第2277号 1998年2月16日


インタビュー

DRPLA遺伝子のハンティング

辻省次氏
新潟大脳研究所神経内科
教授
 小出玲爾氏
同研究所神経内科
大学院生
 池内 健氏
同研究所神経内科
大学院生


 1994年,それまで原因不明の難病と言われていた脊髄小脳変性症の1つであるDRPLA(dentatorubral-pallidoluysian atrophy:歯状核赤核・淡蒼球ルイ体萎縮症)の原因遺伝子が新潟大脳研究所の研究者によって同定された。この疾患が,既に発見されていたハンチントン病同様,蛋白への翻訳領域に存在する「CAG」という3塩基の繰り返し配列(トリプレットリピート)の異常な増大によるものであることが明らかにされたのである。本疾患は,1970年代に内藤明彦氏(松浜病院長),小柳新策氏(長岡療育園副園長)により新潟地方にみられる家族性ミオクローヌスてんかんを呈する家系の臨床病理学的研究が発表され,その後独立疾患として確立された。長年にわたる病理研究と分子遺伝学が見事に合致したもので,まさに日本の神経研究が,世界的に大きなインパクトを与えたものと言える。
 本紙では,『DRPLA-臨床神経学から分子医学まで』発刊を機に,その研究の中心である新潟大脳研の辻省次氏と,当時,神経内科の研修医として,DRPLA遺伝子を見つけ出した小出,池内両氏から当時の様子をうかがった。


DRPLA原因遺伝子の追跡

――先生方は脊髄小脳変性症であるDRPLAの原因遺伝子を発見されるなど,もともと臨床神経研究がさかんな新潟で世界的な研究をされてきました。最初にDRPLA研究を始められたきっかけや,研究の過程をお話しください。
 私が新潟大に赴任したのが1987年で,その時に宮武正先生の下でDRPLAの検体の収集を井上雄吉先生(富山県立中央病院)と一緒に始めたのがきっかけでした。
 今では表現促進現象(anticipation:世代を経るごとに発症年齢が早くなり症状が重症化する現象)や,発症した親の性別で子どもの重症度が変わるのがよくわかるのですが,当時はそれがまだよくわからず,家系図を見ながら,メンデル遺伝では理解しがたい奇妙な病気だなという,モヤモヤとした感じの印象を受けました。

発症機構を直感したワークショップ

 1992年にハンチントン病の原因遺伝子が発見されました。その染色体の場所(第4染色体上)が判明したのが1983年ですから,原因遺伝子が発見されるまでに10年かかったのです。それが今で言う「トリプレットリピート病」で,CAGの3塩基が増大していることがわかりました。私自身は,当時は,これはハンチントン病に限った特殊な変異であるのかと思っていたのです。
 DRPLAの分子遺伝学的な研究が具体的になったのは,1993年6月にイタリア・カプリで開かれました小脳失調症の国際ワークショップに出席し,ベイラー大学のゾービ(Huda Zoghbi)という女性研究者が,SCA1(spinocerebeller ataxia type 1)の遺伝子を発見したとの報告を聞いた時です。
 それはハンチントン病同様,CAGリピートが増大し,またハンチントン病では父親から遺伝した場合に若年発症の重症型がでやすいことは知られていましたが,SCA1においても父親から遺伝するとCAGリピートが伸びやすく,子どもがより重症型を示すことがあると述べたのです。
 それを聞いた瞬間に「ハンチントン病もSCA1もDRPLAも同じメカニズムによる病気に違いない」と感じたのです。もちろんMachado-Joseph病も同じで,当時研究していた脊髄小脳変性症は「すべてに同じメカニズムが働いているに違いない」と,その時に確信したのです。
 それまでは私どもの研究室も標準的なポジショナルクローニングのアプローチで研究をしていましたが,それを聞いた瞬間に「これはいかん」と思って,その日のうちに研究室に国際電話をかけて,「とにかくCAGリピートを中心に研究を展開すべきだ」と伝えて,研究方法を全部組み直したのです。1つは,小脳で発現しているCAGリピートを持っている遺伝子を見つけて,その1つひとつが病気の原因になっているかどうかを検索する方法。もう1つは,既に報告のある遺伝子のなかでCAGリピートがあるものを全部集めて,それが病気の原因になっているかどうかの検証をする,という2つの柱に変えたのです。そして,DRPLAの原因遺伝子は,後者の方法で非常に運よく発見されたわけです。

