第2299号 1998年7月27日


高齢者終末期医療への視点

老人の専門医療を考える会シンポジウムより


 さる6月6日,東京の銀座ガスホールにおいて,老人の専門医療を考える会(会長=青梅慶友病院長 大塚宣夫氏)主催によるシンポジウム「高齢者の終末期医療-尊厳死を考える」が開催され,高齢者医療に取り組む第一線の演者らが話題を提供した。

死は医療のものか

 「これからのターミナルケアに求められる視点」を口演した広井良典氏(千葉大助教授)は,「超高齢時代においては後期高齢者の死亡が急増し,長期の介護の延長線上にあるようなターミナルケアが増加すると見込まれる。より,ソーシャルサービスや『生活モデル』的視点の重要性が高まる」との見解を示した。
 その上で,戦後日本においては「疾病構造の変化,医療技術の高度化,病院化の進展の中で,急速な死の医療化(medicalization)が起こり,病院での死が急増した(日本人の病院での死亡率は,1965年には死亡者全体の29%だったが1995年には74%に拡大)」と指摘。「日本における死に場所としての病院への集中と,ターミナルへの今日の人々の意識は,高度経済成長期を中心とするこの30年の時代環境と,制度・政策のあり方によって大きく規定されたものである」との考えを示した。
 さらに広井氏は,「死は医療のものか」と問い,「死は医療サービスにより一義的に決められるものではない。個人の判断による死のあり方の『選択』の幅を拡大すること。それを可能とするような政策的支援が重要である」と強調した。
 具体的には,在宅・福祉施設でのターミナルケア,施設や居宅に孤立しないような通所型サービスへの支援などをあげるとともに,「死生観そのものを含めて,ターミナルケアというものを,より広い視点から捉え直す作業がいま何より求められているのではないか」と問題を提起をした。 

「みなし末期」は許されるか

 一方,「終末期医療の検証を」を口演した横内正利氏(浴風会病院診療部長)は,「高齢者の末期については多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されている」と危惧を表明。「虚弱・要介護のレベルにある高齢者は,急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが,多くは治療によって疾患が軽快すれば,経口摂取が再び可能となる。しかし,もし治療しなければ死に至ることも少なくない。このような高齢者の摂食困難に対して,それを不可逆的なものとみなして医療を実施しないとすれば,それは『延命』治療の放棄ではなく,治癒の可能性をも放棄することだ」と述べ,治癒の可能性があるにもかかわらず,末期とみなすこと(「みなし末期」)を「国民的合意なしには許されるものではない」と主張した。
 また,高齢者医療における治療法や治療の場の選択については,「一定のレベルを超えた治療は望まない,ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという『限定医療』を望む場合が一般的である」と述べ,「この場合,『みなし末期』との決定的な違いは治癒する可能性が十分残されていることであり,医療者が『自然な看取り』を心がけるのは危険である」と警鐘を鳴らした。