べて,独占市場では(1)と(3)の点が異なっていることに注意してください。こうした独占市場では財・サービスの1人の売り手そのものが市場となり,右下がりの需要曲線(D)に直面します(図1)。売り手は供給量を自分で調節することで,製品の価格を操ることができます。完全競争市場では,売り手は価格を所与として行動する経済主体(プライス・テイカー)であったのと対照的に,独占市場の売り手(独占者)はプライス・セッターと呼ばれます。このとき,独占者が利潤を最大にするように生産販売量を決定すればどのようなことになるのでしょうか。

表 独占市場の定義
(1)市場には1人の売り手と大勢の買い手が存在し,売り手は供給量を変えることで価格に影響を及ぼすことができる
(2)市場で取り引きされる製品は同質
(3)売り手と買い手は可動性がなく,自由に市場に参入・退出できない
(4)売り手と買い手は完全な情報を持ち,製品の価格や質を完全に知っている

独占市場での短期均衡

 まず,独占市場では財・サービスの生産者(ここでは病院経営者)がどう行動するか,みてみましょう。利潤を最大にしたい病院経営者にとって自らコントロールできるのは医療サービスの生産量です。この生産量を調節すると,市場での価格もコントロールできます。病院経営者は利潤を最大にする生産量を決定しなければなりません。当然,多く生産すれば収入は多くなりますが,それとともに費用も多くなります。

費用と収入
 まず費用に注目します。この費用の部分は完全競争市場の場合とまったく同じです。これをグラフに描くと,図1のようになりました(2340号参照)。
 次に収入に注目します。全収入は市場価格と生産量の積となります。限界収入とは生産量を1単位増加させたときの全収入の増加分と定義されます。今は独占市場を仮定しているので,生産量と価格の関係は右下がりの需要曲線となります。生産量を変化させると市場価格も変化します。市場価格をP,生産量をqとすると, 全収入(R)=P×q 限界収入(MR)=∂R/∂q となります。生産量を横軸にとったグラフでは,限界収入は一般に需要曲線の下にある右下がりの曲線となります(図1)。

限界分析と利潤
 病院経営者は利潤を最大にするように医療サービスの生産量を決定します。利潤は全収入と全費用の差です。利潤を最大化したい病院経営者はこの限界費用と限界収入(市場価格)が等しくなるように生産量を決定します(図1)。この点も完全競争市場の場合とまったく同じです。
 利潤を最大にしようとする病院経営者は,限界費用を限界収入と等しくなるように生産量を決定しますが,このとき病院経営者が本当に儲かっているかどうか(正の利潤をあげているか)は別問題です。
 図1の場合,生産量がq0のとき,価格はP0になります。このときP0は平均費用AC0より大きいので病院経営者は図1の斜線部に相当する利潤をあげています。

独占市場での長期均衡

 長期においてはすべての費用は可変費用になります(短期で固定費用として考えた病院用地代も長期には変化させることができます)。それゆえ病院経営者は,全収入が全費用を上回るときのみ市場にとどまることができます。最適な生産量は,市場価格が長期限界費用に等しくかつ長期限界費用が増加している水準になります。ここまでは完全競争市場と同じですが,独占市場はここからが違ってきます。この生産量で病院経営者が正の利潤をあげていても,他の病院経営者が市場に参入することはできません(独占市場の定義(3)を参照)。したがって独占者は永遠に利潤をあげ続けることができるのです。これとは対照的に参入が自由な完全競争市場では市場全体の生産量が増加して市場価格が低下します。そして市場価格が平均費用と等しくなって,利潤がゼロになるまで参入は続きます。

独占者の行動パターンと政府の規制

 以上,利潤を最大化しようとする独占者の行動をみてきました。独占者は財・サービスの生産量を制限することで限界費用と限界収入を等しくして,利潤を最大化します。直感的に言えば,財・サービスを供給しすぎると,価格が下がって費用が上がるため,独占者は儲からなくなります。
 こうした行動パターンを医療過疎地の医療に置き換えてみると,大きな問題があることに気がつきます。地域で唯一の医療機関が利潤最大化のために医療サービスの供給を制限していることになります。具体的には診察時間を短くしたり,休診日を増やしたりして医療サービスの供給を制限することになります。これでは,その地域の患者は満足な医療を受けられなくなります。
 こうした問題を解決するために,現在の日本では政府はさまざまな対策を講じています。その1つに国民皆保険制度があります。この制度は医療機関の立場からみると,価格統制に他なりません。すなわち国民皆保険制度の下では市場の需要・供給に関係なく政府によって医療サービスの価格が決められています。このことを図2を用いて少し詳しく分析しましょう。
 今,政府が限界費用曲線と需要曲線の交点に相当する点(P1)に請求できる最大価格を設定したとします。すると新しい需要曲線はABDとなります。このときの限界収入曲線はABCEとなります。利潤最大化をめざす病院経営者は限界費用と限界収入を等しくするように生産量を決定するので,q1だけ医療サービスを生産します。結果的に医療サービスの価格はP0からP1に低下し,医療サービスの生産量はq0からq1に増加します。つまり,医療過疎地における医療サービスの供給制限が解決したことになります。もちろん独占者の利潤は国民皆保険制度(価格統制)がない場合に比べて減少します。
 こうした価格統制の手段は他の独占的産業にも用いられています。例えば,電気・ガスなどの料金がそうです。電気・ガスの会社はその地域では独占企業です。消費者は他の会社の安い電気・ガスを買いたくても,一般には不可能です。こうした会社が利潤最大化のために電気・ガスの供給制限をすれば大変なことになります。こうした事態を防ぐために電気・ガスの価格は政府が統制しています。政府が認可した以上の価格で販売することはできません。
 再び,医療過疎地の独占者を規制する手段に話を戻しましょう。価格統制以外には利潤最大化の目標そのものをなくしてしまうことも1つの方法です。例えば,医療過疎地に地方政府が公立病院を建設することがあります。公立病院の場合,利潤最大化が目標ではないので,医療サービスの生産量を制限する可能性は低くなります。

医療市場の現状について

 日本の医療に目を向けてみましょう。日本では交通の発達や病院の増設などで,医療過疎地はかなり減少してきました。数十年前までは国民皆保険制度や公立病院は上記のような独占者の弊害を防ぐ役割を果たしてきたのでしょうが,独占市場が減少した現在ではその役割は縮小した感があります。逆に今ではこうした政府の規制が弊害を生んでいると批判する者もいます。医療以外の産業でも政府の規制から自由競争へと流れは向かっています。例えば電気の生産なども自由競争が認められるようです。もしかすると医療の世界も政府の規制を見直して,自由競争を取り入れる時代になりつつあるのかもしれません。