医学界新聞

トーマス・ジェファーソン大学

エクスターン研修報告

朴 勝大(ベス・イスラエル・メディカルセンター 小児科レジデント)


 私は,野口医学研究所の紹介で1月12日から30日までの3週間,フィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学小児科でエクスターン研修をさせていただきました。

「そうだ,ここはアメリカなんだ」

 1月5日に日本を発ち,英語のリハビリテーションとばかりにカリフォルニアとアイオワで旧友に会い友情を深め,フィラデルフィアに着いたのは1月の10日。昨年1月にニューヨークの病院でのエクスターン中に立ち寄った時からは想像もつかない暖かな太陽が私を迎えてくれた。早速,野口医学研究所に挨拶に行こうとシャトルを予約したものの,待たされること30分。途中,違う会社のシャトルが声をかけてくれたが,「予約を入れたから」と断り待ち続けた。しかしながら,頼んだシャトルの影も形も見えず,結局,「そうだ,ここはアメリカなんだ」と,あきらめてタクシーに乗り込み研究所へ向かうことになった。
 研究所では,霞朝雄先生,津田武先生,青山剛和先生をはじめとする,スタッフの皆さんが歓迎してくださった。今回の研修の内容について話した後,津田先生から面接の模擬練習をしていただいた。自分としては,一生懸命に自分の想いを喋りまくり,まあ大丈夫だろうと思っていたものの,返ってきたコメントは「喋ることに躍起になって,英語が早すぎる。これでは聞くほうがまくしたてられている気になってしまう」「日本とアメリカの医療の比較について,日本の医療の悪い部分のみにとらわれている。それでは,医師としてImmatureと思われてしまう」等と,厳しいものだった。亀田総合病院のDr. Steinの格言に「アメリカン・ゲームはアメリカン・ウェイで戦わなければ勝てない」という言葉があるが,確かにそうだと実感した。23日にニューヨークにあるベス・イスラエル・メディカルセンターで面接を受けることが決まっていたこともあり,この2週間でしっかり改善していこうと決意して,宿舎となるMartin Buildingに向かった。

研修中の私

外来診療に垣間見たアメリカの文化

 研修は1月12日より3週間にわたって行なわれたが,津田先生と受け入れ側のDr. Callahanの考慮で,外来,病棟,NICUをそれぞれ1週間ずつ回ることになった。
 第1週目の外来ではインド系美人のDr. Narulaについて彼女の外来を中心に見学した。彼女は2年目のレジデントということであったが,患者と家族に対しての病歴聴取,診察ともに目を見張るものがあり,患者に病状の説明をする際のプロフェッショナルな姿にはよきにつけ,悪しきにつけ,日本人医師との違いを感じた。
 外来は,まず最初にレジデントと医学生が患者を診て,病歴をとり,診察を終え,自分としてのアセスメントとプランをたてる。それを,Preceptorと呼ばれるアテンディングにプレゼンテーションし,必要な項目をディスカッションしたうえで一緒に患者のところに行く。そしてアテンディングの最終的な指示に従い患者に対して処置や説明を行なうという最もスタンダードなスタイルだった。
 私が見た外来患者の70%以上はいわゆるwell baby checkで,生まれてから内科にお世話になる18歳までの間,決まった年齢で自分の担当の医師を受診し,必要な検査ならびに健康状態,生活状態までチェックするというものだった。裕福な人は,プライベートの家族医または小児科医に通っているせいか,レジデントが見ている患者の中には貧しそうな人が多かった。レジデントとアテンディングのダブルチェックということもあり,1人に要する時間は40分から1時間。1人のレジデントが1日に診る患者の数は4人から多くても8人ぐらいと日本の臨床医には考えられないことだろう。
 アメリカに来たことを実感した症例として,定期の健康診断の目的で病院に来た14歳の黒人の少年がいた。診察中に肝臓の腫大が見られたこともあり,STD(性行為感染症)の可能性を考えたDr. Narulaが彼の性生活についての細かい問診を始めた。当然親に了解を取り,部屋から出ていってもらってのことである。「これからする質問は君のからだの問題を明らかにするために非常に大切なものであり,ここで喋った内容は私たちだけの秘密で決して親や学校に言うことはない」と前置きしたうえで,次のような会話が始まった。
 「この1年間で何人ぐらいのセックス・パートナーがいたの?」,「5人」,「コンドームはいつも着けてる?」,「うん,着けてる」,「本当に?」,「本当だよ」,「家には誰と住んでるの?」等々。
 その後,彼の趣味や生活状況まで,事細かに応答が続いた。当然性器の診察もしっかり行ない,異常がないことを確認し,コンドームの使用を強く勧めるといったものだった。食生活に対しても,ジャンクフードばかり食べている1歳児の両親に対して「まず最初に,この子の食べているものはひどすぎる」と言って食事についての教育を行なう場面も。
 Dr. Narulaの問診を聞いているだけで,その患者の生活状態,ひいてはアメリカの文化の一端までが伝わってきた。小児科医は当然病気の患者もたくさん見るわけだが,「病気を診る医学から,病気を予防していく医学へと変わってきたアメリカの小児医療」といったところだろうか。自分がとった病歴・所見,そしてアセスメントとプランに対する評価を1つひとつのケースに対してしてもらえるということは,コスト・パフォーマンスの面では非常に悪いが,研修医のレベルを高めていくという面では最適であるということを今回改めて認識した。実際に,外来研修の期間が長くなるにつれてレジデント,学生ともに確かな知識と自信を確実につけていた。