2人の研修医による発見の経緯

 私たちの教室では「夏期練成期間」として,若手の研修医が3週間ほど病棟勤務を離れる時期があり,興味のある人に分子遺伝学的な研究を経験してもらう試みをしていました。ちょうどその時,入局1年めの(卒後3年)の池内先生と小出先生が来て,気軽にできるからと既知の遺伝子のなかからCAGリピートを取り出して検証してもらったんです。その時,遺伝子はたくさんあったのですが,その中の1つを選んでトライしてみたらDRPLAの原因遺伝子に当たってしまったのです。ただこの遺伝子を選ぶ理由は多少はあったんですけどね。だから既知の遺伝子といっても,実際には1つしかスクリーニングしていなくて,それが当たったという(笑)。
――実験室に入られて,何日目ぐらいに発見されたのですか。
小出 最後の週,つまり3週目でした。
池内 当時はゼロからのスタートで,本当にDNAを抽出するのも初めて。最初はPCRもなかなか大変だったのです。やっとかかるようになってトライしてみたら,そういう結果が出てしまった。ただその結果も,本当に原因遺伝子なのかどうかはわからないし,あるいはPCRのアーチファクトじゃないかと,半分疑心暗鬼で辻先生に相談にいったのです。
――その時は,何人ぐらいで実験されていたのですか。
小出 基本的には私たち2人です。
池内 実験に成功したのは7月の終わりでした。その時は遺伝性の脊髄小脳変性症を中心に100検体ぐらいを調べたのです。
小出 新潟県内の関連病院にDRPLA症例があったら紹介してほしいと,辻先生にお手紙を書いていただき,われわれも実際に病院にうかがって,患者さんにお願いして採血させていただいきました。
 この実験ではDRPLAだけを狙ったのではなく,さまざまな脊髄小脳変性症を調べたところ,異常が見つかったのがたまたまDRPLAだったのです。2人とも最初はかなり疑心暗鬼で,自信なさそうでした(笑)。
池内 もちろん初めてでしたしね。ただ,CAGリピート数を出し,発症年齢ときれいに相関するデータを見て,「これに間違いないんだ」と確信しました。いままでわからなかった臨床的な多様性が,このリピート数である程度説明がつくことに,非常に感激しました。
 ある程度データがそろってから,内藤明彦先生にお願いにいきました。先生が見ておられる家系も含めて,さらに私たちの結論が正しいのかどうかの確認が必要だったものですから。8月にデータを見せに伺いましたら,内藤先生が非常に喜んでくださいました。

nature genetics誌に急いで掲載

――研究をまとめられて,nature genetic誌に投稿されたのが1993年だそうですが,その時の様子をお話しください。[論文名 R. Koide, T. Ikeuchi, O. Onodera他:Unstable expansion of CAG repeat in hereditary dentatorubral-pallidoluysian atrophy(DRPLA),Nature Genetics, Vol.6, 1994]
 当時,カナダのバンクーバーで世界神経学会があって,そこにパソコンを持っていき,ホテルにこもって論文を書いたのです。当時はモデムがまだ普及していなくて,カップラーを持っていって,ホテルで電話につないでパソコン通信で医局に送ったのです。あれはけっこう離れ業だったね(笑)。田中一君(新潟大神経内科前医局長)がパソコンが得意で,彼のところに全部送って,医局で仕上げて,それをまた送ってもらってという感じでした。
小出 私たちはひたすら実験の日々でした。通常の病棟業務を日中にこなして,夜中のちょっと空いた時間を使って実験して,という具合でした。
 研究室でも総力戦になりまして,「原因はこの遺伝子だ」とわかったときから,たくさんの仕事を全員で分担して,ものすごいスピードで進めました。
――検証した遺伝子が実際にDRPLAの原因遺伝子とわかった時はいかがでしたか。
小出 実験が大変になるに従って,大変なことになったという実感がわいてきました。そのCAGリピートの関係で,病態でもやもやした部分が,割とクリアに説明できるのです。いままで不思議だと言われた現象が,CAGのサイズの大きさと不安定性ですべて理解できることに,とても感激しました。
 生田房弘先生(新潟大名誉教授・病理学)に協力をお願いしたり,あちこちお願いにあがって,皆さんにご協力いただいて,まとめることができました。当時はMachado-Joseph病のほうはかなりデータを集積していましたが,DRPLAのほうはまだ集積は十分ではなかったんですね。
――1993年の9月17日にnature genetics誌に受理され(アクセプトは10月6日),1994年元旦発行の同誌に,先生方を含めて2つのグループからそれぞれDRPLAの病因遺伝子同定が同時に発表されたそうですね。
 ええ,国立小児医療センターの山田正夫先生と東大の金澤一郎先生のグループです〔Nagafuchi S, Yanagisawa H, Sato Kら:Dentatorubral and Pallidoluysian atrophy expansion of an stable CAG trinucleotide on chromosome 12p.nature genet.ics 6:14-18, 1994〕。ほとんど同時期ですね。

