医学界新聞

 

連載
経済学で医療を診る

-医療従事者のための経済学

中田善規 (帝京大学経済学部助教授・医学部附属市原病院麻酔科)


第4章 供給曲線と生産者行動
 -病院は自分をいくらで雇ってくれるのか?

 今の日本は不況です。リストラ,失業,賃金カット。いままで絶対安心と言われてきたゼネコン,銀行も数多く倒産し,失業率は戦後最悪の数字になりました。
 読者の中にも「この不況の嵐が医療の世界にもやってくるのではないか」と心配している人もいるでしょう。そこでこの章では,病院経営者が医療従事者をどういう原理で雇っているのかを経済学的に分析し,現実になるかもしれない医療不況を生き残る知恵にしてもらえればと思います。

モデル化

 さて,ここに1人の病院経営者がいると仮定します(モデル化)。彼の病院には1つの手術室があり(この手術室を経済学では「資本」という),そこに医師の労働(これを経済学では「労働」という)を組み合わせて医療サービスを生産しています。彼の病院は激しい競争(完全競争市場)の中,生産した医療サービスを市場で決まった価格でしか売ることができません。また医師を雇う場合にも完全競争的な労働市場から医師を得るので,医師の賃金も市場で決まった賃金を払わざるを得ません。こうした状況の中で,この病院経営者は何人の医師を雇えばよいのでしょうか。

限界分析

 この問題を第1章で述べた「限界分析」を用いて考えましょう。

限界生産物
 まず,限界生産物という概念を導入します。ここでの限界生産物とは,医師を追加的に1人増やした時に生産される医療サービスの増加量です。1つの手術室に対する医師の限界生産物を考えてみましょう。
 この病院には1つの手術室がありますが,医師を誰も雇わなければ医療サービスは生産されません。すなわち生産量はゼロです。そこに1人の医師を雇えば医療サービスの生産量は大幅に増加します(限界生産物は非常に大きい)。その医師は休みなく働き医療サービスを生産します。しかし,たった1人で1つの手術室を完全に利用するのは大変です。手術室の利用されない時間がどうしても生じます。
 そこで2人目の医師を雇います。すると2人で交代制にすればさらに医療サービスの生産は増加します。しかしながら,2人目の医師がきたことで増加した医療サービスの生産量は,1人目の医師による医療サービスの生産量よりは小さくなります。すなわち2人目の医師の限界生産物は,1人目の医師の限界生産物よりも小さくなります。
 さらに3人目の医師を雇えば3交代となってさらに医療サービスの生産は増加します。1つの手術室をより効率的に利用できるからです。しかしながら,3人目の医師がきたことで増加した医療サービスの生産量は,2人目の医師がきたことで増加した医療サービスの生産量よりも小さくなります。すなわち3人目の医師の限界生産物は2人目の医師の限界生産物よりも小さくなります。
 このように雇う医師の数を徐々に増やしていったとします。しかし,1つの手術室に対して50人もの医師を雇うのは明らかに行きすぎでしょう。たとえ49人から50人に医師を増やしたところで,医療サービスの生産量は,もはやあまり増加しないでしょう(限界生産物は非常に小さい)。手術室は完全に利用されるでしょうが,今度は医師が余り始めるはずです。
 このように,医師の限界生産物は医師を多く雇えば雇うほど減少していきます。これを経済学では「限界生産物逓減の法則」とか,「収穫逓減の法則」と呼びます。雇う医師の数が増えるとそれだけ全体の生産は増加しますが,最後の1人の医師による生産の増加量(限界生産物)は小さくなるということです。限界生産物と全体の生産量との違いに注目してください(図1)。

限界生産物収入
 医療サービス市場が完全競争的で,医療サービスの価格が一定だとすると,この病院経営者の収入も上の分析と同様に変化します。つまり,この病院の全収入は医師を多く雇えば雇うほど増加しますが,最後の1人の医師による収入の増加量(限界生産物収入)は小さくなります(図2)。

