医学界新聞

レポート

インドネシア大学で熱帯医学実習を受けて

ウイディ・ニヤマン(順天堂大学6年)


 インドネシア。東南アジアの赤道直下に位置し,東西5100kmにわたり1万3千以上の島を有する国である。人口は2億人以上であり,300の異なる民族と250の言語が存在する。首都はジャカルタ,世界でも有数なリゾート地であるバリ島には毎年多くの日本人観光客が訪れる。
 今回私は夏休みを利用して,インドネシア大学付属病院で4週間の熱帯医学臨床実習(elective posting program,1997年7月14日から8月8日,内科と小児科を2週間ずつ)に参加することになった。私の両親はインドネシア人であり,父が日本の医学部を卒業してそのまま日本で働いたことから,私は日本で生まれ育った。このプログラムへの参加はそうした環境に育った私が次のように思ったからである。
1.日本で診ることが難しいtropical diseaseを診たい
2.今後インドネシアと医療を通じて関わっていくきっかけを作りたい
3.今年の3月に日本医学教育振興財団の支援による英国医学校の短期留学を機に,学生時代に海外の医療を体験し視野を広げる必要があると感じた
 実習内容としては,病棟で患者さんを通じて熱帯医学を学ぶことが中心であったが,学生のディスクシー(私たちが言うところの“クルズス”,“tutorial")に参加したり,病院内の救急室(IGD)にも当直をすることができた。またこのプログラムとは別に両親や親戚の紹介でジャカルタ市内の病院を見学したり,米軍のNAMRU(Navy Medical Research Unit)を訪れ,現在ジャカルタでは稀にしかみられなくなったマラリアについて勉強させてもらったりもした。
 以下に私のそうした体験をもとに,インドネシアと日本の医療・医学教育の違いを述べていきたい。

インドネシアの医学教育(臨床実習)

 インドネシアではわれわれと同じように医学部は6年間である。しかし,そのカリキュラムは日本の大部分の医学校のそれとは大きく異なる。1年次に何コマかpre-medicalの講座がある以外,最初の3年間は基礎・臨床の講義,その後の3年間は病棟における臨床実習という内容になっている。その臨床実習での3年間で医学生は疾患に対する診断・治療はもちろんのこと,虫垂炎などの簡単な手術,外傷の縫合,分娩の介助,新生児の管理といった実践的な知識,手技などの取得が必須である。実際私が当直をしたIGDでは,医学生が外傷の患者のマネージメントを最初から最後まで行なっていた。
 このようなカリキュラム,実習内容の違いがなぜ存在するのだろうか。

プライマリケア重視

 これには政府が定めた医療システムが大きく関与する。医師は医学部を卒業するとすぐインドネシア国内にあるprimary health centerで約2年働かなければならない。そこでは何千人単位の住民の中で医師が自分1人という状況であり,卒後間もない医師たちはその住民たちに1人で医療を提供しなければならない。もちろん電話などによるコンサルテーション,大病院への患者の輸送は可能だが日本ほど容易ではない。そのためスペシャリストのみに必要な専門知識よりもプライマリな知識・技術が要求される。小児科のディスクシーでも公衆衛生学的知識を重視していたし,新生児学で医師は栄養学,家庭環境に由来する問題を質問していた(インドネシアではまだまだ貧富の差があり,両親の教育,収入により児の育てられ方が大きく異なる)。
 実習場所も特徴的だ。病院,primary health centerでの実習はもちろん,小児科の実習ではprimary health centerの近くの小学校も訪れる。これは私も同行したのだが,医学生1人につき小学1年生1人を受け持ち健康診断をする。これはあらかじめ渡された用紙に書いてある項目(身長,体重,既往歴,予防接種の有無,身体所見など)を埋めていくのだが,実際問診してみると疾患の症状を知り簡単な言葉でいえないと子供には通じない。病院での実習では味わえない体験だ。