今後の神経研究の可能性

 私の学生時代は,「神経変性疾患は原因がわからない」が定義だったところがありまして,本当に治療なんて夢のまた夢だったのです。
 しかし現在は,少なくとも遺伝性の神経変性疾患に関しては,原因遺伝子が判明し,遺伝子上ではどこが悪いのかがわかってきました。細胞レベルでどのような異常が起こっているかを解明する研究が,本当に可能になりつつあるのです。神経細胞が障害を受けるプロセスを,例えば培養細胞を用いて実験室の中でみることができるようになれば,そのプロセスをいかにして緩和するかという研究が十分に実現可能だからです。
 一方で,発生工学の手法で人の病気と本質的に同じようなモデルマウスが作られつつあります。いまは「分子の目で病気を見る」というレべルですが,もう一歩進めて,そこから発症のプロセスを緩和する方策が見つかれば,治療や予防につながる具体的な研究ができるのです。そのような研究はもうすぐ実現するのではと私自身は思っています。そういう点で,わたしの学生時代に比べると夢のような時代だと思います。

1984年当時のアメリカ

――学生時代や若い頃に影響を受けたことが,いまの辻先生の研究にどのように関わっているかをお話しいただけますか。
 学生時代にぼく自身がいちばん影響を受けたのは,早石修先生(大阪大名誉教授)からです。当時,東大に兼任でいらした早石先生から「研究の世界は国際的な視野の中でやるものだ」と,視野の広さを教えられました。特に生化学という,物質レベルで病気を見ていくという視点で非常に強い影響を受けました。
 もう1つは,1983年にハンチントン病の遺伝子座が第4染色体の短腕にあると発表されたことです。当時私は東京都臨床研の流動研究員で,その論文を読んで,中身は正直言ってよくわからなかったのですが,ただ遺伝子を研究すれば,今までまったく見当もつかなかった病気が解けるかもしれないと,とてもインパクトが大きくかったのです。
 翌年(1984年)の春にアメリカに行き,当時は「リバースジェネティックス」と言われていた手法をもって変性疾患に迫るということで,全米で熱病のようなものすごい熱気だったんですよ。例えばJim Gusella(ハーバード大医学部分子生物学者。DNAマーカーを連鎖解析に応用してハンチントン病遺伝子が第4染色体にあることを発見)の講演は,聴衆も多くてすごい熱気でした。
 NIH(国立衛生研究所)へ行き,まずワシントンDC市内で開かれた「Medical Genetics」という臨床遺伝学の3日間のコースを受講しました。そこでVictor McKusickらの有名な人が出てきて,ホットなトピックスやアイディアを話すのです。またNIHでは,臨床遺伝学の回診が毎週水曜日に開かれ,さまざまな遺伝性疾患の症例の提示とディスカッションがなされてました。そのなかにどっぷり漬かりまして,「遺伝子の研究から病気の謎に迫ることができるんだ」と,少なくとも論理的にそういう道筋があるとわかったわけです。ただ,技術の発展がそれに追いついていなくて,当時はポジショナルクローニングするにも途方もない労力がいったのですね。でもアメリカでは,この研究は論理上は必ず可能であり,どれだけ大変かもしれないが,やれば必ず解明できると,本当にみんなが一所懸命に取り組んでいました。
 1987年に日本に帰った時には,日本ではリバースジェネティクスは途方もない労力が必要だし,運がよくなければ成功しないからと,かなりネガティブな意見が多かったですね。その落差にかなりのカルチャーショックを受けました。
 Machado-Joseph病の連鎖解析を自治医大の神経内科と共同で始めたのが1992年頃で,そのころから少しずつ具体化することができました。
 当時,ポジショナルクローニングのアプローチをするだけの余裕もなく,いろいろなライソソーム病の遺伝子のクローニングや,遺伝子変異の解析など比較的地味に仕事を立ち上げていきました。こういう大きい仕事になるのはもっとあとで,研究室の体力がだいぶ付いてきてからでした。

