医学界新聞

 

連載
アメリカ医療の光と影(7)

医療過誤防止事始め(1)

李 啓充 (マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学助教授)


 医療過誤の歴史は医療とともに始まったといっても過言ではない。医療は人間の成す営みであり,神ならぬ医療者が誤りを犯さぬはずはないからである。
 世界最古の成文法ハムラビ法典はバビロン王朝遺跡から発掘されたが,紀元前18世紀に作成されたこのハムラビ法典に医療過誤を犯した医師に対する処罰がすでに規定されている。同法典の第218条に,「手術により患者が死亡した場合,あるいは,腫瘍の切除に際し患者が眼を失った場合,医師の両手を切断するものとする」と書かれているが,バビロン王朝がこの条文を定めた理由が,医師過剰の解消であったとは思えない。
 時代が下がり,ギリシャ時代になると,「ヒポクラテスの誓い」(2337号参照)に医師の患者に対する責務が列挙された後に「above all, do no harm(何よりも,患者に対し害をなすなかれ)」と記載されるようになり,医療者は患者に害をなしうる存在であることが明瞭に認識されている。
 医療過誤が医療者への不信を生み出すことも現代と変わらず,ローマ時代の博物学者大プリニウスは「医師には用心してかからないといけない。医師というものは,患者の命を犠牲にしてその技量を学んだくせに,いざ自分の治療の誤りが患者に害を与えると,悪くなったことを患者のせいにするからだ」と書き残している。

医療者のドグマティズム

 このように,医療者が誤りを犯す存在であることは歴史的には自明のことと認識されてきたのにもかかわらず,医療者は「医療者は誤りを犯す存在であってはならない」というドグマに囚われ,「完璧」を求めることで医療過誤を防ごうと努めてきた。いわば,神ならぬ者が神になることによって医療過誤を防ごうという愚を繰り返してきたのであった。
 医療者たちは「誤りは起きない」という前提の下で医療のシステムを構築し続けてきたのであるが,これは「誤りを犯してはならない」というドグマの裏返しであったといえる。「医療者も間違いを犯す」という前提に立ち,「フェイルセイフ」という発想で医療のシステムを構築することを怠ってきたのである。経管栄養を点滴につないだがために患者が死亡するという過ちを幾度となく繰り返してきながら,「これからはつなぎ間違えないように気をつけましょう」と言うばかりで,経管栄養のラインと点滴のラインを別仕様にすることでつなぎ間違えが起こり得ないようにシステムそのものを改変するという発想は持ち得なかったのである。
 「医療者は誤りを犯してはならない」というドグマはまた,医療者に「誤りを認めるのは恥辱である」という強迫的ともいえる観念を抱かせることとなり,過誤を「隠す」という医療界の悪しき風習の精神的土壌を作り出すもととなった。1847年に創設されたアメリカ医師会が,創設時の倫理綱領に「同業者の医師を批判してはいけない」,「医師同士の討議内容を患者に知らせてはいけない」という規定を設けたことからも知られるように,医療者の組織は「ギルド」として同業者の権益を守ることを第一とし,患者の安全を守るという使命は二の次としてきたのである。

医療事故の系統的防止

 アーネスト・コドマンは,1910年代に米外科学会の「病院標準化委員会」の議長として,病院間で大きく異なっていた医療の質を標準化することに力を尽くしたが,彼のこの努力が後の「医療施設評価合同委員会(JCAHO)」(米国の高齢者医療保険メディケアの保険適用を審査する病院格付け機関)の設立につながることとなった。
 コドマンは,また,「医療の効率や生産性は,経済的基準から測られるべきではなく,患者のベネフィットにどれだけ貢献したかで測られるべきだ」という発想のもとに,医療事故を系統的に防止するために「医療事故の報告を制度化する」ことを提唱したが,コドマンのこの提案が実現するまでには実に80年の歳月を要したのであった。1995年に,JCAHOが,医療事故のデータベースを作成しその防止策を検討するために医療事故(「警鐘的事例(sentinel events)」の報告制度を開始するまで待たなければならなかったのである。
 筆者は,自著『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院刊)に,1994年にダナ・ファーバー癌研究所で起こった抗癌剤の過剰投与事件について記したが,1995年は,このダナ・ファーバー事件をはじめ多くの医療過誤事件が全米に報道される年となった。そして,この年は,増大する社会の医療不信に応え,米国の医療者が「医療過誤防止」に向けて初めて系統的な取り組みを開始する年ともなった。
 間違いを犯した個人の「不注意」を責めることでは類似の医療過誤を防ぐことにはならない,過誤が起こった「根本原因」を分析し(root cause analysis),医療のシステム・プロセスそのものの欠陥を改善しなければならないという認識の下,全米的な取り組みが行なわれるようになったのである。

この項つづく