インドネシアにおける医療

医学生も病棟の一戦力

 そういうわけで,病棟内での医学生の立場も日本とは違う。彼らの名札には“dokter muda(若い医師)”と書かれていて,患者さんへ病状・治療に関する説明もしていた。その姿はもう立派に病棟内での一戦力で,他のコメディカルも彼らを“ドク”と呼び医師として扱う。私も日本からの医師として患者さんに紹介され,アナムネ・診察を行ない,カルテの中の検査所見を参考にその症例を簡単にまとめ,ドクターに質問したりディスカッションもした。またIGDでの当直でも,手技を中心にたくさんの経験をさせてもらった。患者に対するひと通りの処置を行ない病棟に送った後,次の患者に備え,その診察台わずかな睡眠ととったことなども今となってはいい思い出である。
 試験の方法もわれわれとは異なる。学生はまわる各科ごとに筆記試験と口頭試問を受ける。口頭試問では試験何10分か前に患者の名前を教えられ,自分でアナムネ・身体所見をとり,それらの情報をもとに別室でスーパーバイザー(その科のスペシャリストで,主に医師や医学生の教育をつとめる)からその疾患に対して質問を受ける。
 このように彼らは学生の時から,卒業時点で1人前の医師になるべく教育を受けている。学生時はほとんど見学同然で,医師になってやっと手技を覚えることができる日本の医学教育の現状に,インドネシアの医学生・医師は皆驚いており,日本の医療の現状を理解してもらうのに苦労した覚えがある。
 今の日本では特別な研修制度を行なっている人以外,さまざまな科をまわれるのは学生の時だけである。日本でのさなざまな制限を受けながらの臨床実習は見学とほとんど同じようなもので,実践的なことを得られる機会が少ないのは確かである。総合的な医療を行なえる医師が必要であるという私の考えが正しいのなら,研修医時での研修システムの改革,学生時代における臨床実習の方法の見直しなどを考えるべきなのではなかろうか。

プログラムを終えて

貧富の差が医療に反映

 今回私は熱帯医学の臨床実習を主に病棟で行ない,ジャカルタ市内の病院のいくつかを見学ことができた。その中で一番印象的だったのは,提供できる医療のレベルが患者によって違いすぎるということだ。
 インドネシアでは貧富の差がまだまだ大きく,社会問題の1つとなっており,保険制度も確立していない。案の定,貧しい人たちはろくな医療を受けることができず,医師側も患者たちの懐具合をみて検査方針・治療方針を決める。
 私が当直した救急室(IGD)では次のようなことがあった。真夜中に40%,Ⅱ度の熱傷で女性が運ばれてきた。早急に点滴,皮膚の洗浄をしなければならないのだが,なかなか治療が進まない。そのIGDでは治療に使う道具や薬を患者の家族が病院内の薬局で買わなければならず,患者の家族がそれらを買う金がなく工面するのに時間がかかってしまったのだ。結局IGDがお金を貸すことになったのだが,こういうことはめずらしいことではなく,実際医師が患者の治療費の一部を支払うこともあるそうだ。
 それとは反対に,裕福な人たちしか行けないような病院では,高い教育を受けた医師が充実した設備の中で働いており,高いレベルの医療が提供される。私が訪ねたある病院の病室はまるでホテルのようであり,その他の設備も大学病院のものとは比べものにならないくらいすばらしかった。このような問題は単なる医療問題として片づけることは到底不可能で,解決していかなければならない問題が山ほどあるのが今の現状だ。