進路を選択する時

――池内先生と小出先生は,当時なぜ辻先生のもとで分子遺伝学の研究をと思ったのですか。
池内 わたし自身は,遺伝性脊髄小脳変性症の患者を病棟で1人受け持ってたのがきっかけで,その時に脊髄小脳変性症のSCA 1やSCA2を勉強しました。先生に「脊髄小脳変性症をやりたい」と希望したら,じゃあ先ほど辻先生がおっしゃったようなことはどうかということで進んだのです。
小出 わたしも池内先生と同じで,病棟で受け持っていた患者さんにミオクローヌスてんかんの方がいらしたのですが,そういった患者さんの病態解明に少しでも近づけないかなと思いました。
 とっかかりはやはり患者さんです。特にDRPLAは,他のトリプレットリピート病に比べると病状が重いことが多いので,研究してなんとかしたいと思ったのがきっかけです。
――いまの先生方の研究テーマはどのようなものですか。
小出 DRPLAの遺伝子産物がどのような機能をしているのか,どうしてそのリピートが伸びると細胞が障害されて病気になるのかということを研究してます。
――池内先生,DIRECT法という新しい遺伝子解析法について教えてください。
池内 DIRECT法は私たちの1学年上の大学院生の三瓶一弘先生が中心となって開発した方法です。神経疾患でトリプレットリピートの増大がさまざまな疾患で見つかり,今後も新たに発見されることは容易に予測されます。この方法は,ある特定の遺伝子に焦点を絞り,増大したCAGリピートそのもの自体を同定しようという試みで,遺伝子をポジショナルクローニングを使って同定するより効率がよいのです。それを実際に脊髄小脳変性症の1つで表現促進現象が報告されているSCA2において,CAGリピート病であろうとの仮説のもとに,三瓶先生を中心に遺伝子クローニングに成功しました。
 そうすると,脊髄小脳変性症のなかでもCAGリピート病が今後も発見されてくるだろうし,あるいは,他の神経変性疾患にも存在するだろうということで,私自身は現在,そのような症例を集めて,DIRECT法でCAGリピートを探してるところです。
――進路を決めたのも,入局1年目でされたお仕事というのが影響されているのですね。
池内 幸運だったのは間違いないのですが,この研究はわれわれにとって非常にインパクトがありました。分子メカニズムの解明を研究テーマに大学院に進もうと決めたのもその影響が大きかったと思います。
小出 研究の動機として,特に医者の場合は「患者さんの治療に役立つ」ことがいちばんだと思います。そういう強い動機を持って,体力の続く限り研究するというのが信条なんですが。
 DRPLAに限らず,特に神経変性疾患はいままで難攻不落と言われ,治療法もなく診断法もはっきりしないものが多かったのですが,最近はそうでもなくなってきました。これからはむしろ治療に方向を向けていきたいと思います。
池内 DRPLA研究を通して,非常に幸運な面があり,国際学会で発表する機会も何回かありました。そういう意味では世界的なレベルを早くから肌で知ったことは,非常によかったと思います。そういう研究の一面と,日頃,神経変性疾患の患者さんを診察していくなかで,本当に患者さんにためになる研究を忘れずに研究していく態度とを両立させる必要があるのではないかと思っています。

神経研究のありかた

――辻先生,神経研究とは,今後どのような形で発展するのが望ましいのでしょうか
 難しい問題ですね(笑)。今,脳を研究するのが大きな流れになっています。もちろん私たちも脳の生理的な機能や,正常な脳の機能をどのように理解するかという研究を1つの柱として行なっています。もう1つは,その脳を侵す病気に対してアプローチして,少しでも治療に発展するような研究ができればということだと思うのです。
 あとは,夢を持ってチャレンジするような研究がたくさん出てくるといいと思いますね。若い人たちをエンカレッジすることも大事ですし,若手の研究者が独創性を発揮できるような研究環境が必要だと思います。日本でも,脳研究の重要性がアピールされ,研究費のサポートがよくなってきていますので,これから日本でも脳研究は爆発的に発展するように思います。
 研究のリソースが充実し,ヒトのゲノム解析という大きなプロジェクトから,私たちがいちばん恩恵を受けていると思います。必ずしも自分たちですべてやらなくても,他の研究グループの成果をうまく統合的に組み込むあるいは共同研究を行なうことにより,能率よく深みのある研究ができるように思います。
 また,私たちの立場からいうと,病気の原因を突き止めて,その次に治療にまでいきたいという気持ちが非常に強いのです。ですから遺伝子クローニングというのは大きな目標ではありますが,それが最終ゴールではないのです。なんとしても病気の治療に役立てるような方向に発展させることができれば本当に嬉しいです。ただ,それは遺伝子をクローニングするよりはるかに難しいことですが・・・。
――本日はありがとうございました。

(於:新潟大脳研究所)