医学界新聞

連載 市場原理に揺れるアメリカ医療 番外編

スター選手の死(4)

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部助教授


口を閉ざす医師たち

 ルイスの死後,「心臓神経症だから何の心配もなく復帰できる」とバラ色の診断を下したマッジに対する非難が沸き起こった。マッジの診断に対し,ドリームチーム医師団のメンバーとして当初から公然と反論していたベス・イスラエル病院のマーク・ジョゼフソンも,「だから言ったじゃないか」という意味のことをマスコミで発言したが,彼はその後ルイス事件に関する発言を差し控えるようになる。医師たちは医療過誤訴訟で訴えられた時のための保険に入っているのだが,この医療過誤保険を運営する組織からジョゼフソンに「万が一裁判になった時に不利な材料となるような発言をしないよう」圧力がかかったのである。
 ハーバード関連病院の医師はすべて,「危機管理基金(risk management foundation)」と呼ばれる組織が運営する医療過誤保険に加入しているのだが,ジョゼフソンもマッジも同じ保険でカバーされているのであり,医学的見地の対立はあっても,経済的には両医師の利害は一致しているのであった。ルイスの衝撃的な死にもかかわらず,ルイス夫人とマッジとの信頼関係は強固であり,遺族がマッジを訴えることはないだろうと言われていた。

コカイン疑惑

 ルイスの死から1年半,1995年3月9日,レジー・ルイスの悲劇は新たな展開を遂げた。ウォール・ストリート・ジャーナル紙が,「ルイスの死はコカイン中毒による心筋症が原因であり,ルイスの遺族もセルティクスもコカイン疑惑を隠蔽した」という記事を1面トップで掲載したのである。セルティクスはルイスの死がコカインによるものとわかると,ルイスにかけられていた14億ドルの生命保険が下りなくなると危惧したためにコカイン疑惑の隠蔽工作をし,また,ルイスの遺族はルイスを剖検した州医務官に対し「コカイン中毒の可能性を報告書に書いたら起訴する」と脅かしたというのである。
 ルイスがプレーオフで倒れた翌日にバプティスト病院に入院した時から,コカイン中毒による心筋症の可能性は検討されていた。ルイスはコカイン使用歴などは絶対にないと言い張り,薬剤検査をさせて欲しいという病院側の度重なる要請を拒否し続けた。バプティスト病院を退院してブリガム病院に移った理由の1つとして「バプティスト病院の医師たちが,いくら否定してもしつこくコカインのことを聞き続けたからだ」とルイス自身がラジオ番組に出演した際に述べている。
 コカイン中毒の可能性は,ドリームチームの間でも大きな問題となったし,マッジも何度もルイスに問いただしたといわれている。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事によると,ルイスが急死する二週間前に「もし,コカインをやっているなら,今すぐやめるんだ」とマッジがルイスに詰め寄ったという。同紙はさらに,ルイスの母親にコカイン中毒歴があることも暴露し,ルイスの死後,ルイス夫人がマッジに「夫が死んだのは母親からもらった毒のせいだ」と語ったと書いた。これに対しルイスの遺族は「母親が中毒だったからこそ,ルイスはドラッグを憎んでいた」と反論した。
 生前のルイスは物静かな社会活動家として,黒人コミュニティのために様々な活動を行っていた。毎年子供たちのバスケットボールキャンプの指導に参加し,感謝祭の時には低所得家庭のために七面鳥を無料配布した。ロクスベリーなど低所得黒人居住区に子どもたちの運動施設を作る運動を繰り広げるなど,黒人少年たちの「よきお手本」であった。そのルイスがコカイン中毒だったとする記事に,ルイスの家族・友人たちは猛反発した。ある友人は「ルイスは2度殺された」とコメントした。
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事が掲載された後,ルイスが学生時代の抜き打ち検査でコカインに陽性反応を示したことが報道され(大学側の再調査が行なわれ「証拠不十分」とされた),幼なじみが「ルイスといっしょにコカインをやったことがある」と発言したり(この証言者は「友だちを売った」と友人から非難され,発言を撤回した),ルイスがコカインを常用していたという疑惑は未だに晴れていない。ルイスの生命保険金はすでに支払われているが,この記事がウォール・ストリート・ジャーナルという経済専門紙に載ったのは,保険会社が手を回したからではないかとも噂された。

告訴

 コカイン疑惑のまっただ中の95年3月22日,対シカゴ・ブルズ戦のハーフタイムに,レジー・ルイスの背番号35番をセルティクスの永久欠番とするセレモニーが行なわれた。ルイス夫人,ルイスの母親,長男レジー・ジュニア(3歳),ルイスの死後に生まれた長女レジーナ(1歳)が見守る中,ルイスの35番が,ラリー・バードの33番の隣に掲揚された。
 1996年4月30日,ルイス夫人と遺児2人は,ギルバート・マッジ等4人の医師たちを「水準に満たない医療で夫を死に追いやった」と訴えた。ルイス側の弁護士はニューヨーク市のロバート・ハーリーであるが,彼は医療過誤訴訟を専門とし,ニューヨーク市弁護士協会の医療過誤訴訟委員会の議長を務めている。
 マッジ側は全面的に争う姿勢を示しているが,彼の弁護士はウィリアム・デイリー,ハーバード関連病院の医療過誤保険を総括する「危機管理基金」の顧問弁護士である。(今となって正しかったといえる)ドリームチームの悲観的診断を受け入れず,マッジの楽観的診断を受け入れたのは,ルイスおよび家族自らが下した選択であった。患者が診断が気に入らずに次々と主治医を代える行為は「ドクター・ショッピング」と呼ばれているが,ハーバード大学法学部教授のアイナー・エルホーグは,ルイスが「ドクター・ショッピング」をしていたと陪審が考えれば,ルイス側の不利となろうと指摘している。
 さらに,ルイスのコカイン疑惑に白黒がつけられるのか,コカインを使用していたことが判明した場合に生命保険会社は保険金の払い戻しを求めるのか,ということも関心の対象となっている。マッジと遺族との関係は良好だと言われていたが,ウォール・ストリート・ジャーナルの記事に,マッジしか知り得ない情報が書かれていたことが,ルイス夫人に「夫の名誉を守るために闘う」と決意させたと言われている。この訴訟については,現在水面下で予審手続きが続けられている。

機能しなかった医療

 レジー・ルイスは27歳でその生涯を閉じることになった。ホーネッツ相手のプレーオフ中に倒れてから悲劇的な死を遂げるまでの間,医療が正常に機能せず,「患者の最善の利益を追求する」という医療本来の目的を果たすことができなかったゆえである。
 ルイスに試合復帰を許したチームドクターの判断の誤り,ドリームチーム医師団と患者との間の意思疎通の欠如,医師たちによる患者情報のリーク,マッジに加えられたプレッシャー,有名患者をトロフィーか何かのように扱った大病院,等々,通常は起こり得ないような異常な事態が展開された。もし,レジー・ルイスが有名スポーツ選手でなかったなら,彼の転帰は大きく異なったものになっていたのではないだろうか。

(この連載終わり)

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