医学界新聞

 

〈連載〉

国際保健
-新しいパラダイムがはじまる-

高山義浩 国際保健研究会代表/山口大学医学部3年


〔第11回〕難聴の国-ネパール

「モモはない!!」

 もちろん,1つの民族について「○○な人々だ」とひとくくりにしてしまうのは危険な試みではある。でも,ネパール人の音のボリュームは,やはり大きすぎるような気がするのだ。もの静かな性格でありながら,しゃべる時は大声だし,行商人が垂れ流している音楽の音量も最大。バスや乗用車のクラクションは音色入りの最大音量で,しかもひっきりなしに鳴らされている。
 僕がブトワールというネパールの田舎町に滞在していた時に,たまたま訪れたレストランの親父も声が大きかった。モモ(餃子のような料理)を注文すると,すかさず「モモはない!」と怒鳴られてしまった……少なくともそんな気がした。なんだか嫌われているような気がして,動転してしまい,
「えぇ! モモないの~?」と僕は日本語で言い返してしまった。言葉の意味を察したかのように,親父は再び
「モモはない!!」と念を押したあと,
「モモが食べたいのか?」と吐き捨てるように言った……そんな気がした。
「食べたい」と僕。食べたいから注文したのだ。ここから少し話はネパール風になる。

「そうか,モモが食べたかったのか」
「ええまあ,でもカレーも美味しいよね。卵カレーにしよっかな?」
「この街にはモモの美味い店がある」
「そうなんですか」
「あっちのほうだ」
「ほー。今度行ってみます」
「わかりにくい場所だ」
「そりゃ残念」
「俺が連れてってやる」
「はぁ?」
「来い!」
「今ですか?」
「今食いたいって言ってたじゃないか」

 なかば無理やり僕を店から連れ出し,親父はリキシャ(自転車を使う人力タクシー)を止めて僕と乗り込んだ。リキシャは1kmぐらい走り,確かにわかりにくい路地裏で止まった。
 そこのモモは美味であった。親父が勝手に注文してしまったので,入っているのが何の肉なのかはわからなかったが,ピリッとした辛さの中に肉の甘味が生きていた。それを厚めだが透き通るような餃子の皮で包んでいる。ソースはカレー味だが,香辛料を何度も重ねたに違いないこくがあり,最後に加えられたと思われる香草も居場所をわきまえていて嫌味がなかった。
「こりゃ美味いね! 今まで食ったモモの中で一番だ!」
 素直に僕が賞賛すると,横で見下ろしていた親父は満足げに
「美味いだろ!」とまた怒鳴った。そして,さりげなく支払いをして立ち去ろうとしたので,僕はびっくりした。
「そんな,困ります。僕,払います」
「いいんだよ。俺の店にモモがなかったんだから」
 そう吐き捨てて,親父は去ってしまった。日本人的な感覚からすると,最後まで親父の口調と行動は一致していなかった。

耳垢をとらぬ習慣

 ところで,この時僕は「シッダルタ母子病院」という,同じくブトワールにある病院で研修を受けている最中だった。同病院は,昨年の11月にAMDAという日本を中心とする医療NGOによって支援されて設立されたばかりである。ブトワール市郊外にある6.7ヘクタールの土地に,現在は外来診療棟が建つのみだが,ゆくゆくは病棟のさらなる充実を予定しており,分娩施設,救急施設の設置,そして障害児施設の併設が具体的になりつつある。ボランティアセンターも建物がほぼ完成し運営を開始している。まさに一大プロジェクトが進行中なのである。世界的に著名な建築家・安藤忠雄氏もこの計画に賛同し,ボランティアで病棟を設計しているという。
 そして,現在も日本からの支援が続けられており,僕が訪問した時は内科医の高橋哲也先生が活動されていた。その高橋先生によると,シッダルタ病院の外来には毎日50-60人の新患患者が来院しており,その91%が感染症なのだそうだ。このあたりは典型的な途上国の子ども病院ということなのだが,ネパールに特徴的な傾向として中耳炎,外耳道炎で来院する子どもが多いそうである。そして,高橋先生は次のような興味深い話をしてくれた。
「ネパールにはね,日常的に耳垢をとる習慣がないんだ。だから,ネパールの子どもの耳の中には,大豆ぐらいの石化した耳垢が入っていることが多いんだよ。さらに,大人では鼓膜が瘢痕化していて,難聴になっているケースが少なくないんだ」

だから難聴に?

 なるほど,ネパール人のボリュームの大きさは,もしかしたら難聴に由来するのかもしれない。言われてみると,研修中にも,中耳炎,外耳道炎など耳に関わる訴えで来院する患者が少なくなかった。いったいネパールの子どもたちの耳の中は,一般的にはどのような状態にあるのだろう。耳垢をとる習慣がないのなら,耳垢塞栓(耳垢によって外耳道が塞がれている状態)になっているケースが少なくないのではないだろうか。こんな素朴な疑問を抱いた僕は,高橋先生のすすめもあって,小児科での研修に並行して,患者さんの耳を逐一検査させてもらうことにした。
 検査したのは,小児科に外来した0歳以上14歳以下の95人(男性44,女性51)。ただし,耳に関する異常を主訴として来院した患者さん9人は除外してある。その結果は上のグラフに示したように驚くべきものであった。
 両側ともに塞栓になっているのが半数,どちらか一方の耳でも塞栓になっている子どもは,実に3人に2人にもなる。日本人の常識からすると理解不能だが,耳鏡器で覗くまでもなく,外耳道が真っ黒な耳垢でべっとりと塞がっている子どもがめずらしくなかった。しかし,本人も母親も平気な顔をしている。これを文化的な相違ということで片づけてしまってよいものだろうか。これは僕の勝手な意見だが,ネパールの保健医療は,耳垢をとる習慣を身につけさせるような健康教育を全国的に展開すべきなのではないだろうか。
 この検査を続けている最中に,1歳の女の子が耳の異常を訴えて来院した。両耳とも耳垢塞栓になっており,まずは耳垢を摘出することになった。ネパール人医師が耳鏡器で覗きながら耳垢を取り除いていくと,何と鼓膜付近でうごめくものがあるという。つまんで取り出してみると,ふっくらと肥えた約1センチのウジ虫であった。
 医師はさらに見つけたようで,次々に取り出してくる。結局,片側から6匹ものウジ虫が出てきたのだった。おそらくハエが潜り込み,産卵したのであろう。そして,耳垢を栄養にして成長したのだと推察された。また,外耳道もウジ虫の活動によってその構造はかなり崩れていた。
 これは極端なケースだったが,この耳垢塞栓がもたらす健康問題は根が深いに違いない。慢性中耳炎の子どもが多いのもこれが原因だと考えられる。また,すでに鼓膜が半月状にまで退縮してしまっている子どもが目立つ。要するに,ネパールでは少なからぬ人々が,日常的に耳垢をとる習慣がないゆえに耳垢塞栓となり,慢性中耳炎を好発し,やがては難聴になってしまっていると考えられたのだった。そして,こうした医学的な理由から,あのネパールの騒音が助長され,冒頭に登場してもらった親父のように大声で吐き捨てるような物言いの人が多くなっているのかもしれない。
 もちろん,これは僕がネパールのある街で,ほんの100人足らずを検査した結果にすぎない。今後の調査研究が進められることを期待している。