第2271号 1998年1月5日


1・9・9・8
新春随想

経口避妊薬と日本

武谷雄二(東京大学教授・産婦人科学)


 経口避妊薬は,エストロゲンと黄体ホルモン製剤の合剤で,主として排卵を抑制することにより避妊効果を期待するものである。現在,世界的に広く用いられている経口避妊薬が含有するホルモン量は確実な避妊効果を発揮する最少量となっており,いわゆる“低用量ピル”と呼ばれるものである。その結果副作用の頻度は従来のものとは比較にならないほど減少しており,正しく使用すれば確実な避妊効果が得られ,しかも安全性はきわめて高くなっている。副作用に関しては,少なくとも避妊に失敗し妊娠に至った場合に,中絶または妊娠を継続したことによる母体の身体的リスクのほうがはるかに高いと言える。

中絶大国日本

 わが国は経口避妊薬の使用が許可されていない例外的な国として諸外国より注目されている。現在,日本と北朝鮮のみが使用不可能な国となっている。この理由としてはさまざまなことが指摘されているが,約30年前には安全性への懸念もさることながら,性道徳の低下を招来することに対する危惧が許可を妨げたと仄聞している。しかし,昨今のわが国の性の実態をみるにつけ,経口避妊薬を許可しないことによる性道徳低下の抑止効果があったかはきわめて疑わしい。また,確実な避妊手段がないことによるためか,人工妊娠中絶は報告されたものでも年間30-40万件であり,先進国の中での総妊娠に占める中絶の比率は最も高くなっている。特に近年,20歳未満の中絶件数はむしろ増加傾向にあり,決して性道徳が徹底しているとは言いがたい。さらに別な視点として,人工妊娠中絶の結果,生殖機能が障害され,そのため不妊症として悩んでいる女性が大変多く,わが国の少子化とも関連しているという事実が厳然することを強調したい。
 現在世界的に約70%の国では中絶は厳しく制限されており,少なくとも経済的理由で母体の健康を二次的に損なう恐れがあるなどということは中絶の適応として認められていない。日本は中絶には比較的寛大で中絶件数は国辱とも言えるほど多いにもかかわらず,それに対する反論は社会的には大きな声にはなっていない。また,避妊指導を徹底させるとか,経口避妊薬の許可を再考するといった議論も乏しく,中絶の現実には目を背け,硬直的に経口避妊薬は性道徳を危うくするといった偏狭な議論を貫いてきたと言える。

根拠に乏しい反解禁論

 さて,現在普及している低用量ピルは,わが国において約5000人の女性を対象に避妊効果と安全性が確認されたにもかかわらず,長年にわたりその許可が保留されている。その理由は,主としてHIVをはじめとする性感染症を蔓延させるという懸念によるものと伝えられている。確かに,わが国においては経口避妊薬が許可されないことによりコンドームの使用率が高く,それが図らずもHIV感染の広がりを阻止していたという見方もあながち否定できない。しかし,クラミジアなどの性感染症の頻度は欧米に勝るとも劣らず,わが国においてはコンドームが性感染症の拡散を防いでいたとは考えがたい。また,既婚女性でもコンドームを用いている人は約40%にすぎず,特に,性感染症の予防の目的のために,常にコンドームを使用している女性の割合は極めて低率と推定される。また,経口避妊薬と同様に性感染症のリスクを伴う避妊法である子宮内避妊器具(IUD)の使用は承認されているという矛盾性はいかに説明したらよいのであろうか。
 いずれにせよ,世界的に確立された避妊法である経口避妊薬を許可しないことにより,避妊効果がはるかに劣るコンドームの使用を維持させようとすることに対して反論が大声にならないのは,sexualityに関する話題を回避したがるわが国の国民性によるのであろうか。また,経口避妊薬が使用可能になると女性たちはこぞって無防備な性に走ってしまうので不十分な避妊手段しか供給しないという考えは,国民の常識を過小評価しているのか,あるいは個人的問題にあまりに容喙しすぎているとみなすことができる。
 経口避妊薬の許可をめぐる議論には“日本特有の事情”が端的に反映されており,国際的に独歩の状態にある。報道によると経口避妊薬の許可に曙光がみられるとのことである。女性みずからが能動的,主体的に安全に性を享受でき,“産むgender"としての生物的役割を自らの判断で発揮できるよう,いくつかの選択肢の1つとして経口避妊薬が与えられることを切望する。