インテンシブな教育

 第2週目は病棟を回ったわけだが,ここではハードな時間を過ごすことになった。見学者という立場で,英語もそんなに上手でないこともあってか,あまり相手にしてもらえず居場所がなかったというところだろうか。自分で,患者のノートを書いたりしてアプローチもしてみたが,あまり効果もなく,同じく,あまり相手にされずに寂しい思いをしていた医学生と仲よくなり,彼らの講義に出させてもらったりして時間を過ごした。
 津田先生によれば,Visitorや医学生をどこまで大切にするかはチーム・リーダーである3年目のレジデントの器だということであった。この1週間は,言葉や文化の違うアメリカでレジデント研修をすることは自分にとって本当に幸せなのだろうかと考える1週間でもあった(結果はもちろんYes)。
 しかしながら,常に上級レジデントとアテンディングのSupervisionのもとで,1つひとつ確実な知識と技術を身につけていけるチーム医療のスタイルは日本の内科,小児科ではなかなか見られないものであり,1日に1-2回は,アテンディングの講義を受け知識を増やしていくというインテンシブな教育は非常に魅力あるものだった。私が入ったチームは3年目のレジデントを筆頭に2人のインターンと1人の医学部4年生,3人の医学部3年生で構成されていた。医学生も4年生となれば,インターンに負けないぐらいの働きをしていたのも印象的だった。

交渉

 第2週を終えた段階で,津田先生,佐藤隆美先生と話をする機会を得た。「よくない部分は交渉して改善していかなければならない」とアドバイスを受け,Dr. Callahanのオフィスに。2週目の病棟研修では,非常にハードな時を過ごしたことを説明し,第3週目のアテンディングであるDr. Jonesに前もって話しておくことを約束してくれた。また,その時にNICUを回っているレジデントを調べて,どのレジデントにつくべきかをアドバイスしてくれた。そのかいもあってか,最後の週は最も有意義に過ごせた。プログラムの向上のためにレジデントとアテンディングが自由に話し合っていけるのもアメリカの素晴らしいところといえまいか。
 さてNICUについてだが,レジデントは7時前にはNICUに姿を見せ9時からのラウンドに備え患者を診て必要なデータを集める。ラウンドは2時間かけてみっちり行なわれ,各患児の担当のレジデント,医学生またはナース・プラクティショナーがプレゼンテーションを行なっていく。それに対してDr. Jonesがコメントを加えていくわけだが,非常にEducationalな内容で3週間の中で最も楽しいひとときだった。最後の3日間は,交渉のかいあって,インフォーマルにプレゼンテーションをさせてもらうこともできた。久しぶりの英語でのプレゼンテーションに緊張し,足が震えてしまう一面もあったが,自分にとっては実りあるものとなった。午後1時半からは放射線科との合同カンファレンスが毎日行なわれており,その日に撮った写真についてチューブの位置から肺野の状態までチェックされる。コンサルテーションも非常にスムーズに行なわれており,アメリカ医学の層の厚さを感じた。

アメリカでの研修に価値はあるか

何が一番大変か

 今回の3週間を通して一番大変だったのはやはり英語力であった。沖縄のアメリカ海軍病院で1年を過ごし,英語に関しては何とかなるだろうと思っていたが,現場の英語というのは想像以上に難しかった。こちらが外国人だからといって,わかりやすい英語を使ってくれることを期待できるはずもなく,医学に関する話にはついていけても,ソーシャルな話題になると,部分的にわかったジョークに笑うのが精一杯の抵抗。患者とその家族をめぐる社会的な要因も日本とは大きく違う。なかんずく,小児科医として,子どもたちの住む環境や学校のシステムや現状を十分に知らない自分が,患者からの情報を適切に評価し,適切な治療とアドバイスへとつなげていけるのかというとかなりの不安が残った。

若き日の夢,終わりなき挑戦

 ある意味で,私がアメリカ医療を志した瞬間から私の前には大きな壁がいくつもそびえたち,それらを1つひとつ乗り越えることなくして,前には進めないという終わりなき挑戦が始まっていたのだと思う。
 「アメリカで研修をする価値があるのか」私が多くの人に聞かれた質問であり,常に自分自身に問い続けていることでもある。自分に自信がなくなり,この質問に対してNoという答えを出したこともないわけではない。国際社会の中で子どもたちの健康のために尽くしていける医師になるということは若き日の夢であり誓いである。1人の人間が一生のうちにできることは限られているかもしれない。しかしながら,限りある一生であるがゆえに,今の自分の現状に感謝し,挑戦を続けていきたいと思う。
 幸い,今回の研修中にベス・イスラエルメディカルセンターの小児科レジデントのポジションを獲得することができた。今回のエクスターン研修を通して,自分の今の実力がどの程度なのか,レジデントを始める前に何をするべきなのかといったことを学ぶことができたと思う。
 今回のエクスターン研修を実現してくださった野口医学研究所とトーマス・ジェファーソン大学小児科の皆さん,そして研修医の身にも関わらず,1か月の海外研修を許可してくださった亀田総合病院に感謝の気持ちでいっぱいである。今後このプログラムがますます発展していくことを切に願っているが,それはチャンスをいただいた私たちの頑張りに尽きるだろう。先達となる人が,限られた期間と環境の中で,精一杯に自分をアピールするとともに信用を勝ち得ていけば,自ずと研修の質も,受け入れ側の真剣さも改善されていくことであろう。
 これからも,これらの短期,長期の研修を通して,チャンスをつかみ,アメリカ留学そしてさらなる目標に向かって多くの青年医師がはばたいていかれることを心から念願するものである。