限界要素費用
 さて,この病院経営者にとってもう1つの考慮すべき点は医師の賃金です。医師を多く雇えば雇うほど全収入は増加しますが,それと同時に医師の賃金を含めた費用全体も増加します。医師の労働市場が完全競争的だとすると,医師の賃金は一定になります。すると全費用は医師数と医師の賃金の積と固定費用との和としてあらわされます。医師数を横軸にとったグラフでは全費用は(図2上)のような直線になります。利潤は全収入と全費用の差ですが,この利潤を最大にしたい病院経営者はどうすればよいのでしょうか。
 ここでも同様に限界要素費用というものを考えます。限界要素費用とは生産要素(ここでは医師の労働)を1単位追加的に購入することの費用と定義されます。ここでは医師を1人雇うことの費用ですので,これは医師の賃金になります。
 利潤を最大化したい病院経営者はこの限界要素費用(すなわち医師の賃金)と限界生産物収入が等しくなるように,雇う医師の数を決定します(図2下)。それはなぜかを説明しましょう。
 もし仮に利潤最大化する医師数N0よりも小さいN1しか医師を雇っていないと仮定します。するとこの病院経営者はあと1人医師を雇うことで限界生産物収入のR1だけ収入が増え,費用は限界要素費用(賃金)のWだけかかります。グラフからわかるようにR1>Wですので,この病院経営者はあと1人の医師を雇うと利潤は増加します。このようにして雇う医師数をN0まで増やしていきます。逆に利潤最大化する医師数N0よりも大きいN2の医師を雇っている場合を考えます。この時は限界要素費用(賃金)Wが限界生産収入R2より大きいので,医師数を減らしたほうが利潤は大きくなります。このようにして病院経営者は雇う医師数をN0まで減らします。
 以上の分析から,利潤最大化をめざす病院経営者は限界要素費用(すなわち医師の賃金)と限界生産物収入が等しくなるように医師数を決定することがわかります。

(補足)数学的な考え方

 利潤最大化のためには,
  利潤=全収入-全費用 の式を医師数で偏微分したものがゼロになればよいのです。つまり,
  0=限界生産物収入-限界要素費用
よって,
  限界生産物収入=限界要素費用
となり,利潤最大化をめざす病院経営者は賃金と限界生産物収入が等しくなるように医師を雇用することがわかります。

医療過疎地の賃金

 日本ではかなり少なくなったようですが,一部の地域には医師が十分にいないところがあります。こうした医療過疎地では医師を雇うのにの高い賃金を支払うことが多いようです。逆に都会などで医師が大勢いる地域では医師の賃金は医療過疎地に比べて低くなる傾向があるようです。この現象は上の分析から説明できます。
 医療過疎地では追加的に雇う医師の限界生産物は非常に大きくなります。直感的には医師が1人しかいない診療所に自分が雇われて行くと考えてください。自分が赴任するとその診療所の医療サービスの生産は飛躍的に増加するでしょう。ちょうど図1のA0のような状態です。それにしたがって限界生産物収入も非常に大きくなり,賃金も高くなります。これはなにも診療所の経営者が無理をして高い賃金を払っているのではありません。診療所の利潤を最大にするためにそうしているのです。つまり高い賃金を払っても十分割に合うのです。
 逆に医師がすでに大勢いる都会では,追加的に雇う医師の限界生産物は非常に小さくなります。直感的には医師が何百人もいる大病院に自分が雇われて行くと考えてください。自分が1人加わったところでその病院の医療サービス生産は飛躍的の増加するとは期待できません。ちょうど図1のA1のような状態です。この時限界生産物収入も低くなり,賃金も低くなります。こうした考え方は,将来自分がどこで働くべきかを考える際の参考になるかもしれません。しかしながら,資本量(すなわち診療所と大病院の設備)の差も考慮しないと正確には限界生産物を比較できません。大病院には設備が十分にあるので,限界生産物が医療過疎地の診療所の場合よりも大きくなることもあります。

専門性と賃金

 読者の中には,将来自分が何を専門として働くべきかを悩んでいる人もいることでしょう。この悩みにも上の分析が役立つかもしれません。例えば内科医は大勢いるが外科医は少ないという病院で自分が働くとします。この時に自分が内科医として働いても,すでに大勢の内科医がいるので限界生産物は大きくなるとは期待できません。しかし外科医としてなら限界生産物は大きくなることが期待でき,賃金も内科医よりも高くなるかもしれません。しかしここでも資本量すなわち病院の設備も考慮しなければなりません。内科病棟が大規模なのに,外科手術室が貧弱な病院では,外科医の限界生産物は内科医の限界生産よりも小さく,内科医のほうが優遇されるかもしれません。

まとめ

 今回は限界分析を用いて医師の雇用について考察しました。このモデルに従えば,高い賃金を得るには限界生産物および限界生産物収入を高めるような職場を選ぶ必要があります。しかし以上の分析は資本量(手術室などの設備)が一定という短期を仮定しています。長期的には病床の増床,新しい手術室の建設などといった資本量も変化しますので,これとは違った分析が必要になります。