第2345号 1999年7月5日


連載
アメリカ医療の光と影(8)

医療過誤防止事始め(2)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


ある症例

<症例>ベン・コルブ,7歳,男性。
 1995年12月13日,ベンは母親のタミーとともにフロリダ州スチュアート市のマーティン・メモリアル医療センターを訪れた。2歳,5歳の時にも同医療センターで耳鼻科の手術を受けており,以前の手術でできた瘢痕を取り除く手術を受けるためだった。手術を前におびえているベンの気持ちをなごませるために,母親のタミーは,サッカーチーム(ベンはチームのキャプテンだった)や,クリスマスの話をした。手術室からの迎えがきた時には,ベンはすっかり落ち着いていた。キスをした後,手術室に連れて行かれる息子に「じゃ,楽しんでいらっしゃい」とタミーは手を振った。
 ベンの手術が始まった。麻酔の導入には何の問題もなかった。ベンの心拍数・血圧が突然上昇したのは,耳鼻科医が手術部位に「キシロカイン」を局注した直後だった。麻酔科医のジョージ・マクレインが手術室に駆けつけ,ベンの循環動態を安定化させた。循環動態の変動は「キシロカイン液」に含まれるエピネフリンに患者が過剰に反応したせいではないかと医師たちは考えた。9分後,心電図の波形が突然乱れ始め,心拍数・血圧が急減した。手術は中止され,即座に蘇生処置が始められた。
 止まってしまったベンの心臓を元に戻そうと,マクレインたちは懸命の蘇生処置を続けた。他の手術室からも応援の医師が駆けつけた。1時間40分に及ぶ蘇生処置の後,ベンの心臓は再び動き出し,ベンは集中治療室に運ばれた。
 母親のタミー・コルブの前に耳鼻科医と麻酔科医のマクレインとが現れたのはベンが手術室に連れて行かれてから3時間ほどしてからであろうか。手術中に息子の心臓が止まり,懸命の処置で心臓の動きは戻ったものの息子は昏睡状態にあるという。そうは言われても突然のことでタミーには何が起こっているのか理解することができなかった。
 「きっと目をさますんですよね……。こんなシーンをテレビでみたことがあります……。ベンが目をさましたらすぐにクリスマス・プレゼントをあげなくちゃ。早めに買っておいたプレゼントなんです」。
 父親のティムとベンの姉も病院に駆けつけた。一家は集中治療室のベンのベッドサイドで夜を明かした。
 ベンが手術室に連れていかれてから24時間後,両親の同意のもとに呼吸器がはずされ,ベンの死亡が宣告された。

リスクマネジャー

 マーティン・メモリアル医療センターのリスクマネジメント部長ドニ・ハス看護婦に,患者が手術中に心停止を起こしたという連絡が入ったのは,医師たちが蘇生処置を始めた直後だった。
 彼女は即座に手術室に出向き,患者の状態が安定するやいなや,医師たちから何が起こったのかを直接聞き出した。リスクマネジャーとして彼女が第1にすべきことは,「証拠」を保全するとともに,他の患者に同様の危険が及ぶ事態を防止すること(risk containment)であった。
 患者の状態が急変した原因はわからなかったが,彼女は,規則通り,使用された薬剤・注射器を封印保存した。薬剤に含まれていた不純物が原因となった可能性を考え,ハスは使用された薬剤の製造ロット番号を薬局に伝え,同一ロット番号の薬剤が再度使われることがないよう病棟から回収することを指示した。さらに,ハスからの連絡を受けた薬局は,全米薬剤副作用モニターセンターに薬剤事故が起こったらしい事実を,薬剤名とロット番号とともに報告した。また,注射器の中身を検定することができる検査施設を探すことも始められた。
 これらリスクマネジャーとしての本来の任務を果たす一方で,ハスが心を砕いた のは患者の家族の気持ちを思いやることであった。すでに,耳鼻科の医師と麻酔科医とは患者の家族に何が起こったかを説明していた。また,手術部長は病院の牧師に連絡を取り,家族を精神的にサポートするよう頼んでいた(主治医たちの説明の後,牧師の1人がずっと家族に付き添うこととなった)。
 ベンが死亡した翌日の12月15日,ドニ・ハスは家族と直接会い,悔やみの意を表するとともに,「全力をあげて,息子さんが亡くなった原因を突き止める」ということを約束した。また,7歳の子どもが手術中の「事故」で亡くなった事件は地元のマスコミに大きく報じられたが,「マスコミには何も話さないでほしい」という家族の意向を尊重して,病院側はマスコミに対する発言を一切控えた。

全職員への手紙

 12月15日には,CEO(最高経営責任者)のディック・ハートマンが全職員に対して以下のような手紙を配布した。
 「ベン・コルブ君,7歳が,昨日亡くなられたことに関して,私どもは皆胸が塞がれる思いを抱いておりますが,ご家族に対しては心よりのお悔やみを表するより他ありません。
 ベン君が私どもの病院にやってきたのは,ごくありふれた耳鼻科の手術を受けるためでした。これまで何千回も私どもの病院で行なわれてきた手術ですが,1度たりと事故が起こったことはありませんでした。しかし,悲しいことに,今回に限ってエピネフリンに対して思いがけない反応が起こり,懸命の蘇生処置にも関わらず,ベン君の命を救うことはできませんでした。
 ご家族が『何故,ベンが?』と思われるお気持ちはまったく当然なことであります……(中略)。原因を明らかにすることはできないかも知れませんが,私どもは徹底した原因究明を行ないます。
 ベン君のご家族が,その悲痛な思いをメディアを通じて話されるのは当然の権利です。しかし,われわれは医療者として患者のプライバシーを守る義務があることを忘れないでください。ご家族に話す権利はあっても,われわれに話す権利はないのです」と,家族に対する思いやりを最優先することが強調された。
 病院として医療事故が起きた時に家族に対してどう対応するかは特に規則として 定めていたわけではなく,これらの対応はすべて自発的なものであったという。ちなみに,マーティン・メモリアル医療センターは,「心のこもった医療(compassionate care)」を追求することを病院の最大目標としている。

この項つづく