スペシャリストが育ちにくい環境

 次に印象的だったのが医療を行なう医師たちの種類,レベルの違いであった。先にも述べたように,卒業後医師はすぐ地方のprimary health centerで2年間働くことが義務づけられている。その後スペシャリストになるためには内科で3-4年,外科では約5年以上のトレーニングを積まなくてはならない。それには厳しい試験もあり,簡単になれるものではない。自分が進んだ専門分野で特別の技術を身につけたいと思ったら,そこからさらに何年か費やさなければならない。
 ある医師は言っていた。「インドネシアではスペシャリストになるのに時間がかかりすぎて,いざスペシャリストになって研究などをしようとする時には年をとりすぎて思うようなことができない」
 またこういった理由でインドネシアでは専門家の数が十分ではなく,すべての患者に高いレベルの医療を提供できない。その点日本では,医学部を卒業するとすぐ自分の進むべき科を決め,特別な試験などもなくわずか2年でスペシャリストとなる。1人の医師が診ることができる範囲は狭いが専門的な知識・技術に長けている医師が多く,国全体として高いレベルの医療が提供できるという日本の医療の特徴,利点をインドネシアにいて初めて感じた。
 ではそのような状況の中にいるインドネシアの医師たちはどのような考えを持って いるのだろうか。
 私が感じたのは彼らの海外の医療への強い関心である。向こうの医師は英語に対する意識が高い。よく言われているように母国語に訳されている海外の良本が少ないためか,英語で書かれた教科書を使っている学生も多く,医師のカンファレンスでは海外の文献をもとにディスカッションが進められる。特にスーパーバイザーなどはレジデントの医師にしきりに最新文献を取り入れ,調べる必要性を説いていた。また専門家になるのに国内程たくさんの時間を費やすこともなく,国内より高い教育を受けられるとあって欧米や日本への留学を望む医師も多い。
 そしてテーマとは少し離れてしまうが,インドネシア人医師の特徴の1つとして,その人柄・国民性があげられる。インドネシアの医学生・医師はフレンドリーな人が本当に多い。私がよそから来たものだとわかると興味を示して話しかけてくるし,一度知り合いになれば,次に会うときも仲のいい友人のように接してくる。おかげで病院内のどこへ行ってもやりにくいということがなかった。また実習でも外国から来たといって特別な制約を受けることなく自由だった。IGDで手技を多くやりたいとお願いしたら,そこで働いているみんながわざわざ私を呼んでくれてまでやらせてくれる。「日本に留学したいが言葉の問題があって難しいのではないのか」と私に尋ねてくる人が多かったが,日本に留学したことのある医師,また日本にいた時に知り合ったインドネシア人医師の話を聞いてみると,日本への留学を難しくしているのは言葉や物価の問題だけではなく,日本の鎖国的な社会,外からの人と親しくなることが苦手な国民性もその理由の1つであるように思えた。今回夏休みを利用して参加したインドネシア大学でのelective posting program。思えば実習中の毎日が新しい発見の連続で,アドベンチャーのようだった。
 この実習を通じて私が得たことはたくさんある。広い視野と多角的な物の見方を身につける必要性を知らされたし,一番最初に書いた目標をある程度は達成できたというのも成果の1つである。
 海外の医療を自分の目で見,その中でさまざまな体験をすると,日本にいたときでは見えなかったものが見えてくる。こちらでは当たり前と思われていたこと,一見短所のように考えられていたことなどが異なる視点により全く違ったものになる。このように比較的自由に動け,外の世界が見られるのは学生時代しかない。よくどの大学でも行なわれる大人数による交流会のようなものでもよいのだろうが,長時間単独で行動することによってより多くのものが得られるelective postingのようなプログラムの実施を日本の医学教育の中により浸透させてもよいのではないか。
 私はこのレポートでインドネシアと日本の医学教育・医療の違いを中心に述べてきた。実際インドネシアと日本の相違点を見つけることはそれほど困難ではなかったが,それらを用いて「だから日本は~,だからインドネシアは~」と言うことは簡単にはできないと思う。
 なぜなら両国の医療を取り巻く環境が余りにも違いすぎるからだ。しかしこのように相違点をあげ,できる範囲でお互いの医療の長所・短所を見直していくことで現状を改善していけるのではないのだろうか。そういった意味でインドネシアのような国の医療から学ぶべきことはたくさんあると思う。そして,インドネシアだけでなくいろいろな国と医療における協力関係を強くしていくことは日本の医療自体の発展につながると私は考える。

規制緩和がもたらすもの

 インドネシアでは西暦2003年より,外国資本の病院や外国人医師が国内で医療をすることに対する規制が緩くなる。それは私が会う医師や医学生が口々に話していたことで,彼らが現在大いに関心を持っている事柄の1つである。
 実際,かつて日本に留学していた父の古い友人は,「外国資本の病院が進出する前に新しい自分の病院の建設を急がなければ」と言っていた。それだけ規制緩和後の状況はインドネシア人医師にとって厳しいものになるだろう。しかしそれは将来,かれらにとって有益となる「競争がもたらす発展」をインドネシアの医療に与えると私は思う。このエッセイを書きながら「インドネシアの医療はこれからどう発展していくのか。そして日本の医療はどこへ行こうとしているのか」という思いが何度も頭に浮かんだのだが,この2003年からの規制緩和はその答えを教えてくれるきっかけになるのかも知れない。